近未来を描いた映画「プラン75」は、75歳になれば誰でも死を選択する事ができる国の制度をリアルに描いたものだ。
利用は無料。家族の同意も要らない。申し込みをすると支度金として10万円が支給される。申し込み後、気が変わってやめたい時はいつでもやめられるという仕組み。
75歳と言えば私にとっては、ほぼ10年後。身につまされる内容だった。
主人公を演じるのは倍賞千恵子さん。彼女の演技がより現実味を帯びた映画となった。
主人公の年齢設定は78歳。70代の同僚3人と客室清掃整備員として働いている。
ユニフォームは賠償さんによく似合っていて、こんな言い方も何だけど、可愛らしかった。
同僚らとそれなりに楽しく働いていたが、1人が仕事中に突然体調を崩した事から、一斉に解雇されてしまう。その後は年齢から再就職の目処も立たずに、彼女の生活は次第に追い込まれ「プラン75」の利用を申し込んでしまうのだった。
制度としてよく出来ていると思ったのは、申込者には定期的にコールセンターからサポートの電話がかかってくること。この辺りの設定は、もう実際にいつでも施行できる様に、政府の企画書が何処かに有るんじゃないかと思われるほど。
プラン75と言う「死」の申し込みを、普通の書類提出を受ける様に明るく対応する担当者ヒロムを磯村勇斗が演じている。
短期間にその演技力で、あっという間に人気俳優となった人だ。
ヒロムは20年ぶりに会った叔父がプラン75を申し込んだ事から、次第に動揺を隠しきれなくなっていく。
叔父さんとの時を経た交流に、誠実な人柄が感じられる磯村勇斗の演技に好感が持てた。
現代を反映するかのような出稼ぎ外国人として、介護士のマリア(ステファニー・アリアン)が登場する。彼女は、重い心臓病を抱える娘のために日本で働いている。教会で知人に勧められ、より高額の収入を得られる「プラン75」の遺体処理係として働くことになる。彼女が死に関わる仕事をすることによって、娘の生命が生かされる希望。生と死が対比される。
様々な理由から、安楽死を希望する人は現実にもいるが、現在日本にはそれを認める制度は無い。
スイスをはじめ、現在安楽死を合法とする国も増えつつある事を考えると、この「プラン75」も未来には実際の制度とならない事も無いだろうと思われた。
主人公は身寄りのない一人暮らしの老人だ。
プラン75のコールセンター内で、職員に説明を行う女性が言う。
「お年寄りって寂しいんです」
だからお話をよく聞いてあげる様に、という言葉が妙に心に刺さる。
子供が巣立った今、私も寂しい。でも私は1人じゃない。家には夫がいる。朝「おはよう」と言った後、何時間も話さないこともあるけれど、とりあえず1人で無いと言う事は、悪い事じゃ無いなと映画を観ながら改めて思った。
もし「プラン75」が現実に施行されたとしたら、10年後の私はどうするだろうか。どの時点でも直ぐやめられると言うのだから、利用してみたい気もする。眠るように死ねるなら…。ダメダメ、命日を自分で決めちゃ!
現実的に考えてみれば、老人が減っても平均年齢が若干若くなるだけで、若者が増えるわけじゃないから、並行して、新しい生命の誕生を促す「バースプラン0」も推進しなきゃ。
不安だらけの現代社会。新しい生命を送り出すのは親としては躊躇してしまうのは分かる。
異国での戦争が国内にも影響を及ぼし、環境問題、自然災害、異常気象、パンデミックなどなど、赤ちゃんがやってくるには厳しすぎる現実だ。まず、そこらへんをクリアしないと、人口は増えないよなぁ。
ところで、この映画で最も驚いたエピソードは、主人公が爪を切った後、その爪を部屋の中にある観葉植物の鉢の根元に撒いた事。卵の殻を鉢に置いているのを見たことはあるが、爪は初めて。植物の肥料となりうるのだろうか。これは昔の人が一般的に行なっていた事なのだろうか。
もう一つ、印象的なシーンがあった。
ヒロムの叔父はかつて全国を飛び回る労務者だったが、行った先々で献血を行なっていた。その献血手帳の束をヒロムが見つけて「これ何?」と尋ねる事で、それが明らかになるのだが、叔父さんの人柄が偲ばれるエピソードだ。献血する人に悪人はいない。
献血手帳は、現在では一枚の磁気カードになっており、叔父さんが磁気カードを味気なさそうに嘆くところも、デジタル苦手世代で共感できたシーンだ。
この映画はカンヌ国際映画祭で受賞した作品で、つい最近公開されたばかりだ。観に行きたいと考えていたが見逃し、アマゾンプライムビデオで観ることが出来てラッキーだった。
これ以降はネタバレに関わると思うので、ご了承の上でお読みいただきたいのだが、ラストに近いシーンで、主人公がプラン75の実施の当日、カーテンの隙間から、隣のベッドに横たわるヒロムの叔父を見たときの驚愕の表情。あれは何を意味していたのだろうか。
一瞬、主人公の別れた最初の夫がヒロムの叔父だったのだろうかと思ったが、主人公は職を失ったあと一度、道路交通整備員をしているシーンがあった。そのシーンから察すると、労務者であったヒロムの叔父と、現場で知り合っていたことも考えられる。それとも、死にゆく過程を客観的に見ることによって、自分の置かれている立場に、突如恐怖の感情がわいたのだろうか。
あの驚愕の表情の正解は分からないが、あれが映画のクライマックスであった。