トシも年なんだから、どんどん要らないものは捨てようと思いながら、捨てられない質の私。
特に子供たちが赤ちゃんのときに使っていたおもちゃは捨てられない。
息子が初めて手にしたおもちゃ。どちらもシャカシャカと小さめの音。小さな手に握って、振ったり舐めたりして遊んでいた。そんな事を思い出すと、もう捨てられない。
右のドラム型のおもちゃは、友人からいただいた。中に鈴が入っていて、これがまた結構大きな音が鳴るのだ。
夫が仕事に行っている間、日中の母一人子一人の時間は静寂の中。シャカシャカという小さな音しか知らない息子が、このおもちゃが転がって、鈴がジリンジリン鳴った時の、あの驚愕の表情が忘れられない。
ラッパは、いつまで経っても呼気を上手に吹き込むことが出来ずに、なかなか吹けなかった。
珍しく夫が子どもに関わり、数日吹き方を一生懸命教えていた。すると、ある夜コツをつかんで緩い「ぷぅ」という音がついに出た。あの時の息子の表情。パァッと喜びに満ちた笑顔。たった、ラッパが吹けただけの事に、家族で大喜びしたあの日。懐かしく思い出す。
夫が初めて息子に買ったおもちゃ。「三つ子の魂百まで」社会人になった今も、息子は無類の車好きだ。
娘の為に私が買ったおもちゃ。これは失敗だった。結構赤ちゃんにとっては重いおもちゃだが、娘は力があったので持って、振り回すことができた。しかし、重い上に長いので、よく自分の頭にぶつけて痛い思いをしていて、かわいそうなことをした。これは小さな赤ちゃんには危険なおもちゃだ。
娘の為に私が買ったおもちゃ。これは失敗だった。結構赤ちゃんにとっては重いおもちゃだが、娘は力があったので持って、振り回すことができた。しかし、重い上に長いので、よく自分の頭にぶつけて痛い思いをしていて、かわいそうなことをした。これは小さな赤ちゃんには危険なおもちゃだ。
このおもちゃは、子供の頃私も同じタイプの物を持っていた。文字を覚えるのと、積み木として遊ぶのとで、私自身随分気に入って遊んだおもちゃだった。それで、子供たちにもその楽しさを味わってほしいと思って買ったのだが…。昭和の中頃の時代とは違い、まあ、程々には使ってくれたけど。
もう使うこともないと一度はネットのフリーマーケットにあげたのだけど、止めて手元に置くことにした。好きなおもちゃだから、やっぱり今でも手放せない。
文字面の裏にはその文字から始まる絵が描いてあり、子供の頃にはそれを眺めるのも好きだった。
こんな風に積み上げて、高くしたり、ドミノみたいに並べてから倒したりと、楽しい木のおもちゃなのだ。
文字面の裏にはその文字から始まる絵が描いてあり、子供の頃にはそれを眺めるのも好きだった。
こんな風に積み上げて、高くしたり、ドミノみたいに並べてから倒したりと、楽しい木のおもちゃなのだ。
幼稚園に入り、園からいただいたカルタ。
これは、なかなか良いカルタで、幼い子供に教えたい生活の色々が、読み札となっていて、遊びながら学べる。
「のみすぎたべすぎおなかをこわすよ」の読み札の言葉はみんなが覚えて、大食漢の私に子供たちからかけられたような気がする。
これも捨てられないお気に入りのおもちゃの1つ。
20代の頃に、確か狸小路にあった茶屋碁盤店で買い求めたものだったと記憶している。碁盤店となっているが、おもちゃ屋さんだった。子供の頃から父に連れられて行ったおもちゃ屋さんだった。今はもうなくなってしまったが。
お店にあったディスプレーで夫と遊んでいるうちに、欲しくなって買ったものだ。単純なのに、面白い。楽しんでやってくれる相手がいたら、またやりたいんだけどなあ。
ノリで買っちゃったリカちゃん人形。今思えば何で3体も買っちゃったのか。私にとって、初めてのリカちゃん人形だ。私はバービー派だったから。そのバービーは、残念ながら親に廃棄されてしまったのか、もはや手元にはない。今持っていたら、プレミアがついて高額だったと思うんだけど。残念だ。
そして最近、近所のドラッグストアに行ったら、小さいスペースに置いてある安価なおもちゃ売り場に、800円台のバービーがあった。最後の一体。なんだか欲しくなっちゃった。“最後の一つ”に弱い私。一応、夫の了解を得て買った。私の頭がおかしくなったと思われないように…。
おもちゃは本来子供のためにあるのに、幼児性が残ったまま大人になった私は、今でもおもちゃを愛して止まない。これ以上増やさないようにしないと。
おもちゃは本来子供のためにあるのに、幼児性が残ったまま大人になった私は、今でもおもちゃを愛して止まない。これ以上増やさないようにしないと。