産経ニュースより転載です。
http://news.livedoor.com/article/detail/5715591/
戊辰の怨恨、震災機に氷解?! 風評被害の会津若松市長が「長州」訪問へ
福島県会津若松市の菅家一郎市長が18日、山口県萩市を訪問する。両市は、明治維新を
めぐる戊辰戦争で会津藩、長州藩として激しく戦かった間柄。「賊軍」の汚名を着せられ
辛酸をなめた会津の市民感情には今も長州へのわだかまりが残るとされる。訪問は東日本
大震災で萩市から会津若松市へ送られた義援金と救援物資へのお礼が目的。震災支援を
きっかけに「和解」表明かと思いきや、菅家市長は「和解とか仲直りという話ではない」
と釘をさしている。
震災後、会津若松市には福島第1原発が立地する福島県大熊町が役場機能を移すなどで、
同町の住民3300人をはじめ約4500人が避難。一方で原発事故による風評被害で、
主要産業の観光や農業が大打撃を受けている。
この苦境に、かつての仇敵、萩市から「東北には友好都市、姉妹都市はない。歴史的な
つながりがある会津をお見舞いしたい」と、これまでに義援金2350万円、飲料、食品、
下着、学用品など救援物資が14トントラック1台分送られた。また、萩市の農協が
会津産の農産物を販売するなど、風評被害の払拭に一役かっている。
菅家市長の訪問は、一連の支援へのお礼で、被災者対応、風評被害対策について講演会で
説明し、農作物、観光地の安全性をアピールする。菅家市長は「これだけの支援をいただき、
お礼にいかない方がおかしい。戊辰戦争の和解とか、仲直りとか、そういう話ではない」と
している。萩市側も「被災者対応などを話してもらい、今後、震災対応の参考にしたい」
(企画部)と、あえて「和解」などは持ち出さない考えだ。
過去に会津若松市は萩市からの友好都市提携申し入れを拒絶した経緯がある。
平成9年6月、会津に残る長州への怨念を描いた市民劇が萩市で上演されたのをきっかけに、
当時の会津若松市長が戊辰戦争後初めて萩市を訪問。両市の市長同士が握手を交わしたが、
「和解」への慎重姿勢は崩さなかった。
【転載終了】
………………………………………………………
戦争責任というものは本当に難しいものだと思います。
会津と長州に限らず。
なにしろ年月がたち、当事者ではない後の世代の事柄であるから。
しかし戊辰戦争は日本国内最後の内戦、西南戦争にも影響を残す戦争でした。
負ければ賊軍ということで東北、特に会津藩が一番辛い処置をされた。
その上その事実は学校で教えないし、世間でも意外と詳細は知らされていない。
何の因果かカンチョクト首相は山口生まれ。
私は山口、特に萩に初めて訪れた時の感動は今でも忘れない。
それほどいい所であった。
だから山口県は好きである。
しかし、こと幕末・明治に関しては好きになれない。
東北人ではない私でもこうである。
友達の東北人とご両親に長州の話を聞くと、口を閉ざす場合がある。
露骨に嫌な顔をして。
やはり印象として「和解」は簡単ではないだろう。
維新から続く長州閥政治は、なにも終わったわけではないし。
正しい歴史の構築と教育。
これをやらない限り難しいと私は思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/5715591/
戊辰の怨恨、震災機に氷解?! 風評被害の会津若松市長が「長州」訪問へ
福島県会津若松市の菅家一郎市長が18日、山口県萩市を訪問する。両市は、明治維新を
めぐる戊辰戦争で会津藩、長州藩として激しく戦かった間柄。「賊軍」の汚名を着せられ
辛酸をなめた会津の市民感情には今も長州へのわだかまりが残るとされる。訪問は東日本
大震災で萩市から会津若松市へ送られた義援金と救援物資へのお礼が目的。震災支援を
きっかけに「和解」表明かと思いきや、菅家市長は「和解とか仲直りという話ではない」
と釘をさしている。
震災後、会津若松市には福島第1原発が立地する福島県大熊町が役場機能を移すなどで、
同町の住民3300人をはじめ約4500人が避難。一方で原発事故による風評被害で、
主要産業の観光や農業が大打撃を受けている。
この苦境に、かつての仇敵、萩市から「東北には友好都市、姉妹都市はない。歴史的な
つながりがある会津をお見舞いしたい」と、これまでに義援金2350万円、飲料、食品、
下着、学用品など救援物資が14トントラック1台分送られた。また、萩市の農協が
会津産の農産物を販売するなど、風評被害の払拭に一役かっている。
菅家市長の訪問は、一連の支援へのお礼で、被災者対応、風評被害対策について講演会で
説明し、農作物、観光地の安全性をアピールする。菅家市長は「これだけの支援をいただき、
お礼にいかない方がおかしい。戊辰戦争の和解とか、仲直りとか、そういう話ではない」と
している。萩市側も「被災者対応などを話してもらい、今後、震災対応の参考にしたい」
(企画部)と、あえて「和解」などは持ち出さない考えだ。
過去に会津若松市は萩市からの友好都市提携申し入れを拒絶した経緯がある。
平成9年6月、会津に残る長州への怨念を描いた市民劇が萩市で上演されたのをきっかけに、
当時の会津若松市長が戊辰戦争後初めて萩市を訪問。両市の市長同士が握手を交わしたが、
「和解」への慎重姿勢は崩さなかった。
【転載終了】
………………………………………………………
戦争責任というものは本当に難しいものだと思います。
会津と長州に限らず。
なにしろ年月がたち、当事者ではない後の世代の事柄であるから。
しかし戊辰戦争は日本国内最後の内戦、西南戦争にも影響を残す戦争でした。
負ければ賊軍ということで東北、特に会津藩が一番辛い処置をされた。
その上その事実は学校で教えないし、世間でも意外と詳細は知らされていない。
何の因果かカンチョクト首相は山口生まれ。
私は山口、特に萩に初めて訪れた時の感動は今でも忘れない。
それほどいい所であった。
だから山口県は好きである。
しかし、こと幕末・明治に関しては好きになれない。
東北人ではない私でもこうである。
友達の東北人とご両親に長州の話を聞くと、口を閉ざす場合がある。
露骨に嫌な顔をして。
やはり印象として「和解」は簡単ではないだろう。
維新から続く長州閥政治は、なにも終わったわけではないし。
正しい歴史の構築と教育。
これをやらない限り難しいと私は思います。