「仏教思想概要2:アビダルマ」の最終回から6か月ほど経ってしまいましたが、やっと「仏教思想概要3:《中観》」がまとまりましたので、今日から数回に分けてご紹介していきたいと思います。
《中観》は、大乗仏教の基本経典である『般若経』の空思想を論理体系化した仏教思想です。その代表は、インドの仏教思想家ナーガールジュナ(漢訳:龍樹)で、彼らの思想グループを中観派と呼びます。仏教思想概要3では、これら中観派の思想内容をご紹介していきます。
先にご紹介したように、このブログは、「仏教の思想」全12巻を基本の参考文献にして、その内容を概要として整理したものです。
その「仏教の思想3」の本文の第2部(学者2人による対談)に以下のような内容が書かれています。それを最初にご紹介して、以下「仏教思想概要3:『中観』」をスタートさせたいと思います。
『◆ナーガールジュナの神秘主義
ナーガールジュナの場合、いつも片方に「神秘主義」があって、それと対立する「区別の哲学」があって、その区別の立場を論理的、合理的に否定することで神秘主義を指示する。全体が間接照明のようになっている。自分と対立する立場を否定することで、自分の立場の正しさを証明する。
◆縁起と空
アビダルマの縁起論:一つのものと他とのものとの関係が成り立つには、両方のものが存在しないといけない。
ナーガールジュナの縁起論:因果関係が成り立つには、ものは変化しうるものでなくてはならない。変化しうるためには、本当の意味で存在していない、本体をもっていてはいけない。だから、空である時に因果関係が成り立つ。
(例)
種から芽が出るとき、種が種という有として変化しないなら、種は芽になれない。同じように、芽が葉や実になるのは、芽が芽という本体を持っていないからだ。そういう意味で空である。変化を否定するような本体をもってはいけない。』
第1回の今日は、中観派の発展の歴史をみていきます。
仏教思想概要3:《中観》-空の理論-
第1章 中観思想発展の歴史と思想背景
1.中観派の成立と発展
中観思想大成者はナーガールジュナ(龍樹りゅうじゅ)と言われています。そこで、本論に入る前に、ナーガールジュナの人物像、そして、ナーガールジュナ以後の中観派の発展・経緯について、まず見てみたいと思います。
1.1.ナーガールジュナの人物像
ナーガールジュナについては、現在のところ特定できる資料が見つかっていません。
唯一あるのは、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什くまらじゅ、344-413)が漢訳したとされるフィクションにみちた伝記(『大正蔵経』50巻所収)のみです。
この伝記とこれまでの調査結果から、ナーガールジュナの人物像を整理すると以下のようになります。(下表1参照)
1.2.中期中観派の時代
ナーガールジュナ以後の中観派の動静を見てみると、クマーラジーヴァの伝記には、ナーガールジュナの弟子としてアーリヤデーヴァ(聖提婆しょうだいば)の登場を見るのみです。
その後は、七世紀までのインドでは、アヴァローキタヴラタ(観誓かんぜい)が唱え及びその後のチベットの一般的伝承になった、七人の『中論』(ナーガールジュナの主著)注釈者が輩出することとなりました。(下表2参照)
なお、クマーラジーヴァは『中論』を青目(しょうもく)の注釈とともに漢訳したから、中国・日本においては『中論』の注釈家として青目が長く親しまれてきました。しかし、青目の注釈書原本は残っておらず、すぐれた内容であるものの、青目を特定のインド中観者と比定することはできません。
中期中観派の時代は、インド仏教思想上、「認識論」と「論理学」とを飛躍的に発展させた時代(代表者:ディグナーガ(陳那じんな 480-540 唯識派)、ダルマキールティ(法称 600-60))でした。
七人のうちなかでも、チャンドラキールティとバヴィヤは論理学には敏感に反応しました。チャンドラキールティ(上表の3)は対抗しようとし、バヴィヤ(上表の8)は取り込もうとしました。
ここで、中期中観派は、帰謬論証派と自立論証派に分かれたのです。但し、両者は、認識論そのものには冷淡でした。(帰謬論証派と自立論証派の詳細は後述)
1.3.後期中観派(瑜伽中観派)の時代
中期中観派が認識論には冷淡であったのに対して、後期中観派は認識論を取り込み、唯識派との総合学派となっていきました。
後期中観派の特徴は、経量部、唯識派の哲学と対決して、それをのり越えることを目指しました。このため、有部、経量部、唯識派の哲学を一定の順序で配列し、一つ一つを学習、批判し最高の立場である中観に至る方法を考えるものでした。
後期中観派の代表的な学者は、(下表3)のように整理することができます。
なかでも、シャーンタラクシタ、カマラシーラ、ラトナーカラシャーンティの三人は後期中観派の代表といえます。特にシャーンタラクシタは、バヴィヤの系統(組織的批判の方法を学ぶ)をひくとともに、バヴィヤがただ並列的に他学派を批判したのに対して、彼は、仏教の四学派の哲学に順序付けを行い、さらに各哲学を最高の哲学である中観に至る必要な学習段階と評価しているのです。
また、シャーンタラクシタは、ダルマキールティの知識論の影響を強く受け、中観が唯識よりも高位であるとする点を継承し、さらに彼を越えることを自己の哲学の念願としていたのです。
著書としては、以下の2著が挙げあられます。
・『真実要義』:インド哲学一般の中から重要な主題を選んで他学派を批判したもの
・『中観荘厳論』:主著、仏教四学派の批判と評価をその中心課題として、中観を唯識より高位の哲学として位置付ける方法を発見した。
本日はここまでとします。次回は中観思想の基となった『般若経』についてみてみたいと思います。