拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『極楽情土』の島国

2025年03月15日 | 東洋自分なり研究所

  根っから乗物に弱い自分が露呈した13時間の大阪〜ヘルシンキ飛行を経て、3月14日午前10時頃スイスはジュネーブに到着。

 

 

  もう10年ぐらいは、こんな旅はいいかな…と思えるくらい、クタクタになって我が家に到着すると、

  留守中被せていた小さなテラスのテーブルの雨よけのビニールカバーぐらいは、即片付けまいかと、せっせと働く自分がいた・・・。

 

 

  8年前の2017年、定年退職記念(?)帰国旅行ぶりの帰国であるが、今回の私は以前と比較して圧倒的に『自分なり佛教徒』度が深かまったせいか

  我が日本国を観る眼というか、抱く感想もまた以前とはかなり違うように思うが、まぁ、今回は図らずも『古寺巡礼』がテーマであった事も大いに関係があろう。

 

 

  私にとって仏像を拝観することが『観音』であり、『観光』であったとすれば、一方の娑婆での『観光』も普段より一層『極彩色』に輝いて観え

  何を喰っても美味く、何をしても居心地が良いように工夫されている我が祖国、日本は『極楽浄土』ならぬ『極楽情土』に思えたとき

  私が生活しているスイスが『修道院生活』に思え、愕然とした。

 

 

  今回の帰国旅行をキャッチコピー風に表せば『さり気なくウオシュレット、そして微笑む弥勒菩薩』・・・てなところであろうか?

  日本の『極楽情土』ぶりは、量子力学の『もつれ・重ね合わせ理論』を待つまでもなく、一方で『極楽浄土』の仏教思想が鏡合わせであったであろう

  簡単に言えば・・・『色即是空空即是色』なのだ。

  だから、『空』に目覚めなければ『色』の真価も分からずじまい・・・ということなのだと思う。

 

 

  『アンコ椿は恋の花』をもじって『アンコで唾きは、故意の華』というくらい、饅頭や餅などアンコ系を10年分ぐらい喰った気がして

  もう当分いらないかなぁ…という気分で、スイスでの『修道院生活』も案外悪くないかも・・・とも思えてきた今日此の頃

  私のように欲にまみれた人間は、ヒモで結んだ人参を目前に無数にぶら下げられると、それだけで人生にくたびれてしまうに違いない。

 

 

  だから、仏様はあまりにも欲が深い私を『島流しの刑』として、雪と氷しかない山脈地、スイスに流したのであろう・・・か?!

  日曜日は、店も何もかも閉まり、湖畔や山へ散歩するぐらいの楽しみしかない生活というのも・・・と、ここまで書いてきて

  約40年ほど前、初めてスイスを訪れ、レマン湖畔をガールフレンドと初めて散歩した時、『まるで極楽…』と想起したことを思い出したが、

  何も無い『極楽』と、何でも有りの『極楽』の鮮やかな対比に、今私は面食らう・・・のであった。

 

 

  私自身もそうであったが、現在日本で生活している人々が、自国が『島国』であることを自覚している人は稀であろうと思う。

  今回私は日本を『極楽情土の島国』と観じたが、日本を訪れる外国人は程度の差はあれ皆、同じような感想を抱いているだろう。

  そして、自国日本を『島国』と観る視点を抱くことは、世界を『俯瞰』する視点を得ることであり、『極楽浄土』を建設するうえで重要である。

 

 

           

             今回訪れた東福寺の石庭であるが、これもそういった視点を象徴しているのでは…

  

  


常不軽菩薩の出現・・・か?

2025年03月09日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

巡礼の旅もほぼ半ばになって、相方の古い友人マサ子夫婦が東京から2泊の予定で訪ねて来てくれた。

彼らに会うのは20年ぶりだが、漫画の『のたり松太郎』の小型版のようなご主人は相変わらずマイペースだし、人が良すぎるのが欠点のようなマサ子さんも相変わらずの笑顔だった。

そもそも相方ニコルとマサ子とは、今から30年以上前、小さな坐禅会で共に坐禅やその会が催すハイキングやお茶会などで親しくなり、その後私とも親交があり、特にスイスに渡ってからは、私が彼女と年に数回のメールのやり取りをする友であった。

北風の冷たい1日目は、近場の興福寺と東大寺を拝観し、夜は近くの和風レストランで食事しながら互いの20年間を大雑把に還暦し合い、語り合った。そのうち彼等の宿には温泉があり、宿泊者のみ利用できるというので、相方は即決で彼らと同じ宿に一泊することにし、私は、松太郎氏と共に温泉につかり、彼が信じる第一の健康法である『四股を踏む』講義をじっくり受けたが、こうして日本人の友と湯船につかって語り合うなんて何十年ぶりのことか・・・。

翌朝、相方とマサ子は市内のカフェにモーニングセットを食べに行き、松太郎は早くも、定食屋に行ったと言うので私も後を追い合流して、塩鮭の定食を食べ、彼の60歳から始めた剣道が13年後の今、3段にまでなった剣道談義などを聞いてホテルに帰り、ロビーで女性軍が帰るのを待っていると、数分後に帰ってきて、何やらあったらしく、ニコルが少し興奮気味に話すには・・・。

彼女らは、我々が何回か行ったお気に入りのクラシック風カフェで朝食をとりながら、話は昔ともに修行した禅の思い出話から、仏教一般の話になったらしく、昨今の憂いべく社会情勢にあって、仏教の『和』に徹した思想の重要性など…のようなことについて論じていたら、マサ子曰く、『セント君(奈良の遷都にちなんだマスコット)のようなふくよかな奥様(50歳?)が、涙目で合掌をしながら近寄って来て、『すみません、お二人の話をそばでお聞きしていたのですが、外国の人がその様に仏教のことを分かっていただいて、お二人の話に感動して涙が出ました…、お二人の写真を撮っても良いでしょうか?』・・・と、言ってきたというのだ。

相方はその話をしながら感動がよみがえったのか、涙目になっていたが、私も、マサ子さんのご主人もその話を聞いて『え〜、ありえねよ。なんかの詐欺じゃねえか?』なんて答えたが、女たち二人は真顔になって、『いゃ〜、観光で長崎からきた人の様で、ご主人が外で待っていたから、そんなんじゃないわよ』・・・との事。

そんな事が、仏教の都『奈良』では起こり得る・・・んだ!?と納得することに。

    

         菩薩を呼び寄せた マサ子とニコル

この話を聞いて、私が想起したのは 『常不軽菩薩』で、誰彼なく『あなたはいずれ仏に成られるおかた、どうかご自愛下さい…』と、説いてまわった菩薩であった。

      

    これが奈良のマスコット『セント君』。 まあ、菩薩だよね。

       


 考えるな、観じろ!・・・

2025年03月05日 | 東洋自分なり研究所

思えば、この旅の出発2日前にコルチゾン注射を打ち、その前までの一週間半、坐骨神経痛のためベッドに横になることもままならず毎日寝不足に悩まされ、痛み止めだの、炎症どめだのと普段の自分からしたら大量の薬を服用しての旅立ちであったことを思えば、極寒の奈良巡礼の旅の2/3をこれといった大病も煩わず、今日まで来れたことを感謝する・・・のみ。

昨日は、雨と寒風の吹きまくるなか、我々にとっては第三弾、最後の定期観光バスでの『奈良大和四寺巡礼』とパンフに謳ったツアーに参加し、朝8:15に出発するバスに乗ると、総勢25名の年配のカップルやら、お一人参加あるいは友人と参加したご婦人らの目立つグループであった。

安倍文殊院〜岡寺〜橋本屋(昼食)〜室生寺〜長谷寺の順で周り、夕方18時ごろ終了した。最初の安倍文殊院で住職から『巡礼から信仰へ』・・・という主旨から各自に巡礼用の厚手の紙でできた白衣の上着を頂き、それを着てこれらっ大和4寺を巡礼することになり、なんせ25名であるからその姿で、傘をさしながらの大和寺の険しい階段を登る人々の景色はなかなかのものであった。

それに加え、それぞれの寺に奉納して護摩で焚いて頂く(?)ための自分の名前を書いた長さ17cmぐらいの平たい板棒をそれぞれの寺で坊さんに渡さなければならず、巡礼白衣を着たり脱いだり、お堂にお参りする時は、靴を脱いだり履いたりして、相方いわく『修行そのものね!』と文句を言いながらも、どの寺も森厳なおもむきであることに感動しているようであった。

 

     

私は一応、写真家のはしくれであるので、今回の旅にはカメラを持参したが携帯カメラと写真機の両方を、最初のうちは使い分けていたものの、早くも三日目ぐらいからは携帯だけで撮影することにした。いずれにせよ、名佛像の撮影はどこの寺でも禁止していることでもあるし、しっかり自分の眼で観る事・・・限界のある眼で直に観ることが、巡礼では何より重要なのだろう。

たぶん、私の古寺巡礼はこれが最初で最後になるだろう。

もう一生分の名佛を拝観できた気がする。これからはいろいろな所で『生き佛』を拝観したいものだと思う・・・


  如来システム

2025年03月03日 | 東洋自分なり研究所

ささやかな古寺巡礼ながら・・・実際に他の人々と神社仏閣を巡ぐることで、幾つか気付かされた事があった。

そしてそれは、私の今回の巡礼の旅での最も重大な収穫であったのではないか。

歴史的に残った仏閣の奥には、如来像や菩薩像、不動明王像などが時空を超越した趣で鎮座し、それを有象無象の人々が訪ねてくる・・・そういった風景を実際に自分の眼で観たとき、その風景というのは千年、二千年とずーっと続けられてきたのだ、と思った時、私は、女王蜂とそれを守るミツバチの社会形態を想定した。

前回のブログで『古寺巡礼』と『己事巡礼』で、『古寺と己事』とが『重ね合せ、もつれ』状態になっていることを指摘したが、現実問題として誰もが如来になれるわけではなく、菩薩であったり、たとえ覚醒せずとも何だかの形で仏を支援する大衆がいたからこそ今日まで神社仏閣が大切に守られ『道の文化の礎』として日本文化を支えてきた事に思いが到った。

その時に、これまで如来とか菩薩とか明王とかの仏の位みたいなものがどうしてあるのか長い間、不可解に思っていた疑問が解凍した気がした。

本当の答えというのは私は知らないが、馬骨なりの解答としては、如来というのは四弘誓願で言うところの『仏道無上誓願成』の事で、どこまで行っても到達不可能なレベルを表し、如来には絶対に誰もなれない位・・・なのだと解った。

如来への道は、自ずから誰にでも開かれているが、自らの意思が伴わなければ道は全うできない・・・そういった厳しい自由もまた人間にとって現実なのだ。

そういった一方で、ウクライナの大統領ゼレンスキーとトランプ大統領の話し合いが決裂したり、神戸は三宮に行った時、何故かあのNHK党の立花孝志を目撃した日々


  己事(古寺)巡礼

2025年02月28日 | 東洋自分なり研究所

まさに奈良名佛・・・というか1500年に渡り、伝え護り続けてきた素晴らしい仏像の数々。

この二日間は、地元奈良の定期観光バスを利用して、昨日2月27日飛鳥地方は、大神(おおみわ)神社、聖徳太子ゆかりの橘寺、飛鳥寺、石舞台古墳、今日28日は浄瑠璃寺、円成寺の国宝・大日如来坐像をすぐそばから舐めるように拝観した。

とにかくこの11日間、いわゆるプチ『古寺巡礼』というのをしているわけだが、昔は『古寺巡礼』だなんて、ジジババがするもんだ〜・・・なんて、思っていたが、確かに自分がジジイになってしっかり『古寺巡礼』しているのが笑える。

前回も言ったが、名佛は撮影禁止なのでどの寺がどの仏様であったか?ごちゃ混ぜになってしまい、もう何が何だか分からない?・・・スイスに帰ったら購入した本や、絵ハガキや、パンフレットを参考に再巡礼もまた楽しからずや。

バス観光で一緒になった人の中には、御朱印を集めている人が結構たくさんいるようで、あちらこちらの寺を訪ねてはそれを集めるのを楽しみにしているようだ。

私といえば、無言でひたすら観音している仏像たちを観ているうちに、円覚寺の居士林や僧堂でひたすら坐る生き仏の修行者等の姿がよみがえり、そういえばこれ等の禅寺にはそれほど名の通った仏像はなかったような気がするが、それは正真正銘の生き仏の育成にこそ力を入れている禅寺だからであったことを今になって認識する。

『古寺巡礼』という枯淡な趣味も悪くないが、それが『己事究明』につながる『己事巡礼』に昇華することこそ、これ等の名佛は、私達に祈願しているに違いない。

    

     浄瑠璃寺・・・だったかな? 猫に案内された馬骨図


 『大人』と『音無』

2025年02月26日 | 東洋自分なり研究所

関西空港着陸して10日目、名付けて『怒涛の耐寒旅行』の最中、相方の従姉妹の息子夫婦が、2歳にならんとする可愛い坊やを伴い3泊4日の日程で我々の宿アパートにやってきたから、さあ大変、寒さを一時的に忘れる・・・効果には絶大なものがあり、また10年ぶりに再会したかっての青二才の若者が、41歳の父親として、日本人妻と協力してこまめに2歳の面倒をみる姿に、へえ〜っと感心感嘆。

その間に、法隆寺・中宮寺・唐招提寺・薬師寺・奈良国立博物館そして昨日、京都は広隆寺を訪ね、優れた仏像というものが時空を超えた存在であることを確認し、今なお『観音』のメッセージを発し続けているのを目にするのはうれしい。

そしてそれ等の仏像を命懸けでまもっている日本人と日本文化が誇らしく、また実に有難い思いでいっぱいになった。

奈良に着いて、色界と空界の往復を繰り返して思ったのは、人間は人の子の親となることで立派な『大人』になるようであるが、無理会(むりえ)に向かわなければもう一つの『音無』(おとな)に成ることは、やはり叶わない・・・ということだ。

     

いまや、名のある仏像のある寺院では、撮影禁止が常識となっているようで、それはそれで心に焼き付ける覚悟がつくのでよい。(写真は寺が掲示板に貼っていたもの)

広隆寺の弥勒菩薩が鎮座している建物は50近くある仏像を保存するために薄暗く、また寒いぐらいの低温に調節されていたが、そんな事には気にもとめない穏やかな中に毅然とした佇まいを永遠の今の姿として観せてくれ、相方も偉く感動して像の前にあったお守りを有り難く買い、後でバッグに付けて喜んでいた。

拝観料の所に戻り、弥勒菩薩の写真セットを買っていると、75歳ぐらいのお婆さんが、拝観料が1,000円である事に驚いて、『私ゃ、地元に住んでますが、一度も来たことがありませんで・・・』、それを聞いた受付の女性があれこれ説明していたようですが、残念なことに、お婆さんは帰っていきました。相方にそれを説明すると憤慨して、『お婆さんは、どこ?お金がないなら私が払うから…』と、探し出す勢いだったので、仏縁が無いとはそういうことであると諭して治めたが、偶然見かけた情景とはいえ、弥勒菩薩に感動したばかりの私達の目の前で起こった出来事としては『事実は小説より奇なり』を観たおもい。

その足で我々は、おごと温泉まで電車で行き、その日の夕方を湯元館という温泉旅館で過ごし一泊した。

温泉行きは相方の強い意向があり、オーガナイズの面倒な私はなかなか調べることもせず、またちょっと見たところ、奈良近辺に適当な温泉が無いようでモタモタしていると、近畿地方の路線図に『おごと温泉』の駅名が目に止まり、ググってみると湯元館というのが評判が良い様なので予約。それを奈良の実家にたまたまスイスから来ている友人に話すと、『えーっ』と驚かれ、かつて男性の夜のあそび場所として有名を馳せた所であるこを知らされ、焦ったが、それもまたググると、昔はそうであったがそのイメージを払拭する温泉街として復活との情報に胸を撫でた。

実際、他はどうか知らないが、この湯元館はプロ意識に徹していて、いろいろうるさい相方もすっかり気に入り、また来たい・・・と宣ったのだ。


 愉悦とは湯悦だった!

2025年02月20日 | 東洋自分なり研究所

一昨日は東大寺を満喫したので、昨日は隣の二月堂を訪ねようかと、いつものモーニングセットを食した後に出かけたが、あまりの北風の寒さに2人とも根をあげ急遽、露天風呂もあるという奈良のスーパー銭湯へ!

たぶん8年ぶりに、よそのオツサン等と素裸でガン首並べて『湯』につかった時、フェイスブック友の一人が、私のブログを読んで『日本の冬の愉悦・・・』と宣ったその最高級ワード『愉悦』が『湯悦』とシンクロし、日本文化の色界のエクスタシ−が極まって空界に反転するであろう深淵なシステムを垣間見た気がして、『銭湯は銭湯に非ず、ゆえに銭湯』の即非の論理・・・に深くうなずいたのである。

改めて考えてみると、私の養母宅にも実母宅にも風呂がなく、特に6歳まで私の面倒をみた弱視、後に盲目になった養母の一日のローテーションに銭湯へ行くことがあり、私にとって銭湯に行く事は生活の一部としてあまりにも当たり前の事であったので、こんにちまで『銭湯』に関して特別な思いを抱くことが無かったが、『道産子』であり同時に『銭湯子』であった私の中で『銭湯』という日本文化が私に与えたであろう影響の多大なる事に、今更ながら思いが及ぶのであった。

そうした意味では、先日『饅頭、まんじゅう』と騒いで見せたが、『湯悦』の愉悦は『饅頭』の及ぶところではなく、比較することすらバカバカしい別次元の愉悦であった。

そして湯上がりの帰り道に、相方と二人で餃子の王将で、餃子定食を食いながら思ったのは、こんな簡単な『愉悦』が、なんでスイスで出来ないんだろうか?と思った時、色界における日本文化の振幅の大きさに私は、あらためて気が付いたのだと思った。

      

今日2月20日は初めて法隆寺と中宮寺を訪ね、『愉悦』について仁王様に尋ねた図


饅頭怖い・・・

2025年02月18日 | 東洋自分なり研究所

我々がスイスを出発する数日前、私の日本人の古い友人が『美味しい饅頭を腹一杯食べてきて下さい・・・』とSNSしてきた。

崇高なる我が帰国の意図について云々するならともかく、『饅頭』とは、なんと失敬な奴だ・・・と憤慨しながらも、同時に、食い意地の汚い私の本性がとうの昔に見破られていた事を、皮肉を込めて言われた気がして、忸怩たる思いをしたが、ふだん観音とか悟りとか言っている一方で、私の深層には、じつは饅頭系(大福も含めた)に対するドス黒い欲望が渦巻いていることを私は薄々自覚はしていたのだ。

これまでは、スイスに住んでいるのだから、無いものを望んでも仕方ない・・・という、諦めの境地にあったのが、一旦帰国することが現実を帯びてくると・・・、私は自己の内奥にあるドス黒い饅頭への熱い思いが、我ながら怖しい…と思うほど鬱積していたことを知るのだ。

かくして私は、着いたその日に奈良で有名な中谷堂のきな粉餅3個をペロリと平らげたのである。饅頭というものは実に怖しい食べものである。

 

それとスイスと日本の住宅事情(ことに暖房)のあまりの違いに、仰天した我々は急遽日本ではほぼ絶滅危惧種に近い『綿入れ半纏』を購入の図

    

 

さて、これからが私の崇高なる帰国意図にのつとった旅計画の一端をご披露となる。

     

仏教伝来は538年だったそうだが、私にとっては今現在であることを、只ひたすらこの仁王様で目認することであったので、それを実現してみせた図

 

      

       この像を見た時、あゝ漢字在菩薩・・・と思った図

深淵なる『悟り』については、すべて佛語・漢字方程式に込めてあるから解読せよ!

 

        

     あとは、『 私に任せなさい‼️』・・・との事の図

まあ、観音、観光としては、まずまずの日和であったかナ。


  日本はまだか?!

2025年02月16日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

例の『坐骨』で、一時は日本行き断念が頭をかすめた旅行であったが、おケツに注射をぶちむことで、馬骨自体は走り始めたが、そばでハヤトチリの相方が合いの手をあれこれ差し込む事で事態は急転直下〜〜あゝ、かくして出発間際までゴタゴタが続きよく眠れないうちに、出発の朝を迎えたのだった。

 

というのも、ハヤトチリの相方は『坐骨』と聞いた時点で、せめて空港内だけで車椅子が利用できればよいだろう...という嫁ゴコロでつい軽い気持ちで手配してしまった。が・・・である。自ら閉所恐怖を公言して憚らない相方は、旅行代理店を通してご注文していた、機内での非常口前面で、足を伸ばして寛げる席を確保していたが、それがなんと、車椅子使用者は利用することができない・・・という規定になっていることが判明し、相方は早速、車椅子をキャンセルしたまでは良かったが、例の快適な席2席はどうやら失ってしまい、そのために追加料金を払ったのにも関わらず・・・あ〜あ〜となったのである。相方は旅行代理店やらフィンエアーやらにせっせとメールやら電話をして交渉するも、フインエアーはすでに座席を一般席に変更し、変更が効かないという事態に。。。 。ハヤトチリののために、バカなことになりました。あ〜ア。

で、そのショtクのためでもないでしょうが、出発2日前に私のシャtクリが止まらなくなり、再び相方はパニクリ、我らが良き友、青い目の禅僧のシャtクリ道海和尚に相談、現在フランスのみ製造の秘薬をわざわざ持ってきてくださり、シャtクリに関しては大過をへず落着をみて安堵の胸をなぜた。

相方が選んだバレンタインディの日、4時半起床、6時半の電車でジュネーブ空港。10時50分ヘルシンキ発に乗り無事離陸。

北欧に向かう機内からの景色は、眼下に一面の白い雲で、雪国で生まれ育った者だけが決して忘れることのない『雪の大地』風景を彷彿とさせていた。

ヘルシンキの空港に鮮やかに着陸、まもなくトランジットして乗り換える大阪便がキャンセルしていることが判明‼️ フインエアーカウンターに詰め寄り抗議するも、パイロットのストライキによりパイロット不足のために、欠航で、次の大阪行きは2日後です・・・という若い女性従業員は済まなそうに宣う。で今日明日は、空港ホテルになりますので、二つのうちどちらかをお選びください!。

我々は疲れがどっと出て、とにかくホテルに落ち着いた。

   

翌日気を取り直し、ヘルシンキ一日観光の覚悟を決め、いざダウンタウンへ。

氷点下10度の体感温度は➖14度で、坐骨神経痛の病み上がりの身には余りにもシバレる気温で、なんとしてもモモヒキが必須であると、極寒の街をモモヒキ求めて、相方もモモヒキ相当のデカパンを求めて彷徨う。なんとか買い求め、装着するべく近くの国立美術館のトイレにてモモヒキをはいて、相方を待つと、半ば半べその相方が言うには、デカパンに着替えるために少し広めの障害者用のトイレを選び、脱いだものをキチンとたたんで置いたまでは良かったが、ジーンズを丁寧に置いた場所がなんとモダンな蛇口の下で、知らずに手をかざしたときに、よりによってジーンズの股のところが水浸しに・・・なったと言うのだ! 私は余りのオtチョコ状態に激怒したが、そこは深呼吸して抑え、どうすべきか思案し、美術館の係員に事のしだいを説明して、ヘアドライヤーの有無を聞いたが、『残念ながら、、、』の一言。

意を決して、私はドライヤーを買うために、一旦外出する旨を年配男性の係員に申し出たところ、余りの悲惨な話に同情したのか、『私に考えがあるから、ここで待っていなさい』と言って、何処かに消えたが、しばらくして蒸気ドライヤー?を持ってきて、これでトイレ前のスペースで乾かしなさい・・・と、ご親切。この状態を一撮した桀作写真があって掲載したいが、相方の懇願により断念することに。(そのうちいつか?)

この品のイイ係員の、おっさん、黒い小さなマントに身を包み、典型的なホモセクシャルの方のようであるが、その細やかな気遣いがこう言った旅先では有難いのだ。

絵の鑑賞もそぞろに、我々は午後一番の市内バスツアーに乗るべく移動。

上の写真は、そのバスから撮った写真であるが、かって道産子として過ごした故郷が蘇り、また高校生の時、模写したブリュゲールの絵に描かれている人影に想いが到った。 (このブログ、アイパッドで書いているが、なんか書きにくい)


  裏悟りの一句  " w・a・t・e・r "

2025年02月12日 | 東洋自分なり研究所

  先日…というか、もしかしたら一昨日であったか? 無職であり、特に病に悩まされると曜日・日付の感覚が失われて、何が何時だったか・・・。

 

  ヒョンなことから、気分的にタイムリーなYoutube動画と出会う・・・ということは、”引き寄せ”ということもあるだろうが、じつは 頭の良い”AI” によるお導き・・・

  かな?!と最近思っているが。 今回は1980年アメリカテレビ映画となった『奇跡の人』をかなりボケ気味の画面で観て、深く感動した。

  何時だったか覚えてないくらい昔、名優アン・バンクラフトのサリバン先生役、パティ・デュークのヘレン・ケラー役の映画1962年を観た覚えがある。

  今回見た映画は、昔子役で演じたパティ・デュークがサリバン先生役を演じていたのが感慨深いものがあるような気がした。

 

  ところで、盲・聾・唖の三重苦・・・とは、いかなるモノであろうか? まして、生後19ヶ月目熱病に冒され三重障害に陥ったヘレン・ケラー。

  知能の障害があるわけではない、真っ暗闇に放置されながら、しつけもされず7歳になるまで野獣のように生きてきたヘレン・ケラーが

  自身、眼の障害があり、養護施設で育った若き家庭教師サリバンがやってきた・・・。

  『 ヘレン・ケラーは6歳のとき(1887年3月3日)に家庭教師アン・サリバンと出会い、そこからわずか1か月ほど(4月5日)で「Water」の指文字を理解しました。

    これは、彼女がもともと知的好奇心が非常に強かったこと、そしてサリバンの教育方法が優れていたことの両方が関係している』・・・とはChat君

 

                  クラシック映画チャンネルより

 

  私は、いまだ野性の少女ヘレンを、強い信念と愛情で、体を張って人間としての躾、教育していくサリバン先生の姿・・・悪戦苦闘するその二人の姿・・・

  そしてあの名場面、ポンプで汲む水に触れた時、それが水を意味する『w・a・t・e・r』であること、物事には名前があることを初めて自覚できたヘレンの喜び!

  ・・・その場面を観ると

 

  禅語録の随所に描かれている、師と弟子の攻防を観る思いをせざるを得ない。

  弟子自身は三重苦でもなんでもない・・・、『目開き』でありながら、観えないもう一つの世界にのたうち回り・・・

  師は一打して、彼の真言の一句を待つのみ・・・。

 

  物事に『表裏』があるとすれば、それは『表裏一体』であろう。 

  だとすれば、ヘレン・ケラーのそれは『裏悟り』であり、若い禅僧がめざすのは『悟り』なのだ。

 

『音と光のない世界』盲・聾・唖の三重の障がいのある妻を支える夫 山深い過疎村”で生きていくと決めた夫婦の物語 「つれあい」【2002年民放連盟賞 優秀賞】

 

  私は、映画『奇跡の人』をみた後、指文字に惹かれたが、これをなんと日本語ではなんと云うのであろうかと思っていたら ↑↑この動画がいつの間にか用意され

  これをみることで、『触読手話』であることを知った。 指文字ではアルファベットが優れていると思うが、日本語はどのような指文字であろうか?


  馬骨ゆえに坐骨かよ!

2025年02月10日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  いや〜・・・なんというか、『生還しました!』と言うと大袈裟だが、気分的にはそんな感じがする・・・今日2月10日。

 

  帰国旅行という、私たちにとって7年ぶりのこの旅行を半年前から計画して楽しみにしていた矢先の出発を控えた2週間前

  私は、あまりの腰痛に、救急病院を訪ねレントゲンを撮り、薬を頂いたが、一向に効かず、2日後に再び救急病院を訪れ再診

  腰痛は『坐骨神経痛』と診断され、それなりの薬を処方してもらい、MRI検査も手配していただいた。

 

  なんせ、約一週間のあいだ、私は横になって眠ることが出来なかった・・・。

  相方と一緒の寝室では、片時もじっと寝ていられない私は互いに気を使うし、サロンの簡易ベッドにもなるソファで悪戦苦闘してすごした…。

  身体をベッドに横たえるいかなるポーズも、最初はともかく、数十秒後には耐えられない痛みがやってくるのだ・・・。

  色々なことを考えるが、『馬骨ゆえに坐骨かよ!・・・』っていう、いつもの駄洒落風(ダジャレ)罵(ののし)りをリフレインさせ約一週間を乗り切った。

  横になって眠れないものだから、ベッドに向かって座り肘をついて少し寝ては夜が明けるのを待ったのだ・・・。

 

  じつはその間、生まれて初めて、中国鍼灸を2回施術体験した。

  鍼灸に関しては私はまったくの素人ではない。一応、鍼灸・マッサージの免許皆伝だ。(といってもペーパー・アキュパンクチャーである)

  その私からみても、スイス在住25年、腕前にかなりの自信を持った中年のその中国人先生の施術は、本場中国を感じさせる良い施術であった。

  ただ、その場では寛解するものの、20分後にはもとに戻って、相変わらず私はびっこを引いて歩かねばならなかった・・・。

  まぁ、こうやって繰り返し治療を受けながら少しずつ良くなるということはわかるが、料金を考えるとそう何回も行けやしない。

 

  考えてみると15年前の引越屋時代に、右側坐骨神経痛に罹って痛い思いをした。いまでも右足の中指、薬指の感覚が薄く、明らかに違う。

  あの時も医者はMRIを撮って、『あなた、引越の仕事は無理ね・・・』と言って、薬とフィジオの手配をしただけで、『えっ、それだけ』と思ったものだ。

 

  薬やら2回の鍼灸、それに風呂に入浴というのも案外よく効いたのか、今日あたり急速に回復。寝室のベッドで寝返りもほぼ自在になってきた。

  で、明日は先週予約していた。ステロイド注射をする日なのだが・・・、まぁ、先生にどうすべきかお聞きしてから、決断することにした。

 

                 なんせ、4日後に出発だに・・・!

  

 


  不立文字から漢字方程式!?

2025年02月04日 | 東洋自分なり研究所

  先日、『スナックおけい』のママさんとの会話が動画になり、私のYoutube 初デビューとなった。

 

  生き恥をさらすようで、ちょっと躊躇はあったが、そんなことを言ってられない歳でもあり、『東洋自分なり研究所』の所長として

  普段考えている事を、広く聞いていただける良い機会でもあるので、ママのおけいさんと酒を酌み交わす事となった。

 

  話の内容は私、馬骨の『禅の素晴らしさを伝えたい』・・・という気持ちを前提に、『考えるな、漢字ろ!』から『漢字方程式』にまで到った

  いきさつなどを中心に会話を交わしたが、後で動画を拝見すると、馬骨のまったりもたついた話を、さすが高学歴のおけいさん、スッキリと

  分かりやすい表現にしたかと思うと、合いの手として発言する短い言葉のはしばしに非常に感慨深い洞察が開陳されているのを発見して

  馬骨がこれまで言語化することが出来なかった、私自身の問題を解明する糸口を示してくれていたのだ。

 

              

 

  例えば、おけいさんのこの一言 『 でも、言語化しないと知性が測れないんですよ 』・・・。

 

  禅は『不立文字』といって文字や言語の排除を主張する…立場であるのに、禅を称揚する馬骨が、『考えるな漢字ろ』やら『漢字方程式』などと言って

  やたらに文字言語に拘泥するという、この矛盾は一体何なのか? ・・・という問題を解明するのに、彼女のこの一言は素晴らしいヒントとなっている。

 

  私の意見というのは無学の者のもので、学術的ではまったく無いことを前提に話すが

  一部の(しかも重要な)漢字というのは、古代インドの佛教経典サンスクリット語を中国語に漢訳する際に、優れた佛教徒によって

  曰く言い難い事柄などを漢字表現する『文字』を新たに創作された・・・と私は考え、それ等を私は『佛語』と称す。(フランス語を意味する仏語と峻別)

 

  『不立文字』の修行で培った『曰く言い難い』事柄を、優れた佛教徒によって文字言語化された佛語は、今現在、一般の文字言語と混在し

  その真意を解読されることもなく、ひっそりとその光を内に秘めているのみ。

  知性は言語化で測れるが、(般若)智性は佛語による解読でなければ測れない・・・。 ということで、禅僧は『円相』を描く・・・『 ◯ 』

  

                                                                                          考えるな漢字ろ! N16  Don't think , Feel 


  相対性無理論

2025年01月29日 | 東洋自分なり研究所

  SMSの急速な進展による、嘘八百がまことしやかにまかり通る娑婆にあって、ほんの一部の心ある人々の間に

  『禅とはなんぞや?』・・・という囁き(ささやき)が、耳を澄ますことでようやく聞き取れるほどの『音』となっているだろうか。

 

  映画『インターステラー』ではないが、世も末・・・といえるほど、映画とはまた別な要因で全人類的荒廃が物凄いスピードで展開するなか

  映画のように、人類を救いえる『方程式』・・・のようなモノがあるのか?

 

  そのようなだいそれた命題が我が『東洋自分なり研究所』に課せられていたとは?・・・この漢字方程式を発見するまで

  私自身気が付きもしなかった。

 

  それを私は『相対性無理論』による漢字方程式と称するが・・・ 物質 ÷ 観音 = 佛質 』 という科学と宗教の邂逅如き結論となった。

 

  これまで、仏陀によって宣言されていたという『 山川草木悉皆成仏 』。これを一般的な漢式にしたのがこの式である。

  意味についてググってみると『眼に見えないものを含め、この世に存在するすべてのものが、私たちを本来の姿に立ち返らせようとして、

                間断なく働き続けている、という意味で、存在するすべてに仏性が宿るという考え方』東養寺・HPより拝借

 

           

            問題は『観音』であり、単なる観察とは次元を異にしているということで、『禅は相対性無理論』・・・と馬骨は云う。

            この理論を昨日(2025 1/28)逝去(せいきょ)された、不屈の経済アナリスト森永卓郎氏に捧げて。

 


  『還暦』から『観暦』へ

2025年01月27日 | 東洋自分なり研究所

  私が60歳のとき迎えた『還暦』は、以来私にとって佛道を究明するにあたり非常に重要なキーワードとなり、はや13年目を迎えようとしている。

  特に『還暦スキャン』という造語でもって、自己の佛道の進捗状況を過去にむけて俯瞰し、私の身辺に起きたすべての出来事が偶然ではなかった事など

  を再確認する術(すべ)としてのアイテムとして非常に重宝し、このブログで公開しているが、果たして利用している人はいるのだろうか?

 

  しかし、考えようによっては、『還暦』という言葉自体がもともと佛語であれば、60歳の人に限定した『還暦』であるはずがなく、

  私のいう『郷里・サトリ』に向かおうとする回帰本能への進捗具合の最期のチェックポイントとして仮に60歳を『還暦』としたのだろう。

 

  その『還暦』も13年目を迎えてみると、やはり自分の中では少しずつ深化しているようで、

  『還暦』というのは、明らかに『観暦』した自己を顧(かえり)みる行為であることに私は気づいてきた…。

  この『観暦』の『観』は『観自在・観世音菩薩』の『観』であり、『自他不二』の自己を『観』じた自己の歴史の『還暦』なので

  『還暦』は、つまり『観暦』であって、単なる思い出を振り返る行為の『還暦』ではない・・・ということなのだ。

 

  最近、量子力学など科学の面で『観察者』の存在が非常に重要になっているが、それよりはるか以前の釈尊が悟りを開いた時

  『自他不二』の感覚は主客の無い『観覚』として体得したであろう、そしてそのことは釈尊誕生の際の『天上天下唯我独尊』の宣言が

  後に『悟り』として成就することを時空を超えて『観』知っていたことを意味しないか?と私は思う。

 

  そうした『観暦』を想う時、私は映画『インターステラー』で最も印象に残るシーン、本棚の本がポルターガイスト現象の如く床に落ちる現象に

  対して、それを見逃す事なく、『観』を働かせた娘が数十年後に、父親からの貴重なメッセージとして、その現象を解読したいきさつというのは

  時空を超えた『観暦』の一つの働きとして『観』と『観』を結ぶ赤い糸としての『観暦』を思わずにはいられない・・・。

 

  まぁ、真実の自己を観る際に、『自』を『おのずから』現象と『みずから』現象の合致が『観』を生じ、無位の真人たる『自分』を観るのだろう。

 

           

             『観暦』というのは、この写真のような、ふとした瞬間に垣間見る現象として現れる・・・

  

 2024年6月26日のブログ記事〜映画『インターステラー』と『間』の方程式

  映画インターステラー  『インターステラー』とは『星と星の間』という意味だそうだが、時空間の『間』でもある。

 

 


   『坐』は身体性の究極的象徴

2025年01月25日 | 東洋自分なり研究所

  ほんの数日前、Youtube番組『Imagine大学』の学長である茂木健一郎さんのお話『言語ゲームと身体性』があった。

         https://www.youtube.com/watch?v=YWgUQYThQx4&t=616s

 

  その番組のなかで、彼は『僕は現代の日本のネット空間のあり様というのは、身体性を忘れた志向性のゲームをしている気がするんですよね。』と言い。

  Chat-GPTをはじめ、様々な『AI〜人工知能』を介した情報空間に終始して、実体験の伴わない知識の集積に満足しているかに見える現代人の風潮に

  危機感を表明していた。

 

  私はこのYoutube動画を観てあらためて思ったことは、坐禅の『坐』こそは、究極の身体性で、禅が目指す境地というのは

  『身体性』から決して離れない末に見えてくる『観』の感覚・・・故に『覚(さとり)』と言うことを思い出していた。

  佛教、ことに禅は、そこを徹底し、身体性の伴わない知識の集積『知恵』と、究極の身体性である『坐』を通して得た『智慧』を峻別する。

 

  禅寺に入ってまず、目に入るの禅語は『脚下照顧』の標語板だが、一般的には脱いだ履物をきちんと揃えておきなさい・・・ということだが、

  それは表層的な意味の捉え方で、『大地に生きている自己をしっかり意識しろ!』的な真意があるだろう。

  禅の修行は『身体』という制限に生きる、自分自身をしっかり見つめることに他ならず、徹頭徹尾その事実から目をそらさない『行』なのだ。

  『法界定印』という手の組み方も、『半眼』にすることも・・・いま、ここに『坐』している自己が在り、それ以下でも以上でもない境地を基とする。

  頭でっかちの知識を排し、地に足のついた智慧をより大切に育んできた東洋智慧の究明こそが、これからの時代をリードしてゆくのだ。

 

  自身が脳科学者であり、最先端の科学と一般人の間の橋渡し的な優れた活動をしている茂木健一郎さんにして、禅的な『視座』の欠如はある意味

  非常に残念な気がするが、逆に言えば、私には科学的『視座』が全く無い…わけだから人それぞれ十人十色ということか。

  それにしても、日本人であれば、幼少期より身体性の大切さを伝えている伝統文化としての『道』を、何にせよ体得することは素晴らしい。

 

               

              私のアパートには、老師から頂いた『独坐大雄峰』の掛け軸があるが、このどこにもいかない『坐』こそが『大雄峰』なのだ。

                        ( 昨朝のバラ色のモンブラン 2025 1/ 24 )