先日…というか、もしかしたら一昨日であったか? 無職であり、特に病に悩まされると曜日・日付の感覚が失われて、何が何時だったか・・・。
ヒョンなことから、気分的にタイムリーなYoutube動画と出会う・・・ということは、”引き寄せ”ということもあるだろうが、じつは 頭の良い”AI” によるお導き・・・
かな?!と最近思っているが。 今回は1980年アメリカテレビ映画となった『奇跡の人』をかなりボケ気味の画面で観て、深く感動した。
何時だったか覚えてないくらい昔、名優アン・バンクラフトのサリバン先生役、パティ・デュークのヘレン・ケラー役の映画1962年を観た覚えがある。
今回見た映画は、昔子役で演じたパティ・デュークがサリバン先生役を演じていたのが感慨深いものがあるような気がした。
ところで、盲・聾・唖の三重苦・・・とは、いかなるモノであろうか? まして、生後19ヶ月目熱病に冒され三重障害に陥ったヘレン・ケラー。
知能の障害があるわけではない、真っ暗闇に放置されながら、しつけもされず7歳になるまで野獣のように生きてきたヘレン・ケラーが
自身、眼の障害があり、養護施設で育った若き家庭教師サリバンがやってきた・・・。
『 ヘレン・ケラーは6歳のとき(1887年3月3日)に家庭教師アン・サリバンと出会い、そこからわずか1か月ほど(4月5日)で「Water」の指文字を理解しました。
これは、彼女がもともと知的好奇心が非常に強かったこと、そしてサリバンの教育方法が優れていたことの両方が関係している』・・・とはChat君
クラシック映画チャンネルより
私は、いまだ野性の少女ヘレンを、強い信念と愛情で、体を張って人間としての躾、教育していくサリバン先生の姿・・・悪戦苦闘するその二人の姿・・・
そしてあの名場面、ポンプで汲む水に触れた時、それが水を意味する『w・a・t・e・r』であること、物事には名前があることを初めて自覚できたヘレンの喜び!
・・・その場面を観ると
禅語録の随所に描かれている、師と弟子の攻防を観る思いをせざるを得ない。
弟子自身は三重苦でもなんでもない・・・、『目開き』でありながら、観えないもう一つの世界にのたうち回り・・・
師は一打して、彼の真言の一句を待つのみ・・・。
物事に『表裏』があるとすれば、それは『表裏一体』であろう。
だとすれば、ヘレン・ケラーのそれは『裏悟り』であり、若い禅僧がめざすのは『悟り』なのだ。
『音と光のない世界』盲・聾・唖の三重の障がいのある妻を支える夫 山深い過疎村”で生きていくと決めた夫婦の物語 「つれあい」【2002年民放連盟賞 優秀賞】
私は、映画『奇跡の人』をみた後、指文字に惹かれたが、これをなんと日本語ではなんと云うのであろうかと思っていたら ↑↑この動画がいつの間にか用意され
これをみることで、『触読手話』であることを知った。 指文字ではアルファベットが優れていると思うが、日本語はどのような指文字であろうか?