天晴れ(あっぱれ)な空☆

和風を好む私の徒然に日々想うことを綴る日記。いとおかし。

雨降って、地かたまらず・・・

2008年06月02日 | もののふの地



江戸東京はもののふの宝庫なんです!

東京は広い。
都会のど真ん中にも、
結構もののふの跡が残っている。

そして、23区内から飛び出すと
あるあるあるある・・・・

特に多摩・武蔵野エリアは
本当に、もののふの足跡が多い。

地元の日野には土方歳三。

ここから電車で5~6分、
分倍河原駅前には新田義貞公の銅像。

その分倍河原駅のお隣駅の府中。

ここには、もののふの代名詞
源八幡太郎義家公の銅像。





どうですか?
これだけ近距離の範囲に
もののふの銅像が3つ!

おまけに
源八幡太郎義家公の銅像のある府中は
その昔、武蔵国の国府であった場所。

ここに鎮座する大国魂神社を訪れた武士の
顔ぶれがすごすぎる!

な・ん・と 
平将門!からはじまり
源八幡太郎義家公
源頼朝

・・・・

さらに
徳川家康
徳川秀忠

・・・・

歴代の将軍
そして
最後の将軍 徳川慶喜公。

近藤・土方両氏は
有名なくらやみ祭に来てます。

もちろん言い伝えを含めてですけど、
まさに、もののふの始まりから
終わりまで!


この大国魂神社の由緒。
当社の起源は、人皇第十二代景行天皇四十一(111)年五月五日大神の託宣に依って
創立されたものである。出雲臣天穂日命[のおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて
武蔵国造[くにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕して
その祭務を掌られたといわれ、その後、孝徳天皇(645-654)の御代に至り、
大化の改新(645年)のとき、武蔵の国府をこの処に置くようになり、
当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して、国内の祭務を総轄する所にあてられた。
(注:大国魂神社のホームページより)





とても清新な“気”が溢れる名所です。


今回は府中観光協会の勝手な代理でございました。


完!





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