(深大寺(調布市) 2021年7月13日撮影)
仏教思想概要5《中国天台》のご紹介の第1回目です。
すでにご紹介のように、このブログは、「仏教の思想」(全12巻)を中心として、仏教思想の概要を整理してご紹介しています。12巻は、インド編、中国編、日本編の各々4巻から構成されています。
ということで、「釈迦仏教」、「アビダルマ」、「中観」、「唯識」のインド編が前回で終わり、今回より中国編4巻(天台、華厳、禅、浄土)がスタート、その最初が「中国天台」です。
前回の最後にお話ししたように、「釈迦仏教」「アビダルマ」「中観」「唯識」とインドにおいて展開された仏教思想ですが、中国では、これら順次形成された仏教思想が、その形成順に関係なく、同時にもたらされることとなりました。したがって、それらを理解しどのように整理するかの作業がまず求められることとなりまました。
その第一人者が「天台智顗」でした。智顗はその結果『法華経』が最高の教えであるとの考えに至り、「中国天台宗」を創始しました。
仏教思想概要5はこの天台智顗の思想を中心にご紹介となります。全3章にまとめましたが、5回程度に分けてご紹介したいと思います。
今回は「第1章 中国天台思想の背景」を取り上げます。
第1章 中国天台思想の背景
1.天台智顗の経歴と中国天台宗の系譜
1.1.天台智顗の経歴
中国天台宗の思想をみていくにあたり、まずは天台宗の実質的開祖者である天台智顗の経歴と中国天台宗の系譜をみてみたいと思います。
天台智顗は、538年荊州(けいしゅう湖南省)華容の生まれ、俗姓・陳氏 南朝の名門南朝の梁(502-57)の時代に生まれ、陳(557-89)、隋(589-618)にかけて生涯を送った人です。没は597年、60歳でした。(下表1参照)
1.2.中国天台宗の系譜
中国天台宗の系譜を下図1に示します。
中国天台宗は、天台智顗がその思想を確立した実質的な開祖者ですが、智顗の師南岳慧思(えし515-77)のそのまた師である慧文(えもん、生没年不詳、北斎時代の人)を開祖とする考え方もあります。さらに、『法華経』のもととなった「空思想」を確立したインドの思想家龍樹(二世紀)を開祖者とする考え方もあります。このため、龍樹、慧文、智顗の何れを開祖にするかにより、何代目の継承者とするかの数え方も変わっています。
なお、龍樹の著作の漢訳者でインドよりの帰化僧鳩摩羅什も慧文、智顗の思想に大きな影響を与えたと言われています。
智顗が確立した『法華経』を最高の経典とする天台思想は、二祖の灌頂(かんじょう561-632)に引き継がれますが、次第に衰退(第一期中国天台宗衰退期)します。その後六祖湛然(たんねん711-82))の時に復興し、この頃より華厳宗との対立が顕著となります。
湛然の後七祖道邃(どうすい、生没年不詳) 、行満(ぎょうまん、生没年不詳))らが引き継ぎます。両名より日本天台の開祖最澄は天台教学を学びます。しかし、その後の100年間は第二期の天台宗衰退期となります。
100年後再び天台宗は復興しますが、宗派内に華厳思想の影響を受けた一派「山外派(さんがいは)」が台頭します。このため、天台宗は本来の天台宗に復帰すべきとする一派「山家派(さんげは)」との間で対立、分裂します。
分裂後の天台宗は、山家派に中興の祖といわれた四明知礼(しめいちれい960-1028))が出るなど、その後も天台宗本家として引き継がれていきます。一方、山外派はやがて衰退し消滅します。
2.『法華経』の意義と構成
2.1.『法華経』の意義
2.1.1.題目『妙法蓮華経』とは
『法華経』は『妙法蓮華経』を省略して称したものです。この題目の漢訳は、竺法護(*1じくほうご231-308?)が「正法華経」(286年訳)と訳した「正法」を鳩摩羅什が「妙法」(406年訳)と訳しなおしたものです。(*2参考:Wikipediaより)
*1竺法護:西晋時代に活躍した西域僧(インド北方の月氏国の出身)で、鳩摩羅什以前に多くの漢訳経典にたずさわった代表的な訳経僧。
*2『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』(梵: सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, Saddharma Puṇḍarīka Sūtra「正しい教えである白い蓮の花の経典」の意の漢訳での総称であり、梵語(サンスクリット)原題の意味は、「サッ」(sad)が「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)が「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)が「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)が「たて糸:経」であるが、漢訳に当たってこのうちの「白」だけが省略されて、例えば鳩摩羅什訳では『妙法蓮華経』となった。さらに「妙」、「蓮」が省略された表記が、『法華経』である。「法華経」が「妙法蓮華経」の略称として用いられる場合が多い。
2.1.2.「妙法」とは
「妙法」は竺法護が訳したように「正しい法」、つまり一般的な仏教用語では「正法」と同意義ということになります。正法は仏教の最高の真理のことをさして使いますが、智顗は、この最高の真理(ここでは「妙法」)について、『法華玄義』(*1)にて以下のように説明しています。
「妙を喚(よ)んで絶と為す。絶は是れ妙の異名(いみょう)なり」「妙は不可思議と名づく。麁(そ:相対なるもの)に因って名づくて妙と為すにあらず」(以上、巻第二上より)
以上の意味は以下のとおりです。(下表2)
*1『法華玄義』:智顗は591年玉泉寺において、『法華経』にもとづく哲理と実践を講義し、講義結果は灌頂が筆録した。講義内容のうち哲理(仏教真理)は『法華玄義』としてまとめられた。なお、実践は『摩訶止観』にまとめられた。
2.1.3.蓮華とは
智顗は『法華玄義』巻第七下にて、「法華の法門は清浄にして、因果微妙(みみょう)なれば、この法門を名づけて蓮華と為す」としています。
これは、『法華経』の一般的な解釈と中国独特の現実重視の考えたかを融合したものです。
①前半の「法華の法門は清浄にして」について
『法華経』「従地涌出品(じゅうちゆじゅつぼん)」第十四(第十五)よりの「蓮華が泥沼の中でしか生育せず、しかも泥沼に染まらず、清浄な花を咲かせるごとく、菩薩もまた泥沼の現実におりたちて、そこに真理の花を咲かせるということ」に基づいています。
②後半の「、因果微妙(みみょう)なれば、・・・」について
道生の『妙法蓮華経疏』や、光宅寺法雲の『法華経義記』にて「蓮華は花と実を俱有するとし、そこから、因あれば果あることを例えたもの。(「妙因妙果の法」)」とみなしたことに準じています。因果は現実存在をささえる法則で、それをとりあげたところには、中国一般における現実具体の尊重という思惟傾向がみられるといえそうです。
2.2.『法華経』の構成
智顗は『法華文句(ほっけもんぐ)』にて、『法華経』を以下(表3)の構成と解釈し示しました。
『法華経』は、もとは27章でしたが、天台智顗あたりから、「堤婆達多品(だいばだったほん)」が「見宝塔品(けんぽうとうほん)」(第十一)の次に加わり、現在の28章となったということです。(「勧持品(かんじほん)」(第十二)以下は1章づつ下がることになった)
道正が因果の二部門に分けて解釈し、智顗もこれに習い、前半(迹門(しゃくもん):「一乗妙法」「二乗作仏」)と後半(本門(ほんもん):「久遠実成」「久遠本仏」)に大きく分けました。智顗は果門の本門を重視しています。(下表4参照)
近世では、成立年代から3つ区分する見方もあり、内容的にも三要素に分割できます。(下表5参照)
また、28章全体が経典の三分(序分、正分、流通分)構成となっており、迹門、本門それぞれも三分に分かれる構成となっています。
本日はここまでです。次回は、「第2章 天台智顗の仏教思想、1.天台思想の真理」を取り上げます。
なお、冒頭の写真は、東京都調布市にある「深大寺(じんだいじ)」です。
深大寺は天台宗(別格本山)のお寺ということで掲載しました。都内では浅草寺に次ぐ古刹です。
日本の天台宗は、系譜にもあるように最澄が中国に渡海して創始しましたが、同時に密教も学びます。
その後特に第三代座主「円仁」(慈覚大師)の時に本格的に密教を取り入れ、いわゆる「台密」と言われる密教化が行われます。また、禅、律、その後さらには浄土も取り入れ、比叡山を中心に総合仏教学派となっていきます。
これらの点は第3章で取り上げます。しばらくお待ちください。