戊辰戦争拾遺 松平大隅守、桜門で神保修理と出逢う
神保長輝(神保修理)は、戦況を伝えるために大坂に帰り会津藩の本営であった本願寺に戻っていたようである、徳川慶喜に呼ばれたことにより急ぎ登城したとおりに、桜門あたりで、松平信敏(松平大隅守)と出逢ったのだろう。
信敏の談話では、これを乗船の準備の命を受けた1月6日としているが、修理が大坂に戻ったのは1月5日であるので、日にちが合わない。
いずれにしても、1月5日、信敏が町奉行への転任の命を受けた時点で、徳川慶喜の東帰の準備段階に入っていたことがわかる。慶喜はそれ以前に東帰を側にいた閣老へ打ち明けていることになる。
それでは、修理は何のために呼ばれたのであろうか。
神保長輝(神保修理)は、戦況を伝えるために大坂に帰り会津藩の本営であった本願寺に戻っていたようである、徳川慶喜に呼ばれたことにより急ぎ登城したとおりに、桜門あたりで、松平信敏(松平大隅守)と出逢ったのだろう。
信敏の談話では、これを乗船の準備の命を受けた1月6日としているが、修理が大坂に戻ったのは1月5日であるので、日にちが合わない。
いずれにしても、1月5日、信敏が町奉行への転任の命を受けた時点で、徳川慶喜の東帰の準備段階に入っていたことがわかる。慶喜はそれ以前に東帰を側にいた閣老へ打ち明けていることになる。
それでは、修理は何のために呼ばれたのであろうか。