拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『大人』と『音無』

2025年02月26日 | 東洋自分なり研究所

関西空港着陸して10日目、名付けて『怒涛の耐寒旅行』の最中、相方の従姉妹の息子夫婦が、2歳にならんとする可愛い坊やを伴い3泊4日の日程で我々の宿アパートにやってきたから、さあ大変、寒さを一時的に忘れる・・・効果には絶大なものがあり、また10年ぶりに再会したかっての青二才の若者が、41歳の父親として、日本人妻と協力してこまめに2歳の面倒をみる姿に、へえ〜っと感心感嘆。

その間に、法隆寺・中宮寺・唐招提寺・薬師寺・奈良国立博物館そして昨日、京都は広隆寺を訪ね、優れた仏像というものが時空を超えた存在であることを確認し、今なお『観音』のメッセージを発し続けているのを目にするのはうれしい。

そしてそれ等の仏像を命懸けでまもっている日本人と日本文化が誇らしく、また実に有難い思いでいっぱいになった。

奈良に着いて、色界と空界の往復を繰り返して思ったのは、人間は人の子の親となることで立派な『大人』になるようであるが、無理会(むりえ)に向かわなければもう一つの『音無』(おとな)に成ることは、やはり叶わない・・・ということだ。

     

いまや、名のある仏像のある寺院では、撮影禁止が常識となっているようで、それはそれで心に焼き付ける覚悟がつくのでよい。(写真は寺が掲示板に貼っていたもの)

広隆寺の弥勒菩薩が鎮座している建物は50近くある仏像を保存するために薄暗く、また寒いぐらいの低温に調節されていたが、そんな事には気にもとめない穏やかな中に毅然とした佇まいを永遠の今の姿として観せてくれ、相方も偉く感動して像の前にあったお守りを有り難く買い、後でバッグに付けて喜んでいた。

拝観料の所に戻り、弥勒菩薩の写真セットを買っていると、75歳ぐらいのお婆さんが、拝観料が1,000円である事に驚いて、『私ゃ、地元に住んでますが、一度も来たことがありませんで・・・』、それを聞いた受付の女性があれこれ説明していたようですが、残念なことに、お婆さんは帰っていきました。相方にそれを説明すると憤慨して、『お婆さんは、どこ?お金がないなら私が払うから…』と、探し出す勢いだったので、仏縁が無いとはそういうことであると諭して治めたが、偶然見かけた情景とはいえ、弥勒菩薩に感動したばかりの私達の目の前で起こった出来事としては『事実は小説より奇なり』を観たおもい。

その足で我々は、おごと温泉まで電車で行き、その日の夕方を湯元館という温泉旅館で過ごし一泊した。

温泉行きは相方の強い意向があり、オーガナイズの面倒な私はなかなか調べることもせず、またちょっと見たところ、奈良近辺に適当な温泉が無いようでモタモタしていると、近畿地方の路線図に『おごと温泉』の駅名が目に止まり、ググってみると湯元館というのが評判が良い様なので予約。それを奈良の実家にたまたまスイスから来ている友人に話すと、『えーっ』と驚かれ、かつて男性の夜のあそび場所として有名を馳せた所であるこを知らされ、焦ったが、それもまたググると、昔はそうであったがそのイメージを払拭する温泉街として復活との情報に胸を撫でた。

実際、他はどうか知らないが、この湯元館はプロ意識に徹していて、いろいろうるさい相方もすっかり気に入り、また来たい・・・と宣ったのだ。