30.2.16 「題名のない家族事例検討会」雑観
現場雑観「グレーゾーン」
“グレー”と聞くとすっきりしない。黒?白?はっきりさせたくなるむず痒さ。どうしても正解が知りたくなる。正解のある問題、それは長年の学校教育の課題ともいわれる。正解を追い求める先(教育の先)にあるのは、社会、そして様々な人生、出会いと別れ。白黒はっきりさせる世界から、一気にグレーな社会へ。だから、納得がいかない。正解通りにいかないと、自分は間違ってると思う。ああしなければならない、こうしなければいけない、母親は我が子を愛さなければならない。我が子を愛せない母親は失格(間違っている)。昭和から平成へ、そして平成から新たな時代へ変わろうとしている。元号が変わりゆくと同時に社会も大きく変化した。高度経済成長、都市一極集中化、家族は離れ、核家族化、地域関係の希薄化。ひと昔前は、我が子を愛せない母親がいたとしても、親を好きになれない子がいたとしても、他に支える家族と地域があったと思えば、それはグレーで成り立つ社会だった。今は、グレーを容認できない孤立化が進んでいる。
アセスメントは答えを導く(それが正解かどうかは分からないけど)。白、黒をはっきりさせたい。そうすれば、ニーズが明確になり、何より支援計画が立てやすい。支援者はグレーを容認しない。しかし、家族の結びつきはグレーゾーンだ。子どもは愛らしいけど、時に腹が立つ。親の介護はしたくないけど、やっぱり自分の親だから面倒を見ている。時に暴言を吐きながら、時に無関心を装いながら、家族は家族の形態を保っている。それは家族を繋ぐ糸なのか、呪縛なのか?
そんなグレーゾーンを支援者は整理しようとする。情報収集、アセスメント、支援計画、モニタリングの手順を踏んで。整理されることで、家族はバラバラになり、その形態を保てなくなる。特に虐待ケースへの介入の例が顕著だと思われる。支援者主体で考えると家族のグレーゾーンは容認できない。主体である家族が自ら考え、動くことで家族システムは変容しながらその形態を保つことが出来る。
平昌冬季五輪、羽生選手の復活に沸く夜、そんな家族のグレーに焦点をあてた事例検討会でした。