表題の記事がyahooに掲載されていた。私がここで何度も記事にしていることが書かれている。国立大学の独法化による研究資金の抑制が15年以上たって現在の日本の研究能力の低下に重くのしかかっている。
何度も書いて申し訳ないが日本の現在の論文業績は科学分野で現在世界5位だ。10年前は2位であった。そこから中国・ドイツ・イギリスに抜かれて現在の位置にある。
これも何度も書いていることだが日本の論文業績は圧倒的に国立大学で支えられている。早慶でさえ筑波大学や岡山大学の後塵を拝している。その国立大学の研究予算が減少し研究者が自らの研究を十分にできない現状が存在する。
ノーベル賞を受賞しその賞金を若い学者のための基金にすることを表明された本庶先生はその現状を理解している。そのことは表題の記事にもコメントされている。
18年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学特別教授(78)も、
「私が免疫の研究を志したのは1972年のこと。オプジーボの基になったPD-1という分子を発見したのが92年で、それをがんの治療に使う原理を見つけたのが02年。製薬会社が薬にして認可されたのが14年ですから、トータルで40年かかった。もっとも生物学のような分野では、そのぐらいのタイムスケールは当たり前なのです」
そう指摘した上で、
「研究者になる上での最大のメリットは、若いうちから好きなことができること。サラリーマンなら30代までは会社の使い走りですが、実力のある研究者なら35歳にもなれば好きな研究に打ち込める。私も東大で研究を始めた頃は30代でしたが、年間500万円ほどの運営費交付金という自由な研究費をいただけたことで、なんとか生き延びることができました。けれど、今の日本では40代以下の研究者は大変つらい思いをしていると思う。彼らの環境を整えなければいけません」
加えてこう提言する。
「マラソンにたとえるなら、今の日本は優勝争いを繰り広げる先頭集団の最後尾にいる状況。一度でも脱落すれば、挽回には大変なエネルギーが要りますから、今がまさに、我が国の科学技術政策を見直すラストチャンスなのです」
図らずも「千人計画」のベールを剥いで見えてきたのは、我が国の目を覆いたくなる構造的な惨状だった。
私は国立大学で博士課程を卒業している。まだ20世紀の話だ。同期入学の友人は私立大学で博士課程に進学していた。話をするとその待遇に大きな差があることが私は理解できた。私は必要と認められた試薬類は全て購入していただき研究に支障はなかった。だが友人は試薬の購入さえ自腹を切ることがあったとのことだ。
2004年国立大学は独法化され我が母校では助手(有給の国家公務員)が任期制に変わった。私立の大学では教授でさえ任期制になったと聞いた。
これは任期中に成果を出せということだ。ということはスケールの大きな実験は事実上若手研究者には無理ということだ。私の指導教授が教授会で新規教授を選考する際「(候補者の)研究は地味だけど…」と漏らしていたがその先生はきちんと教授に就任で来た。
そういう素地が研究能力を支えている。上記の引用コメントでもあるよう研究というのは一朝一夕でなるものはほとんどない。地道な研究とそれを支える環境がそれを成立させることがほとんどだ。多大な失敗や試行錯誤がそれを成就させる。それを数年の任期で納めろと言えばスケールの小さな研究しかできない。
最近科学軽視を象徴するような出来医ごとが日米で発生している。日本では菅首相の日本学術会議での一件だ。学術において意見の多様性というのは欠くことのできないものである。全員が政府に賛同する意見しか言えないのならそれは中国や北朝鮮と変わらない。政府には耳の痛い意見でもそれを聴いたうえで政治家が判断するというのが本来あるべき姿だ。
安倍前首相がマスクを配布するとした際誰の意見も聞かず側近の総理秘書官とで独断したことが報じられている。このように耳障りの良い意見ばかりに傾倒すると裸の王様になるのである。
アメリカはトランプ大統領のコロナ感染に対する対応だ。明らかに自身の都合のいい論理にすり替え学術を軽視し、国民の代表という立場でコロナ感染後の行動を国民に示した。おそらくそれをまねする国民はかなり発生するだろう。これがアメリカでのコロナ終息を一層遠ざけることは想像に難くない。
日本の科学研究予算は平成に入り国立大学の独法化された2004年まで3倍近く上昇している。だがその後はほぼ横ばいで推移している。さらに平成30年の間に大学は50%増え学生も同様に50%増えている。だが世代出生数は約3分の2に減っている。つまり世代における大学生の占有率が2倍以上に増えたにもかかわらず学術論文数は減り続けているのである。
これは何を意味するかは何度も書いてきたとおりである。加計の獣医学部問題で示されるよういわゆるFラン大学の雨後のタケノコ様の増殖だ。これには当然教育予算がついて大学の建設費や施設建設さらには学生に充てられる私学助成金が払われる。
だが同時に国立大学の運営交付金は減少の一途だ。2004年に対して2017年には2000億、率にして20%の減少となっている。当然これは金額なので物価上昇を鑑みればさらに研究者の雇用状況は圧迫されている。
当然そうなれば海外から特に中国から誘いがかかればそれを考慮する研究者も出てくるだろう。2004年というのは小泉改革で支出の抑制が図られている時期でもある。
それ自体は必要なことである。だが何故私立大学が次々新設される一方国立大学の予算は減り続けているのであろうか?それは文科省利権というのが答えだろう。私立大学だけでなく森友でもわかるよう新設には様々な予算が付く。
森友の設立の際に鴻池祥肇が口利きしていたことからわかるようこれは利権である。政治家にとっては金になるので私立大学の新設はありがたいのである。一方文科省にとっては天下りポストでもある。両者の利害が一致し250もの大学が平成30年間に新設されたのである。
現在国立大学の授業料は我々の頃の2倍近い。当然物価上昇分もあるのでその通りとは言えないが納付が厳しいのは事実だろう。奨学金に関しても多くの卒業生が苦労していることを報道で見た。そんななか国立大学での親の高収入化が進んでいる。
受験の費用、授業料それに対する親の収入格差の進行、これらから大学入学者の格差も進行している。親の収入で進学できるかが決まると言うことは学生の多様化を制限することにもなる。それは学問に対する多様化の抑制でもある。
現在日本は世界GDP第4位だということは皆さまご存知であろうか。現在3位はインドである。さらに30年すれば日本は第7位にまで落ちることが予想されている。その間世界のGDPは3倍になり日本は1.8倍である。こういう予想がすでに世界ではされている。
さらに少子高齢化で30年後には約4割が年金受給者となり現在の倍程度の現役世代の負担が発生する。それはひとえに出生数の減少が原因である。
2019年の出生数は約86万人、一方彼らが30歳になるころの後期高齢者は世代人口200万人である。このことは強烈な国力低下の要因となる。
移民という手段を取らなければ若者の多くが医療介護や農業などの人の生き死にに従事せざるを得なくなる。ということは研究開発にかけられる人材も予算も苦しくなるということである。
それに加えて現在の研究者の置かれている実情を併せれば、国民一人当たりのGDPを上昇させるために必要な技術革新は困難と言わざるを得ない。
マスコミに与えられることで全てを判断していても今の日本は判断できない。現実アベノミクスで皆輸出が伸びたて良くなったと思っているだろうが実は2013年からの6年で日本は輸入超過になっているのである。それは為替政策のもたらした負の遺産である。
もともと日本は内需国であり、エネルギーや食料を輸入に頼る国である。当然円安誘導で輸入食品やエネルギーコストは増大している。6年で20兆円も資産が流出したのである。年換算で消費税1%以上である。
しかし輸出企業は消費税戻しなどで国にその利益を十分還元していない。逆に役員報酬や内部留保、株式配当に費やしている。その役員報酬も外国人が多く含まれる。
さらにいうと物価上昇が約5%に対して食料品は14%の上昇だ。代表的なのはラーメンなどの小麦粉だ。こういうことは報道されないが政府の出す資料を見ればわかることだ。
大学生が増えても選挙にもいかないし、こういった不思議にも興味を持たない、その犠牲に日本の研究者の窮状は深刻化し、頭脳は海外に流出しようとしている。
小泉改革の時、企業はリストラに熱心であった。その結果日本の多くの研究従事者が海外とくにサムスンなどに吸い取られた。その結果今の日本の現状がある。
私はこのことを随分警告してきたがことコロナ禍でそれも手遅れとなっているように思う。日本は2050年をピークに少子高齢化は深刻化していく。そしてこの研究能力の低下はこれから30年ボディーブローのように効いていく。
更にコロナ禍は100兆を超える債券を発行している。これは全体の10%を超える。ただでさえ世界の中で異次元の債券発行をしているのにこれからの高齢化社会での社会福祉増大に際してこの残高が国債発行を制限させる危険性は十分ある。
さらにアベノミクスで市場に出回っていないマネタリーベースが300兆を超える額で存在する。これは現在流通する紙幣貨幣量の3倍近い額である。
このマネー量が日本が見切られたとき強烈な円安となって日本を襲う。80円から105円で20兆の資産が海外に流出し食料が14%上昇した。これが仮に200円とでもなったらどうなるだろうか。
菅政権は安倍政権を継承すると表明している。ということは今後も加計学園のような新設私立大学が乱立し、入学生はアジアからの留学生が多数を占め、彼らが東京福祉大学のように仮面留学で仕送りするような国となる。
そしてコロナ禍のような局面で食い詰めた留学生が群馬の豚泥棒のような形で生活する。学問は政府に都合の良いものばかりとなり多様性をなくし国力は衰退していく。
それをマスコミは報道しない。そして国民もおかしいと考えない。考えることを放棄しているので状態は放置される。アメリカの半分は科学より宗教が正しいと信じている。やがて日本もそういう国になっていくだろう。
アメリカが研究で優秀なのはアメリカ人が優秀だからではない。アメリカでは研究が比較的自由にできる環境が揃っているから世界の頭脳が集結しているのである。私の先輩であったベネズエラ人も日本のキャリア後アメリカで教授となった。
中国もおそらくそういう形をとりながら、アメリカ同様中国の研究成果として自国の発展を遂げるであろう。中国自体はの多様性への寛容さはないがおそらく研究に関してはそういう方向にもっていかざるを得ないであろう。
一方日本は政府が学問に注文を付ける。そして同じく少子高齢化となった英独にも置いて行かれ新潮の記事にある通り先頭集団の最後尾にいる。私はその現実を皆理解すべきだと思う。そしてそれを変えるのは選挙でしかできない。日本は戦国時代ではないのだから。
でも誰も選挙に興味がなければ仕方が無い。泥船に沈むまで乗るしかない。そのころには私は生きてはいまい。あとは自分で選んだ結末を十分堪能していただくしかない。そのとき安倍晋三は大勲位を頂き満面の笑みであろうがだ。
何度も書いて申し訳ないが日本の現在の論文業績は科学分野で現在世界5位だ。10年前は2位であった。そこから中国・ドイツ・イギリスに抜かれて現在の位置にある。
これも何度も書いていることだが日本の論文業績は圧倒的に国立大学で支えられている。早慶でさえ筑波大学や岡山大学の後塵を拝している。その国立大学の研究予算が減少し研究者が自らの研究を十分にできない現状が存在する。
ノーベル賞を受賞しその賞金を若い学者のための基金にすることを表明された本庶先生はその現状を理解している。そのことは表題の記事にもコメントされている。
18年にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶佑・京都大学特別教授(78)も、
「私が免疫の研究を志したのは1972年のこと。オプジーボの基になったPD-1という分子を発見したのが92年で、それをがんの治療に使う原理を見つけたのが02年。製薬会社が薬にして認可されたのが14年ですから、トータルで40年かかった。もっとも生物学のような分野では、そのぐらいのタイムスケールは当たり前なのです」
そう指摘した上で、
「研究者になる上での最大のメリットは、若いうちから好きなことができること。サラリーマンなら30代までは会社の使い走りですが、実力のある研究者なら35歳にもなれば好きな研究に打ち込める。私も東大で研究を始めた頃は30代でしたが、年間500万円ほどの運営費交付金という自由な研究費をいただけたことで、なんとか生き延びることができました。けれど、今の日本では40代以下の研究者は大変つらい思いをしていると思う。彼らの環境を整えなければいけません」
加えてこう提言する。
「マラソンにたとえるなら、今の日本は優勝争いを繰り広げる先頭集団の最後尾にいる状況。一度でも脱落すれば、挽回には大変なエネルギーが要りますから、今がまさに、我が国の科学技術政策を見直すラストチャンスなのです」
図らずも「千人計画」のベールを剥いで見えてきたのは、我が国の目を覆いたくなる構造的な惨状だった。
私は国立大学で博士課程を卒業している。まだ20世紀の話だ。同期入学の友人は私立大学で博士課程に進学していた。話をするとその待遇に大きな差があることが私は理解できた。私は必要と認められた試薬類は全て購入していただき研究に支障はなかった。だが友人は試薬の購入さえ自腹を切ることがあったとのことだ。
2004年国立大学は独法化され我が母校では助手(有給の国家公務員)が任期制に変わった。私立の大学では教授でさえ任期制になったと聞いた。
これは任期中に成果を出せということだ。ということはスケールの大きな実験は事実上若手研究者には無理ということだ。私の指導教授が教授会で新規教授を選考する際「(候補者の)研究は地味だけど…」と漏らしていたがその先生はきちんと教授に就任で来た。
そういう素地が研究能力を支えている。上記の引用コメントでもあるよう研究というのは一朝一夕でなるものはほとんどない。地道な研究とそれを支える環境がそれを成立させることがほとんどだ。多大な失敗や試行錯誤がそれを成就させる。それを数年の任期で納めろと言えばスケールの小さな研究しかできない。
最近科学軽視を象徴するような出来医ごとが日米で発生している。日本では菅首相の日本学術会議での一件だ。学術において意見の多様性というのは欠くことのできないものである。全員が政府に賛同する意見しか言えないのならそれは中国や北朝鮮と変わらない。政府には耳の痛い意見でもそれを聴いたうえで政治家が判断するというのが本来あるべき姿だ。
安倍前首相がマスクを配布するとした際誰の意見も聞かず側近の総理秘書官とで独断したことが報じられている。このように耳障りの良い意見ばかりに傾倒すると裸の王様になるのである。
アメリカはトランプ大統領のコロナ感染に対する対応だ。明らかに自身の都合のいい論理にすり替え学術を軽視し、国民の代表という立場でコロナ感染後の行動を国民に示した。おそらくそれをまねする国民はかなり発生するだろう。これがアメリカでのコロナ終息を一層遠ざけることは想像に難くない。
日本の科学研究予算は平成に入り国立大学の独法化された2004年まで3倍近く上昇している。だがその後はほぼ横ばいで推移している。さらに平成30年の間に大学は50%増え学生も同様に50%増えている。だが世代出生数は約3分の2に減っている。つまり世代における大学生の占有率が2倍以上に増えたにもかかわらず学術論文数は減り続けているのである。
これは何を意味するかは何度も書いてきたとおりである。加計の獣医学部問題で示されるよういわゆるFラン大学の雨後のタケノコ様の増殖だ。これには当然教育予算がついて大学の建設費や施設建設さらには学生に充てられる私学助成金が払われる。
だが同時に国立大学の運営交付金は減少の一途だ。2004年に対して2017年には2000億、率にして20%の減少となっている。当然これは金額なので物価上昇を鑑みればさらに研究者の雇用状況は圧迫されている。
当然そうなれば海外から特に中国から誘いがかかればそれを考慮する研究者も出てくるだろう。2004年というのは小泉改革で支出の抑制が図られている時期でもある。
それ自体は必要なことである。だが何故私立大学が次々新設される一方国立大学の予算は減り続けているのであろうか?それは文科省利権というのが答えだろう。私立大学だけでなく森友でもわかるよう新設には様々な予算が付く。
森友の設立の際に鴻池祥肇が口利きしていたことからわかるようこれは利権である。政治家にとっては金になるので私立大学の新設はありがたいのである。一方文科省にとっては天下りポストでもある。両者の利害が一致し250もの大学が平成30年間に新設されたのである。
現在国立大学の授業料は我々の頃の2倍近い。当然物価上昇分もあるのでその通りとは言えないが納付が厳しいのは事実だろう。奨学金に関しても多くの卒業生が苦労していることを報道で見た。そんななか国立大学での親の高収入化が進んでいる。
受験の費用、授業料それに対する親の収入格差の進行、これらから大学入学者の格差も進行している。親の収入で進学できるかが決まると言うことは学生の多様化を制限することにもなる。それは学問に対する多様化の抑制でもある。
現在日本は世界GDP第4位だということは皆さまご存知であろうか。現在3位はインドである。さらに30年すれば日本は第7位にまで落ちることが予想されている。その間世界のGDPは3倍になり日本は1.8倍である。こういう予想がすでに世界ではされている。
さらに少子高齢化で30年後には約4割が年金受給者となり現在の倍程度の現役世代の負担が発生する。それはひとえに出生数の減少が原因である。
2019年の出生数は約86万人、一方彼らが30歳になるころの後期高齢者は世代人口200万人である。このことは強烈な国力低下の要因となる。
移民という手段を取らなければ若者の多くが医療介護や農業などの人の生き死にに従事せざるを得なくなる。ということは研究開発にかけられる人材も予算も苦しくなるということである。
それに加えて現在の研究者の置かれている実情を併せれば、国民一人当たりのGDPを上昇させるために必要な技術革新は困難と言わざるを得ない。
マスコミに与えられることで全てを判断していても今の日本は判断できない。現実アベノミクスで皆輸出が伸びたて良くなったと思っているだろうが実は2013年からの6年で日本は輸入超過になっているのである。それは為替政策のもたらした負の遺産である。
もともと日本は内需国であり、エネルギーや食料を輸入に頼る国である。当然円安誘導で輸入食品やエネルギーコストは増大している。6年で20兆円も資産が流出したのである。年換算で消費税1%以上である。
しかし輸出企業は消費税戻しなどで国にその利益を十分還元していない。逆に役員報酬や内部留保、株式配当に費やしている。その役員報酬も外国人が多く含まれる。
さらにいうと物価上昇が約5%に対して食料品は14%の上昇だ。代表的なのはラーメンなどの小麦粉だ。こういうことは報道されないが政府の出す資料を見ればわかることだ。
大学生が増えても選挙にもいかないし、こういった不思議にも興味を持たない、その犠牲に日本の研究者の窮状は深刻化し、頭脳は海外に流出しようとしている。
小泉改革の時、企業はリストラに熱心であった。その結果日本の多くの研究従事者が海外とくにサムスンなどに吸い取られた。その結果今の日本の現状がある。
私はこのことを随分警告してきたがことコロナ禍でそれも手遅れとなっているように思う。日本は2050年をピークに少子高齢化は深刻化していく。そしてこの研究能力の低下はこれから30年ボディーブローのように効いていく。
更にコロナ禍は100兆を超える債券を発行している。これは全体の10%を超える。ただでさえ世界の中で異次元の債券発行をしているのにこれからの高齢化社会での社会福祉増大に際してこの残高が国債発行を制限させる危険性は十分ある。
さらにアベノミクスで市場に出回っていないマネタリーベースが300兆を超える額で存在する。これは現在流通する紙幣貨幣量の3倍近い額である。
このマネー量が日本が見切られたとき強烈な円安となって日本を襲う。80円から105円で20兆の資産が海外に流出し食料が14%上昇した。これが仮に200円とでもなったらどうなるだろうか。
菅政権は安倍政権を継承すると表明している。ということは今後も加計学園のような新設私立大学が乱立し、入学生はアジアからの留学生が多数を占め、彼らが東京福祉大学のように仮面留学で仕送りするような国となる。
そしてコロナ禍のような局面で食い詰めた留学生が群馬の豚泥棒のような形で生活する。学問は政府に都合の良いものばかりとなり多様性をなくし国力は衰退していく。
それをマスコミは報道しない。そして国民もおかしいと考えない。考えることを放棄しているので状態は放置される。アメリカの半分は科学より宗教が正しいと信じている。やがて日本もそういう国になっていくだろう。
アメリカが研究で優秀なのはアメリカ人が優秀だからではない。アメリカでは研究が比較的自由にできる環境が揃っているから世界の頭脳が集結しているのである。私の先輩であったベネズエラ人も日本のキャリア後アメリカで教授となった。
中国もおそらくそういう形をとりながら、アメリカ同様中国の研究成果として自国の発展を遂げるであろう。中国自体はの多様性への寛容さはないがおそらく研究に関してはそういう方向にもっていかざるを得ないであろう。
一方日本は政府が学問に注文を付ける。そして同じく少子高齢化となった英独にも置いて行かれ新潮の記事にある通り先頭集団の最後尾にいる。私はその現実を皆理解すべきだと思う。そしてそれを変えるのは選挙でしかできない。日本は戦国時代ではないのだから。
でも誰も選挙に興味がなければ仕方が無い。泥船に沈むまで乗るしかない。そのころには私は生きてはいまい。あとは自分で選んだ結末を十分堪能していただくしかない。そのとき安倍晋三は大勲位を頂き満面の笑みであろうがだ。