平らな深み、緩やかな時間

162.『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』伊藤亜紗とTalking Heads

今回はフランスの詩人、小説家、評論家であるポール・ヴァレリー(Paul Valéry, 1871 - 1945)に関する本、『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』を取り上げます。著者は伊藤亜紗(1979 - )という、いま評判の美学者です。この本は彼女の博士論文をもとにして書かれたということですから、最近、文庫化されたとはいえ、著者の原点とでもいうべき本のようです。
そしてヴァレリーですが、あの小林秀雄(1902 - 1983)も翻訳した小説(?)、『テスト氏』が有名です。私は粟津則雄(1927 - )訳の文庫本を持っていますが、残念ながら愛読書とは言えません。ヴァレリーの思想的な背景が分かってから再読したい、と思いつつ、何もしないままにこの歳になってしまいました。そろそろちゃんと読まないとまずいですね、またの機会に読むことにします。
そのヴァレリーはどんな人だったのでしょうか。この本の序文から抜粋してみましょう。ヴァレリーは1871年に南仏の港町に生まれました。その父は、はやくに死去し、兄に支えられてモンペリエ大学の法学部に進みます。しかし19歳でフランス象徴派の詩人マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)に手紙や詩を送るなど、文学への関心を示しました。大学卒業後、パリで暮らし始めますが、その頃から早朝に思索ノート『カイエ』を執筆し、公的には1900年から1917年の沈黙期間を隔てて詩作や評論、哲学的エッセイなどを発表します。晩年にはアカデミー・フランセーズ会員に、コレージュ・ド・フランス教授に選出されるなど、フランスを代表する知識人となったのです。
私の感想を言えば、若くしてマラルメとつき合うなど、難解で分かりにくい文学者の素質があった人で、その通りの業績を上げたのだろうと思います。そんなヴァレリーに対して、この本はどのようにアプローチするのか、先の序文から引用してみましょう。

本書の構成はきわめてシンプルである。ヴァレリーの「芸術哲学」を明らかにするためにわれわれがとる方法は、ヴァレリーの「作品」論と「身体」論を接続させる、というものである。なぜこの方法が有効なのか、その理由は、第Ⅰ部第一章の終わりで述べる(もちろんそこには、先に述べた「創造後の創造」プロジェクトが関係している)。第Ⅰ部は作品論、第Ⅲ部は身体論にあてられる。第Ⅰ部と第Ⅲ部をつなぐ第Ⅱ部は、時間論である。これは作品がまさに時間的に身体に働きかけ、また身体の機能が時間的に組織されるものであるがゆえに、作品と身体を接続する際の橋渡しとして、時間概念の分析が要請されるからである。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「序―創造後の創造」伊藤亜紗)

ここに書かれているように、この本は「作品」、「時間」、「身体」という三つの大きな概念でヴァレリーの芸術論を明らかにしようとするものです。しかしながら、ヴァレリーの芸術論がそもそもまったくわからない私のような人間には、その方法が妥当なのかどうか、よくわかりません。それなのに、この本を取り上げてみようと考えたのは、ここで論じられているような芸術作品をイメージした時に、若い時によく聴いたトーキング・ヘッズ (Talking Heads)というロック・バンドの『リメイン・イン・ライト』(Remain In Light)というレコードを思い出したからです。これはとんでもない勘違いなのかもしれませんが、こんなことを考えるのは私ぐらいだろう、と思うので書きとめておく次第です。

それでは、ヴァレリーの「作品」論から見ていきましょう。ヴァレリーは「純粋詩」の提唱者として位置づけられているそうですが、この「純粋詩」とは何なのか、と問うところから始まります。

純粋詩とは、散文的要素を排除した詩である。この規定は明瞭だが、しかし空疎であることには変わりない。「純粋」という語によって物事を定義することは、つねに循環をはらんでいる。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「Ⅰ作品 第一章 装置としての作品」伊藤亜紗)

「純粋」とは何か比較する対象があってはじめて成立する概念である、と伊藤は分析します。つまり、こちらの方がより純粋である、と言ったときにはじめて、それがどれほど純粋であるのかわかるというわけです。その意味では「純粋詩」という言葉は単独では「空疎」であり、その概念は「循環をはらんでいる」というのです。だからといって「純粋詩」を追究すること自体が虚しいというわけではありません。ヴァレリーは「散文的要素」を純化していく過程こそが大切だと考えたのです。ヴァレリーは「描写」「イメージ」「登場人物」といったものが「散文的要素」であると考え、それらを蒸留して「純粋詩」に近づけることを目指しました。しかし、これらを排除した詩とは、どのようなものになるのでしょうか。

ヴァレリーにとって詩=作品は、読者を「行為」させ、身体的諸機能を開拓するという「大きな目的」を持った「装置」であった。このような装置を組み立てることをめざすヴァレリーにとって、詩を作る実践は、単なる「言葉をあやつる作業」ではなく、人間の身体の機能の仕方を探究することにつながっていく。ヴァレリーにとって、詩への関心と身体への関心は実践的にも密接につながっており、切り離すことができない。本書が作品論と身体論を接続させようとするのは、まさにヴァレリーの理論がそのような構造を持っているからである。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「Ⅰ作品 第一章 装置としての作品」伊藤亜紗)

さて、このような「装置」としての詩というのは、いったいどのようなものなのか、すごく卑近な例で申し訳ないのですが、例えば自分の恋愛感情を熱く歌い上げるような詩とか、美しい風景の中にいて自分の心が洗われていく様を歌うような詩とか、そういう詩とは正反対のものなのだということは分かります。そんなふうに、自分と深く関わるような感情や情景とは切り離された、あたかも何かの「練習」として発してみたこだわりのない言葉であるとか、ゲームの中の戯れとして言ってみた言葉であるとか、そんな言葉でできた詩が「装置」の概念に当てはまるようです。

みずからの行為を「練習」としてみなすこと、つまり自分の書いた語を、自分の実存と結びついた必然的な表現とはみなさないことは、逆に、偶然思いついた表現をあたかも自分が選んだ語であるかのように積極的に引き受けていくことにもつながる。偶然の語であったとしても、作詩をゲームととらえる以上、その語は自分の今後のゲームの展開を導く「問い」に他ならないからである。それはちょうど、カードゲームにおいて最初に配られたカードを自分のものとして引き受けるのと同様である。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「Ⅰ作品 第二章 装置を作る」伊藤亜紗)

例えば、後で見ることになるトーキング・ヘッズの作詞の方法が、この「偶然思いついた表現をあたかも自分が選んだ語であるかのように積極的に引き受けていくこと」と似たような方法論ではないか、と私は考えます。
というところで次に進みます。次はヴァレリーの「時間」論です。私たちは、いったいどのようにして「時間」を感じとっているのでしょうか。私たちはいま現在の自分が直面している世界を通じて「時間」を感受します。つまり「時間」というのは、つねに現在なのです。
しかし、その前後には「過去」と「未来」があります。私たちは「過去」と「未来」を「現在」とのつながりにおいて受けとめることができます。それが「時間」の感覚なのです。それにしても、どうしてそんなことができるのでしょうか。
それは私たちが「過去」の経験から「未来」を予測し、それが当たったり、はずれたりする経験の中で「時間」というものをある程度の幅をもって感じ取るのだ、というのです。「過去」の経験がそのまま「未来」にあてはまるという場合、つまりは「過去」の繰り返しがそのまま「未来」につながる場合のことですが、それをヴァレリーは「リズム」と言ったようです。逆に、「過去」からの予想が外れた場合、それでも時間は繋がっていきます。そのような場合のことをヴァレリーは「持続」と言ったようなのです。
この解釈はけっこうややこしくて、私のこの単純な話がうまく合っているのかどうか、自信がありませんが、おそらくはこの解釈で外れていないと思います。そう思って、次の文章を読んでみてください。

さて第Ⅱ部ではここまで、刻々と変化する主体と世界との出会い方としてのヴァレリーの「現在」の位置づけを見た上で、主体と世界のずれが意味をもつ場合としての「持続」を、注意を例にとりながら分析し、そのあとで逆に一致が意味をもつ場合としての「リズム」について考察した。「持続」においては、主体が世界と分離できない体勢が整えられているがゆえに、認識の更新がつねにずれとして感じられ、主体における行為のための機械もそれに連動して調節された。一方「リズム」においては、主体の産出と知覚が同一化する体勢が整えられ、行為はたやすいものになるが、逆に行為の自動化が主体にとっての強制力として働く側面があった。
ところで、第Ⅱ部においてわれわれは、世界と主体の関係を考え、詩については正面から論じなかった。世界に相対することと、詩に相対することは、体験としては全く異なっているように見える。一方はまぎれもない現実であり、他方はあくまで記号のつらなりだ。第Ⅱ部の議論を、われわれはどのようにヴァレリーの芸術哲学と結びつければよいのか。「世界」と「詩」を同じ枠組みで論じることなどできるのか。
結論から言えば、ヴァレリーにとって装置としての詩は、まさにひとつの「世界」ないし「現実」のようなものとして読者が相対するものである。世界が主体に対して刻々と関係を変えながらあらわれ、その行為の組み立ての仕方を左右するように、詩もまた、さまざまな時間的な構造を作りながら主体に行為をうながす。一方でリズムが、読者を拘束しつつ行為へと誘い込む。他方でその持続としての側面が、さまざまな仕掛けによって生み出される斥力と引力の効果によって、行為の機械の微細な調整を読者に促すだろう。「行為」という視点から見るかぎり、「世界」も「詩」も同じようにその重要な相関物なのだ。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「Ⅱ時間 第三章 行為の法則化」伊藤亜紗)

この時間に関する「持続」と「リズム」の解釈は、いささか理屈っぽいような気がしますが、確かに「リズム」というのは読む者(聴く者)を拘束しつつ、(ダンスなどの)行為へと誘い込むものなのかもしれません。音楽における「リズム」を考えてみれば、それはすぐにわかることです。
そして結論として、この「装置」としての「詩」が私たちの身体にどのように作用するというのでしょうか、一気にこの本の「結」を読んでみましょう。

これまでの議論をまとめよう。われわれの問いは、ヴァレリーの創造後の創造、すなわち作者の手を離れ、読者のもとにとどけられた作品の働きの諸相を解明することであった。伝達の媒体とは異なる、「装置」としての詩とはどのようなものか。ヴァレリーにとって詩とは、私たちの行為の散文的な運行がやぶれるような事態である。「散文的な」とは、「正常」で「健康的」な、ひとことでいえば「うまくいっている」状態である。それは外界の刺激に対して私たちが遅れなくついていっている円滑な状態だが、反面、身体は習慣的で自動的な働きしかしておらず、道具化している。他方、詩が関わるのはむしろ「うまくいかない」という不成功の状態である。身体は応答をただちに組み立てることができず、拘束される。詩の持つ修辞、たとえば倒置や脚韻などは、ヴァレリーにとって、読者の身体を拘束する不成功とその解消が連続する持続を作り出すことを目的とした、さまざまな「仕掛け」に他ならない。このような仕掛けが多層的に組み合わされることによって、詩はひとつの装置として働きだす。こうして詩人は、詩を通じて読者を拘束的な状態に置くのである。ただし、この拘束は「真の行為」を促すような拘束である。自動的な応答ができない状態において、読者は道具化していた自身の諸機能を新たに組み立てなおす。真の行為とは逆説的にも行為の失敗のうちにあるのであり、この機能の立てなおしの過程で、読者はみずからのうちにありながら知らなかった機能に出会う。ここに、ヴァレリーが詩を通して果たそうとする「大きな目的」がある。ヴァレリーにとって詩とは、読者にみずからの諸機能の「開拓」と「所有」を促す装置なのである。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「結」伊藤亜紗)

これまで見てきたように、ヴァレリーの言うところの「詩」とは、私たちがイメージするような、繰り返しになりますが、「詩人」という主人公が紡ぎだす言葉を愛でるような「詩」ではありません。そのように「詩」を読むことで何かが充足し、完結するような文学的な「詩」ではなく、作者が仕掛けた「装置」によって読者が拘束され、そのことによって「真の行為」を促すようなものなのです。そしてそのようなヴァレリーの発想は、「詩」というジャンルを超えて広がっていくようです。

ヴァレリーは音楽や建築といった他の芸術ジャンルにも「詩」を見出すし、「マッチの火がつかない」ような日常的な経験もまたひとつの詩になると言う。もちろん、そう主張することでヴァレリーは詩という概念を単純に拡張しようとしたわけではない。詩は、言語という日常的な素材を使用するがゆえにその装置としての性質が際立つのであるし、その複雑さや持続の長さをかんがみても、一群の詩的なもののなかで詩はあくまで中心的で本来的な位置を占めている。重要なのは、詩を散文から区別するという局所的な問題にこだわることが、芸術のジャンル論を超え出る可能性につながっているというヴァレリーの議論の構造である。ヴァレリーは、詩と散文の区別を形式主義的に押し進めはしなかった。区別じたいはたしかに形式主義的だが、それぞれのジャンルの本質をつきつめると、ジャンル論どころか芸術論を超え出る可能性に向かってひらけてしまうのである。ヴァレリーの詩論の可能性は、まさにそれが詩論を超え出るところにある。もちろん、身体や時間についてのヴァレリーの思考は、すでに研究がなされている。しかしこの超え出た部分をたんなる哲学的な思考の集成としてではなく、詩論の可能性として分析すること、それがこの芸術哲学の目論見であったといえるだろう。
(『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』「結」伊藤亜紗)

このように、作品を「装置」と見なして、表現の主体である「作者」を後方へと押しやるような芸術表現は、実はあらゆるところで見られました。それは文学に限らず、現代音楽や現代美術において、意義深い試みから単なる思い付きに近いものまで、列挙すればきりがないくらいです。
しかしここでは、そのような現代芸術の狭い領域の中ではなく、ポピュラー音楽として広く大衆に受け入れられた表現の中からヴァレリーのコンセプトをそのまま応用したのではないか、と思われる事例を取り上げてみたいのです。それがロック・バンドのトーキング・ヘッズ (Talking Heads、1974 – 1991)が1980年に発表した『リメイン・イン・ライト(Remain In Light)』というレコードなのです。
このレコードについて考察する前に、まずトーキング・ヘッズがどのようなバンドなのか、そして彼らのレコードの中で『リメイン・イン・ライト』はどのように位置づけられるのか、ざっくりと見ておきましょう。
トーキング・ヘッズは、美術大学出身でボーカルとギター担当のデヴィッド・バーン(David Byrne、1952 - )を中心としたニューヨークの前衛的なロック・バンドです。結成当時はニュー・ウェイヴとか、ニューヨーク・パンクのバンドと思われていましたが、ブライアン・イーノ(Brian Eno、1948 - )がプロデュースをするようになって、アフロ・ビートを取り入れたファンキーで実験的な音楽に変わっていきます。その頂点にあったのが『リメイン・イン・ライト』なのです。このレコードを出した後、トーキング・ヘッズはアメリカのルーツ・ミュージックを探るようなバンドへと変わっていき、やがて解散してしまいます。
私の勝手な解釈では、トーキング・ヘッズは『リメイン・イン・ライト』の実験的な手法とサポート・メンバーによって、自分たちの音楽的な度量以上の高みに達してしまったのではないか、と思います。その後、自分たちの力で同様の高みを目指したり、方向性を変えたりしましたが、結局のところ、うまくいかなかったのではないか・・・、また、デヴィッド・バーンばかりが注目されたのもバンドとしてはきつかった、と推察します。
それでは、『リメイン・イン・ライト』の制作方法について見ていきましょう。このレコードのライナーノーツを書いたのは、映画や音楽を紹介していた今野雄二(1943 - 2010)という評論家です。ひところはテレビにもよく出演していた物腰の優しい人でしたが、惜しくも自死してしまいました。彼が、デヴィッド・バーン自身が書いた文章をもとにして書いたのが、このライナーノーツです。そこから、すこし引用してみます。

このレコードはスタジオ・ワークとアフリカ人のリズムと感性に対するある共通の関心とから生み出されたものである。(その関心は、すでにバーンとイーノによって録音済みのレコード“My Life in the Bush of Ghosts”の基盤にもなっている)スタジオ入りする前に作曲されたものは皆無であった・・・バンドのスタジオ入り前のリハーサルの結果とりあげられた部分も少しはあるが、しかしこのリハーサルは主として演奏技術と心がまえとを磨く為のものであって、曲を練習する為のものではなかった。磨きあげるべき演奏技術と心がまえは交錯し合いながらも独立している部分をまとまった全体にむすびつけていくリズムのアフリカ音楽の概念を理解することに主眼がおかれていた。この伝統に従って、殆どのパートは切れ目なしに演奏された・・・従来の歌の如くメロディはいくつかの交差し合ったパートの結びつきの中から後で湧き上がってくるのである。
(中略)
固まり決まった演奏パターンを打ち破る試みとしてミュージシャンたちは常に“決められた”楽器のみを演奏しなかった;そういう訳である曲はバーンとイーノがベースを弾き、ウェイマス(ティナ・ウェイマス;ベース担当)はシンセサイザーを、そしてハリスン(ジェリー・ハリスン;キーボード、ギター担当)はパーカッションを担当した。この時点ではヴォーカルは無かった・・・バーンは歌詞の内容に関するメモはとっていたが、実際の作詞作業は楽器群のムードとリズムによって決められることになった。
これらのインストゥルメンタル・トラックはその後ニューヨークに運ばれそこでバーンとイーノがさらに少しインストゥルメンタルを追加し曲調とヴォーカル・アレンジに手を加えた。何曲かはこの段階でからりと変わってしまった。
(『リメイン・イン・ライト』ライナーノーツ 今野雄二)

さらに付け加えるなら、このレコードはニューヨークにおけるオーヴァー・ダビングの段階で多くのゲスト・ミュージシャンの参加によって完成したこと、このレコーディングの後でファンク系ミュージシャンやギタリストのエイドリアン・ブリュー(Adrian Belew、1949 - )を加えた大編成のバンドでコンサートを開いたこと、アルバムの曲の歌詞は自動筆記的に、つまり口から出まかせで作詩されていること、などの情報が書かれています。ちなみに、この自動筆記的な作詩が、さきほど指摘したようにヴァレリーの「偶然思いついた表現をあたかも自分が選んだ語であるかのように積極的に引き受けていくこと」という詩論と重なるのではないか、と私は思います。
これらのことから、私はこのレコードがヴァレリーの言うところの「装置」に近いものだろう、と考えます。さまざまな人間が成り行きに任せて交錯し、作品としてのトータルなイメージよりも作業工程に重きが置かれた結果、一人の創作者が自らの世界観を押し付けるものではなく、あくまでその解釈は聴き手にゆだねられています。そこに新たな音楽世界の構築を発見するにせよ、ただ心地よくアフロ・ビートに体を動かすにせよ、聴き手はトーキング・ヘッズの表現をあらたまって聴くのではなく、自らが判断し、解釈しながら反応することを求められています。ポピュラー音楽ですから、その「判断」は理詰めのものではなく、ときに無意識のものであるのかもしれませんが、少なくともこの音楽が心地よいものなのか、それともわけのわからないやかましいものなのか、という判断を聴衆が自然とくだしているのだと思います。
とくに顕著なのは、バーンとイーノによって意図された徹底的な表現主体の「不在」です。ポピュラー音楽は多かれ少なかれ、多くの人間が商品製造にかかわるために、主体であるミュージシャンの意図通りに運ばないことが多いのですが、『リメイン・イン・ライト』は自己主張すべきミュージシャン自身が「自己解体」を試みてしまった、という点で画期的であったと思います。
それに加えて目指した音楽が、イギリスの白人であるバーンやイーノの資質とはかけ離れた、アフリカ音楽の力強いリズムであったことも作品をユニークなものにしています。メロディよりもリズムを重視し、ワン・コードでの繰り返しの中に微妙な差異を忍び込ませて、それを持続した音楽として聴かせるという点においても、ヴァレリーの「時間」論を彷彿とさせる制作方法だと思います。旋律(メロディ)の流れによって時間を意識するのではなく、繰り返し(リズム)とそのずれ(持続)によって音楽が展開し、「時間」が進行していくという構造なのです。

さて、ここで実際の音でそのことを確認してみましょう。
『リメイン・イン・ライト』の1曲目は『Born Under Punches』です。いきなり強烈なリズムで始まるので、すぐにアルバム全体のコンセプトをうかがい知ることができます。レコード全体を象徴するようなパンチのある曲を最初に持ってきたバーンとイーノの作戦勝ちです。
Talking Heads - Born Under Punches (The Heat Goes On)

そして、ある意味では『リメイン・イン・ライト』よりも過激なコンセプトで作られたのが『ブッシュ・オブ・ゴースツ(My Life In The Bush Of Ghosts)』です。このレコードも紹介しておきましょう。
このレコードは、ベースとして作った音楽に既存の音楽や音をかぶせた、音のコラージュ作品となっています。これはバーンとイーノの共同作業で、アーティストの名義も二人の連名となっています。このレコードのライナーノーツを中村とうよう(1932 – 2011)という音楽評論家が書いていますが、彼は生前、ロック好きの人たちに対してとても大きな影響力を持っていた評論家でした。武蔵野美術大学とも縁があり、彼のコレクションの展覧会が大学で開催されていた時期に、今野と同様に自死してしまいました。彼が書いたライナーノーツは、『リメイン・イン・ライト』とも関連した興味深い内容なので引用してみます。
中村とうようは『リメイン・イン・ライト』が衝撃的な作品だったことを書いたうえで、それより前に『ブッシュ・オブ・ゴースツ』が制作されていた、という今野の指摘を踏まえたうえで、自分が『リメイン・イン・ライト』で感じた驚きは、実は『ブッシュ・オブ・ゴースツ』にこそ当てはまるべきものだったのではないか、と書いているのです。

それは、つきつめて言うなら、ぼくたちが『リメイン・・・』に受けた衝撃は本来ならば『ブッシュ・・・』によって与えられるはずのものだったのかもしれない、ということであり、制作された順番どおりに『ブッシュ・・・』を先、『リメイン・・・』をあとに聞いていたら、両方のアルバムへの印象もずいぶん違っていたかもしれない、ということでもある。
もちろん、じっくり聞き込めば、このふたつのアルバムはそれぞれに高い価値をもち、それぞれが存在理由をもっていることがわかる。けっして『リメイン・・・』が『ブッシュ・・・』の二番煎じなんてことはなく、両方で姉妹編をなしているというのがもっとも適切な言い方だろう。しかし、多くの方が、ぼくが最初に感じたのと似た戸まどいをお感じになると思うので、トーキング・ヘッズ来日公演のためにちょうどやってきたデヴィッド・バーン自身にそのへんの疑問をぶつけるとともに、アルバムについて説明をしてもらったので、彼のコメントをお伝えしよう。

『ブッシュ・オブ・ゴースツ』の中の1曲に、ラジオ放送から録音をとった女性の説教師の声を使ったのだけど、その説教師の所属している団体に問い合わせたら、使用を断られてしまったんだ。それで『リメイン・イン・ライト』完成後に『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を作り直すというハメになった。
確かにぼくにしてもブライアン・イーノにしても、発売の順序が逆になってしまったことにある種の戸まどいは感じてるよ。『ブッシュ・オブ・ゴースツ』を先に聞いてもらったら、ぼくたちが『リメイン・イン・ライト』で何をやろうとしたかが、もっとよくわかってもらえただろうね。でもとにかく発売の順序が逆になったので、『ブッシュ・オブ・ゴースツ』に新しい曲を3曲つけたしたんだ。
(中略)
ぼくたちはスタジオで曲を半分のところまで作り上げてから、それに合うような声をレコードとかラジオのエアチェック・テープからさがし出して、それをいろいろ加工しながら、ベーシック・トラックの上にかぶせ、さらにほかの音を加えたりして完成するんだ。このアルバムではイスラム圏の音楽からとったヴォーカルを「レジメント」「コーラン」「ザ・キャリア」「ア・シークレット・ライフ」の4曲で使っているが、こうしたイスラム系のヴォーカルはメロディックでキイも一定なので、ぼくたちが先に作っておいたベーシック・トラックに合わせやすいんだ。アフリカ系のヴォーカルはもっとリズミックだから、こっちの作っていたトラックのリズムとなかなかうまく合わない。
こういう声をラジオやレコードから取ってきたのは、こうした音楽のヴォーカル・サウンドはとても興味深くて、ぼくたちが出せないような声を出しているし、すごく強いエモーションを表現していて、ぼくたちに真似できない力をもってる。そういうものを借りたかったんだ。イスラムなどのヴォーカルならば歌詞の内容もわからないから、意味など気にせずサウンドとして使えるしね。
ときどきラジオを録音しておいて、そのテープをいろいろ聞き、ちょうど合うのを選んで使うようにしている。
「アメリカ・イズ・ウェイティング」に使った声は、ラジオでイランを激しく非難していたものだが、その声からイランという言葉を全部取ってしまった。そういうふうにテープを切ったり継いだり、同じ部分を何度か反復させるというふうに、編集して使ってるわけだ。
(『ブッシュ・オブ・ゴースツ』ライナーノーツ 中村とうよう)

その曲はこれです。
David Byrne And Brian Eno (My Life In The Bush Of Ghosts) - America Is Waiting
なお、中村とうようは、このレコードのタイトルが、ナイジェリアの作家エイモス・チュツオーラ(Amos Tutuola, 1920 - 1997)の小説から取られていることを紹介しています。この作家は『やし酒飲み』という作品で日本でも親しまれています。西欧世界では見られないような不思議な神話世界が展開している点で、『ブッシュ・オブ・ゴースツ』も『やし酒飲み』も共通しているので、よかったらどちらかを読んでみてください。

さらにちょっと脱線します。
これらのレコードと同時期に、トーキング・ヘッズのベースのウェイマスが、姉妹を巻き込んで作ったプロジェクトがトムトムクラブ(Tom Tom Club)です。バーンとイーノの先走りにいたたまれずに、自分たちなりに『リメイン・イン・ライト』の音楽世界を表現し直したような作品だと私は思っています。
Tom Tom Club - Genius Of Love
この時期の彼らのコンサートを私は聴きましたが、はじめに30分ぐらいトムトムクラブが出演し、その後に2時間ぐらいトーキング・ヘッズがサポート・メンバーとともに演奏するという、とても豪華なコンサートでした。エイドリアン・ブリューのギターも聴き物でした。ブリューは、象の雄たけびをギターで再現する人として、テレビのコマーシャルにも出演していたと思います。

最後に、トーキング・ヘッズとはまったく関係ないのですが、脱線のついでに同じ時期に話題になっていたPILの曲を紹介しておきます。
PIL(Public Image Ltd)はパンク・ロックのおおもとになったセックス・ピストルズのヴォーカルのジョン・ライドン(John Lydon、1956 - )がピストルズのあとで作ったバンドです。PILはロックを否定するロックを目指した過激なバンドでした。そしてこの『Flowers of Romance』を制作していた時期に盟友だったベーシストとけんか別れして、ベースのないバンド、という異例の演奏形態をとることになりました。結果的にはそれが功を奏した、面白いレコードだと思います。
このレコードを出した直後に彼らが来日しましたので、私はコンサートを見に行きました。その当時、ジョン・ライドンは自分の過去さえも否定し、セックス・ピストルズの曲は一切やらない、という触れ込みでしたが、実際のジョンはサーヴィス精神旺盛なエンターテイナーに見えました。コンサート終盤にはセックス・ピストルズの曲をメドレーで演奏して観客を盛り上げて終わった、と記憶しています。それはうれしい反面、ちょっと複雑な気分になりましたが、生で聴くジョンはものすごく歌がうまくて、それだけでも聴く価値があったと思います。その前にトーキング・ヘッズのコンサートを聴いて、デヴィッド・バーンが思ったよりも歌がうまいと感心しましたが、ジョンの歌はバーンの上を行っていたと思います。
Flowers of Romance | Public Image Ltd,

さて、今回は難解な『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』という本を、ロック・ミュージックの事例を借りながら解釈するという無謀なことを試みてみました。
皆さまは、どのようにお感じになられたでしょうか。私のような無茶は論外としても、もう少し分かりやすく書いていただけるとありがたい、というのが学問とは縁のない私のような人間の本音です。ちょっと、疲れました。

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