(神代植物公園のアジサイ)
仏教思想概要12《日蓮》の第1回目です。
仏教思想概要も、インド編、中国編を終え、最後の日本編に入っています。
その日本編も「空海」「親鸞」「道元」と終わり、いよいよ本日より最終巻の「日蓮」です。
5回程度に分けてご紹介します。よろしくお付き合いください。
本日は、「第1章 日蓮の経歴」を取り上げます。
第1章 日蓮の経歴
日蓮の思想を取り上げる前に、まずは日蓮の経歴についてみてみたいと思います。
(下図1参照)
この経歴でもわかるように、日蓮の布教活動は苦難の連続でした。それは一般的に日蓮の四大法難と呼ばれています。
①伊豆法難 弘長元年(1261)5月12日 40歳 伊豆への流罪
②小松原法難 文永元年(1264)11月11日 43歳 小湊帰省時に地頭東条景信の襲撃にあい負傷する
③瀧口法難 文永八年(1271)9月12日 50歳 『立正安国論』に平左衛門尉頼綱(執権の執事、御家人の筆頭)あての手紙をそえて幕府に提出するも、激怒した頼綱にとらえられ、処刑されかけるが異変が起こって助かる。
④佐渡法難 文永八年(1271)10月28日 50歳 佐渡流罪
これらの法難は、いずれも日蓮の情熱的、過激な布教活動の結果でした。それは、『法華経』のみが正法であり、あとはすべて邪教であるという極端な他宗派の排撃によるものであり、排撃された他宗派、特に念仏信者から激しい反感をかった結果でした。
それでは、そんな日蓮の仏教思想はどのようなものであったのか、それは鎌倉時代に書かれた主著といわれる『立正安国論』など、それと佐渡で著された二つの著書で明確に述べられています。以下その内容をみていきたいと思います。
本日はここまでです。次回よりは「第2章 日蓮の主な著作と思想」に入り、「1.鎌倉時代」を取り上げます。
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