今年もまた届いた。姪からの年賀状だ。
この姪とはまったく行き来がない。
最後に会ったのは彼女の結婚式だったから、
以来30年ほども顔を見ていないし、電話の声さえ聞いていない。
記憶にあるのは、目がくりくりとした
とてもかわいい顔立ちで性格も明るく、
名前が「希代子」だから幼い頃は
「きょん、きょん」と呼んで親しんでいたことくらいである。
なのに、こうやって「元気にお過ごしでしょうか」
「お変わりありませんか」などと一行書き添えただけの
年賀状を欠かさないのである。
こちらも「元気にしているよ。そちらはどう?」と返せば、
細々ながらも血のつながりを思い起こさせてくれる。
この子の父、11歳違いの2番目の兄。亡くなってからもう5年ほどになるか。
兄の腰のあたりにしがみついた僕の体は、
カーブのたびに右に左に傾き、尻はゴリゴリと擦れた。
それも当然、このオートバイは兄が働く精肉店の業務用で、
僕が座っているのは、鉄の棒と板を四角に組み合わせた荷台であり、
そこに薄っぺらの座布団を敷き、
荷物を固定するゴムのロープで括り付けた即席の座席だった。
しかも、その座布団たるや綿はもう用をなさないほど
くたびれていたから鉄の固さをそのまま思い知らされるのである。
70年ほど前にも暴走族はいたのかどうか。
暇さえあればオートバイを走らせる、この兄を僕は不良なのではないかと思った。
だが、不良と言うにはちょっとしけている。
走らせるオートバイは、何の飾りもない業務用のものだし、
後ろに乗っけているのも可愛い女の子ではなく、小学生の弟だった。
不良と言うには、まったく様になっていない。
24、5の盛りの年頃なのに、この兄から色恋らしきものはまったく見も聞きもしなかった。
中学校を卒業すると、親戚筋の精肉店に働きに出、
それこそ働くことしか知らないかのように一心に励んだ。
成人したからといって酒に飲まれるでなし、
夜遊びにうつつを抜かすでもなかった。
そんな兄の唯一とも言える楽しみが、精肉店のオートバイを引っ張り出してきて、
ついでに、小さな弟を後に乗せて走ることだった。
いや、もう一つあった。どこでどう覚えたのか知らないが、クラッシック音楽だ。
結構高価なステレオを買い、レコードをボツボツと集め、
シューベルトだベートベンだと一人聞き入っていた。
両親と兄弟姉妹、それに祖母、合わせて9人が雑魚寝するような
小さな家に不釣り合いとも言えるものだったが、
懸命に働き、自力で買った兄に誰も文句一つ言わなかった。
その頃の僕はもう高校生で、
聞いていたのはもっぱらエルビス・プレスリーなどロックだった。
兄が不在だったある日、僕はこっそりステレオでプレスリーを聞いた。
僕も安物の、それでも僕にとっては宝物みたいなプレーヤーを持っていたが、
それで聞くのとはまるで違いプレスリーが眼の前で歌っているかのような迫力だった。
「やっぱりステレオはすごいな」大満足しながら体を揺すっていたら、
予期せず兄が帰ってきたのだ。
そして、「プレスリーなんか聞くと不良になるぞ。やめとけ」とだけ言った。
「黙って俺のステレオを使うんじゃない」そんな怒り方は決してしなかった。
むしろ、小さな笑いさえ見せた。
オートバイをぶっ飛ばす兄は、実は実直で律儀な人だった。
「不良では?」なんてとんでもない。
むしろ、ツイストにうつつを抜かしダンスホールに通った、
オートバイの後部座席で尻をもぞもぞさせた、
あの小さな弟こそそうではなかったのか。
ひょっとして……スマホの電話帳を見ると、やはり残したままだった。
兄の自宅の電話番号。
すでに義姉も亡く、かけるあてのない電話である。