10月19日土曜日
今日は朝から雨だ。ジョギングはお休み。明日走ろう。のんびり朝食を取った。
昨年近所の遊歩道の側にクルミの木がある事を知った。
いつも私の出かける時間帯は午後になるので、大抵クルミの実は、ほとんど、どなたかに拾われてしまっている。それでも一つ、二つと見つけては4日くらいかけて、8個溜まった。
大量の栗をくれたIさんも、彼女の自宅そばの公園にクルミの木を見つけたと、以前ラインで教えてくれていた。木にはクルミの実がいっぱいなっていたという。
彼女はそのラインの中で、雨の中、犬の散歩をしていたら、たくさんのエゾリスに遭遇したこと。近寄っても逃げないので観察していると、小さい栗やどんぐりを、木の股にたくさん溜め込んでいるのを見た事を伝えてくれた。そして締めくくりに、
「彼らも生きるのに必死。彼らの食物をいたずらに荒らしてはいけないと感じた朝でした」と結んでいた。
私はそれを読んで、ハッとした。
彼女がくるみの木を見つけ、沢山の実がなっていると聞いた時点で、
「栗の次はクルミがたんまり手に入るかも」と、私は欲深いことを考えていたのだ。
エゾリスの行動を観察して語った彼女の言葉は、優しさに溢れた尊い言葉だった。それを読んで私は自分が恥ずかしくなった。
小雨の中、午後から出かけた。
今日はクルミは拾えるだろうか、と思いながらクルミの木の場所へ行くと、3個落ちていた。しめしめとあらかじめ用意していたビニール袋に3個をおさめ、遊歩道に入った。その途端、頭上からけたたましく威嚇する様に鳴く声が聞こえた。クルミの木の上にカラスがいたのだ。その鳴き声は、くるみを持ち去った私に対する、非難の声に聞こえてしょうが無かった。「このクルミ泥棒!」と。
「悪いね」私は心の中でつぶやいた。
小雨は相変わらずだが、途中でどんどん風が強くなった。背中に差した傘ごと風に押され、トットットッと前に出そうなほどだった。
用事を終え、私は帰りに再びクルミの木の下を通った。すると、とんでもない量のクルミがゴロゴロと落ちていた。
大量の目の前のクルミを目にした瞬間、Iさんの尊い言葉も何もかも、頭から吹き飛んでしまった。欲に目が眩んだ私は、ごうつく婆さんと化し、あわててクルミを拾った。ここにもある、あそこにもあると、夢中になり、ビニール袋から溢れんばかりのクルミを拾った。それがこれ。
ごうつく婆さんは、夢中になって、途中で袋を落としてクルミを割ってしまった。
これは、カラスに返しに行かないと。
クルミを洗ってみたら、その他にも2個割れていた。合計3個をカラスに返しに直ぐに出かけた。
カラスはいなかったけど、3個のクルミは足で踏んで割って、食べやすい様に広げて道の脇に置いてきた。
そしてまた目に入った、新たに落ちたクルミを、また拾ってきた。根っからの“ごうつくばり”である。
結局、クルミは35個拾い、3個返して2個拾い、35−3+2=34。家にあった8個を加えると、合計42個。すごい収穫。これで美味しいクルミのパウンドケーキを焼くことが出来る。
今振り返って、クルミを拾う自分の姿を思い出すと、それはまるで日本昔話で言うなら、さながら何でも独り占めしようとする“意地悪婆さん”だ。対するエゾリスの事を思いやるIさんは、“正直婆さん”みたいだなあと、洗ったクルミを干しながら思ったのだった。