
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」
「己の立場を明確にできない者こそ、いざというときに一番頼りにならない」
藤堂 高虎
戦国から江戸時代にかけての武将・大名。
何故かこの武将にはとても興味を引かれる。
まず名前がカッコイイ。
そして足跡がとても面白く、粋である。
伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。
築城技術に長け、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、
同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。
何度も主君を変えた戦国武将として知られるが、
秀吉から家康へと変わるところが非常に興味深い。
関ヶ原以降、徳川軍の先鋒は譜代は井伊、外様は藤堂となる。
幕末の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍劣勢と察し、真っ先に官軍に寝返って、
幕府側に砲撃を開始したのは藤堂家であった。
幕府軍側では「さすが藩祖の薫陶著しいことじゃ」と皮肉ったという。
だが一方、寝返った藤堂家は、官軍の日光東照宮に対する攻撃命令は
「藩祖が賜った大恩がある」として拒否している。
まことに個性豊かな いにしえの武士たち。
知れば知るほど歴史は楽しい。