拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 Non-ナルシルト』の弁明

2024年12月20日 | 東洋自分なり研究所

  我がブログながら、自撮り写真が多く・・・どうなんだぁ〜と、思いつつもつい自分の写真をアップ、XやFacebookに若き日の、

  或いは爺いとなった、我が顔を見かけて、ギョッとする事がある。

 

  『どんだけナルシルト!、このジジイ … 』と思われているのだろうナぁ〜と、思った時、いつか弁明せねば・・・とは思っていたのだ。

 

  『ナルシルト』をググってみると、ニュアンスの多少違ういろいろな解釈があったが、私的に面白い解答を見つけた。

  【ナルシシズム」は「自己陶酔」や「自惚れ」などの意味で使われ、自分を愛したり、自分を性的な対象と見なす状態のことを指す。】

 

  まぁ…、多少は(根拠のない)『自己陶酔』や『自惚れ』はあるかもしれないが、『性的な対象』は、いくらなんでも無いだろう・・・と妄想した時

  『性』の字に、我が愚脳は即反応し『見性(けんしょう)成仏』…とアウトプット。

  『性』は性でも『せい』ではなく『しょう』・・・でしょうと、ここでも佛語漢字は『重ね合わせ・もつれ』性を発揮する。

 

  禅を立ち上げた、我が達磨(ダルマ)大師が掲げた禅・理念〜『不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏』・・・の『見性成仏』である。

  世が『色即是空』であるならば、『性』にも『色性』と『空性』があり、『自己陶酔』の『色性』が何時の日にか、その『性』を空じて

  『見性成仏』となる可能性を『佛道』というのではないか。

 

  『見性成仏』の『見性』は、人間の『本性』であり、『人間性』探究の根源であるだろう。

  従って、人間は自分を『見る』ことに、強い欲求を持っていて、何ら恥じることはないが、その『見る』は、主語のない『観る』への昇華を要する。

  私は『見性成仏』は本来、『観性成仏』の誤訳だと思う。(或いは何か別な事情があったか)

  佛語としての『見』は、自他不二で主語のない『観』がふさわしい・・・と、『観自在』の馬の骨は云う。

 

  まさに『観自在』こそ『観・自・在』で、『分が生きてるをる』・・・『佛道とは、自己を習うなり…(道元禅師)』の一点『観』に集約する。

 

  私ごとき馬の骨でも、『還暦スキャン』すれば

  10代・・・盲目の養母の眼と成る可く過ごす子供時代・・・

  20代・・・何故か『写真道』に没頭する日々・・・・・・・  * いずれの世代も、つまるところ 『観』に落着!

  30代・・・禅修行没頭・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

  そうであれば、私がつい『自撮り写真』をアップしたとて、『ナルシルト』と云うなかれ、人をこよなく愛す『撮人家』の『性(さが)』でもあれば…。

 

          

     私もかって、川面に『自己の姿』を映して、ナルシルトたりえたかもしれないが、もう一つの 佛『性』がそれを超えさせた図


 『如是我聞』を君はどう聞くか?

2024年12月19日 | 東洋自分なり研究所

  一応、私のブログは『日記風』・・・という体裁になっているが、やはり赤裸々…というわけにはいかず

  それこそ一応それなりに格好っけていることは間違いない。 まぁ、本人が言っているのだから間違いない…はず。

 

  で、さっそく告白するが、私は禅修行のことをよく書くが、円覚寺居士林で貰った『修養聖典』の『興禅大燈国師遺戒』という

  短いがカッコいいお経の一節 『無理会(むりえ)の処に向かって 究め来たり究め去るべし・・・』の語に尽きる感があり

  およよ10年に渡る修行を勝手に打ち切って下山してみると、世間一般でいう『仏教』について何も知らない・・・ということを知った時の

  衝撃はただごとでは、なかったのだ。

  正直、仏教の根本理念と言われている『三法印〜諸行無常・諸法無我・涅槃寂静』すらもろくにわかっていなかったであろう。

 

  それなのに、なんだか『解ったつもり』になっていて、スイスで引越屋になったとき、仕事下請けのポルトガル人の相棒が

  『俺はキリスト教徒だけど、仏教ってなんだべや?』・・・と聞かれたとき、私は『・・・』と絶句する自分に驚いたのだ。

  その時、私は53、4歳だったような・・・。 いやいやいや、以来私は仏教の『ぶ』、禅の『ぜ』の字も人に云うこともなかった…と思う。

 

  それが、65歳で定年退職してからこっち、そろそろ8年目を迎えようとしているが、我がブログは見るまでもなく『禅一色』の感がある。

  そして、一丁前に今日のこのブログタイトルだ・・・『如是我聞を君はどう聞くか?』だとょ。

  馬骨に言わせれば、この『如是我聞』をどう聞くかによって、『仏教の音色』が違ってくる、というのだ。

 

           

           私は『観音』とか『観世音』とか聞くと、面白いべなぁ〜・・・と思っている今日此の頃の図


  あっぱれ・ドラマ『無能の鷹』

2024年12月17日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  一昨日、Netflixドラマ『無能の鷹』にハマってしまい、一気『観』してしまった。

  

  日本のドラマ事情にうとく、出演者では部長役の高橋克実さんぐらいしか知らず、主演の荒井菜々緒とか塩野瑛久は初めて見る顔。

  ドラマの発想が素晴らしく漫画的・・・と思ったら、原作は『はんざき朝未』の漫画であった。

  

  『悟り』をベースにしているのが見え見えの登場人物の名前・・・全員『鳥の名前』で『サ・鳥』という

  『駄洒落』と『深淵』が『無能』と『賢者』の重ね合わせ・もつれとなる『色即是空空即是色』の景色を

  現代風にドラマ展開して、非常に良かった。

  こういう遊戯三昧の発想が出来るのが、日本では漫画家なのが面白いというか・・・!!

  昔みた映画、ピーター・セラーズ主演『チャンス(1979年)』も同様な主旨の物語で、当時感銘を受けたのを覚えている。

 

  このドラマを観終え、ツルッとした主演の鷹野ツメ子(菜々緒)の美顔を人々はいろいろ勘違いする・・・という

  シナリオを考察したとき、いま話題の兵庫県知事『斎藤元彦』のことを思い浮かべた。

 

  彼も、黙っていれば『爽やか感』を醸し出した好青年風であるのに、『能ある鷹は爪を隠す』の逆バージョンをやってしまったか。

  同じような匂いを、都知事選で活躍した『石丸伸二』が醸し、より賢い風を装っていたが、

  両者(斎藤&石丸)が、鷹野ツメ子と決定的に違うのは、『無能』を『無の能』に空じる『慈悲心』の欠如ではないのかなぁ…。

 

          

          写真は毎年、11月ゴマモティエ(地名)で行われる『カウベル祭り』から・・・和歌したもの

           『 この秋は チーズ、ワインで 帰化しても 冬に恋しい 味噌醤油かな 』 一撮

  

 


  還暦ギャラリー『森』〜 エスカラード祭(1999)

2024年12月16日 | 必撮無眼流

  前回ブログで、ジュネーブの歴史祭『エスカラード祭』を話題にしたが、私はこの祭りを何回か撮影していた。

  そのうちの1999年に撮影した写真を今回展示。

  

  ジュネーブという街、小さいながら各国連機関のある『国連の街』として有名かと思うが、

  歴史的には、宗教改革者カルバンの街・・・という一面もある。

 

  カルバン(1564年54歳没)がジュネーブで宗教改革者として活躍したのは彼が30代から亡くなるまでの20年間であったが

  『 カルヴァンの思想には、職業は神から与えられたものである(職業召命観)とし、得られた富の蓄財を認め、

    この思想は、当時中小商工業者から多くの支持を得、資本主義の幕開けを思想の上からも支持するものであった。』 ウィキペディアより

  というようなことで、ジュネーブの街の性格を特徴づける爪痕を残したといえるだろうか。

 

         

 

  『 400年以上の歴史を誇る「エスカラード(Escalade)」は、1602年、サヴォイア(サヴォワ)との戦いに市民が一丸となって勝利したことを祝う伝統の祭り。

    エスカラードとは、フランス語で「よじ登って侵入する」を意味している。

    梯子を使い城砦を登ってくる敵兵に、煮えたぎったスープ鍋を浴びせて撃退したという故事にならい、

    スープ鍋をかたどった“マルミット(La marmite)”というチョコレートが名物となっている。

 

    最終日のパレードは必見。市民たちが兵隊やギルド、農民など当時の衣装を身にまとい、松明の灯りを手に取り街を行進する。

    大聖堂に集結して勝利宣言を読み上げ、燃えさかる炎の前でエスカラードの歌を合唱する様子は感動的。

    祭りの期間中は、スープやホットワインなどの多くの屋台が軒を連ねる。』 情報提供:スイス政府観光局

 

       

                           煙硝のなか、まさに突撃せんとする兵士たち…

 

       

    カテドラル教会の階段で発砲する兵士       この日17世紀、ジュネーブ庶民の衣装をまとう人々

 

  子供達も音楽隊として参加

  街の貴族騎士はおもむろにワインを馬上で楽しむ…

                      

                       ジュネーブ・ブルジョアジー市民の誇り…のような雰囲気を捉えた自信作

   

   広場で、騎士のファッションとアクションを披露する剣士        築かれた城壁の上から大砲をぶっ放す図

 

          

          400年以上の歴史祭を通して、歴史を体をとおして学んでいく子供

 

  ただ部外者として面白いと思ったのは、こんな素晴らしい祭りでもあくまでローカルな祭りで、となりのヴォー州の人々が

  訪れることは、少ないようだ。例えば、相方の両親も、姉も一度も観たことはない・・・。

  スイスは、ドイツ語、フランス語、イタリア語圏の26州からなる寄せ集め共和国で、各州がそれぞれ誇る歴史と文化がある・・・という

  観光ガイド泣かせの、非常に複雑な国なのだ。(元観光ガイドの愚痴)

 

  

  


  郷里の味

2024年12月15日 | 東洋自分なり研究所

  普段、私は駄洒落半分で『悟り』を『郷里・さとり』と読み込んでいるが、

  昨日あたりから、シャレ抜きで『郷里』というものを『味』という視点から再考察している・・・。

  ヨーロッパ滞在もじきに34年目になろうとしながら、今頃『郷里の味』に気が付いたのか・・・と思うと感慨深い。

 

  『郷里の味』というのは、郷里を離れたことのない人には絶対わからないであろう。

  特にそれが海外であれば、国内にいて『おふくろの味』・・・と言っているのとは、違う次元の『味』なのだ。

  私はそのことに、今日まで気が付かなかった。

  日本人だもの、日本食が恋しくなるのは当たり前だべや・・・と思い、それ以上でも以下でもないと思っていたのだ。

 

  スイスに住んでいて、近くの外国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン・・・に旅行に行く時、何故か

  私はその街の日本食レストランを検索しては、行こうとする(そしてだいたいがっかりする)・・・それを今日まで不思議に思わなかったが

  ついに、その事を不思議におもうようになったのだ。

  極端な話、この34年間、『郷里の味』日本食を思わない日はなかったのでは・・・と思うほどに日本食に『郷愁』を抱いていただろう。

  だから、ブログにせよ、Youtubeにせよ、美味そうな日本食をテーマにアップしているのを見ると、嬉しさと儚さが交察した複雑な

  気持ちになる。 

  現役で働いているスイス在住の日本人等は、毎年帰国、中には年に数回帰国している者も多く、私のように経済的に7年に一回帰れるか

  どうか・・・というような者にとっては、『郷里の味モドキ』で、無意識に我慢しているわけであるから、頭も禿げるわけよ。

 

  しかし人間にとっては恐らく『郷里の味』と同等か、或いはそれ以上に『郷里(さとり)の味』への渇望は狂わしいモノがあるのだ。

 

              

         昨夜はニコルのジュネーブの従兄弟の家に招かれ、『エスカラード祭』〜1602年『ジュネーブ対サボワ王国』(現東フランス)

         の戦いがあり、城壁を乗り越えて侵入してきたサボワ兵にたいして、婦人が窓から煮立った鍋を傾け、投げつけて撃退した逸話がある。

 

             

          それに因んで、チョコレートの鍋をその場にいる、一番若い者と、一番年寄り・・・つまり馬骨が指名されて・・・

          

          鍋を一気に叩き割る・・・という風習に参加した図 (若者の手の甲が叩き割る面にあったので遠慮なく叩きつける馬骨)

         (席を譲られる不条理的心理に若干陥った馬骨は、そばにいた婦人に対して、私より✗✗✗では?・・・という言ってはならない

          セリフをつい口走ってしまい、周りの人間から不興を買ってしまった馬鹿な馬骨)

  

  


  慈石の針

2024年12月13日 | 東洋自分なり研究所

  こちらスイスでは、日本ほど12月をあらわす『師走』・・・という雰囲気は希薄だ、そりゃまぁそうか… 。

 

   『師走』とは :かつて、12月は僧侶が各家庭を訪れて読経や仏事を行う時期でした。

          このため、僧侶たちが忙しく各地を駆け巡ることから、

          この月を「師が走る」月という意味で「師走」と称されたと言われています。(ググった情報より)

 

  最近では、日本でも師(僧侶)が走り回っている風景は、京都や鎌倉以外では稀だろうか。

  しかし日本人であれば、その年最後の月となれば、『心の師』はそれなりに何となく焦って走り回るもののような気がする。

 

  私の師もかなり走り回ったようで、私の人生において最も不可解な時期『ニューヨーク行き&離脱』事件について、

  それなりの解答をはじき出してくれたもよう。

 

  私の二十代は、写真家としての活動に専念していた時期で、その最終形はニューヨークで大成する・・・というような

  淡い夢を抱いていて、そのた為の準備としての鍼灸師の免許取得やら禅修行(?)を経て33歳のときにニューヨークへ渡った。

  しかしニューヨークについた途端、なんだか私の歯車が狂ってしまい、永住するつもりが約一年足らずでニューヨークを離れ

  ヨーロッパを経由して帰国、禅寺へ再修行すべく約5年を目処にバイトと修行の生活体制を整えた・・・。

  その後、あの『ニューヨーク行き』について何度も考察したが、長い間自分自身に何が起こったのか分からず不可解なままであった。

 

  あれから40年、我が『師』が40周目を『走』って観えてきた景色というのは、『慈石の針』がブレブレに狂ったように振れていたのが

  あの『ニューヨーク行き』の時期で、それは私が再び禅寺へ向かうまで、まるで私をそこに追い込む為の指示現象であったというのだ。

  今現在、『悟り』は『郷里(さとり)』であるという私にとって、当時の『ニューヨーク行き』というのは、『郷里』を示すべき『慈石』の針が

  真反対の方向に行こうとする私に、何だかのサインを示していた・・・と観るわけだ。

 

  『師走』・・・と、『師』が『走』るわけは、つまるところ『自己のアイデンティティ探し』に奔走する姿であると解せば

  日本では禅のいう『己事究明』を年の一括りとして、伝統文化として、その精神を大切にしている・・・事

  自体は非常に重要な意義があると考える今日此の頃・・・。

 

            

                ニューヨークのとある屋上にて、 『迷える馬骨』図

  

 

  


  佛道は『デジタル自然』を行く

2024年12月11日 | 東洋自分なり研究所

  『自』という字が持つ・・・『おのずから・みずから』という重ね合わせ、もつれに拘泥すると

  私たちが何気に『自然』と言っている『自然』が何を意味しているのか・・・『自ずと・自ら+然り』の意味するところが佛性である…

  と禅者である私は解釈するが、その心は・・・『絶対調和の性』が佛性なのだとなる。

  いかなる時空にあろうとも佛性に生きる・・・それをして『佛道』というのだろう。

 

  我ながら、短絡的というか『単』絡的というか・・・それが私の『禅』といえば禅で、

  その調子でいくと、Zゼネレーションちょい前の『デジタルネイチャー』提唱者の落合陽一の言うこともよくわかる気がする。

 

  ちなみに、『Zゼネレーション』を調べると

   Z世代(Generation Z)とは、一般的に1990年代後半から2010年代前半に生まれた世代のことを指します。

   特徴
  1:デジタルネイティブ
    生まれた時からインターネットやスマートフォン、SNSが存在し、デジタルテクノロジーが日常生活の一部となっている世代です。


  2:多様性と包括性
    異なる文化や価値観に触れる機会が多く、多様性(ダイバーシティ)や包括性(インクルージョン)を重視する傾向があります。


  3:情報収集能力
    情報を瞬時に検索し、必要なものを取捨選択する能力に長けている一方で、短い動画(TikTokやYouTubeショートなど)や要約された情報に慣れています。


  4:環境や社会問題への関心
    気候変動やSDGs、ジェンダー平等、人権など、社会的・環境的課題に対して意識が高い世代です。


  5:個人主義と自己表現
    SNSを通じて自己を発信し、個人の価値観やライフスタイルを大切にする傾向が強いです。

 

  ・・・という事らしいですが、昨今の都知事選での『石丸伸二』現象や兵庫県知事選の『斎藤元彦』現象をみると

  デジタル・ネイティブ世代は、情報収集能力にはたけているのかもしれないが、

  『自然・ネイチャー』の何たるかを解明する智慧のないモロサ丸出し、己事究明のまったくの欠如で

  立花孝志なんかに踊らされる軽佻浮薄ぶりを見せられると、将来が危ぶまれる。

  デジタルネイチャーでできた時間の余裕は、『自分と向きあう』坐禅にこそ向けろ!それが『自然・じねん』よ!

  ・・・と、デジタル馬骨爺は叫ぶのだった … 。

 

            


  禅とは・・・東洋の『人工智能』

2024年12月08日 | 東洋自分なり研究所

  今日、12月8日は2500年前に釈尊が悟りを開いた日である。

 

  その意義の重み・・・のようなものは、私の円覚寺でのささやかな禅修行体験ではあったが

  12月の臘八接心(ろうはつ・せっしん)という一週間の集中修行のただならぬ雰囲気をもって

  いまだに私の背筋を伸ばす体験として骨まで染みついたが、それこそが禅寺が修行僧に課す『重い課題』ではなかったか。

 

  その意味は、禅者はすべからくこの12月8日という日に、

  その時代に沿った『禅とは何か』という問を、自身に問い直す・・・という事なのだと私は思う。

 

  そこで今日のブログタイトル、『禅とは・・・東洋の人工智能』ということになった。

  佛教では古来より『悟りの智慧』は、一般にいう『知恵』とは、次元が違うということで『智慧』と書き表すが

  そこはそれ、『考えるな、漢字ろ!』で、日本人はその違いを知るべく、世界中から期待をになっている事をもつと自覚すべきだ。

 

  ことに私達は『AI時代』という、良いものか悪いものか予想もつかないモノを手に入れつつある時代にあって

  その『AI』を、人類が幸福に生きるうえでの制御のきく『道具』として、使いこなす為には、

  釈尊が2500年前に悟りを開いたまさに『人工智能』の開発こそが、現代の私達に求められている・・・

  そして、それを知っているのが『禅』なのだ。

  禅が『Zen』として、ゆるやかに世界に浸透している理由も、そこにあるのではないか。

 

  『知恵』の『知』と、『智慧』の『智』の違い・・・それを体得するには、『坐禅』が早道としか、私には言えない。

 

 

              

            この絵は、もう40年以上前カレンダーに使われていた図柄で、残念ながら作者名も知らないが、

            私が今日書いた、『悟り』が『東洋の人工智能』であることを『天上天下唯我独尊』と力強く宣言している図

 

  


  アバター『馬骨』、時々『一撮』

2024年12月06日 | 東洋自分なり研究所

  先日、今年5月の私の誕生日に相方の姉がプレゼントしてくれた、DVD映画:橋本一監督作品『北斎』をようやく観た。

 

  それは、時代劇といっても身分の上下関係一切ない、『芸術の世界』の話で、日本人の原点を映画という窓から覗き見したような作品で

  江戸時代の人々、とくに絵師や戯作者(小説)など創作に人生を賭ける様子は、ほんとうに時代を超えているなぁ〜と、

  感動を通り越してうれしくなった。 

  北斎や写楽、歌麿など… 今思えば まさに天才と言っていい人達が、(ジャンルは違うが、芭蕉とか千利休、世阿弥等も)我ら日本人の

  祖先としてそれぞれの『道』に足跡を残してくれた事が、自分もまた日本人の一人として素直に感謝できるようになった事もうれしい。

 

  ところで、日本古来の表現者達をちょっと勉強すると、彼等は名前を次々と変えていて、北斎などは30回も名前を変えているし、

  松尾芭蕉も、芭蕉に落ち着くまでは何度も名前を変えている。 

  そのように、日本には昔から自分の気分に沿って名前を変えてきた文化があるようで、

  調べてみると、池上英子・田中優子共著『江戸とアバター』という本があることを知った。(早速リストに追加)

  その本の始めに『 「アバター」は、もともとインドの言葉で、聖なるものが地上に降り立った仮の姿をいう。

            このデジタル時代の仮想世界においては、自分の中にある部分、気持ちを形象化したそんな分身を使い

            他の人々と交流する形態。人間のアイデンティティの複雑さを目に見えるかたちでしめされ・・・云々』 池上英子氏

 

  と書いた一文を読んだ時、般若心経の『空即是色』は、『空』に裏打ちされる個性『色』の開花がアバターなのではないか・・・と思ったが

  日本人ははるかデジタル以前に『アバター文化』を楽しんでいたが、そうとは知らず、私自身もアバターを駆使していたかも…。

 

  私がブログを書き始めた最初は、写真家である自分を意識して『写楽斉』と名乗っていたが、同名のブロガーがいたのを発見したのと、

  2011年からスマートフォンでツイッターで俳句を始めた頃から俳号のつもりで、『一撮』のブログ名を使い始め、

  2017年に定年退職して、禅を中心にブログを考える『東洋自分なり研究所』を立ち上げてからは、『馬骨』を名乗り始めている。

  時々、政治的なことで思いっきり確信的なことを言いたい衝動があり、何時の日か政治面でのアバター名を名乗ることが

  あるかもしれないが、まぁ、面倒くさがり屋でもあるので、正直これ以上名前を増やしたくはない・・・。

 

       

    相方ニコルが、ある日彼女の『チャット君』に、私のデータを入力してアバターを描いてもらった図 ・・・笑えた!!

    『ハゲ頭』の入力を忘れたか…

  

 

  

  

  


  神も仏も12月・・・

2024年12月06日 | 東洋自分なり研究所

  私の『禅』における『単』細胞的解釈によると、『神も仏も12月に誕生した』・・・ということになる気がした。

 

        

       我が家には、『クリスマスカレンダー』(↑の写真右側の12月1〜24日までの小窓風に散らばった日にちをめくると、

       クリスマスにまつわるイラストが描かれている。)が、4枚あり、毎朝起きると相方はいそいそとめくるのを楽しみにしている図

       毎年、私の分まで買ってきて、あてがわれているが・・・『仏陀カレンダー』もあってしかるべきと、強く思う今日此の頃。

 

  ヨーロッパに住んでいると、さすがにキリストの誕生日が12月24日・・・というのは私でもわかるが、

  その名前イエス・キリストの語源までは、知らないので、チャット君に聞いてみると

 

  ”イエス・キリストの語源は、ヘブライ語の「イェシュア(神は救い)」とギリシャ語の「クリストス(油を注がれた者)」に由来し、

  「救いのために選ばれた救世主」を意味します。”・・・ということであった。

 

  さらに、

  「クリスマス」という言葉は、キリスト教の宗教的な祝祭「クリスマス(Christmas)」を指し、
  その語源はラテン語の 「クリストス」(Christos)「ミサ」(Mass) から来ています。
  英語では「Christ’s Mass」、つまり「キリストのミサ」を意味します。

  歴史的背景

  クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う日として4世紀頃から定着しました。

  実際のイエスの誕生日は明確ではありませんが、

  12月25日はローマ帝国で祝われていた「冬至祭」(太陽神ミトラを祝う祭り)と結びつけられて、

  キリスト教の重要な行事となりました。

  宗教的意味

  クリスマスは、キリスト教徒にとって「希望」と「救い」の象徴です。

  イエス・キリストは人々の罪を贖うために生まれた存在とされており、

  その誕生を祝うことが人間への愛と神への感謝を表す行為となっています。

 

  ずぼらな馬骨には、大変重宝な『チャット君』・・・その情報の真偽については、『我知らず』という無責任情報ではあるが

  テーマによって適当(妥当という意味で)だとは思われる。

 

  で、我が仏陀の誕生であるが、釈迦が生まれたのは4月8日ではあるが、悟りを開いて仏陀になった日は『12月8日』であるから

  馬骨的には仏陀の誕生日は『12月8日』ということになる・・・と思うのだ。

  (ただし、インドや多くの仏教国(特に南伝仏教の国々)では、釈尊の悟りを祝う日は 5月の満月(ヴィサーカ月)に行われる…そうだ。)

 

  そうすると、仏陀もキリストも12月が誕生日・・・ということで、そう思うと『12月』という月も感慨深いものがある・・・。

  


  佛性・両志力覚

2024年12月04日 | 東洋自分なり研究所

  最近の私の妄想狂力は手が付けられない状態にまで上昇し

  『 このままでは、科学はいずれ「佛教」に同化するであろう 』・・・と言うレベルだ。(科学を何も知らない…から何でも言えるよね)

 

  であるから今日のタイトル『両志力覚』は、もちろん『量子力学』から発生した佛語で、その心は『重ね合わせ・もつれ』だ。

  だいたいにして、『自他不二』…とかの『不二の法門』や『色即是空空即是色』や『観世音=観自在』などなど『佛性』の根本的なところを

  深堀りすると現象の根源が『重ね合わせ・もつれ』で、そこに『観』が働くことで、佛性が覚醒するのだから・・・こりゃ『両志力覚』だべや。

 

  その意味では『重ね合わせ・もつれ』の専売特許は『佛教』であり、それは梵語から漢訳されさらに、日本に漢字で渡来することで

  『重ね合わせ・もつれ』度は、一層深化したと思われる。 ただ、そこに焦点の『観』の眼を差し向けた人は少なかったのだ。

 

  例えば、私の提唱する『自分経』であるが、

     『  自(おの) ずから  分かれ 自ずから分かる・・・(他力)

        自(みずか)ら    分かれ 自ら分かる  ・・・(自力) 』

 

  この二つの『自分』の『重ね合わせ・もつれ』が『無心』の働きによって一体になった時、『自分』が『自他不二』であるという『観』を得、

  『不二の法門』を自覚することが『縁起』となり、『慈悲心』を生じ『佛性』に目覚める・・・というカラクリが『両志力覚』なのである。

 

  道元禅師は 『 仏道を習うというは 自己を習うなり。 自己を習うというは 自己を忘るるなり。

          自己を忘るるというは 万法に証せらるるなり。 万法に証せらるるというは 

          自己の身心 および他己の身心をして 脱落せしむるなり 』  ・・・と言っている。

  

  また他のところでは 『 ただわが身をも心をも放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、仏の方より行われて、

              これに随いもてゆく時、力をもいれず、心をも費やさずして、生死を離れ仏となる  』 ・・・とも言って

 

  道元禅師は、他力的な『自(おの)ずから』の『自分』を強調しているキライがあるが

  仏に目覚めるには、『自(みずか)ら』の『自分』との一体(両志力覚)があって初めて、『観』に覚醒するのではないだろうか。

 

           

            相方が、クリスマスツリーを欲しがるので、我が植木の松をそれらしく飾り付けてみた図


  馬骨の『曖昧な微笑』考・・・

2024年12月03日 | 東洋自分なり研究所

  私のこれまでの(そしてこれからも・・・?)人生における『曖昧な微笑』と、かのアインシュタインが言った有名な言葉

  『神はサイコロを振らない…』との間に何だかの関係があるのか??

 

  そういえば、2500年前に仏陀は『色即是空空即是色』と『色空』をめぐり決定的『曖昧論』を打ち出していたが

  その視覚化が、『弥勒菩薩の微笑み』であったであろうか。

         

  近年、科学は量子をめぐり『重ね合わせ、もつれ』などと、『曖昧なこと』を証明した・・・そうだが、

  それって長年の私の『曖昧な微笑』が世の中で承認されたということであろうか。

  同時に、日本の『漢字』はとても良く『重ね合わせ・もつれ』があるからこそ、『人間』を解読するうえで

  『考えるな、漢字ろ!』の漢字法程式が重要な意味を持つのであろうか。

 

  私は子供の頃、目の不自由な養母がラジオを聞いてはそのニュースに一喜一憂していた様子を観て、その単純な素直さに疑問を呈する

  子供であったが、当時はもちろん何故そんな風に思えるのかはよく解らなかった。

  ただなんとなく、養母のように判断するには、あまりにも知らないことが多すぎる(つまり情報が少なすぎる)気がしていた・・・。

 

  だから学生になり、友達と教室で過ごしていても、私は自分の意見を述べることは少なく、だいたいニヤニヤ誤魔化していたような … 

  一時期、外国人が抱く『曖昧な日本人像』の典型でもあったのかも。

  そう思うと、この『曖昧な微笑』というのは日本人の文化レベルの域に達していたわけで、単に語学が苦手という理由だけではなかったのかも?

 

  実際、30年以上にわたり海外在住という立場に身をおいて、たぶん私の『曖昧な微笑』も様々な意味で磨きがかかったであろうか。

  何故なら、私は自分が『知らない』ということを面壁の修行を通して、娑婆の生活を通して身をもって知らされたお陰だと思うからだ。

  ・・・と、ここまで格好つけて書いたら、アインシュタインの『アッカンベー』が浮かんだ・・・!


  禅・問答法程式

2024年11月28日 | 東洋自分なり研究所

  秋もすっかり深まって、スイスのフランス語圏の我が街の飾りつけもクリスマス仕様になり、

  明日の『Black Friday』をはじめ、特設クリスマス市場など各市町の広場などに展開して商魂をたくましくしている。

  ・・・そういった、街風景のおかげもあり、さすがに鈍感な私も、ほんとうに年末が迫ってきている事を感じる今日此の頃。

 

      

       前置きの文章とは、無関係な昨日のレマン湖畔のブドウ畑からの風景もまた11月下旬。

 

  だからといって、私が焦る理由は何もない・・・のに、娑婆社会が醸す雰囲気に乗り遅れまいと、感応する我が根性が可愛い・・・。

  と、ここまで考えたが、『年末が迫っている』・・・というか、自己の終末こそが迫っている自分の年令(72歳)を考えた時

  一面では『ノンビリと…』であり、もう一面では『今やれることは、全力でやっておけ!』というような声が内側から聞こえる。

 

  そういった声に励まされなければ、『禅・問答法程式』というような、いかにも怪しい…事について、流石の私も書けやしない。

  しかし、その反面興に乗ると、この『法程式』で『ノーベル(無鈴)賞』を狙うぞ〜・・・という気にもなるお調子者の私。

 

  で、私はこれまで世の数式に習い『方程式』という言葉を我が『漢式』にも使ってきたが、

  数学で解答を求める数式が『方程式』という時、『佛法の解答』というのは、最初から答えは解っている事を前提としているから

  その為の漢式は『方程式』ではなく『法程式』というのが正しいと考え、以降『佛法』に関する漢式は『漢字法程式』と記載することにした。

 

  

  ジャジャジャジャーン・・・、前置きが長くなりましたが、無鈴賞ものの『禅・問答法程式』を発表します!

     

  つまり、私にとって『悟り』とは、『 ?』と『!』間の『差取り』に過ぎない・・・ということが明らかになりました。

  ただ、この『差取り』の方法は十人十色で、この法程式はあくまで私、馬骨の体験から割り出した法程式であることを申し付けておきます。

  『悟り』を目指す皆様の何かの参考になれば? 幸いです。(*法程式最後の『!』の丸点の中に『覚』の字があり、『円覚』を表すのを見逃さず)

  『方程式』によって観えてくるモノがあるならば、(佛法)法程式によって観えてくるモノもあるであろう・・・ですかね?


  スイッチ 音で自灯明 …

2024年11月24日 | 東洋自分なり研究所

  誰かが、『スイッチ・オン』と言ったのを聞いて、自動的に『スイッチ音で自灯明』・・・と、我が愚脳が合いの手プットアウト。

 

  かくして 『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』 の短歌がうまれた。

 

  英語の『On』まで『音』と聞く、良く言えば『観自在』、 悪く言えば 『駄洒落』という紙一重のワザ・・・。

 

  ところで、問題は『自灯明』であるが、この言葉『自灯明』を知っている人は恐らく少ないであろう・・・。

  お釈迦様の死期が迫った時、弟子が心配になって、『この先どうすればいいでしょうか?・・・』と聞いた。

  するとお釈迦様は 『自らを灯明とし、自らを拠り所としなさい、法の教えを灯明とし、

            他の教えを拠り所としてはならない。』と答えたという。

  この教えは『自灯明・法灯明』という仏教語となって仏教界ではよく知られている言葉である。

 

  これはどういうことかというと、つまるところは『自分と向き合いなさい…』というシンプル(単)なお示しで、これを称して

  『禅』というのではないかと思う、今日此の頃。

  この『自分と向き合う』・・・という事、言うは易く行うは難し。故に『禅』あり・・・なのだと思う。

 

  この一見、時間の無駄以外の何物でもないように観える『道文化』を大真面目に『宝』のように扱っている国が日本なのだ。

  そういう事を、しっかり自覚するためにヨーロッパに送り込まれた爺イの図が下(初、カプチーノで白い泡がおもろい…と相方が)

            

         『 観音の スイッチ音で 自灯明 闇の世照らせ 頭ハゲらせ 』馬骨

  


  一期一会の秋

2024年11月21日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  日本では今年はいつまでも暑い日が続いたようであるが、こちらスイスは夏が短かったと思えるような年であった。

  昨日、今日などは朝方はかなり冷え込み、相方は雪だ雪だ…と騒いでいたが、我が街ではまだ降っている様子はないが・・・。

 

  11月に入り、演奏会や作品展の御案内にもとづき、退職者の特権を活かし、結果的にアチラコチラをのぞき観たのであるが

  総じて、それぞれの人々が自己の作品に真剣に立ち向かう姿に、なんだか初めて気がついたかのように、感動している自分に驚いた。

 

  この季節になると毎年催される『ローザンヌ・バッハ祭』は、今年26回目だそうであるが、主催者の小糸ケイ氏とのささやかな御縁の

  お陰でいつも招待の栄誉にほっし、数ある演奏会のなかから、ジャコモ・カリッシミ(1605〜1674)のバロック音楽を相方が決めた。

  ローザンヌ街中のST-Laurent教会の素朴はあり様は、バロックという私にとって昔の素朴な音楽・・・という程度の教養の者にとって

  その醸し出す雰囲気は、なんとなくヨーロッパの17世紀の世界にいざなうものがあった。

              

  Gianluca Capuano氏ひきいる、イタリアの演奏と歌唱のグループによるバロック音楽は、その歌っている言葉はまったく解らなかったにもかかわらず…

  曲を追うごとに彼らの世界に引き込まれ、最後には涙が止まらず、ブラボーの拍手を私はしていた・・・。

  クラッシック音楽でこんな気持になったのは、二度目のような気がするが、まさに『一期一会』、演ずる者と聞く者が一体となった感動がそこにあった。

 

  一度目は相方が一人でそのオープニングの日にジュネーブの隣り村カルージュのギャラリーに出向いたが、狭いギャラリーに

  大勢の人で、作品もゆっくり見ることができず、作者である友人のJean-Marie Borgeaud氏にも挨拶も出来なかったということで

  別な日に、私と二人でカルージュのギャラリーへ行けば、小さなギャラリーには他に客がいなく、ゆっくり彼の作品を楽しんだ。

              

  彼の作品については、これまで5回ほどブログに書いてきたが、 2021年9月のブログ記事〜ヨーロッパにみる『丹田力』

  今回も新作を改めて目前にすると、本当に『野生の叫び声』が聞こえ、『 AI 時代 』とかそういつた一切を断絶する

  生命の力強さが喚起されるようで、彼の作品を全部買いたい衝動が沸いてくる・・・。

  幸い、一部割れたから…という理由で破格の値段で譲り受けるた作品が我が家にあるが・・・、あれって貧乏人の我らへの友情の贈り物ではなかったか?

 

  今年2024年は、スイス・日本国交160周年だそうで、毎年秋にある日本文化月間もいつも以上に力を入れてるそうで、その一環で

  友人であり、昔所属していた『スイス在住日本人芸術家協会』の会長であった伊藤八千代氏、主催のグループ展があるVeveyの隣り村

  ラトードペイのお城の会場に出かけた。

  5,6年ぶりに会ったヤチヨさんは、80を超えても相変わらずお元気。その彼女が紹介してくれたアーチストが大隅敏男氏。(75歳)

 

  ちょぼヒゲにシルクハット姿の彼は、さっそく彼の水墨の『書』について、非常に熱心に解説し始めた。

  作品のいくつかを説明を受けて思ったのは、説明なしにはちょっとその真意が『解らない…』ということであったが…

  

    私が観たのはこの作品の縮小版で、この写真は彼の京王プラザホテルでの展示のYoutubeのもの。大隅敏男展『なにげない日常の貴さ』より(2023年)

   紺色の着物に『慈』の字がみえる。

 

  彼の作品案内書にみる言葉には

  『漢字が成り立った原風景への想いを馳せ、『人』一字に溢れるパワーを解き放ち・・・』

 

  『表音文字は無表情で瞬時の判読が難しい。しかし象形文字には、意味があり、日本の漢字には『心』があり記号性のとても強い形を

   しているため瞬時に判読できます。その独立して意味を持つ漢字一字を素材として心の中で再構築し、一つのイメージを定着させ描き出します。

   人間の力強いエネルギー、爆発するパワーも自然の風景と捉え、キャンバスの上に表現します。単純明快なフォルムとパワーが最重要視されます。』

  

  ・・・等という内容が書かれて、これって馬骨の言う『考えるな、漢字ろ!』・・・そのものだよ…なぁ〜の感想。

  若干、私とは視点が違うものの、『漢字』の持つエネルギーや可能性に早くから目をつけ、『書』であり同時に『絵』でもありえる『漢字』を

  奔放な毛筆で長年描いて、海外を含めた各地で展示し、情熱を持って解説するさまは凄まじく、私など全く及ばない『漢字在菩薩』ぶり。

  世の中には、いろいろな人がいるとは知っていたが・・・。

 

  このグループ展に参加しているもう一人の『書』の人は、ローザンヌと我が街モルジュの間のRenens(ルナン)で書道教室を持つ

  青翠さんは、いわゆる書道家。FacebookやInstagramで美しい書を拝見していたが、このほどは友人の禅僧二人の僧名を書いて頂いた。

 

             

  禅僧とは言え、外国人の彼等にこの筆の味・・・は、解るであろうか?

  若き書道家『青翠Seisui』さんは現地の人々に『書』を教えられているが、『道』に至る一つの道として、大いに活躍してもらいたい…と願う。

 

  これら芸術家が発するエネルギー(色)を、そのまま受け取る鑑賞者(色)の『場』が『一期一会』であるとすれば

  私は、『色即是空』へとエネルギーを空じる、つまりは『自他不二』の道に続く入門状態ではないかと妄想したが、どうであろうか・・・。