Toshiが行く

日々の出来事や思いをそのままに

いやはや

2024-01-15 17:11:56 | エッセイ

 

父の享年は68歳だった。それよりすでに13年長く生きている。

どうやら平均寿命にも達した。さて、あと何年?

 

鏡に映る体はくの字、脚はOの字。

もう治しようがないですね─きっぱりと医者

 

診察券9枚。内科、整形外科、泌尿器科、皮膚科、

歯科、眼科、それに総合病院3院。

定期的に通うのが2院─すっかり慣れっこ

 

立ったまま靴下を履こうとしたら、ゆらり ゆらゆら。

お尻を「ちょっとだけ」壁につけ、事なきを得る。

 

夫婦2人で見るテレビ─「もう少し音を大きくして」

孫が来て「やめて! 鼓膜が破れそう」

 

たまにテレビ画面が二重写し─ボケちゃいけないな

 

コンビニ頼みの遠距離ドライブ─トイレ借用かたじけない

 

夜間運転は出来る限り控えなさい─高齢者へお巡りさん

 

ピーナツをポリポリやると喉がガサゴソ。

たちまちゴホゴホゴホ─誤嚥性肺炎にご用心

 

くしゃみした途端、舌を噛む。痛っ

 

LINEは右手人差し指一本でのやりとり─時間がかかる

 

カサカサの指先─唾で湿らせないと本も新聞もめくれない

 

この朝の冷え込み。水での洗顔は辛い─少しだけ温水を入れる

「来月の電気代が心配だわ」妻の来襲に身すくむ

 

 

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姪からの年賀状

2024-01-12 06:00:00 | エッセイ

 

今年もまた届いた。姪からの年賀状だ。

この姪とはまったく行き来がない。

最後に会ったのは彼女の結婚式だったから、

以来30年ほども顔を見ていないし、電話の声さえ聞いていない。

記憶にあるのは、目がくりくりとした

とてもかわいい顔立ちで性格も明るく、

名前が「希代子」だから幼い頃は

「きょん、きょん」と呼んで親しんでいたことくらいである。

なのに、こうやって「元気にお過ごしでしょうか」

「お変わりありませんか」などと一行書き添えただけの

年賀状を欠かさないのである。

こちらも「元気にしているよ。そちらはどう?」と返せば、

細々ながらも血のつながりを思い起こさせてくれる。

 

この子の父、11歳違いの2番目の兄。亡くなってからもう5年ほどになるか。

 

兄の腰のあたりにしがみついた僕の体は、

カーブのたびに右に左に傾き、尻はゴリゴリと擦れた。

それも当然、このオートバイは兄が働く精肉店の業務用で、

僕が座っているのは、鉄の棒と板を四角に組み合わせた荷台であり、

そこに薄っぺらの座布団を敷き、

荷物を固定するゴムのロープで括り付けた即席の座席だった。

しかも、その座布団たるや綿はもう用をなさないほど

くたびれていたから鉄の固さをそのまま思い知らされるのである。

 

     

 

70年ほど前にも暴走族はいたのかどうか。

暇さえあればオートバイを走らせる、この兄を僕は不良なのではないかと思った。

だが、不良と言うにはちょっとしけている。

走らせるオートバイは、何の飾りもない業務用のものだし、

後ろに乗っけているのも可愛い女の子ではなく、小学生の弟だった。

不良と言うには、まったく様になっていない。

24、5の盛りの年頃なのに、この兄から色恋らしきものはまったく見も聞きもしなかった。

 

中学校を卒業すると、親戚筋の精肉店に働きに出、

それこそ働くことしか知らないかのように一心に励んだ。

成人したからといって酒に飲まれるでなし、

夜遊びにうつつを抜かすでもなかった。

そんな兄の唯一とも言える楽しみが、精肉店のオートバイを引っ張り出してきて、

ついでに、小さな弟を後に乗せて走ることだった。

 

いや、もう一つあった。どこでどう覚えたのか知らないが、クラッシック音楽だ。

結構高価なステレオを買い、レコードをボツボツと集め、

シューベルトだベートベンだと一人聞き入っていた。

両親と兄弟姉妹、それに祖母、合わせて9人が雑魚寝するような

小さな家に不釣り合いとも言えるものだったが、

懸命に働き、自力で買った兄に誰も文句一つ言わなかった。

 

      

 

その頃の僕はもう高校生で、

聞いていたのはもっぱらエルビス・プレスリーなどロックだった。

兄が不在だったある日、僕はこっそりステレオでプレスリーを聞いた。

僕も安物の、それでも僕にとっては宝物みたいなプレーヤーを持っていたが、

それで聞くのとはまるで違いプレスリーが眼の前で歌っているかのような迫力だった。

「やっぱりステレオはすごいな」大満足しながら体を揺すっていたら、

予期せず兄が帰ってきたのだ。

そして、「プレスリーなんか聞くと不良になるぞ。やめとけ」とだけ言った。

「黙って俺のステレオを使うんじゃない」そんな怒り方は決してしなかった。

むしろ、小さな笑いさえ見せた。

 

オートバイをぶっ飛ばす兄は、実は実直で律儀な人だった。

「不良では?」なんてとんでもない。

むしろ、ツイストにうつつを抜かしダンスホールに通った、

オートバイの後部座席で尻をもぞもぞさせた、

あの小さな弟こそそうではなかったのか。

 

ひょっとして……スマホの電話帳を見ると、やはり残したままだった。

兄の自宅の電話番号。

すでに義姉も亡く、かけるあてのない電話である。

 

 

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時計

2024-01-09 06:00:00 | エッセイ

 

 

壁の鳩時計は1時15分になっている。

もう何年、いや何十年か、このまま動かない。

長女が高校生の時、「欲しい」というので買ってやったものだ。

小、中学生ならいざ知らず、高校生にもなって鳩時計とは……

おかしさをこらえながらも、娘かわいさのことであった。

以来、娘の部屋の壁から主の日常を見守り続け、

生活を律する大切な役割を果たしてきた。

 

やがて結婚。鳩時計は邪険にも置き去りにされた。

さすがに、新婚家庭に鳩時計は

気恥ずかしいものだと思ったに違いない。

 

      

 

それから私の書斎の壁に電池を外され掛けられている。

だから、この鳩時計に時間を尋ねることはない。

我が家には他に置時計が2つ、壁掛けの電子時計1つがある。

置時計の1つはこれまた電池切れのまま放置されている。

もう1つは、10分進んでいる。

娘や孫が遊びに来て、これら置時計を見て

大慌てすることしばしばだ。

頼りは電子時計、もっと信頼できるのは

テレビ画面に表示される時間だ。

このように、極めてあいまいな時間の中で日々を送っている。

 

それでも時を追う日々は生きている証しである。

鳩時計は、今では時を刻んではくれないが、

かわいい壁の飾り物として少しばかりの和みをくれる。

 

      

 

それとは真逆にとんでもなく怖い時を刻む時計がある。

世界終末時計である。

核戦争などによる人類の終末まで、あと何分(秒)かを示すもので、

米国の原子力科学者会報が定期的に発表している。

それによると、2023年は「残り90秒」しかないとした。

ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の相次ぐミサイル発射など

核兵器使用の脅威が高まっていること、気候変動がもたらす継続的脅威、

さらに新型コロナウイルスなど生物学的脅威などが

残り時間を少なくしていっている。

 

娘に他愛ない日々を送らせてくれた鳩時計、

その他愛ない日々が終わる時を知らせる終末時計。

願わくば、壁で愛想を見せながら時は刻まれてほしい。

 

 

 

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鼻毛

2024-01-07 06:00:00 | エッセイ

 

 

50歳になるかならない頃だったと思う。

友人が、「お前もいよいよ爺の仲間入りだな」と言った。

いささかむっとして「そりゃ、なぜだ」と問うと、

「鼻毛、鼻毛。鼻毛がひょろっと出ていても

一向に気にしない、そんな爺になったわけだよ」

ずばっと返されてしまった。

以来、鼻毛チェックを欠かさず、

鼻穴から出かかったら小さなはさみでカットしている。

たまに、それを怠ると今度は長女から「お父さん、鼻毛!」とやられる。

 

この鼻毛、言うまでもなく鼻で呼吸した時フィルターの役割を果たしており、

塵埃や微粒子が気管支に入り込むのを防いでいる。

そうとあって、都市部など空気が汚れているところに住んでいる人ほど

鼻毛が長くなるのだそうだ。

そう言えば、比較的市街地に近い所に住んでいるし、

中心市街地に出かけることも多い。

ただし、都市部うんぬんは医学的な根拠はなく、もっぱら加齢が主因らしい。

そう言われれば、確かに年を取るにつれ、鼻毛の成長が早くなったように思う。

薄くなった頭を見て、

「こちらこそ、そうあってほしいのに。なぜだ。理不尽ではないか」

そんな恨み言を垂れることしばしばだ。

 

           

また、フィルターの役割を果たしているとあれば、

むやみに抜いたり、切ったりしない方がよいとも言われるが、

鼻毛が出ているとやはり体裁が悪いに違いない。

友人が鼻穴から出ている鼻毛を見て、「お前も爺の……」と言ったのは、

こちらの体裁を案じてのことでもあったのだ。

 

実は、この鼻毛、文字通りの意味である「鼻の穴の毛」以外にも、

いろんなことの比喩の言葉として用いられる。

「鼻毛が長い」─女の色香に迷っている様。

「鼻毛を伸ばす、鼻毛が伸びる」─女に甘く、でれでれしている様。

               「鼻の下を伸ばす」にも近い。            

「鼻毛を読む、鼻毛を数える」─自分に溺れている男のだらしない様を見抜いて、

               女が思うままにもてあそぶこと。  

等々、男にとってあまり芳しくない比喩だ。

ちょっと堅いところも一つ。

「鼻毛通し」─日本刀の柄頭にかぶせた金物にあいた緒を通す穴のこと。

      「端毛通し」とも言う。

 

母は小さい頃からよく「ほれ、眉を上げなさい」と言った。

眉が下がっていると男ぶりが下がるというのである。

今朝も髭を剃ろうと鏡をのぞき込むと、亡き母が例によってと言う。

ついでに鼻毛の方も見ると、2、3本ひょろりと飛び出しそうになっている。

小さなはさみを取り出し、チョキチョキ。面倒くさ!

 

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嘆くなかれ

2024-01-02 10:02:44 | エッセイ

 

 

新しい年が明けた。世界は、日本はどう変わっていくだろうか。

そして、僕ら一人ひとりを取り巻く環境は?

やはり喜怒哀楽こもごもであろうか。

でも、今年には82歳になる、この爺さんには大した希望もない。

ただただ、平々凡々に暮らせればよい。

 

でも、まさに前途洋々たる若者たちはそうもいくまい。

さまざまな種類の涙に見舞われることもあろうが、

自分の人生は自分で切り拓いていく力を持ちさえすれば、

苦しみも悲しみも吹き飛ばすことができよう。

そうであれば、人生は君たちの思うがままだ。

 

     

 

誰が言い出したのか知らないが、

「35歳限界説」というものがあるらしい。

転職も結婚も、積み重ねてきた経験というプラス要因を、

年齢というマイナス要因が上回る、

その分岐点が35歳というのだ。

この説に取りつかれたような30代前半の

男性公務員の話が新聞の片隅にあった。

「真面目だけがとりえ。職場の花形部署にて必死に頑張りましたが、

結果という事実を出せず焦るばかり。婚活も同じです」

「35歳限界説は理にかなっていると思うようになりました。

そんな状態で、年齢を重ねることに恐怖心を抱いています」

 

また別面には、損保大手の元常務執行役だった

こんな話が紹介されていた。

「62歳で会社人生に区切りをつけ、妻と旅行したり、

テニスをしたりと、悠々自適に過ごしていました」

「しかし、60歳代後半に入ると、会社の先輩やテニス仲間の

悲報もたびたび。妻も体調を崩し、自分の残りの

人生について考えるようになりました」

「元気で自立していられるのは80歳までとすると、

人の役に立てるのは10年余り。もやもやしていた時、

見つけたのが介護付き有料老人ホームでのパート勤務。

70歳を迎えた誕生日から働き始めました」

「人は限られた時間を生きています。私は目的を持って

残りの時間の一部でも、世の中のために使いたいと思う。

どう使うかは、自分次第ですからね」

 

付け加えて、アメリカの心理学者による

「流動性知識」と「結晶性知能」の話。

前者は「新しいことを覚えたり、問題を推理したり、

解決したりする知能。若い人ほど新しい技術や

テクニックをすぐに覚え、あっという間に上達する」

「20歳ぐらいまではぐんぐん伸び、その後は

年齢とともに下降する」

後者は「過去に蓄積した知識や判断力、

技能を使って日常生活に応用していく能力。

60歳ぐらいまで上昇し続けていく」

 

若き人 嘆くなかれ

鉢にきれいに咲くもよし

水中にしっかり根を張るもよし

青空を堂々と従えるもよし

人生100年時代 君の思うがままだ!

 

 

 

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