平らな深み、緩やかな時間

28.『フェルメールとスピノザ』ジャン=クレ・マルタンより

今年の3月に福岡伸一の『フェルメール 光の王国』という本を取り上げました。そのときに、私は次のように書きました。

「本の冒頭に、フェルメール(Johannes Vermeer、1632 - 1675)と科学者のレーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek、1632 - 1723)や哲学者のスピノザ(Baruch De Spinoza, 1632 - 1677)が同い年であった、と指摘してあります。レーウェンフックは素人学者でありながら、顕微鏡による研究で有名な人であり、フェルメールの『天文学者』や『地理学者』のモデルになった人だと言われています。」

「レーウェンフックとフェルメールのつながりは、このようにどんどん掘り下げられていきますが、冒頭の章で取り上げられた三人目、スピノザとこの二人との関係は生年が同じ、という以上のことではないようです。強いて言えば、「レンズ」つながり、というところでしょうか。スピノザがレンズ磨きによって生計を立てていたというのは、有名な話です。しかし、このような具体的なエピソードによってではなく、この時代に広がっていった世界観を三人がどう共有していたのか、などと考えると面白そうです。そういう研究は、ないのでしょうか。」

ジャン=クレ・マルタン(Jean-Clet Martin 、1958 - )というフランスの哲学者、小説家の書いた『フェルメールとスピノザ <永遠>の公式』(杉村昌昭訳)は、フェルメールとスピノザに関する「そういう研究」にあたる本なのかもしれません。
そう思って読み始めたのですが、キーワードが「永遠」という深遠なテーマであり、また本の前半が、もっぱらスピノザの『エチカ』について書かれているので、なかなかこちらの理解が追いつきません。(『エチカ』はいつか読んでみたい本ですが、ぱらぱらとページをめくるたびに、これはどうやって読み進めたらいいのだろう、と戸惑ってしまいます。もうそろそろ読み始めないと、一生読まないかもしれませんね。)まあ、そんな状態で、もうやめようかなあ、と思い始めた後半に、「公式8」「秘められた関係」という章があって、そこに驚くようなことが書かれていました。引用すると、そっくり二章分書き写さなくてはならないので、要点をかいつまんで紹介しておきます。

・スピノザは1666年にヨハネス・ファン・デル・メールという人物あてに手紙を書いているが、フェルメールは、もともとファン・デル・メールという名前だった。この人物についてはっきりしたことは分かっておらず、スピノザの書き間違いとの説もあるが、そのファン・デル・メールがフェルメールだった、とも考えられる。
・スピノザが描いた自画像(クロッキー)とフェルメールの『天文学者』の人物像は、よく似ている。
・一般に『天文学者』のモデルとされているレーウェンフックは、『天文学者』と似ていない。
・フェルメールはカメラ・オブスキュラのレンズの調整を必要としていた、と考えられる。レーウェンフックを仲介として、腕利きのレンズ職人だったスピノザがその相談に乗ったとしても不自然ではない。
・以上のことから、フェルメールの描いた『天文学者』のモデルは、スピノザだったのではないか。(この絵は、はじめ『哲学者』というタイトルだった。)
・スピノザの失われた論文『虹の論文』は、フェルメールとの交流の結果書かれたものだった、とも考えられる。

ちなみに、スピノザとフェルメールは同じ年に生まれ、同じ町に暮らしていました。
それにしても、「永遠」に関するやや抽象的な話の後で、急にふたりのつながりについて具体的な内容になるので、読んでいて面食らうほどです。その真偽は、とりあえずよくわかりませんが、スピノザの自画像の図版など見ると、そうかもしれないな、と思ってしまいます。なかなか楽しい話ではないでしょうか。
ただし、もしもいまの私たちがこの本から何か学ぶとしたら、やはり難解な前半部分でしょう。私のように、スピノザの思想もよくわからずに、フェルメールとの共通部分について理解しようというのはナンセンスです。しかるべき学習をして、再度この本に書かれていることが納得できるのかどうか、考えてみることにします。

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