アメリカには到底行く事なんて出来ないと思っていたけれど、ディズニーランドは向こうから日本にやって来てくれた。
25歳の時、開園して間もない東京ディズニーランドへ夫と二人で行き、楽しい時を過ごした。
親になり、子供達にも是非、東京ディズニーランドを体験させてあげたいと思った。しかし、先立つものがなく、直ぐに行動には移せなかった。それでもいつかは、と思っていた。
ある日、新聞を眺めていると、下段の広告に大きく「東京ディズニーランド、お台場観光付き二泊三日¥29,800」とあるのを見つけた。
大人も子供も一律の値段。
夫は出張中なので、私と子供達と3人で行っても旅費は10万円以内で収まる、行けるぞ!と思った。
友人親子にも声をかけてみたところ、スンナリ快諾。一緒に東京ディズニーランドへ行く事となった。
小学6年生の息子はたまたま学校が休みだったが、小学2年生の娘は学校を休ませての旅行となった。
担任の先生に正直に伝えたところ、家族の旅行は大事な事でもあるから、と快く送り出してくれた。
それは、始まりから楽しい旅だった。総勢5名でワイワイと、千歳空港から飛行機でひとっ飛び。東京へ到着してから直ぐにお台場観光に参加した。
テレビでよく見るフジテレビを見学し、お台場周辺を歩いた。
驚いた事に、自由の女神像があった。「日本におけるフランス年」の際、人気を博し、2000年に常設する様になったと言う事だ。
フランスの自由の女神のレプリカと言う事で、台座を含めると17.4メートルだという。
これは恐らく、それまで子供達がみた立像の中でも、最大の物であったかも知れない。
さて、フリータイムとなり、これからの事など友人とあれこれ立ち話をしていたが、ふと気付くと娘の姿が見当たらない。
息子に聞いても、友人の子供A君に聞いても知らないと言う。
私は真っ青になった。
誰かに連れ去られたか…。それとも一人でどこかへ行ってしまったか。何処へ。
私は東京という大海原に、小さな宝物を落としてしまった様な、取り返しのつかない事をしてしまった様に感じた。
もう、あの子は私の手に戻って来ないのでは無いか…。
悲痛な気持ちを抱えたまま、兎に角できる事は何でもしようと思い、人目をはばからず、大きな声で娘の名前を呼びながら、周辺を探し始めた。
友達も手伝ってくれた。
必死になって探しているところへ、「何してるの?」と娘が話しかけてきた。
えっ?どっから出てきた?
「あー良かったぁー」私は脱力した。そして娘をギュッと抱きしめた。それから、「どこに行ってたのー」とホッとした安堵感から、少し非難めいた口調で尋ねた。
すると、娘はちょっと口を尖らせて、ちゃんと「自由の女神を見てくる」と私に伝えたと抗議した。
そうだったかー。やっぱり、初めて見た大きな像に感動して、また見に行きたくなっちゃったんだね。
友達と話し込んでいて気付かなかった。私が娘に謝る番だった。
その後、横浜中華街へ行き、中華饅頭を食べたり、山下公園の散策を楽しんだ。
さらに翌日は朝一番の開園から閉園まで、丸一日ディズニーランドで過ごし、夢の国を心ゆくまで堪能した。
何度も大好きな「カリブの海賊」に乗った。
娘の好きなプーさんの「ハニーハント」は、大人気で45分待ちだった。しかし、 閉園が迫っていたせいか、あれよあれよと言う間に、さほど待たない内にアトラクションを体験する事が出来た。
娘が楽しむ様子を見て、私も幸せだった。
最終日には上野動物園で、初めてハダカデバネズミを見て感動し、美しいハチドリなどを見て楽しんだ。
なんと楽しい2泊3日の旅であったことか。
あれから14年の時を経て、昨年娘は大学を卒業し、自らの意志で東京の大海原へと船出した。
私にとっては何時まで経ってもちっちゃな宝物の娘。本当は、何時までもずっと私だけの宝物として、手元に置いておきたいけれど…残念ながらかなわない夢だ。