見出し画像

ポジティブな私 ポジ人

ある納棺師のドキュメンタリーを見て

3月11日に日付が変わって間も無く始まった、NHKの深夜のドキュメンタリーを見た。

東日本大震災の犠牲になった方の損傷したご遺体を、ボランティアで修復する岩手県の納棺師の方を取材した内容だった。

4人の幼いお子さんを残して亡くなった母親がいた。ご遺体の状態を考慮して、夫は子供たちに会わせようかどうしようか迷った上、納棺師の方に修復を依頼した。
納棺師の方は2時間ほどかかりますとご主人に告げて、ご遺体の修復作業に入った。

修復の始めは硬直した顔をマッサージでほぐし、笑い皺を探るのだという。
損傷の激しい部分には脱脂綿を詰めて形を整え、ファンデーションは体温のない死者の顔の上ではのびないので、納棺師の手の甲の上で溶かしてから塗るそうだ。そのようにして、故人の遺影を参考に、生前のお顔に近づけ、微笑みの表情になるようにするようだ。

「遅くなってすみません」と納棺師の方がご主人に伝え、棺の中の修復後の奥様のご遺体をご主人がご覧になった。「◯◯だ。◯◯の顔だ。」とご主人は奥様の名前を呟いて、涙を流されていた。子供たちにも会わせられると言い、その後子供たちと一緒に辛いお別れをされたご様子だった。ざぞかしお辛いお別れだったと思う。

納棺師の方は、300体以上のご遺体を修復し、その自ら修復されたお顔を思い出しながら絵を描き、その横にその時々の思い出の短い文章を添えていた。その絵はどれも美しい色合いで、優しく穏やかな表情に口元にかすかな微笑みをたたえたお顔。その絵に少し救われるような心持ちになった。

津波に呑まれお亡くなりになられたご遺体は、苦しみの表情をたたえていたり、激しく傷ついていたりする。悲しみの中にあるご遺族にとって、それはさらに辛い事実である。納棺師の方はその特殊な技術で修復を施し、多くのご遺族の辛さを少しでも和らげようと努力されている。誰にでも出来ることでは無いだけに納棺師の方の思いと行動に、心を打たれた。

「死」にたづさわる仕事は時折偏見に晒される。
映画「おくりびと」の中で職を失った主人公が成り行きから納棺師として働き出し、初めて妻に職業を告白した時、妻はショックのあまり思わず「穢らわしい」と口にしてしまうシーンがあった。映画の中のこととはいえ、衝撃のシーンだった。

人は必ず死ぬものだから、普通は誰しも納棺師のお世話になるものなのだが、非日常としての「死」には昔から忌まわしい出来事という捉え方がある。だから、死を扱う職業に抵抗感を持つ人が多いのかも知れない。

映画では、孤独死の老人宅を清掃に行く場面など、グロテスクなエピソードもあった。その一方で、母親が亡くなった家での死装束への着せ替え、死化粧を施す場面は独特の様式美があり、その所作がとても美しく感じられた。
血色良く化粧された母親の顔を見て、娘が「お母さんきれい」と言って和むシーンが心にしみた。

実際に私の家にも納棺師がやってきた日があった。

1984年1月13日金曜日、私の父はその朝、心筋梗塞で突然他界した。自宅に駆けつけると、父は寝室の布団に寝かされていた。父の顔に触れるとまだ温もりがあった。

いつだったか私がたしか20歳くらいだった頃だと思うが、居間の座卓前にあぐらをかいて座る父に、「おとーさーん」と甘えた声を出して背後から抱きついたことがあった。その時、父は反射的に「何をする。気持ち悪い」と私の腕を振りほどいた時があった。娘なのに…。私は父の反応に相当気分を害した。

でも、当時の父の気持ちになってみると、座卓の上で何かしていたのに、突然娘に襲われてびっくりしたと言うのもあったかも知れないし、何かに集中していたなら尚更のこと煩わしかったのかも知れない。また、年頃の娘に抱きつかれて、父なりの照れもあったかも知れなかった。それに、いつもは私はそんな事をした事もなかったのに、なぜあの時抱きついたのか。よっぽど私は何かご機嫌だったらしい。

そんな生前の父を思い出すと、もはや動かない父の頬に触れ、顔に触れ、何をしても何も文句を言わない父に「死んだ」と言う現実を感じざるを得なかった。

死者と接したのは父が初めてだった。
それまでは、どこかで死者と接するときがあったなら、怖いとか気持ち悪く感じるのではないかと漠然と考えていたが、家族の場合はただただ悲しいだけだった。
時間の経過とともに、少しずつ変化する体温や顔の皮膚の水分が失われ乾燥していく状態が、生命がもはや完全に失われていること、元に戻ることもない事を非情にも伝えてくる。

お葬式の準備の為にやって来た納棺師さんは、年齢的には70歳前後。少なめの白髪の髪が天然パーマで、小柄な方だった。
その華奢な年老いた納棺師さんが、家族や友人の見守る中で、父に死装束を着せ替える。私は父の裸が人目に触れるのではないかと心配したが、熟練の納棺師さんは肌を一才見せなかった。そして、どこにそんな力があるのかというくらい、手際よく太った父を扱った。父の腕の関節がボキボキとなった。死後の硬直のせいだったのか、静かな和室にやけに響いたのを今も覚えている。

人の死後どうすれば良いか、まるでわからない私には、その時の一連のことが、死に関する社会勉強だった。それは父の期待にいつも応えられなかったダメな娘の私に、最後に父から与えられた社会体験だったと思う。

一昨年退職してから、私はハローワークに通いながら職探しをしていた。その時、求人欄で事務の仕事を見つけた。
仕事の内容は、「死亡届の受付」というお役所の仕事だった。ほんの一瞬仕事内容に躊躇したけれど、事務の仕事というのが魅力的だったし、お役所の仕事というのも興味があった。
仕事内容から言って、応募者は少ないだろうと踏んだ。私が年配者であるということも、もしかしたら有利かも知れない。取らぬ狸の皮算用。この仕事もらった!と思った。
しかし、結果は不採用だった。

採用されなかった今思う事は、恐らく私には務まらなかっただろうなということ。かつて金融機関で働いていた習慣から、窓口にいらした方には「いらっしゃいませ」と元気に声をかけ、笑顔になってしまいそうだから。それはふさわしくない。悲しみの最中にある方々に、少なくとも笑顔はいけないだろう。だからといって、無表情で淡々と事務的に仕事をこなすのもどうなんだろうとも思う。
そもそも悲しいお仕事だ。職場に行けば誰かの死亡届が必ず提出されるなんて、心が耐えられない。
本当に不採用で良かった。

テレビを見終わった後、そんな事を布団の中であれこれ思い巡らしながら眠りについた。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事