絵本作家のエリック・カール(Eric Carle、1929 - 2021)が亡くなりました。『はらぺこあおむし』で有名な作家です。
しかし、カールさんには申し訳ありませんが、今回はカールさんの話ではありません。カールさんの訃報を聞いて、なぜかレオ・レオニ(Leo Lionni、1910 - 1999)のことを思い出したのです。レオ・レオニといえば『スイミー(Swimmy) 』とか、『あおくんときいろちゃん (Little Blue and Little Yellow)』などの絵本で有名です。これらの絵本の発想も素晴らしいのですが、私がレオ・レオニのことを意識したのは『平行植物』という本を読んでからです。もしも『平行植物』を読んだことがなかったら、こちらをご覧ください。
https://www.kousakusha.co.jp/rcmd.html
レオニの絵も素晴らしいけれど、文字だけ読んでも楽しいです。
エリック・カールの訃報とは何の関係もないので、話のきっかけとしてはちょっと無理矢理ですけれど、なぜか『平行植物』が頭をよぎってしまったので、そのことについて触れてみたいと思います。
それでは、名前も発想も楽しい「平行植物」の例を三つだけあげておきましょう。
01 マネモネ
平行植物中もっとも非有機的で、人工的な感じさえ漂わせている。自然が芸術を模倣するのか、芸術が自然を模倣するのか? 18世紀バロック調の装飾芸術に一歩もひけをとらない自然の芸術作品である。
02 メデタシ
「芽が出ている」のか、「芽を出している」のか?
全平行植物中、もっともあいまいな存在でありながら、その芽はミサイルのごとく太陽に攻撃的に向きあっている。
07 フシギネ
遠くから見ても近くに寄っても同じ大きさに見えるという奇妙な性質がある。植物が空間を歪めるのか、あるいはわれわれの知覚が異常を起こすのか?
すべてレオニの創作です。でも、イラストを見ると本当にありそうな植物です。そしてそれだけではなくて、植物なのか、人工物なのか、それともたんなる視覚的な錯覚なのか・・・、というふうに、私たちの頭の中の常識的な分類を冗談めいた口調で突き崩してしまいます。こういう時だからこそ、このような頭が柔らかくなる想像の世界に遊んでみてはいかがでしょうか。私は学生時代に『平行植物』を読んだのですが、その後に海辺を歩くと、いたるところに「夢見の杖」や「ツキノヒカリバナ」が砂浜に落ちているのを発見することができました。浜に打ち上げられた海藻や木片は、本当に不思議な形をしていて、私たちが目を向けさえすれば、楽しい空想の素材がそこら中に落ちているのです。
このように『平行植物』の面白さというのは、私たちの生活や文化の中の根本的な部分に触れているところだろうと思うのですが、レオニ自身は『平行植物』の「はじめに 植物である前にことばであった植物たち」でこう書いています。
私はここ数年、塀のこちら側の日常的な現実に対するときのわれわれの論理に似通った独自の内的論理をもつ想像上の植物に、紙やキャンバスの上で、あるいはブロンズを使って生命を吹きこむ努力を重ねてきた。近年発見された不可思議な植物群は、混沌としたわれわれの記憶や夢の中に浮かぶ、あいまいで漠然としたイメージに具体的な形態をもたせたものである。私はこれらの植物に、偽りの客観性と神人同性同形論的な意味をはらむ、確固とした実質を与えたかった。この作業は、芸術的な“自然描写”(この場合、木や花は数本の巧妙な線で十分表現できる)とは異なり、いっさいの妥協を許さぬ厳密さを首尾一貫して冷静に保つことが要求された。美的な意味でのマンネリズムが僅かでも入りこんだりすれば、さらには著者の工夫を損ない、ひいては幻想そのものを裏切ることになるのである。
『平行植物』はこうした冒険の産物である。もともとは、スケッチやノートがただごちゃ混ぜになっていたのだが、これらは私の絵や彫刻の詩的密度を高めるのに役だつだろうと考えたのだ。
(『平行植物』「はじめに 植物である前にことばであった植物たち」)
ここに書かれているように、レオニは自分の「想像上の植物」に「生命を吹きこむ努力」を重ねたのですが、この後も簡単にはいかなかくて結構な苦労をしたようです。そして試行錯誤を重ねた結果、本物の学術書のような『平行植物』という著書が出来上がったというわけです。
「平行植物」は原語では、“La botanica parallela”だそうです。“parallela”が「平行」という意味にあたるのでしょうが、今やSFの世界では「平行世界」などと日本語でいうよりも「パラレル・ワールド」と言った方が馴染みが良いようですから、「平行植物」も「パラレル植物」と言った方がイメージしやすいのかもしれません。現実の世界の植物とは異なるもう一つの植物、というわけです。そのことにかんして、作家の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう、1956 - )が『平行植物』の書評の中で、次のような興味深いことを書いています。
「この本では、まるで老植物学者がこれまでの長年の研究成果を丹念に披瀝(ひれき)するかのように、「植物学の歴史」から説き起こされる。ところがこれは、じつに学術的な体裁で描かれるフィクションなのである。
読み進めていくうちに、そうか、植物学はもちろん、医学も哲学も、いや、あらゆる学問とはフィクションだったのだ、と気づく。いやいや、それどころか、我々が「現実」と呼んでいるものだって、ある一定の認識の枠組に則(のっと)って捕捉されている以上、一種の虚構ではないか。
狂おしいまでに丁寧に詳細に述べられるフィクションは、ただ有ることに安住する現実よりも、遥かに強力なリアリティを発している。私はこの本を読むたびに、人間にとって虚構性というものがいかに根深く侵食し、不可欠になっているかを思い知る。」
ここで玄侑が「あらゆる学問とはフィクションだった」というのはどういう意味でしょうか。ちょっと難しい話になりますが、例えばミシェル・フーコー(Michel Foucault 、1926 - 1984)というフランスの哲学者、思想史家の本に『言葉と物』があります。これは人間の知の枠組みが時代によってごそっと変わってしまうことを示した本です。知の枠組みが変わってしまうということは、その枠組みのおおもとのところにいるはずの、「人間」という存在そのものが現在と過去とで違っている、ということです。
私たちは、あたかも過去から現在の私たちへと連綿と続く歴史の連続性を信じていますが、それが壮大なフィクションだとしたらどうでしょうか。あらゆる歴史や学問が、現在の私たちを中心として描かれた物語の一つである、ということなのです。レオニの『平行植物』は、植物学をモチーフとしたそのパロディである、とも言えるでしょう。空想上の植物も、このように体系化されてみれば、現実の植物学に負けないような存在感をもってしまう・・・、その擬似現実性が、レオニのユーモアと結びついて独自のおかしみを生んでいるのです。
少し理屈っぽい話になりましたが、この本を読むときに、そんなに難しいことを考えなくても大丈夫です。とにかく、レオニの壮大なユーモアを楽しんで、その世界で遊んでしまえば良いのです。さっそく、あなただけの「平行植物」を見つけてみましょう。
さて、今回は前回の続きです。前回、私は次のように書きました。
「そして川端と大江の受賞講演を比較してみると、エキゾチックな日本らしさを強調する時代はもはや過ぎて、日本人としての存在感を訴えるなら、その負の遺産も引き受ける覚悟がなければならない、ということが既に25年以上前の大江の講演で示されているのです。そのヒリヒリするような現実を直視するということは、どういうことなのか、次回以降も、もう少しそのことを考えてみたいと思います。」
その現実を直視するという姿勢を、ひたすらに継続している人がいます。それが辺見庸(へんみ よう、1944 - )という作家、詩人です。辺見庸はこの4月に『コロナ時代のパンセ』という新しい本を出しました。職場の親切な方からその本をいただいたので、毎日少しずつ、味わいながら読んでいます。その感想を書き留めながら、辺見庸の文章になぜ私が惹かれるのか、ということを考えてみたいと思います。
まずは辺見庸のことをご存知ない方のために、簡単な紹介を試みてみましょう。
辺見庸は宮城県石巻市出身だそうです。早稲田大学を卒業して共同通信社で活躍したエリートでした。彼はこの時代の自分を、功名心にあふれたジャーナリストとして否定的に振り返ることがしばしばあります。その一方で、在職中に小説『自動起床装置』を書いて芥川賞を受賞し、また1994年(平成6年)には困難な状況下で生きる人たちの食を取材した『もの食う人びと』によって第16回講談社ノンフィクション賞を受賞しました。そして1995年(平成7年)に地下鉄サリン事件に遭遇し、翌年に共同通信社を退社してフリーの作家となります。
私は、朝日新聞に掲載されていた辺見のコラムを読んで、こんな人がいるのか、とびっくりして彼の文章を読むようになりました。とにかく難しい漢字が多くて、文章も読みにくく、読みたければ我慢して読め、と言わんばかりのコラムでした。のちに単行本になった時には、多少読みやすい表記になっていましたが、新聞紙上に彼の文章が一区画を占めていたということは、とても愉快なことでした。それから遡って『もの食う人びと』や『自動起床装置』という彼の著作を読んだのですが、とくに『もの食う人びと』には惹かれました。
その頃、私が就職して15年ほど過ぎた頃でしたが、世界ではとても激しい動きがありました。発端は、2001年のニューヨーク同時多発テロでした。翌年にはアメリカのブッシュ大統領が北朝鮮や、イラン、イラクを「悪の枢軸」と呼び、2003年にはイラクに大量破壊兵器があることを口実にしてイラク戦争を始めました。この頃に緊迫感を持って矢継ぎ早にエッセイを発表したのが、作家の池澤夏樹(1945 - )と辺見庸でした。池澤夏樹はメールマガジンを配信しながら平和の大切さを懇々と語り、辺見は「私はブッシュの敵である」と公言して時の為政者を批判したのでした。そして彼らの発言も虚しく、イラク戦争は開始され、その後の世界の混乱に拍車がかかり、おまけに大量破壊兵器は見つからなかった、というオチまでついて、現在にいたっているのです。
そのころの辺見は、言葉は悪いのですが、殺されても死なないようなタフな人に見えました。しかし現実の彼は、2004年に講演のさなかに脳出血で倒れ、翌年には大腸癌にも冒されていたことを公表しました。たぶん、いろいろと無茶な生活を送っていた結果なのではないか、と想像します。しかし、その後は仕事に復帰して、エッセイのほかにいくつかの詩集を発表して、中原中也賞、高見順賞など詩の分野における大きな賞を受賞しました。そして5年ほど前に『1★9★3★7』という強烈な本を出版しましたが、私はまだこの本をちゃんと受け止めることができていません。そのことについては、後で触れることにします。
さて、そんな満身創痍の辺見庸ですが、彼はどんな日常を生きているのでしょうか。彼はどうやら、犬と同居しているようです。
脳出血で倒れてからもう15年になる。2ヶ月ほどの入院生活が明けたと思ったら、お次はがんだといわれてまた入院、手術。やれやれとため息をついて間もなく、別のがんが見つかって、ふたたび入院、1ヶ月の放射線治療。その後も検査だのリハビリだのと病院をはさっぱり縁が切れない。いや、なに、苦労自慢をしたいわけではない。犬の話をしたいのである。
15年のうち、10年は小さな雌犬と寝起きをともにしている。生後3ヶ月でわたしと暮らしはじめてから、正確には10年と10ヵ月。その間、仕事でやむをえず彼女と離れたのは3日か4日だけ。つまり犬はわたしの影、もしくは、わたしは犬の影といった、常住あって当たり前の関係である。と言えば、「形影相弔う」といった孤独でうら寂しいだけの生活みたいだが、じっとこちらの目をうかがっているだけ。返答がなくても、とくに困りはしない。彼女の反射的気配というのか、顔の翳り、目のかがやき、尻尾の立てぐあいで、おのずと諾否や関心と無関心のほどがつたわってくるから。
しかし、戦慄すべき疑問が10年たっても解けないでいる。犬とはこんなにうまくやっていけるのに、人間とはなぜ容易に協調できないのだろうかーこう訝ると同時に、これがひどい愚問であることもとくと承知している。わたしと犬は支配と隷従の関係にあり、この関係性は絶対で、逆転することはありえないからだ。にしても・・・と、わたしは口ごもる。
(中 略)
わたしは彼女にひたすら話しかける。犬は首を傾げたり、あくびをしたりしつつも、ともかくもわたしの訴えやグチに耳をかす。ときには小説の話もする。ガルシア・マルケスの「青い犬の目」やブッツァーティの「神を見た犬」のこと。中島敦の「牛人」のこと。彼女はいやがらない。わたしの腕に顎をのせて、まどろみながら聞いていたりする。こうなると支配と隷従の関係なんかではない。
笑われるかもしれないが、彼女はわたしよりもよほど“大人”だ。気まぐれに話しかけるわたしは、まるでやんちゃな“子ども”である。
(『コロナ時代のパンセ』「2020年 犬」辺見庸)
健全な人から見れば、何だか世捨て人の生活のように見えるかもしれません。しかし、過酷な脳出血のリハビリや癌の放射線治療に耐える人間が、ただの世捨て人であるはずがありません。また、たとえ聞き手が犬であっても、ガルシア・マルケスや中島敦の話をしたいという欲求が湧いてくるのですから、文学や言葉に対する執着は衰えていないのだと思います。そして話が進むうちに、いつの間にか犬との隷従関係が倒錯してしまう、という冷徹でありながら極めて人間的な自己分析がなされているところが辺見らしい文章だと思います。
そんな辺見が、今のこの状況をどう見ているのでしょうか。かつてのようにタフに動き回るジャーナリストとしてではなく、身体の不自由な老人としての彼がどんなことを書いているのか、気になります。この本に掲載されている文章の中から、2021年になってから書かれたものを見てみましょう。
宅配業者は食品の受取人よりもウイルスにさらされる可能性が高い。にもかかわらず、なぜ働きつづけるのか?ー現代フェミニズム思想界を代表する米国の哲学者ジュディス・バトラーはかつて、ごく当たり前の、しかし、であるがゆえに、めったには問われることがなかった問いを問うた。答えはいたって簡単である。相当のリスク(場合によっては「死」)があっても、失業したくないからである。
現実は小理屈では済まないほどリアルである。もともとそうだったのだが、ますます隠しようがないほどに切羽づまってきた。コロナと大不況・・・人間はいまや「生きるか死ぬか」というほどに追いつめられていると言ってもオーバーではないだろう。失業したくないから、条件が悪くとも働きつづける。だが、働くのも命がけである。生活のためにはウイルス感染の危険を冒してでも労働せざるをえない。失業ー貧困ー病気ー無収入のプロセスは、もともと頼りないセーフティネットから容易に漏れ、死へと直結する。「誰が命がけで働くのか。誰が死ぬまで働かされるのか。誰の労働が低賃金で、最終的には使い捨て可能で代替可能なものなのか」。バトラーによれば、パンデミックはこれら「一般的な問い」を、あらためて生々しく浮かびあがらせ、答えを迫っている。「職業に貴賎なし」「同一労働・同一賃金」といったお題目は、依然、“正論”であるのかもしれないが、従来の足場を失いつつあるのだ。
(中 略)
コロナの時代のいま、哀しいかな、「生は特権化された人々の権利にすぎない」(バトラー)のかもしれない。貧しき人びとは、にもかかわらず、コロナの死線を越えて日々働き続けなければならない。でなければ、今日を生きながらえることができないからだ。
(『コロナ時代のパンセ』「2021年 なぜ働きつづけるのか」辺見庸)
ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956 - )は、アメリカ合衆国の哲学者で、文中にあるように現代フェミニズム思想を代表する一人とみなされているとのことです。翻訳された本もたくさんあるようですが、私は読んだことがありません、すみません。
さて、ここで書かれているのは、外出自粛が盛んに言われていた時期でさえ、家にこもっている人たちのためにせっせと荷物を届け続けた宅配業の人たちのことです。私たちはネットで予約した荷物が即座に届く便利さの中で、まるで彼らが透明人間にでもなったかのように、その存在を半ば意識的に忘れて荷物を受け取っていました。その後、宅配業者や医療従事者、スーパーで働く人たちなど、感染のリスクの中で懸命に働く人たちのことが話題になりましたが、ここで辺見は「労働」と「賃金」という観点から宅配業の人たちのことを考えています。「生は特権化された人々の権利にすぎない」ということは、簡単に言ってしまえば、生きる権利は経済的に恵まれた人たちにのみ与えられるもので、それ以外の人たちは「死線を越えて」働かなければならない、ということを表しているのです。この「労働」と「賃金」から見えてくる歪んだ世界の構造は、コロナウイルスによって明確化されただけで、実はそれ以前からあったのです。
例えば2014年に書かれた文章で、大飯原発に関するものを見てみましょう。その前に、事実を確認するために次の記事を読んでみてください。
大飯原発の運転差し止め、福井地裁判決 再稼働厳しく
東京電力福島第1原発事故後、安全性の保証をせずに大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県の住民らが関西電力に運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁(樋口英明裁判長)は21日、現在定期検査中の2基を「運転してはならない」と命じ、再稼働を認めない判決を言い渡した。福島事故後、原発の差し止めを認める判決は初めて。
運転再開を決定した当時の民主党政権の判断が否定されるとともに、その後に事実上追認した原子力規制委員会の姿勢も問われる。関電が再稼働を目指し規制委で審査中の2基だけでなく、各原発の審査にも影響を与えそうだ。
(2014年5月21日 日本経済新聞)
この福井地裁の判決について、辺見が書いたのが次の文章です。
それもあって、関西電力大飯原発3、4号機の運転差しとめを命じた5月21日の福井地裁の判決に接したとき、うれしさよりもさきに、われとわが身をつねってみる気分になった。いつもならば木で鼻をくくったような司法の言葉なのに、このたびはいっそ懐かしいひとの温みと理想への意欲がかんじられたからである。とくに、「人格権」という忘れかけていた言葉を聞いて、すわりなおした。原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ、つまり人格権は原発より上位にある、というのである。おもえば、ごくあたりまえのことである。「原子力発電に内在する本質的な危険」もくりかえし指摘された。福島原発事故の惨憺たる経験にたてば、これも理の当然だ。
人格権は、富める者と貧しい者とを問わず、人間存在の尊厳に直結する諸権利の概念であり、憲法13条の「幸福追求権」からもみちびかれる基本的人権のひとつである。この権利はほんらい、民法や商法など私法上の権利だというけれども、「生存権」とともに、私法、公法のべつない普遍的概念であるべきだ。判決は「人格権を放射性物質の危険から守る観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱な者」と断じ「原発停止で多額の貿易赤字がでるとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ」と言う。論旨は画期的というよりも、人びとのしごくまっとうな本音を代弁している。
でも、ずいぶんと不思議な話ではないか。ごくたまにまっとうなことを言うと、びっくりされ、画期的とまで称される。つまりは、この世はまっとうではなく、身も心もまっとうでないことに慣らされている。いま生きることの気疎さとそこはかとない屈辱感は、条理にかなわぬことに、知らず知らずに、従わせられていることからくるのではないか。判決の要義が、原発というものの<根本的不可能性>の指摘にあるのは明らかであり、控訴されたにせよ、そのことをひるまず提言した判決には、つかのま青空を仰いだような救いをかんじた。しかし、トルコなどへの原発輸出を可能にする原子力協定が、自民、公明、民主各党の賛成多数で承認され、政府は原発を「重要なベースロード電源」として再稼働路線を変えていない。この国の権力者は、福井地裁判決を歯牙にもかけず、自国だけでなく他国の住民の人格権までおかすのをなんら恥じていない。青空を求めてはいない。
(『コロナ時代のパンセ』「2014年 青空と気疎さ」辺見庸)
5月21日の福井地裁の判決そのものは良かったのですが、結局、そのニュースを朗報にしてしまうこの世界の構造はいったい何なのか、という疑問が湧いてしまいます。「原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ、つまり人格権は原発より上位にある」という福井地裁の判断は、揺るがない世界の構造であるべきだ、と思うのですが、どうも現実はそう簡単ではないようです。例えば、その一方で政府は原発を「ベースロード電源」と位置づけており、2021年の現在では原発の新設すら進めていこう、という動きが顕在化しています。。私はニュースに疎い人間なので、こういう訳の分からないところで揺れている事象を追いかけるのが苦手ですが、結局のところ、大飯原発は今年の初めに再稼働の運びとなったはずですが、間違っていないでしょうか。関西電力と東京電力の違いがあるとはいえ、福島第一原子力発電所の放射性物質を含む処理水の処分方法でもめているのに、次々と原発を動かし、あるいは新設するというのは、ブレーキに欠陥がある車でスピードを加速していくのと同じことではないか、と思うのですが・・・。
こんなふうに、辺見の本を読み出すと、世界が抱える構造的な矛盾が暴かれていき、それを黙認している自分自身も同罪である、と気付かされるので、読んだ後の自問自答が止みません。最後にもう一つ、沖縄についての文章を取り上げておきましょう。
沖縄についてのきれいごとは耳がくさるほど聞いた。じっさいにまだ耳はくさらないまでも、心が相当に穢れた。
「普天間飛行場の危険性を除去する、そして沖縄県の基地負担を少しでも、しかし、しっかりと軽減していく。これは国も沖縄もまったく同じ思いで、ちがいはないと思います」といった現政権トップの戯言にひとしい話(ことし3月)にヤマトンチュー(ニッポンジン)はもう慣れっこになり、怒りもしない。沖縄とウチナンチュー(沖縄人)の痛みと怒りを知るには、おそらく真剣な学習と再学習が要る。それには、教材がたいせつであり、おそらくホンドの新聞、テレビでは無理だ。
昨年秋のことだが、沖縄の作家、目取真俊さんがこんな発言をしていた。沖縄はなめられている、と。
「・・・なめられてあたり前だと思っています。パレスチナでは子どもたちがイスラエル軍の戦車に石を投げているのに、(沖縄の米軍基地前では)シュプレヒコールして、プラカードで抗議しているだけですからね。アメリカ兵から、お前ら自爆テロもできないだろうと思われて、あたりまえなわけです。」(「神奈川大学評論」82号)
目取真さんの表現には、おためごかしやきれいごとがない。かわりに、憤怒をかかえた生身が黒い傷口をひらいて読み手の前にたちはだかる。読者は狼狽し、からだの深いところに痛みが移植される。「よその国ではレイプしたら報復されて殺されるかもしれないが、沖縄、日本ではそんなことはない。ウチナンチュー、日本人はみな腰抜けで、敗戦後アメリカに精神的にスポイルされてきたからこんな状況になっているわけですよ」(同)
米兵にしてみれば、沖縄は「ぬくぬくとしたリゾート空間」であり「夜中に酒飲んで歩いても後ろから刺されることもなければ、撃ち殺されることもない」と作家は語っている。
沖縄を「なめている」米軍やホンドの政権と、そこを「リゾート」としか見ることのできないホンドからの観光客がかさなってくる。観光客だけではない、首相以下ホンドの大半が沖縄をなめている、とわたしも思う。
(『コロナ時代のパンセ』「2016年 <きれいごと>と生身」辺見庸)
これを読んで、さすがに「自爆テロ」を称揚するような言い方はまずい、と顔をしかめたり、沖縄を「リゾート」としてしか見ない、というくだりに思い当たったり、と、とにかく愉快な文章ではありません。しかし、沖縄の基地の問題に関しては、私たち一人一人が他人事では済まないはずで、例えば辺野古の沖合が横浜だったら、私たちは政府の無謀を許すでしょうか?さらにその下に軟弱な地盤があることが明らかだったら、そしてそれを埋め立てて滑走路にするなどという馬鹿なことをされたら、それだけでも政権がひっくり返るほどの大騒ぎになるのだろうと思います。それが、日本の南端の遠いところの話だと、なぜか他人事のような気がしてしまうのです。今回のコロナ感染に関する数々の不手際があってすら、現政権の支持率が35%以上あるわけですから、沖縄で何をやっても影響はない、と為政者は考えるのも当然です。沖縄で何か起こるたびに、政権支持率が10%ずつでも落ちていけば、為政者も本気で沖縄のことを考えると思うのですが、残念ながらそうはなっていません。これは私たち自身も政権と同罪であることを示す数値なのです。
さて、この『コロナの時代のパンセ』から離れて、先ほど少し触れた『1★9★3★7』という作品について、少しだけ触れておきたいと思いますです。
『1★9★3★7』の文庫版の裏表紙には、このように書かれています。
1937年中国で父祖たちはどのように殺し、強姦し、略奪したか。いかに記憶を隠蔽し口をつぐんできたか。自分ならその時どうしたか。父の記憶をたぐり、著者は無数の死者の声なき慟哭と震えに目をこらす。戦争の加害にも被害にも責任をとらず、総員「忘れたふり」という暗黙の了解で空しい擬似的平和を保ってきた戦後ニッポン。その欺瞞と天皇制の闇を容赦なく暴きだした衝撃作。
この『1★9★3★7』は、1937年の日本軍による南京事件を主な題材としながら、日本の戦争責任について考察した作品です。その中では堀田善衛(ほったよしえ、1918 - 1998)の『時間』という南京事件を中国人の立場から描いた小説や、武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912 - 1976)の小説や話などが参照されています。そして辺見自身がこだわったことは、自分の父親もその虐殺事件に加担したのではないか、あるいは同様の殺戮を行なったのではないか、という疑いです。そんな疑問も交えて、日本の戦争責任を自分自身に引き寄せて考え尽くしたのが『1★9★3★7』という作品です。例えば、その父親の死に瀕した場面を描いた次の部分を読んでみてください。
子どものころ、あの男を、父を、殺そうとおもったことがある。よりせいかくに言えば、父を、殺してあげようとおもったことがある。だれもいない入江で、永遠に釣れることのない釣りをしていたときも、一刹那、殺意がわいた。かれもそうされるのを望むこともなく望んでいたような気もする。しかし、殺さなかった。かれはすでに(少なくとも部分的には)死んでいたからだ。父はときおり、おもく病んだ犬のような目をしていた。かっと目を見ひらいて横倒しにドブ川をながれてゆく死んだ獣のような顔。そのような目は、戦争の時間を生きてしまったひととして、なにかありていにもおもわれ、怖かったが、かならずしもきらいにはなれなかった。このひとはなにをしてきたのだ。なにをみてきたのか。それらの疑問は、けっきょく問いたださなかったわたしにも、不問いに付すことで受傷をさける狡いおもわくがどこかにあったのであり、ついにかたることのなかった父と、ついにじかには質さなかったわたしとは、おそらく同罪なのだ。訊かないことーかたらないこと。多くのばあい、そこに戦後の精神の怪しげな均衡がたもたれていた。ついでに言えば、これはそれでよかったのだが、あのひとの口からは、たしか、「人間性」という、敗戦後のはなはだ不用意なことばを、いちども聞いたことがなかった。言えた義理ではないとおもっていたかどうかはわからない。ただ、こちらとしては「人間性」なんてことを戦争帰りのかれから聞かなくてよかったと内心おもっている。「人間性」などとうっかり口にしたりしない、記憶と<節操>くらいは、かれのなかでかろうじてたもたれていた。わたしはそうおもいたかった。
(『1★9★3★7』「第五章 静謐と癇症」辺見庸)
このような認識に対して、例えば私は、前の為政者が平成27年8月14日の記者会見で次のように述べたことを思い出します。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
これだけを読むと、とても謙虚な正論のようにも見えます。しかし「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と言っていることがどんなに過酷なことであるのか、この為政者はわかっているのでしょうか。その困難さを告げているのが『1★9★3★7』という本なのだと思います。
例えば、私も私の父のことを考えてみます。私の父は、もうずいぶん前に亡くなっていますが、彼は幸いなことに戦争で現地に行く前に終戦を迎えたのだそうです。だからそれでいい、というわけにはいかないでしょう。父と同世代で戦争に行って亡くなった人はどれほどいて、そのことを父はどう思っていたのでしょうか、そもそも父も戦争に行けば人を殺したのでしょうか、そのことについて父はどう考えていたのでしょうか、などと過去と向き合うためには、私が父の子供の世代として聞いておかなければならないことがたくさんあったと思います。けれども、私は一度もそんな話を父としたことがありません。そんなことを聞くと父を責めるようなことになってしまいますし、そもそもそれは聞いてはいけないことのように思っていました。そして何よりも私のずるいところは、父が亡くなっているから安心してこんなことを書いている、ということです。父が存命だったら、このような話題には触れなかったでしょう。こんなことで「その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉に頷いて良いものでしょうか。
不甲斐ない読み込みでしたが、『1★9★3★7』と『時間』は、いつでも手に取れるように文庫本で手元に置いてあります。いずれ本格的に論じることができるようになったら、また書いてみたいと思います。
なお、『1★9★3★7』の下巻に付されている徐 京植(ソ・キョンシク、1951 - )の解説も読み応えがあります。彼の書いた『青春の死神 記憶のなかの20世紀絵画』、『ディアスポラ紀行 追放された者のまなざし 』は、独自の眼で見た美術論として興味深いものがあります。機会があったら、読んでみてください。
しかし、カールさんには申し訳ありませんが、今回はカールさんの話ではありません。カールさんの訃報を聞いて、なぜかレオ・レオニ(Leo Lionni、1910 - 1999)のことを思い出したのです。レオ・レオニといえば『スイミー(Swimmy) 』とか、『あおくんときいろちゃん (Little Blue and Little Yellow)』などの絵本で有名です。これらの絵本の発想も素晴らしいのですが、私がレオ・レオニのことを意識したのは『平行植物』という本を読んでからです。もしも『平行植物』を読んだことがなかったら、こちらをご覧ください。
https://www.kousakusha.co.jp/rcmd.html
レオニの絵も素晴らしいけれど、文字だけ読んでも楽しいです。
エリック・カールの訃報とは何の関係もないので、話のきっかけとしてはちょっと無理矢理ですけれど、なぜか『平行植物』が頭をよぎってしまったので、そのことについて触れてみたいと思います。
それでは、名前も発想も楽しい「平行植物」の例を三つだけあげておきましょう。
01 マネモネ
平行植物中もっとも非有機的で、人工的な感じさえ漂わせている。自然が芸術を模倣するのか、芸術が自然を模倣するのか? 18世紀バロック調の装飾芸術に一歩もひけをとらない自然の芸術作品である。
02 メデタシ
「芽が出ている」のか、「芽を出している」のか?
全平行植物中、もっともあいまいな存在でありながら、その芽はミサイルのごとく太陽に攻撃的に向きあっている。
07 フシギネ
遠くから見ても近くに寄っても同じ大きさに見えるという奇妙な性質がある。植物が空間を歪めるのか、あるいはわれわれの知覚が異常を起こすのか?
すべてレオニの創作です。でも、イラストを見ると本当にありそうな植物です。そしてそれだけではなくて、植物なのか、人工物なのか、それともたんなる視覚的な錯覚なのか・・・、というふうに、私たちの頭の中の常識的な分類を冗談めいた口調で突き崩してしまいます。こういう時だからこそ、このような頭が柔らかくなる想像の世界に遊んでみてはいかがでしょうか。私は学生時代に『平行植物』を読んだのですが、その後に海辺を歩くと、いたるところに「夢見の杖」や「ツキノヒカリバナ」が砂浜に落ちているのを発見することができました。浜に打ち上げられた海藻や木片は、本当に不思議な形をしていて、私たちが目を向けさえすれば、楽しい空想の素材がそこら中に落ちているのです。
このように『平行植物』の面白さというのは、私たちの生活や文化の中の根本的な部分に触れているところだろうと思うのですが、レオニ自身は『平行植物』の「はじめに 植物である前にことばであった植物たち」でこう書いています。
私はここ数年、塀のこちら側の日常的な現実に対するときのわれわれの論理に似通った独自の内的論理をもつ想像上の植物に、紙やキャンバスの上で、あるいはブロンズを使って生命を吹きこむ努力を重ねてきた。近年発見された不可思議な植物群は、混沌としたわれわれの記憶や夢の中に浮かぶ、あいまいで漠然としたイメージに具体的な形態をもたせたものである。私はこれらの植物に、偽りの客観性と神人同性同形論的な意味をはらむ、確固とした実質を与えたかった。この作業は、芸術的な“自然描写”(この場合、木や花は数本の巧妙な線で十分表現できる)とは異なり、いっさいの妥協を許さぬ厳密さを首尾一貫して冷静に保つことが要求された。美的な意味でのマンネリズムが僅かでも入りこんだりすれば、さらには著者の工夫を損ない、ひいては幻想そのものを裏切ることになるのである。
『平行植物』はこうした冒険の産物である。もともとは、スケッチやノートがただごちゃ混ぜになっていたのだが、これらは私の絵や彫刻の詩的密度を高めるのに役だつだろうと考えたのだ。
(『平行植物』「はじめに 植物である前にことばであった植物たち」)
ここに書かれているように、レオニは自分の「想像上の植物」に「生命を吹きこむ努力」を重ねたのですが、この後も簡単にはいかなかくて結構な苦労をしたようです。そして試行錯誤を重ねた結果、本物の学術書のような『平行植物』という著書が出来上がったというわけです。
「平行植物」は原語では、“La botanica parallela”だそうです。“parallela”が「平行」という意味にあたるのでしょうが、今やSFの世界では「平行世界」などと日本語でいうよりも「パラレル・ワールド」と言った方が馴染みが良いようですから、「平行植物」も「パラレル植物」と言った方がイメージしやすいのかもしれません。現実の世界の植物とは異なるもう一つの植物、というわけです。そのことにかんして、作家の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう、1956 - )が『平行植物』の書評の中で、次のような興味深いことを書いています。
「この本では、まるで老植物学者がこれまでの長年の研究成果を丹念に披瀝(ひれき)するかのように、「植物学の歴史」から説き起こされる。ところがこれは、じつに学術的な体裁で描かれるフィクションなのである。
読み進めていくうちに、そうか、植物学はもちろん、医学も哲学も、いや、あらゆる学問とはフィクションだったのだ、と気づく。いやいや、それどころか、我々が「現実」と呼んでいるものだって、ある一定の認識の枠組に則(のっと)って捕捉されている以上、一種の虚構ではないか。
狂おしいまでに丁寧に詳細に述べられるフィクションは、ただ有ることに安住する現実よりも、遥かに強力なリアリティを発している。私はこの本を読むたびに、人間にとって虚構性というものがいかに根深く侵食し、不可欠になっているかを思い知る。」
ここで玄侑が「あらゆる学問とはフィクションだった」というのはどういう意味でしょうか。ちょっと難しい話になりますが、例えばミシェル・フーコー(Michel Foucault 、1926 - 1984)というフランスの哲学者、思想史家の本に『言葉と物』があります。これは人間の知の枠組みが時代によってごそっと変わってしまうことを示した本です。知の枠組みが変わってしまうということは、その枠組みのおおもとのところにいるはずの、「人間」という存在そのものが現在と過去とで違っている、ということです。
私たちは、あたかも過去から現在の私たちへと連綿と続く歴史の連続性を信じていますが、それが壮大なフィクションだとしたらどうでしょうか。あらゆる歴史や学問が、現在の私たちを中心として描かれた物語の一つである、ということなのです。レオニの『平行植物』は、植物学をモチーフとしたそのパロディである、とも言えるでしょう。空想上の植物も、このように体系化されてみれば、現実の植物学に負けないような存在感をもってしまう・・・、その擬似現実性が、レオニのユーモアと結びついて独自のおかしみを生んでいるのです。
少し理屈っぽい話になりましたが、この本を読むときに、そんなに難しいことを考えなくても大丈夫です。とにかく、レオニの壮大なユーモアを楽しんで、その世界で遊んでしまえば良いのです。さっそく、あなただけの「平行植物」を見つけてみましょう。
さて、今回は前回の続きです。前回、私は次のように書きました。
「そして川端と大江の受賞講演を比較してみると、エキゾチックな日本らしさを強調する時代はもはや過ぎて、日本人としての存在感を訴えるなら、その負の遺産も引き受ける覚悟がなければならない、ということが既に25年以上前の大江の講演で示されているのです。そのヒリヒリするような現実を直視するということは、どういうことなのか、次回以降も、もう少しそのことを考えてみたいと思います。」
その現実を直視するという姿勢を、ひたすらに継続している人がいます。それが辺見庸(へんみ よう、1944 - )という作家、詩人です。辺見庸はこの4月に『コロナ時代のパンセ』という新しい本を出しました。職場の親切な方からその本をいただいたので、毎日少しずつ、味わいながら読んでいます。その感想を書き留めながら、辺見庸の文章になぜ私が惹かれるのか、ということを考えてみたいと思います。
まずは辺見庸のことをご存知ない方のために、簡単な紹介を試みてみましょう。
辺見庸は宮城県石巻市出身だそうです。早稲田大学を卒業して共同通信社で活躍したエリートでした。彼はこの時代の自分を、功名心にあふれたジャーナリストとして否定的に振り返ることがしばしばあります。その一方で、在職中に小説『自動起床装置』を書いて芥川賞を受賞し、また1994年(平成6年)には困難な状況下で生きる人たちの食を取材した『もの食う人びと』によって第16回講談社ノンフィクション賞を受賞しました。そして1995年(平成7年)に地下鉄サリン事件に遭遇し、翌年に共同通信社を退社してフリーの作家となります。
私は、朝日新聞に掲載されていた辺見のコラムを読んで、こんな人がいるのか、とびっくりして彼の文章を読むようになりました。とにかく難しい漢字が多くて、文章も読みにくく、読みたければ我慢して読め、と言わんばかりのコラムでした。のちに単行本になった時には、多少読みやすい表記になっていましたが、新聞紙上に彼の文章が一区画を占めていたということは、とても愉快なことでした。それから遡って『もの食う人びと』や『自動起床装置』という彼の著作を読んだのですが、とくに『もの食う人びと』には惹かれました。
その頃、私が就職して15年ほど過ぎた頃でしたが、世界ではとても激しい動きがありました。発端は、2001年のニューヨーク同時多発テロでした。翌年にはアメリカのブッシュ大統領が北朝鮮や、イラン、イラクを「悪の枢軸」と呼び、2003年にはイラクに大量破壊兵器があることを口実にしてイラク戦争を始めました。この頃に緊迫感を持って矢継ぎ早にエッセイを発表したのが、作家の池澤夏樹(1945 - )と辺見庸でした。池澤夏樹はメールマガジンを配信しながら平和の大切さを懇々と語り、辺見は「私はブッシュの敵である」と公言して時の為政者を批判したのでした。そして彼らの発言も虚しく、イラク戦争は開始され、その後の世界の混乱に拍車がかかり、おまけに大量破壊兵器は見つからなかった、というオチまでついて、現在にいたっているのです。
そのころの辺見は、言葉は悪いのですが、殺されても死なないようなタフな人に見えました。しかし現実の彼は、2004年に講演のさなかに脳出血で倒れ、翌年には大腸癌にも冒されていたことを公表しました。たぶん、いろいろと無茶な生活を送っていた結果なのではないか、と想像します。しかし、その後は仕事に復帰して、エッセイのほかにいくつかの詩集を発表して、中原中也賞、高見順賞など詩の分野における大きな賞を受賞しました。そして5年ほど前に『1★9★3★7』という強烈な本を出版しましたが、私はまだこの本をちゃんと受け止めることができていません。そのことについては、後で触れることにします。
さて、そんな満身創痍の辺見庸ですが、彼はどんな日常を生きているのでしょうか。彼はどうやら、犬と同居しているようです。
脳出血で倒れてからもう15年になる。2ヶ月ほどの入院生活が明けたと思ったら、お次はがんだといわれてまた入院、手術。やれやれとため息をついて間もなく、別のがんが見つかって、ふたたび入院、1ヶ月の放射線治療。その後も検査だのリハビリだのと病院をはさっぱり縁が切れない。いや、なに、苦労自慢をしたいわけではない。犬の話をしたいのである。
15年のうち、10年は小さな雌犬と寝起きをともにしている。生後3ヶ月でわたしと暮らしはじめてから、正確には10年と10ヵ月。その間、仕事でやむをえず彼女と離れたのは3日か4日だけ。つまり犬はわたしの影、もしくは、わたしは犬の影といった、常住あって当たり前の関係である。と言えば、「形影相弔う」といった孤独でうら寂しいだけの生活みたいだが、じっとこちらの目をうかがっているだけ。返答がなくても、とくに困りはしない。彼女の反射的気配というのか、顔の翳り、目のかがやき、尻尾の立てぐあいで、おのずと諾否や関心と無関心のほどがつたわってくるから。
しかし、戦慄すべき疑問が10年たっても解けないでいる。犬とはこんなにうまくやっていけるのに、人間とはなぜ容易に協調できないのだろうかーこう訝ると同時に、これがひどい愚問であることもとくと承知している。わたしと犬は支配と隷従の関係にあり、この関係性は絶対で、逆転することはありえないからだ。にしても・・・と、わたしは口ごもる。
(中 略)
わたしは彼女にひたすら話しかける。犬は首を傾げたり、あくびをしたりしつつも、ともかくもわたしの訴えやグチに耳をかす。ときには小説の話もする。ガルシア・マルケスの「青い犬の目」やブッツァーティの「神を見た犬」のこと。中島敦の「牛人」のこと。彼女はいやがらない。わたしの腕に顎をのせて、まどろみながら聞いていたりする。こうなると支配と隷従の関係なんかではない。
笑われるかもしれないが、彼女はわたしよりもよほど“大人”だ。気まぐれに話しかけるわたしは、まるでやんちゃな“子ども”である。
(『コロナ時代のパンセ』「2020年 犬」辺見庸)
健全な人から見れば、何だか世捨て人の生活のように見えるかもしれません。しかし、過酷な脳出血のリハビリや癌の放射線治療に耐える人間が、ただの世捨て人であるはずがありません。また、たとえ聞き手が犬であっても、ガルシア・マルケスや中島敦の話をしたいという欲求が湧いてくるのですから、文学や言葉に対する執着は衰えていないのだと思います。そして話が進むうちに、いつの間にか犬との隷従関係が倒錯してしまう、という冷徹でありながら極めて人間的な自己分析がなされているところが辺見らしい文章だと思います。
そんな辺見が、今のこの状況をどう見ているのでしょうか。かつてのようにタフに動き回るジャーナリストとしてではなく、身体の不自由な老人としての彼がどんなことを書いているのか、気になります。この本に掲載されている文章の中から、2021年になってから書かれたものを見てみましょう。
宅配業者は食品の受取人よりもウイルスにさらされる可能性が高い。にもかかわらず、なぜ働きつづけるのか?ー現代フェミニズム思想界を代表する米国の哲学者ジュディス・バトラーはかつて、ごく当たり前の、しかし、であるがゆえに、めったには問われることがなかった問いを問うた。答えはいたって簡単である。相当のリスク(場合によっては「死」)があっても、失業したくないからである。
現実は小理屈では済まないほどリアルである。もともとそうだったのだが、ますます隠しようがないほどに切羽づまってきた。コロナと大不況・・・人間はいまや「生きるか死ぬか」というほどに追いつめられていると言ってもオーバーではないだろう。失業したくないから、条件が悪くとも働きつづける。だが、働くのも命がけである。生活のためにはウイルス感染の危険を冒してでも労働せざるをえない。失業ー貧困ー病気ー無収入のプロセスは、もともと頼りないセーフティネットから容易に漏れ、死へと直結する。「誰が命がけで働くのか。誰が死ぬまで働かされるのか。誰の労働が低賃金で、最終的には使い捨て可能で代替可能なものなのか」。バトラーによれば、パンデミックはこれら「一般的な問い」を、あらためて生々しく浮かびあがらせ、答えを迫っている。「職業に貴賎なし」「同一労働・同一賃金」といったお題目は、依然、“正論”であるのかもしれないが、従来の足場を失いつつあるのだ。
(中 略)
コロナの時代のいま、哀しいかな、「生は特権化された人々の権利にすぎない」(バトラー)のかもしれない。貧しき人びとは、にもかかわらず、コロナの死線を越えて日々働き続けなければならない。でなければ、今日を生きながらえることができないからだ。
(『コロナ時代のパンセ』「2021年 なぜ働きつづけるのか」辺見庸)
ジュディス・バトラー(Judith P. Butler、1956 - )は、アメリカ合衆国の哲学者で、文中にあるように現代フェミニズム思想を代表する一人とみなされているとのことです。翻訳された本もたくさんあるようですが、私は読んだことがありません、すみません。
さて、ここで書かれているのは、外出自粛が盛んに言われていた時期でさえ、家にこもっている人たちのためにせっせと荷物を届け続けた宅配業の人たちのことです。私たちはネットで予約した荷物が即座に届く便利さの中で、まるで彼らが透明人間にでもなったかのように、その存在を半ば意識的に忘れて荷物を受け取っていました。その後、宅配業者や医療従事者、スーパーで働く人たちなど、感染のリスクの中で懸命に働く人たちのことが話題になりましたが、ここで辺見は「労働」と「賃金」という観点から宅配業の人たちのことを考えています。「生は特権化された人々の権利にすぎない」ということは、簡単に言ってしまえば、生きる権利は経済的に恵まれた人たちにのみ与えられるもので、それ以外の人たちは「死線を越えて」働かなければならない、ということを表しているのです。この「労働」と「賃金」から見えてくる歪んだ世界の構造は、コロナウイルスによって明確化されただけで、実はそれ以前からあったのです。
例えば2014年に書かれた文章で、大飯原発に関するものを見てみましょう。その前に、事実を確認するために次の記事を読んでみてください。
大飯原発の運転差し止め、福井地裁判決 再稼働厳しく
東京電力福島第1原発事故後、安全性の保証をせずに大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県の住民らが関西電力に運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁(樋口英明裁判長)は21日、現在定期検査中の2基を「運転してはならない」と命じ、再稼働を認めない判決を言い渡した。福島事故後、原発の差し止めを認める判決は初めて。
運転再開を決定した当時の民主党政権の判断が否定されるとともに、その後に事実上追認した原子力規制委員会の姿勢も問われる。関電が再稼働を目指し規制委で審査中の2基だけでなく、各原発の審査にも影響を与えそうだ。
(2014年5月21日 日本経済新聞)
この福井地裁の判決について、辺見が書いたのが次の文章です。
それもあって、関西電力大飯原発3、4号機の運転差しとめを命じた5月21日の福井地裁の判決に接したとき、うれしさよりもさきに、われとわが身をつねってみる気分になった。いつもならば木で鼻をくくったような司法の言葉なのに、このたびはいっそ懐かしいひとの温みと理想への意欲がかんじられたからである。とくに、「人格権」という忘れかけていた言葉を聞いて、すわりなおした。原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ、つまり人格権は原発より上位にある、というのである。おもえば、ごくあたりまえのことである。「原子力発電に内在する本質的な危険」もくりかえし指摘された。福島原発事故の惨憺たる経験にたてば、これも理の当然だ。
人格権は、富める者と貧しい者とを問わず、人間存在の尊厳に直結する諸権利の概念であり、憲法13条の「幸福追求権」からもみちびかれる基本的人権のひとつである。この権利はほんらい、民法や商法など私法上の権利だというけれども、「生存権」とともに、私法、公法のべつない普遍的概念であるべきだ。判決は「人格権を放射性物質の危険から守る観点からみると、安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に初めて成り立つ脆弱な者」と断じ「原発停止で多額の貿易赤字がでるとしても、豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ」と言う。論旨は画期的というよりも、人びとのしごくまっとうな本音を代弁している。
でも、ずいぶんと不思議な話ではないか。ごくたまにまっとうなことを言うと、びっくりされ、画期的とまで称される。つまりは、この世はまっとうではなく、身も心もまっとうでないことに慣らされている。いま生きることの気疎さとそこはかとない屈辱感は、条理にかなわぬことに、知らず知らずに、従わせられていることからくるのではないか。判決の要義が、原発というものの<根本的不可能性>の指摘にあるのは明らかであり、控訴されたにせよ、そのことをひるまず提言した判決には、つかのま青空を仰いだような救いをかんじた。しかし、トルコなどへの原発輸出を可能にする原子力協定が、自民、公明、民主各党の賛成多数で承認され、政府は原発を「重要なベースロード電源」として再稼働路線を変えていない。この国の権力者は、福井地裁判決を歯牙にもかけず、自国だけでなく他国の住民の人格権までおかすのをなんら恥じていない。青空を求めてはいない。
(『コロナ時代のパンセ』「2014年 青空と気疎さ」辺見庸)
5月21日の福井地裁の判決そのものは良かったのですが、結局、そのニュースを朗報にしてしまうこの世界の構造はいったい何なのか、という疑問が湧いてしまいます。「原発の稼働は憲法上、人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ、つまり人格権は原発より上位にある」という福井地裁の判断は、揺るがない世界の構造であるべきだ、と思うのですが、どうも現実はそう簡単ではないようです。例えば、その一方で政府は原発を「ベースロード電源」と位置づけており、2021年の現在では原発の新設すら進めていこう、という動きが顕在化しています。。私はニュースに疎い人間なので、こういう訳の分からないところで揺れている事象を追いかけるのが苦手ですが、結局のところ、大飯原発は今年の初めに再稼働の運びとなったはずですが、間違っていないでしょうか。関西電力と東京電力の違いがあるとはいえ、福島第一原子力発電所の放射性物質を含む処理水の処分方法でもめているのに、次々と原発を動かし、あるいは新設するというのは、ブレーキに欠陥がある車でスピードを加速していくのと同じことではないか、と思うのですが・・・。
こんなふうに、辺見の本を読み出すと、世界が抱える構造的な矛盾が暴かれていき、それを黙認している自分自身も同罪である、と気付かされるので、読んだ後の自問自答が止みません。最後にもう一つ、沖縄についての文章を取り上げておきましょう。
沖縄についてのきれいごとは耳がくさるほど聞いた。じっさいにまだ耳はくさらないまでも、心が相当に穢れた。
「普天間飛行場の危険性を除去する、そして沖縄県の基地負担を少しでも、しかし、しっかりと軽減していく。これは国も沖縄もまったく同じ思いで、ちがいはないと思います」といった現政権トップの戯言にひとしい話(ことし3月)にヤマトンチュー(ニッポンジン)はもう慣れっこになり、怒りもしない。沖縄とウチナンチュー(沖縄人)の痛みと怒りを知るには、おそらく真剣な学習と再学習が要る。それには、教材がたいせつであり、おそらくホンドの新聞、テレビでは無理だ。
昨年秋のことだが、沖縄の作家、目取真俊さんがこんな発言をしていた。沖縄はなめられている、と。
「・・・なめられてあたり前だと思っています。パレスチナでは子どもたちがイスラエル軍の戦車に石を投げているのに、(沖縄の米軍基地前では)シュプレヒコールして、プラカードで抗議しているだけですからね。アメリカ兵から、お前ら自爆テロもできないだろうと思われて、あたりまえなわけです。」(「神奈川大学評論」82号)
目取真さんの表現には、おためごかしやきれいごとがない。かわりに、憤怒をかかえた生身が黒い傷口をひらいて読み手の前にたちはだかる。読者は狼狽し、からだの深いところに痛みが移植される。「よその国ではレイプしたら報復されて殺されるかもしれないが、沖縄、日本ではそんなことはない。ウチナンチュー、日本人はみな腰抜けで、敗戦後アメリカに精神的にスポイルされてきたからこんな状況になっているわけですよ」(同)
米兵にしてみれば、沖縄は「ぬくぬくとしたリゾート空間」であり「夜中に酒飲んで歩いても後ろから刺されることもなければ、撃ち殺されることもない」と作家は語っている。
沖縄を「なめている」米軍やホンドの政権と、そこを「リゾート」としか見ることのできないホンドからの観光客がかさなってくる。観光客だけではない、首相以下ホンドの大半が沖縄をなめている、とわたしも思う。
(『コロナ時代のパンセ』「2016年 <きれいごと>と生身」辺見庸)
これを読んで、さすがに「自爆テロ」を称揚するような言い方はまずい、と顔をしかめたり、沖縄を「リゾート」としてしか見ない、というくだりに思い当たったり、と、とにかく愉快な文章ではありません。しかし、沖縄の基地の問題に関しては、私たち一人一人が他人事では済まないはずで、例えば辺野古の沖合が横浜だったら、私たちは政府の無謀を許すでしょうか?さらにその下に軟弱な地盤があることが明らかだったら、そしてそれを埋め立てて滑走路にするなどという馬鹿なことをされたら、それだけでも政権がひっくり返るほどの大騒ぎになるのだろうと思います。それが、日本の南端の遠いところの話だと、なぜか他人事のような気がしてしまうのです。今回のコロナ感染に関する数々の不手際があってすら、現政権の支持率が35%以上あるわけですから、沖縄で何をやっても影響はない、と為政者は考えるのも当然です。沖縄で何か起こるたびに、政権支持率が10%ずつでも落ちていけば、為政者も本気で沖縄のことを考えると思うのですが、残念ながらそうはなっていません。これは私たち自身も政権と同罪であることを示す数値なのです。
さて、この『コロナの時代のパンセ』から離れて、先ほど少し触れた『1★9★3★7』という作品について、少しだけ触れておきたいと思いますです。
『1★9★3★7』の文庫版の裏表紙には、このように書かれています。
1937年中国で父祖たちはどのように殺し、強姦し、略奪したか。いかに記憶を隠蔽し口をつぐんできたか。自分ならその時どうしたか。父の記憶をたぐり、著者は無数の死者の声なき慟哭と震えに目をこらす。戦争の加害にも被害にも責任をとらず、総員「忘れたふり」という暗黙の了解で空しい擬似的平和を保ってきた戦後ニッポン。その欺瞞と天皇制の闇を容赦なく暴きだした衝撃作。
この『1★9★3★7』は、1937年の日本軍による南京事件を主な題材としながら、日本の戦争責任について考察した作品です。その中では堀田善衛(ほったよしえ、1918 - 1998)の『時間』という南京事件を中国人の立場から描いた小説や、武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912 - 1976)の小説や話などが参照されています。そして辺見自身がこだわったことは、自分の父親もその虐殺事件に加担したのではないか、あるいは同様の殺戮を行なったのではないか、という疑いです。そんな疑問も交えて、日本の戦争責任を自分自身に引き寄せて考え尽くしたのが『1★9★3★7』という作品です。例えば、その父親の死に瀕した場面を描いた次の部分を読んでみてください。
子どものころ、あの男を、父を、殺そうとおもったことがある。よりせいかくに言えば、父を、殺してあげようとおもったことがある。だれもいない入江で、永遠に釣れることのない釣りをしていたときも、一刹那、殺意がわいた。かれもそうされるのを望むこともなく望んでいたような気もする。しかし、殺さなかった。かれはすでに(少なくとも部分的には)死んでいたからだ。父はときおり、おもく病んだ犬のような目をしていた。かっと目を見ひらいて横倒しにドブ川をながれてゆく死んだ獣のような顔。そのような目は、戦争の時間を生きてしまったひととして、なにかありていにもおもわれ、怖かったが、かならずしもきらいにはなれなかった。このひとはなにをしてきたのだ。なにをみてきたのか。それらの疑問は、けっきょく問いたださなかったわたしにも、不問いに付すことで受傷をさける狡いおもわくがどこかにあったのであり、ついにかたることのなかった父と、ついにじかには質さなかったわたしとは、おそらく同罪なのだ。訊かないことーかたらないこと。多くのばあい、そこに戦後の精神の怪しげな均衡がたもたれていた。ついでに言えば、これはそれでよかったのだが、あのひとの口からは、たしか、「人間性」という、敗戦後のはなはだ不用意なことばを、いちども聞いたことがなかった。言えた義理ではないとおもっていたかどうかはわからない。ただ、こちらとしては「人間性」なんてことを戦争帰りのかれから聞かなくてよかったと内心おもっている。「人間性」などとうっかり口にしたりしない、記憶と<節操>くらいは、かれのなかでかろうじてたもたれていた。わたしはそうおもいたかった。
(『1★9★3★7』「第五章 静謐と癇症」辺見庸)
このような認識に対して、例えば私は、前の為政者が平成27年8月14日の記者会見で次のように述べたことを思い出します。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
これだけを読むと、とても謙虚な正論のようにも見えます。しかし「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と言っていることがどんなに過酷なことであるのか、この為政者はわかっているのでしょうか。その困難さを告げているのが『1★9★3★7』という本なのだと思います。
例えば、私も私の父のことを考えてみます。私の父は、もうずいぶん前に亡くなっていますが、彼は幸いなことに戦争で現地に行く前に終戦を迎えたのだそうです。だからそれでいい、というわけにはいかないでしょう。父と同世代で戦争に行って亡くなった人はどれほどいて、そのことを父はどう思っていたのでしょうか、そもそも父も戦争に行けば人を殺したのでしょうか、そのことについて父はどう考えていたのでしょうか、などと過去と向き合うためには、私が父の子供の世代として聞いておかなければならないことがたくさんあったと思います。けれども、私は一度もそんな話を父としたことがありません。そんなことを聞くと父を責めるようなことになってしまいますし、そもそもそれは聞いてはいけないことのように思っていました。そして何よりも私のずるいところは、父が亡くなっているから安心してこんなことを書いている、ということです。父が存命だったら、このような話題には触れなかったでしょう。こんなことで「その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という言葉に頷いて良いものでしょうか。
不甲斐ない読み込みでしたが、『1★9★3★7』と『時間』は、いつでも手に取れるように文庫本で手元に置いてあります。いずれ本格的に論じることができるようになったら、また書いてみたいと思います。
なお、『1★9★3★7』の下巻に付されている徐 京植(ソ・キョンシク、1951 - )の解説も読み応えがあります。彼の書いた『青春の死神 記憶のなかの20世紀絵画』、『ディアスポラ紀行 追放された者のまなざし 』は、独自の眼で見た美術論として興味深いものがあります。機会があったら、読んでみてください。