ピンクフロイドの名盤 THE DARK SIDE OF THE MOON (邦題「狂気」)の4曲目に収録されている TIME という曲がある。その歌詞は PINK FLOYD TIME LYRICS で検索を掛ければすぐに見ることができる。You Tube でも簡単に聴くことができる。
その内容は
誰かが自分の進む道を示してくれることを期待しながらまだ若いからと暇をつぶすように適当に毎日を生きていた男の時間はあっという間に10年も過ぎ去ってしまった。誰も出発の時など教えてくれない。君はスタートの号砲を聞き逃したのだ。
そのとき男は上がってしまった太陽を追っかけようと必死に追いかけたが陽はすでに沈みつつある。だが次の日また陽は上り再びあなたを背中越しに追い抜いていく。同じように日々は続くように見えるかもしれない。けどあなた自身は日々年を取り死に近づいていく。
時が日に日に短く感じていく。だけどスタートのタイミングは見つからない。色々考えるがどれもダメになるかページの半分ほどしか埋まらない落書き程度のものにしかならない。
静かに絶望しながら耐えるのがイギリス流儀だ。時は過ぎ、人生という曲は終わる。もっと言うべきことはあったはずなのに。
懐かしいあの頃の故郷の家にもう一度帰りたい。もっとそこで過ごしたい。それが出来れば疲れ冷え切った身体を暖炉が温めてくれるはずだ。
今はあの家からもう遠く離れてしまった。私の死を告げる鐘が忠実に膝まづく神の信徒に届く。弱々しい私の呪文を届けるために。
というものだ。私が意訳した部分があるので実際は少し違うものかもしれない。
これは私は今の日本を表しているのではないかと考えてしまう。
その詳しい内容はこの記事の一つ前に記した。かなり長い記事だし、数字を多用しているので読みにくい文章かもしれない。だがよければ読んでいただけたらと思う。
日本は民主党の政権交代の失敗から政治を多くの人があきらめ7年半以上の時間をアベノミクスというマジックスペルにかけられる状態で過ごした。
そして金融緩和というおそらく大きな禍恨を残す政策に踊らされ、本来備えるべき2030~2050年の日本に対する対策を何ら打たずに時を過ごしてしまった。
コロナは偶発的要素だがこういう事故のようなものはこれからも訪れる。だがそれ以前に2018年(2度目の消費増税より前)までの6年で物価は5.2%上昇、食料は14%上昇したのに対して賃金は3.4%しか上昇しなかった。金融資産のない世帯も22・5%➡30%と4割増加した。一方株価は2倍近くになり銀行預金残高は20%上昇した。
金融緩和で輸出金額は増加したが円安誘導の結果輸入額も大きく増加した。その収支は安倍政権下で20兆円の輸入超過となった。1年あたりで約3兆円消費増税1%分の国力が流出していった。
でも世論は株価しか言わない。なんとなく好景気ではないかという呪文だけが世間を漂い実態が一切見えない状態でこの7年以上の時は過ぎた。
多くの選挙が行われたが政治を諦めた1600万人の京阪神人口に相当する有権者が選挙を放棄しこの状態を放置した。結果安倍政権は7年もの間衆議院3分の2参議院過半数という全権委任の権力を持ち自分の名前の付いたアベノミクスに邁進・慢心した。
これは安倍の責任はもちろんだがそれを放置した有権者の責任も逃れえない。政府の政策の原資はすべて税金だ。なぜなら政府は金儲けをしていないからだ。その政策の結果が実質賃金の減少と物価高。格差の拡大だ。そして怖ろしい量の金融緩和・債権残高という爆弾を抱える事態となった。
おそらくこの先の日本は沈みゆく太陽を追いかけ、疲れ果てたところでまた次の朝太陽に追い抜かれ絶望の日々が来るのではないかと想像する。すでに日本のGDPは世界4位だ。インドに抜かれている。30年後にはインドネシア・ブラジル・メキシコに抜かれると予想されている。
ふとある時懐かしむのだ。ジャパンアズナンバーワンと言われた時のことを。そして小渕政権から始まる未曽有の国債発行、アベノミクス、止めようとすれば止められたものを放置した結果を甘受させられるだろう。
そして2050年死にゆく私たちの世代は社会福祉の維持が困難になり沈黙の絶望を胸に抱きその最後の鐘に恨み節を流すことになるのだろう。
その内容は
誰かが自分の進む道を示してくれることを期待しながらまだ若いからと暇をつぶすように適当に毎日を生きていた男の時間はあっという間に10年も過ぎ去ってしまった。誰も出発の時など教えてくれない。君はスタートの号砲を聞き逃したのだ。
そのとき男は上がってしまった太陽を追っかけようと必死に追いかけたが陽はすでに沈みつつある。だが次の日また陽は上り再びあなたを背中越しに追い抜いていく。同じように日々は続くように見えるかもしれない。けどあなた自身は日々年を取り死に近づいていく。
時が日に日に短く感じていく。だけどスタートのタイミングは見つからない。色々考えるがどれもダメになるかページの半分ほどしか埋まらない落書き程度のものにしかならない。
静かに絶望しながら耐えるのがイギリス流儀だ。時は過ぎ、人生という曲は終わる。もっと言うべきことはあったはずなのに。
懐かしいあの頃の故郷の家にもう一度帰りたい。もっとそこで過ごしたい。それが出来れば疲れ冷え切った身体を暖炉が温めてくれるはずだ。
今はあの家からもう遠く離れてしまった。私の死を告げる鐘が忠実に膝まづく神の信徒に届く。弱々しい私の呪文を届けるために。
というものだ。私が意訳した部分があるので実際は少し違うものかもしれない。
これは私は今の日本を表しているのではないかと考えてしまう。
その詳しい内容はこの記事の一つ前に記した。かなり長い記事だし、数字を多用しているので読みにくい文章かもしれない。だがよければ読んでいただけたらと思う。
日本は民主党の政権交代の失敗から政治を多くの人があきらめ7年半以上の時間をアベノミクスというマジックスペルにかけられる状態で過ごした。
そして金融緩和というおそらく大きな禍恨を残す政策に踊らされ、本来備えるべき2030~2050年の日本に対する対策を何ら打たずに時を過ごしてしまった。
コロナは偶発的要素だがこういう事故のようなものはこれからも訪れる。だがそれ以前に2018年(2度目の消費増税より前)までの6年で物価は5.2%上昇、食料は14%上昇したのに対して賃金は3.4%しか上昇しなかった。金融資産のない世帯も22・5%➡30%と4割増加した。一方株価は2倍近くになり銀行預金残高は20%上昇した。
金融緩和で輸出金額は増加したが円安誘導の結果輸入額も大きく増加した。その収支は安倍政権下で20兆円の輸入超過となった。1年あたりで約3兆円消費増税1%分の国力が流出していった。
でも世論は株価しか言わない。なんとなく好景気ではないかという呪文だけが世間を漂い実態が一切見えない状態でこの7年以上の時は過ぎた。
多くの選挙が行われたが政治を諦めた1600万人の京阪神人口に相当する有権者が選挙を放棄しこの状態を放置した。結果安倍政権は7年もの間衆議院3分の2参議院過半数という全権委任の権力を持ち自分の名前の付いたアベノミクスに邁進・慢心した。
これは安倍の責任はもちろんだがそれを放置した有権者の責任も逃れえない。政府の政策の原資はすべて税金だ。なぜなら政府は金儲けをしていないからだ。その政策の結果が実質賃金の減少と物価高。格差の拡大だ。そして怖ろしい量の金融緩和・債権残高という爆弾を抱える事態となった。
おそらくこの先の日本は沈みゆく太陽を追いかけ、疲れ果てたところでまた次の朝太陽に追い抜かれ絶望の日々が来るのではないかと想像する。すでに日本のGDPは世界4位だ。インドに抜かれている。30年後にはインドネシア・ブラジル・メキシコに抜かれると予想されている。
ふとある時懐かしむのだ。ジャパンアズナンバーワンと言われた時のことを。そして小渕政権から始まる未曽有の国債発行、アベノミクス、止めようとすれば止められたものを放置した結果を甘受させられるだろう。
そして2050年死にゆく私たちの世代は社会福祉の維持が困難になり沈黙の絶望を胸に抱きその最後の鐘に恨み節を流すことになるのだろう。