こんな誇らしいような、頼もしいような〝再会〟もあるのだなあ──
新聞の書籍広告を見て、そんな思いにさせられた。
『80歳。いよいよこれから私の人生』との本のタイトル、
それ以上に心惹かれたのが著者名だった。
『多良久美子』。
本の表紙にご本人の写真があるが、顔をしっかり覚えているわけではない。
だが、この名前には確かに覚えがある。
小学生の時の同級生、あの多良さんではないのか。
とにかく本を読んでみようと書店へ急いだ。
そして、まず開いたのが巻末の著者紹介欄。
そこには『昭和17年(1942年)長崎生まれ。2歳のとき被爆』とあった。
そっくり同じだ。
さらに本文中には、中華街に隣接する『新地町に住んでいた』とあった。
僕も新地町で生まれ、小学3年生までここで育っている。
確信した。間違いなく同級生の多良さんだ。
そして思い出した。新地に住んでいた時、
多良さんの家に1、2度遊びに行ったことがある。
さらに15年、いや20年ほども前になるか、
小学校の同窓会が福岡で行われ時、長崎からやって来た同級生と一緒に
福岡県内に住んでおられる多良さん宅を訪問、
ご主人も交え和やかに団らんしたことも思い出した。
だが、正直なところ多良さんの記憶はこの程度である。
だが、顔は定かではないにしても
『隣近所に住む頭の良い同級生の多良さん』
との記憶はまったく消えることがなく、残っていたのだ。
本はするすると3時間程度で読み終えた。
「私の元気は『気持ちが先』で、体は後からついてくる」
「『明日の用事』を考えて、前向きな気分で眠りにつく」
「『昔はよかった』とは思わない。いつでも今が一番いい」など、
非常に前向きな生き方と思えるが、振り返れば現在55歳になる長男は、
4歳の時麻疹により最重度知的障がい者となっている。
さらに長女も40歳代で亡くしているのだ。
辛い年月があったはずだ。
さらに決して「安泰な老後」とも言えない。
85歳の夫はいつ介護が必要になってもおかしくなく、
頼れる子どもや孫もいないのだから…とも。
だが多良さんはこんな風に前を向いている。
「『お墓に行くまでのルート』はちゃんと用意したし、
するべきことは全部やり終わった。
忙しい人生だったが、今やっと自分のしたいことに使える時間がたっぷりできた。
こんな大チャンスは、この年になったからこそ。
自分だって、いつ要介護になるかわからない。
1日1日を大いに楽しまなければ!」
何とも頼もしいではないか。
同窓会で会えることがあったら何と問おうか。
「その強さ、分けてくれないか」と言えば、
「何よ、しっかりしなさい。私の本をしっかり読み込みなさい」
そうやり返されるに違いない。もう1度読んでみることにしよう。