拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『日日是好日』の再読 〜 観世音交響曲

2024年10月19日 | 東洋自分なり研究所

  一ヶ月ほど前に、映画『日日是好日』のことを書いて 2024年9月14日のブログ記事〜4回目の『日日是好日』…

  その時に、この映画の原作となった『日日是好日』森下典子著の電子版を再読し始め、昨日読了した・・・。

 

  禅から発祥した『道』文化の中でも、最も古いと思われる『茶道』・・・残念ながら私は全く門外漢で『茶道』の何たるかを全くしらない。

  (ながら…  修行時代、禅道場で行われる『茶礼』に、『茶道』の原点がある・・・と、勝手に思い込んでいた。ふてぶてしくも… )

 

  映画『日日是好日』は素晴らしかったが、原作を読むと、著者の典子さんがどんどん目覚めていく様子に『茶道』が単に形式の美しさを

  探求するものではなく、人を『悟りの道』にいざなう『茶道』であることが解る。

 

  実際、彼女は茶室では十年以上のベテラン格になりながら、後輩たちの成長に目を見張り、自分の不器用さ加減に限界を感じて

  『茶道』を止める決心をしたそのタイミングの時、先生は彼女に『お茶事』の『ご亭主』を指名したが、その一事が彼女をして覚醒に導く。

 

  『 「薄茶」から稽古を始め、「濃茶」や「炭点前」を毎週繰り返してきたが、あれは、「茶事」をパートに分割した練習だったのだ。

    楽章ごとに区切り、バイオリン、チェロ、フルート、ホルンなど、楽器ごとに分かれて何年も何年もパート練習していた。

    今日初めて、フルオーケストラで全楽章を通しで演奏してみたのだ。(略)私達は一つのステージに立った。そして自分たちが演奏していたのが

    壮大な交響曲だったことを知ったのだ。』(原作より抜粋)

 

  ここまで読んだ時、私は交響曲の『響』の字に、思わず反応した・・・。というのも、

  『悟り』は、私には『郷里サトリ』で『郷』の字の解字が

  このように、『茶』というごちそうに対して『自我』と『無我』が対面する・・・

  このときの『響き』が、彼女には『茶道』の交響曲と響いたわけであるが、

 

  これを私の場合に置き換えた時、三十数年前、私の感得した『観音』というものが『世音』に働きかけた時、

  『観世音』という交響曲として、聞いている自分を観ずる・・・のだ。

  禅には『聖胎長養』ということがあるが、自覚した『事』柄を本当に自分のものにしていく過程、大切に養っていく過程があることをいうのだろう。

 

          

            先日、相方が両親宅で写真の整理をしていると発見した写真。

            当時(1990年頃)、私達は太極拳を李徳芳先生に習っていたが、それを初来日した両親に披露した図