Toshiが行く

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誇らしく頼もしい同級生

2024-01-24 14:18:01 | エッセイ

 

こんな誇らしいような、頼もしいような〝再会〟もあるのだなあ──

新聞の書籍広告を見て、そんな思いにさせられた。

『80歳。いよいよこれから私の人生』との本のタイトル、

それ以上に心惹かれたのが著者名だった。

『多良久美子』。

本の表紙にご本人の写真があるが、顔をしっかり覚えているわけではない。

だが、この名前には確かに覚えがある。

小学生の時の同級生、あの多良さんではないのか。

 

とにかく本を読んでみようと書店へ急いだ。

そして、まず開いたのが巻末の著者紹介欄。

そこには『昭和17年(1942年)長崎生まれ。2歳のとき被爆』とあった。

そっくり同じだ。

さらに本文中には、中華街に隣接する『新地町に住んでいた』とあった。

僕も新地町で生まれ、小学3年生までここで育っている。

確信した。間違いなく同級生の多良さんだ。

 

そして思い出した。新地に住んでいた時、

多良さんの家に1、2度遊びに行ったことがある。

さらに15年、いや20年ほども前になるか、

小学校の同窓会が福岡で行われ時、長崎からやって来た同級生と一緒に

福岡県内に住んでおられる多良さん宅を訪問、

ご主人も交え和やかに団らんしたことも思い出した。

 

だが、正直なところ多良さんの記憶はこの程度である。

だが、顔は定かではないにしても

『隣近所に住む頭の良い同級生の多良さん』

との記憶はまったく消えることがなく、残っていたのだ。

 

 

本はするすると3時間程度で読み終えた。

「私の元気は『気持ちが先』で、体は後からついてくる」

「『明日の用事』を考えて、前向きな気分で眠りにつく」

「『昔はよかった』とは思わない。いつでも今が一番いい」など、

非常に前向きな生き方と思えるが、振り返れば現在55歳になる長男は、

4歳の時麻疹により最重度知的障がい者となっている。

さらに長女も40歳代で亡くしているのだ。

辛い年月があったはずだ。

さらに決して「安泰な老後」とも言えない。

85歳の夫はいつ介護が必要になってもおかしくなく、

頼れる子どもや孫もいないのだから…とも。

 

だが多良さんはこんな風に前を向いている。

「『お墓に行くまでのルート』はちゃんと用意したし、

するべきことは全部やり終わった。

忙しい人生だったが、今やっと自分のしたいことに使える時間がたっぷりできた。

こんな大チャンスは、この年になったからこそ。

自分だって、いつ要介護になるかわからない。

1日1日を大いに楽しまなければ!」

何とも頼もしいではないか。

 

同窓会で会えることがあったら何と問おうか。

「その強さ、分けてくれないか」と言えば、

「何よ、しっかりしなさい。私の本をしっかり読み込みなさい」

そうやり返されるに違いない。もう1度読んでみることにしよう。

 

 

コメント
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