私にしては珍しい事だ。常日頃食べ物を無駄にしないよう心を砕いている。ほぼ食べ物を腐らせることが無いのが自慢だ。それというのも、飢えを知っている昭和一ケタ生まれの父に育てられたおかげと言えばおかげ。好き嫌いの激しかった子供の頃の私に、いかに飢えが辛かったかを自身の体験を例に上げ、好き嫌いをする事の罪を私に言って聞かせるのだった。
「どんなにお前たちが恵まれた時代に生きているか!」と芋やカボチャで飢えをしのいだ経験のある父は、そう言った。
冷蔵庫の奥から出てきたのは、昨年暮れに買った、手のひらに乗るほどの小さな鏡餅だ。賞味期限は2024年3月。9カ月前に切れている。でも、真空パックだ。
人の手で“のした”昔のお餅は、時間が経つにつれ、赤や緑のカビが生えた。そんなお餅でも、かびた部分をこそいで除き、みな大切に食べたものだった。
この真空パックのお餅は、清潔な工場で無菌のまま真空パックにされたものだ。菌の入る余地など無い。
取り出してみると、カビも生えていなければ、においも別状無し。包丁で4等分にしてみたが、水分もある程度あり、割れること無くきれいに切れた。
賞味期限が9カ月前に切れた食べ物は、多分ほとんどの人がゴミ箱へ捨てるだろう。でも、私には出来なかった。冷蔵庫の無かった子供時代、時折、食べ物が食べられるかどうか、匂いや味でその良否を判断した者にとって、この餅は食べられるという判断しか無かった。
熱湯に切った餅二切れを入れた。柔らかくなった餅を、父が好きだった納豆餅にして、食べてみた。
長らくプラスチック容器に入っていたせいか、そんな味もしたように感じたけれど、それは一瞬で、後は普通の餅だった。若干風味は落ちていたかもしれないけれど、私には問題なかった。
今世界中のアチコチで戦争があり、飢えている人も大勢いる。食べる物が手に入らなければ、食べ物であればどんな状態の物でも食べざるを得ないだろう。何かを食べなければ人は生きてはいけないのだから…。
状況は違うけれど、他の人だったら多分捨てている物を食べている事から、そんな事に思いを馳せながら、納豆持ちを食べ終えた。
自分は現在つくづく恵まれた人生を送っていることに、心から感謝した。特に私に食べ物の大切さを教えてくれた亡き父へ。