前回のブログで、本文の中では「手放す」と書いておきながら、見出し画像の方ではうっかり「手離す」の方を使用してしまった。
「てばなす」という語の検索候補に「手離す」という文字は出てこなかった。ということは、本来誤用だ。
私が高校生の時に使用していた旺文社の国語辞典には「手放す」しか載っていない。本来はそれが正解だったのだろう。しかし、言葉は生き物だ。時代によって変わり、新しい言葉が生まれる。
実際、グーグルで調べてみると、“手放す”と“手離す”の違いや用法を解説しているものもあり、現在では「手離す」は誤用ではないらしい。
私は五教科の中では国語が得意な方だったし、好きだった。国語の授業だけは、先生の話をちゃんと聞いていた。
最近、書物を読んでいてちょっと気になる言葉がある。
それは、「いまだに」という言葉。
私が学校で学んだのは、「未だに」なのだが、最近は多くの人が「今だに」と書いている。最近読んだ若手の人気作家の本にも使用されていて、ちょっとショックだった。
過去には誤用であったはずの「今だに」が、現在では市民権を得て、検索すると変換の候補にもあがっている。
いずれ「未だに」という表現の方は劣勢となり、消えて行く運命かも知れない。
もう一つ、「なので」の最近の使われ方も気になる。
例文・私は年寄りなので疲れやすい。
これは良い例。
例文・私は年寄りだ。なので、疲れやすい。
最近こういった使われ方が横行している。私はこの使われ方が個人的にあまり好きではない。何故か心地が良くないのだ。
・私は年寄りだ。だから疲れやすい。
こちらの文章の方が、落ち着く。
どんな言葉をどのように使おうと、その人の感性だから、他人がとやかくいうことでは無いが…。
漢字の書き順を小学校の時に国語の授業でよく指導された。
習いながら、書き順はそんなに重要な意味のある事なのだろうか?と疑問に思っていた。
「右」と「左」という漢字では、似たような形の漢字でありながら、書き順は「右」は縦から書き始め、「左」は横から書き始めるのが正しい。書き終わればどこから書き始めようが、誰にもわからないのに。
また、漢字にはハネやトメという決まりがあり、漢字のテストの時にはハネるのを忘れたり、ハネなくて良いところをハネて、不正解となる悔しい思いをした事が誰しもあるだろうと思う。
子供の教科書を何気なく見ていた時、漢字の一つに、私が学校で習った時にはハネるべき部分がトメになっているのを発見した。
それは「改」という漢字。左記の漢字は己の部分の最後がハネているが、現代の小学校の教科書ではトメで表記されている。いつの間に、こんな事になったのか?まあ、私が習った時と、子供が習った時とは、何十年という時の隔たりがあるけれど。
調べてみたところ、「改」は内閣告示の常用漢字表にある漢字の1つであり、この表では「改」の“己”部分がハネているが、小学校の教科書体と呼ばれる活字書体ではハネずにトメのデザインになっているからという事だ。
何故統一しないのか不思議だ。さらに不思議なのは、トメであろうがハネであろうが、どちらでも構わないらしい。適当なことである。
ただ、小学校4年生で習うこの「改」という漢字、学校では「トメ」で教えるが、漢字テストの時に「ハネ」ても丸をもらえるのだろうか?どちらでもいいと言われているのだから、バッテンはつけないでほしいものだ。
若者言葉の乱れがいつの時代も指摘される。
「れる、られる」の使い方の乱れがよく言われる。わかっちゃいるけど、「食べれる」「見れる」よく使う。若者じゃないけど…。
ポイントがずれるけれど、道産子は「食べらさる」「見ささる」もよく使う。正しくは「食べてしまう」「見てしまう」だが、北海道人としては「食べらさる」「見ささる」の方が感覚的にしっくりくるのだ。
数年前に「雰囲気」という言葉の読みが、本来「ふんいき」であるのに、一部の若者はいつの間にか「ふいんき」と発音していることが指摘された事がある。でもそれは、音便変化の様なもので、言いやすい様に言葉が変化していくのも、言葉の常である。
また現代人は、おびただしい量の情報の波の中に生活している。その大量の情報をいかに短時間に多く処理するかが、仕事だけで無く日常生活でも求められているのだろう。
若者たちの短縮語や言い換えはその賜物だ。私は耳慣れないそれらの言葉を面白く感じている。
誕生日のプレゼントを“誕プレ”、ネット上の友達は“ネッ友”など、短縮され、さらに新しい言葉がどんどん生まれ、悲しい事を“ぴえん”、可笑しい事を“くさ”などと言うらしい。
“くさ”は進化の末に出来上がった言葉らしく、元をたどれば、
(笑)→WWW→草→くさ
WWWが草の様に見える事から、この様な進化をとげたらしい。
我が家で兄妹の会話の中で娘から「くさ」という言葉を初めて聞いた時、兄は当然意味を理解していたが、私は端で聞いていて「何?臭い?」とあわてた。
最近のコマーシャルで、商品の紹介の際、「美味しい」や「すごく良い」と感想を言っている画面の中に、必ずと言っていい程、「個人の感想です」とただし書きがある。
その根底には、「あくまでも個人の感想だから、そう思わない人もいるんですよ」という事を暗に示唆し、クレームをけん制しているのかなと思う。
「個人の感想」から連想して、最近見た「お葬式を考えよう」というCMが面白かった。
頭の上に天使の輪があるお爺さんが、ブランコに乗りながら、「経験者は語るじゃないですけど」とお葬式について語る。
「そんなにみんな呼ばなくてもいいんだよ」「家族だけのお葬式もいいものでした」と。
そして、極めつけは「コジンの感想ですけどね」と一言。画面には「故人の感想です」と表示されている。
「個人」が「故人」に。
不謹慎と思いながらも、このCMを見るといつもニヤッとしてしまう。