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天晴れ(あっぱれ)な空☆

和風を好む私の徒然に日々想うことを綴る日記。いとおかし。

鎌倉俯瞰

2009年08月28日 | 武士(もののふ)
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天と地。

太陽と青空と雲、そして海。

自然と緑と鳥の声と風。

自然に囲まれ一体となることの幸せ。

素晴らしく、嬉しい、いい一日に心より感謝。



そう、あれに見えるは鎌倉。

この位置は、云わば鎌倉の防御線に位置する。

小規模ながらたくさんの切通しも近辺にある。


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角度と場所を変えると房総を遠目にしながら、

横浜港、そして江戸湾の様子も見て取ることができる。

それはまるで、かつてペリーが来航した進路を見るようでもある。


そんな場所で青空の下、しばし下界を忘れる。

そして時代も忘れる。


あれに見えるは鎌倉。

由比ヶ浜と相模湾、そして相模の国の空。

霞がかかって富士山が見えないのが一点の心残り。

もしも富士山が見えていたら、自分にとってはまさしく

完璧な理想の景色となる。


そんな訳で景色を撮りまくったわけですが

少しずつ画像はアップして行くつもりです。


父母、家族、親戚のみなさん。

いつも、そして昔から本当にありがとうございます。

とても嬉しく楽しい青空の下の一日でした!

感謝、感謝!


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喜怒哀楽

2009年07月11日 | 武士(もののふ)

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七夕も終わり、ますます暑い日々。

喜怒哀楽をおりまぜて生きている。

ただただ少しでも大きい人間になりたい・・・

やはり日々、修行だ。


『虫よ虫よ 五節草の根を絶つな 

          絶たばおのれも ともに枯れなん』




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ひとやすみ。

2009年06月09日 | 武士(もののふ)

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益荒男の七世をかけて誓いして

   ことばたがはじ大君のため


     藤堂平助




新選組隊士の句が続く。

“もののふ”

ぐっと遡り、平将門。

もっと行けば、坂上田村麻呂。

近頃は武士の始まりの本質に今まで以上に興味がわく。

いやいや、ただ今の本音は眠い・・・

ただそれだけ。あしからず。


今日も一休み ひとやすみ。


YouTube:まんが日本昔ばなし 「一休さん」









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心一筋

2009年06月05日 | 武士(もののふ)
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武士の節を尽くして厭まても 

  
貫く竹乃心一筋 

  
永倉新八






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春はあけぼの

2009年04月05日 | 武士(もののふ)
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“われ人に勝つ道を知らず。われに勝つ道を知る。”


“平常心をもって一切のことをなす人、これを名人というなり。”


“兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。

 一人の悪をころして、万人をいかすはかりごと也。”


“小才は縁に出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かせず、

 大才は袖すり会った縁をも生かす。”


“病とは、心の病なり。心の病とは、心のそこそこにとどまるを云うなり”


『こうしようとひとすじに思う心こそ、人が誰しも抱える病である。

 この病を必ず治そうというこだわりもまた病である。

 自然体でいること、それが剣の道にかなう、本当にこの病を直すということなのである。』


                        
      
柳生宗矩






兵法家伝書

【内容情報】(「BOOK」データベースより)
柳生宗矩は、徳川将軍秀忠・家光の兵法師範であった。
50歳を過ぎてようやくこの道の滋味を得た、という宗矩は、以後次々と伝書を書きついだ。
寛永9年、行政官僚への転進を機に、新陰流の技法・理論を集大成して『兵法家伝書』を完成する。
十余年後に書かれた『五輪書』とともに、近世武道書の二大巨峰といわれる。

【目次】(「BOOK」データベースより)
兵法家伝書(進履橋/殺人刀・上/活人剣・下)/新陰流兵法目録事





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