巣鴨地蔵通り商店街振興組合
おばーちゃんの町、すがもの形成
昭和の終わりごろから、おばーちゃんの原宿と言われるようになった。由来に公式なものは無く、来街するお客に合わせて各商店が商品を展開したのが、現状のようになりお客(高齢者)の社会情勢に合わせておばーちゃんの町になった。おばーちゃんの原宿のネーミングが良いのか、と思うが窓口を広げたほうが、セールスポイントが広がり、チャンスが広がる。
資料から来街者を見ると、昭和61年は豊島区内からが61%超になる。平成9年は豊島区内は18%ほどで都内他区が60%ほどになり、平成16年には、豊島区内と都内他区の合計が80%弱になり来街者の広域化がうかがえる。また別の資料からは、年代により来街目的が、30代以下は、買い物が40%、観光が40%、その他20%になる。40から50代は、参拝が20%超、買い物が45%ほど、観光が5%ほど、その他が18%ほどになり、60歳代以上は、参拝が40%超、買い物が40%ほど、観光が10%ほど、その他が5%ほどになり、年代により来街目的が大きく変わっていることがわかる。
おばーちゃんの原宿と言われる前の昭和34年には通りの両側に約450軒の露店が出店していたが、あまりの混雑に昭和40年頃、通りの片側に交互に出店するように規制された。昭和55年ごろまでは約250軒の露店が出店、その後は、180から190軒となり現在まで続いている。
*資料1:巣鴨地蔵通り商店街振興組合法人化60周年記念2013おばーちゃんのまち、すがも物語
*資料2:第13回中山道すがもまつり おばーちゃんのまち”すがも”むかし・いま・そして・・
現在の巣鴨地蔵通り商店街は、若い世代の来街者が増えている。店舗もカフェや医療系が増加している。コロナ前は、地方からバスなどで来街する方が多かったが、コロナで遠方からの方が減少したが、コロナ前のお客が戻ってこない。観光バスも来なくなった。近隣の客に活路を求めたい。 最近は、欧米系やアジアの方々が、来街するようになったが、観光地ではない普通の街を歩きたいようだ。近くにフランス語の学校があるのも影響しているようである。







おばーちゃんの町、すがもの形成
昭和の終わりごろから、おばーちゃんの原宿と言われるようになった。由来に公式なものは無く、来街するお客に合わせて各商店が商品を展開したのが、現状のようになりお客(高齢者)の社会情勢に合わせておばーちゃんの町になった。おばーちゃんの原宿のネーミングが良いのか、と思うが窓口を広げたほうが、セールスポイントが広がり、チャンスが広がる。
資料から来街者を見ると、昭和61年は豊島区内からが61%超になる。平成9年は豊島区内は18%ほどで都内他区が60%ほどになり、平成16年には、豊島区内と都内他区の合計が80%弱になり来街者の広域化がうかがえる。また別の資料からは、年代により来街目的が、30代以下は、買い物が40%、観光が40%、その他20%になる。40から50代は、参拝が20%超、買い物が45%ほど、観光が5%ほど、その他が18%ほどになり、60歳代以上は、参拝が40%超、買い物が40%ほど、観光が10%ほど、その他が5%ほどになり、年代により来街目的が大きく変わっていることがわかる。
おばーちゃんの原宿と言われる前の昭和34年には通りの両側に約450軒の露店が出店していたが、あまりの混雑に昭和40年頃、通りの片側に交互に出店するように規制された。昭和55年ごろまでは約250軒の露店が出店、その後は、180から190軒となり現在まで続いている。
*資料1:巣鴨地蔵通り商店街振興組合法人化60周年記念2013おばーちゃんのまち、すがも物語
*資料2:第13回中山道すがもまつり おばーちゃんのまち”すがも”むかし・いま・そして・・
現在の巣鴨地蔵通り商店街は、若い世代の来街者が増えている。店舗もカフェや医療系が増加している。コロナ前は、地方からバスなどで来街する方が多かったが、コロナで遠方からの方が減少したが、コロナ前のお客が戻ってこない。観光バスも来なくなった。近隣の客に活路を求めたい。 最近は、欧米系やアジアの方々が、来街するようになったが、観光地ではない普通の街を歩きたいようだ。近くにフランス語の学校があるのも影響しているようである。






