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賢治の童話『銀河鉄道の夜』に関して云えば、あるときの岩手山登山で次のようなことがあったそうである。
先生につれられて皆で岩手登山をしたときのこと、先生は種々星の話、天の河の話などされていた。自分たちもそれぞれ自分勝手な想像をしたり、そのときの感じなどをおしゃべりしていた。中の一人小田島治衛君だと思う。「先生 天の河の光る星、停車場にすればいいナッス」といった。そして登山中、みんなで天の河ステーションなどとふざけてさわいだ・・・・・・。
このエピソードは『証言 宮澤賢治先生』(佐藤 成著、農文協)の中での、宮澤寛一(「東岩手火山」の中の”宮沢の声もきこえる”の宮沢)さんの述懐である。
因みに、この小田島さんとは「東岩手火山」の中の”小田島治衛が云ってゐる”の小田島さんのことである。
このような、賢治と教え子たちの心暖まる交感が『銀河鉄道の夜』のアイディアの一つになったのではなかろうかと、思いを馳せたりしていると嬉しくなる。
さて、前回”「経埋ムベキ山」と星座(畑山氏の説)”において、
『少なくとも「経埋ムベキ山」の選定の際に”夜空に散りばめたる星々”が関連していることは十分にあり得ることだとは思う。その辺りの理由を次回に述べたい』
と言ってしまったが、その大きな理由は草下 英明氏が『宮沢賢治と星』(草下 英明著、學藝書林)で次のようなことを調べていているからである。
賢治全集の頁を繰って、その全作品中にどの位天体が描かれているかを数えて見よう。・・・(中略)・・・総計七〇四。ということになる。
つまり七〇四ヵ所に天体に関する記述が見られる。全集の作品を含んでいる全頁合計すると三〇九七頁であり、結局四.四頁に一回の割で天体がえがかれていることになる。恐らく近代日本文学に於いては、空前の豊饒であるといっても差し支えないだろう。
と述べており、賢治の作品に天体は必要条件と云えそうだからである。
因みに、草下氏によると、主なものの出現回数を( )内に付して示すと
星(156)、月(135)、銀河・天の川(101)、蠍座(23)、オリオン座(17)、すばる星(16)、双子の星(13)、彗星(13)、大熊座(12)・・・白鳥座(7)・・・ケンタウルス座(6)、鷲座(6)、琴座(5)・・・射手座(4)・・・南十字星(3)、海豚座(2)・・・石炭袋(1) だと云う。
ということは、星座で云えば蠍座がトップ、盾座は一度も出てきてないようだ。
さて、賢治と天体と来れば当然、童話『銀河鉄道の夜』に行き着く。おそらく、畑山 博氏があの着想を得たのも根底にはこの童話があったためではなかろうか。
【Fig.8 銀河鉄道:『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より】
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そこで、この童話でジョバンニが乗った列車はどのように銀河鉄道を走ったかということを、『新編 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)に基づいて辿ってみたい。
まずは、ジョバンニが小さな列車に乗る前後について
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。 またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
六、銀河ステーション
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のやうに、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと 云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っているのでした。
となっている。
そして、この後に続く概略は
(不完全な幻想第4次の)銀河鉄道は銀河の左岸に沿って北から南へ延びる軽便鉄道である。カムパネラはおそらく銀河ステーションで乗り、そこへジョバンニが”白鳥の停車場の少なくとも手前から”乗り合わせたことになる。
その小さな列車はその後、星座に関連するものをピックアップすれば
白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(十一時着)→アルビレオの観測所→鷲の停車場→かささぎの群→インデアン→鶴→双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標→ケンタウルの村→サウザンクロスの停車場(第三時着)→十字架→石炭袋
の順に通り過ぎながら銀河鉄道を走ってゆくのである。
そして、石炭袋の大きな闇にカムパネラが消えてしまうところで、ジョバンニは目が覚め、
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。
ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊にけむったやうになってその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。
【Fig.9 赤い目玉のさそり:『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より】
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と続いている。
では、ジョバンニたちが乗ったあの小さい列車が通過していった星座をそれぞれ少しく調べゆきたい。
まずは、
[白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(十一時着)→アルビレオの観測所]について
『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)では次のような部分がある。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向ふ岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、ぢきもうずうっと遠く小さく、絵のやうになってしまひ、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔んで聞いているといふように見えました。旅人たちはしずかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語で、そっと談し合ったのです。
「もうじき白鳥の停車場だねえ。」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」
早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
さわやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。
「降りよう。」二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。
一方、草下 英明氏によると
(白鳥座は)夏から秋にかけて天頂を飾る星座で、五個の星が大きな十字形をえがいていて、大きな鳥が翼を一杯に張って南に飛んでいる姿を現している。その五個の星の作る十字形から、南十字星対照して北十字と呼ばれている。・・・(中略)・・・アルビレオは、天文ファンならば誰でも知っている白鳥座の嘴にあたるβ、全天最美の二重星で、黄色の五等星と青色の三等星が・・・
と『宮沢賢治と星』(草下 英明著、學藝社)で説明している。
<ここ以降(*)印のついた部分はこの著書によるものとする>
【Fig.10 白鳥座(『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より)】
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なお、白鳥座のα星はデネブであり、”夏の大三角形”の一つの頂点に位置する。
また、ギリシア神話によれば、スパルタ王妃レダを見初めたゼウスがレダに逢うために変身した姿が白鳥座であるとも、レダに近づきたいたがために白鳥の姿になって近づいたとも云うようだ。
というわけで、童話の中に「白鳥の島」とか「十字架」そして「白鳥停車場」が出てきていること、北十字が十字架のモデル?ということなどから白鳥座をモデルにしていないとは云えないが、その特色はあまり出ていないと思う。
ところが、同作品の中に
九、ジョバンニの切符
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパーズ)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向ふへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っているやうに、しずかによこたわったのです。
(『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より)
とあるように、この部分はまさしく白鳥座の二重星アルビレオの美しさをそのままに描いていると云っていい。
【Fig.11 アルビレオ(『星座図鑑』(藤井 旭著、ポプラ社)より)】
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というわけで、アルビレオがずばり観測所のモデルになっているのだろうから[白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(11:00着)→アルビレオの観測所]というワンセットは白鳥座をモデルにしていることは明らかであろう。
[鷲の停車場]について
もちろん、大神ゼウスが美童ガニドメをさらうために姿を変じた鷲(*)の鷲座がこのモデルであろう。
なお、この鷲座のα星は”アルタイル(飛ぶ鷲という意味)”である。また、このアルタイルは日本では古くから”牽牛星”とか”彦星”と呼ばれている。たしか、清少納言は枕草子で『星はすばる。ひこぼし。ゆうづつ。よばひ星、すこしおかし。尾だになからましかば、まいて』と”ひこぼし”を全天で2番目に美しいと讃えていたはずである。
なお、このアルタイルも”夏の大三角形”の頂点の一つである。
[かささぎの群]について
季語に『鵲の橋』というものがあるが、七月七日の七夕の夜、牽牛と織女の年に一度の逢瀬のため鵲が翼を連ねて橋となって天の川を渡らせるという中国の伝説による、と『角川俳句大歳時記 秋』(角川学芸出版編集、角川書店)にあり、この鵲の橋がモデルだと思う。
となれば、鷲座と鵲が出て来たのだから、童話『銀河鉄道の夜』の中のこの辺りでそろそろ”琴座”が出てきてもよいはずだ。なぜなら、鷲座のα星が牽牛星(アルタイル)であり、琴座のα星がベガ(織女星)だからであり、そしてベガは”夏の大三角形”の残りの第3の頂点だからである。
しかし、せいぜい”琴”が出てくるのはジョバンニが銀河鉄道に乗る前の
そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。
とある部分である。私が思うには、あまりにもせつなくて悲しかったせいで涙が止めどなく溢れ出て、見上げていた琴座の青い星ベガがこのように見えたのだと思う部分である。
残念ながら、ジョバンニたちがあの小さい列車に乗って銀河を通過しているときには”琴座”は出てこない。
そこで、いくつかの出版社の『銀河鉄道の夜』にあたってみたものの”琴座”は出てこなかった。
ところが、前掲の『宮沢賢治と星』により、『銀河鉄道の夜』の初期形には「琴の宿」等が出てくると云うことを知った。
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先生につれられて皆で岩手登山をしたときのこと、先生は種々星の話、天の河の話などされていた。自分たちもそれぞれ自分勝手な想像をしたり、そのときの感じなどをおしゃべりしていた。中の一人小田島治衛君だと思う。「先生 天の河の光る星、停車場にすればいいナッス」といった。そして登山中、みんなで天の河ステーションなどとふざけてさわいだ・・・・・・。
このエピソードは『証言 宮澤賢治先生』(佐藤 成著、農文協)の中での、宮澤寛一(「東岩手火山」の中の”宮沢の声もきこえる”の宮沢)さんの述懐である。
因みに、この小田島さんとは「東岩手火山」の中の”小田島治衛が云ってゐる”の小田島さんのことである。
このような、賢治と教え子たちの心暖まる交感が『銀河鉄道の夜』のアイディアの一つになったのではなかろうかと、思いを馳せたりしていると嬉しくなる。
さて、前回”「経埋ムベキ山」と星座(畑山氏の説)”において、
『少なくとも「経埋ムベキ山」の選定の際に”夜空に散りばめたる星々”が関連していることは十分にあり得ることだとは思う。その辺りの理由を次回に述べたい』
と言ってしまったが、その大きな理由は草下 英明氏が『宮沢賢治と星』(草下 英明著、學藝書林)で次のようなことを調べていているからである。
賢治全集の頁を繰って、その全作品中にどの位天体が描かれているかを数えて見よう。・・・(中略)・・・総計七〇四。ということになる。
つまり七〇四ヵ所に天体に関する記述が見られる。全集の作品を含んでいる全頁合計すると三〇九七頁であり、結局四.四頁に一回の割で天体がえがかれていることになる。恐らく近代日本文学に於いては、空前の豊饒であるといっても差し支えないだろう。
と述べており、賢治の作品に天体は必要条件と云えそうだからである。
因みに、草下氏によると、主なものの出現回数を( )内に付して示すと
星(156)、月(135)、銀河・天の川(101)、蠍座(23)、オリオン座(17)、すばる星(16)、双子の星(13)、彗星(13)、大熊座(12)・・・白鳥座(7)・・・ケンタウルス座(6)、鷲座(6)、琴座(5)・・・射手座(4)・・・南十字星(3)、海豚座(2)・・・石炭袋(1) だと云う。
ということは、星座で云えば蠍座がトップ、盾座は一度も出てきてないようだ。
さて、賢治と天体と来れば当然、童話『銀河鉄道の夜』に行き着く。おそらく、畑山 博氏があの着想を得たのも根底にはこの童話があったためではなかろうか。
【Fig.8 銀河鉄道:『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より】
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そこで、この童話でジョバンニが乗った列車はどのように銀河鉄道を走ったかということを、『新編 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)に基づいて辿ってみたい。
まずは、ジョバンニが小さな列車に乗る前後について
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。 またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
六、銀河ステーション
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のやうに、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと 云う声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊の火を一ぺんに化石させて、そら中に沈めたという工合、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、かくして置いた金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦ってしまいました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座っていたのです。車室の中は、青い天蚕絨を張った腰掛けが、まるでがら明きで、向うの鼠いろのワニスを塗った壁には、真鍮の大きなぼたんが二つ光っているのでした。
となっている。
そして、この後に続く概略は
(不完全な幻想第4次の)銀河鉄道は銀河の左岸に沿って北から南へ延びる軽便鉄道である。カムパネラはおそらく銀河ステーションで乗り、そこへジョバンニが”白鳥の停車場の少なくとも手前から”乗り合わせたことになる。
その小さな列車はその後、星座に関連するものをピックアップすれば
白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(十一時着)→アルビレオの観測所→鷲の停車場→かささぎの群→インデアン→鶴→双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標→ケンタウルの村→サウザンクロスの停車場(第三時着)→十字架→石炭袋
の順に通り過ぎながら銀河鉄道を走ってゆくのである。
そして、石炭袋の大きな闇にカムパネラが消えてしまうところで、ジョバンニは目が覚め、
ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱り頬にはつめたい涙がながれていました。
ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊にけむったやうになってその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。
【Fig.9 赤い目玉のさそり:『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より】
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と続いている。
では、ジョバンニたちが乗ったあの小さい列車が通過していった星座をそれぞれ少しく調べゆきたい。
まずは、
[白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(十一時着)→アルビレオの観測所]について
『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)では次のような部分がある。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向ふ岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるらしく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどうの花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい狐火のやうに思われました。
それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、ぢきもうずうっと遠く小さく、絵のやうになってしまひ、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカトリック風の尼さんが、まん円な緑の瞳を、じっとまっすぐに落して、まだ何かことばか声かが、そっちから伝わって来るのを、虔んで聞いているといふように見えました。旅人たちはしずかに席に戻り、二人も胸いっぱいのかなしみに似た新らしい気持ちを、何気なくちがった語で、そっと談し合ったのです。
「もうじき白鳥の停車場だねえ。」
「ああ、十一時かっきりには着くんだよ。」
早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
さわやかな秋の時計の盤面には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。
〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。
「ぼくたちも降りて見ようか。」ジョバンニが云いました。
「降りよう。」二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。
一方、草下 英明氏によると
(白鳥座は)夏から秋にかけて天頂を飾る星座で、五個の星が大きな十字形をえがいていて、大きな鳥が翼を一杯に張って南に飛んでいる姿を現している。その五個の星の作る十字形から、南十字星対照して北十字と呼ばれている。・・・(中略)・・・アルビレオは、天文ファンならば誰でも知っている白鳥座の嘴にあたるβ、全天最美の二重星で、黄色の五等星と青色の三等星が・・・
と『宮沢賢治と星』(草下 英明著、學藝社)で説明している。
<ここ以降(*)印のついた部分はこの著書によるものとする>
【Fig.10 白鳥座(『宙の名前』(林 完次著、光琳社出版)より)】
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なお、白鳥座のα星はデネブであり、”夏の大三角形”の一つの頂点に位置する。
また、ギリシア神話によれば、スパルタ王妃レダを見初めたゼウスがレダに逢うために変身した姿が白鳥座であるとも、レダに近づきたいたがために白鳥の姿になって近づいたとも云うようだ。
というわけで、童話の中に「白鳥の島」とか「十字架」そして「白鳥停車場」が出てきていること、北十字が十字架のモデル?ということなどから白鳥座をモデルにしていないとは云えないが、その特色はあまり出ていないと思う。
ところが、同作品の中に
九、ジョバンニの切符
「もうここらは白鳥区のおしまいです。ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です。」
窓の外の、まるで花火でいっぱいのような、あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパーズ)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。黄いろのがだんだん向うへまわって行って、青い小さいのがこっちへ進んで来、間もなく二つのはじは、重なり合って、きれいな緑いろの両面凸レンズのかたちをつくり、それもだんだん、まん中がふくらみ出して、とうとう青いのは、すっかりトパースの正面に来ましたので、緑の中心と黄いろな明るい環とができました。それがまただんだん横へ外れて、前のレンズの形を逆に繰り返し、とうとうすっとはなれて、サファイアは向ふへめぐり、黄いろのはこっちへ進み、また丁度さっきのような風になりました。銀河の、かたちもなく音もない水にかこまれて、ほんとうにその黒い測候所が、睡っているやうに、しずかによこたわったのです。
(『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より)
とあるように、この部分はまさしく白鳥座の二重星アルビレオの美しさをそのままに描いていると云っていい。
【Fig.11 アルビレオ(『星座図鑑』(藤井 旭著、ポプラ社)より)】
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というわけで、アルビレオがずばり観測所のモデルになっているのだろうから[白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(11:00着)→アルビレオの観測所]というワンセットは白鳥座をモデルにしていることは明らかであろう。
[鷲の停車場]について
もちろん、大神ゼウスが美童ガニドメをさらうために姿を変じた鷲(*)の鷲座がこのモデルであろう。
なお、この鷲座のα星は”アルタイル(飛ぶ鷲という意味)”である。また、このアルタイルは日本では古くから”牽牛星”とか”彦星”と呼ばれている。たしか、清少納言は枕草子で『星はすばる。ひこぼし。ゆうづつ。よばひ星、すこしおかし。尾だになからましかば、まいて』と”ひこぼし”を全天で2番目に美しいと讃えていたはずである。
なお、このアルタイルも”夏の大三角形”の頂点の一つである。
[かささぎの群]について
季語に『鵲の橋』というものがあるが、七月七日の七夕の夜、牽牛と織女の年に一度の逢瀬のため鵲が翼を連ねて橋となって天の川を渡らせるという中国の伝説による、と『角川俳句大歳時記 秋』(角川学芸出版編集、角川書店)にあり、この鵲の橋がモデルだと思う。
となれば、鷲座と鵲が出て来たのだから、童話『銀河鉄道の夜』の中のこの辺りでそろそろ”琴座”が出てきてもよいはずだ。なぜなら、鷲座のα星が牽牛星(アルタイル)であり、琴座のα星がベガ(織女星)だからであり、そしてベガは”夏の大三角形”の残りの第3の頂点だからである。
しかし、せいぜい”琴”が出てくるのはジョバンニが銀河鉄道に乗る前の
そしてジョバンニは青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬き、脚が何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう蕈のように長く延びるのを見ました。
とある部分である。私が思うには、あまりにもせつなくて悲しかったせいで涙が止めどなく溢れ出て、見上げていた琴座の青い星ベガがこのように見えたのだと思う部分である。
残念ながら、ジョバンニたちがあの小さい列車に乗って銀河を通過しているときには”琴座”は出てこない。
そこで、いくつかの出版社の『銀河鉄道の夜』にあたってみたものの”琴座”は出てこなかった。
ところが、前掲の『宮沢賢治と星』により、『銀河鉄道の夜』の初期形には「琴の宿」等が出てくると云うことを知った。
続きの
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