はじめに、二つの展覧会に関するニュースの一部を読んでみてください。
ひとつめは、「あいちトリエンナーレ2019」で中断された企画の展示が、再度、東京で企画されたものの、妨害行為によって中止せざるをえなくなった、というニュースです。
『都内で予定の「表現の不自由展」にまた妨害』
6月25日から東京・新宿区のギャラリーで開催される予定となっていた企画展「表現の不自由展・その後 TOKYO EDITION+特別展」の会場で妨害行為が続いているとして、同企画展の実行委員が10日、都内で緊急記者会見を開いた。
この企画展は、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で抗議が殺到し中断された企画展「表現の不自由展・その後」を再構成した内容だという。これが妨害行為によって展示会場の変更を余儀なくされているという。
記者会見を行った実行委員会は、移転先や会期は調整中で入場予約の受け付けも当面停止するが、企画展自体は中止せず、会場を変えて続行する、「不当な攻撃に屈せず、法的手続きを含め断固対応する」との決意を述べている。
会見を報じた報道によると、告知後から妨害メールや電話が会場に届くようになり、6日からは会場前で街宣活動が見られるようになったという。普通車で抗議に来る人もおり、「神楽坂の風紀を乱すな!」「場所の貸し出しをやめろ!」「開催を中止しろ!」と抗議する声が続いた。このため、8日、同会場のオーナーから「このギャラリーでやらないでほしい」と実行委員会に伝えられたという。
実行委員会は、今後、「度を超えた攻撃や、犯罪に値する攻撃があった場合は刑事告訴、告発などの法的手続きを含め検討する」としている。
(6月14日 12:23配信 『美術手帖』)
以前にも書いた通り、私はこの企画展で話題になっている彫像にとくに関心はありませんが、展示すらできない、というのはどういうことでしょうか。そういえば、ちょうど1年くらい前に、新型コロナウイルス感染症による各国の死者数の差について、麻生太郎財務相が「民度のレベルが違う」と発言したことが思い出されます。要するに日本国民の「民度が高い」から感染症に対する抑制ができたのだ、と言いたかったのです。その民度の高い国民が、これほどにも「表現の自由」についての理解が足りないというのはどういうことなのか、と問い返したくなります。その感染症対策に関しても、あれから1年経ってみれば、日本はワクチン接種への対応が最も遅れた先進国となってしまったのですが、これもどういうことなのか説明してほしいと思います。われわれの民度が高いのに、このように混乱しているというのはいったい誰の責任なのでしょうか。
それから、もう一つの展覧会の記事です。こちらも以前に、葉山で展示されていたときにこのblogでも取り上げた展覧会の話題です。
『「幻」のフランシス・ベーコン展、「謎」が残した問い』
今月1日、緊急事態宣言に伴う休業要請が緩和されたことを受け、東京都内の多くの美術館は展覧会を再開した。その中にあり、13日までの会期だった渋谷区立松濤美術館「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」展は再開することなく閉幕した。宣言延長の20日まで休館を続けるためだ。
4月20日の開幕後に宣言が出され、内覧会も含め7日間で約1700人だけが見た「幻のベーコン展」になってしまった。同時に、「謎多きベーコン展」でもあった。
評価も人気も高い英国の画家フランシス・ベーコン(1909~92)。展覧会は、ベーコンの近くに住んでいたジュール氏が、画家の死の直前に贈られたという大量の資料の一部を紹介するものだ。アルバムの台紙とみられる紙に描かれたドローイングには、ベーコンの代表作につながるような題材も見られた。このほか、描き込みや変形が加えられた雑誌、新聞掲載の紙片、初期作とされるキュービスム風の油彩画などが並んだ。
報道関係者向けの内覧会で、担当の2人の学芸員からは少し意外な言葉が聞かれた。「(一部の資料は)他の人が関与したものも含まれる可能性があるとされる」「(油彩画は)周りの画家が絵を持ってきたこともありえる」「位置づけの不確かな資料もあり、玉石混交というのが専門家の評価ではないか」と説明し、ある意味で誠実に「コレクションを巡ってさまざまな議論がある」と明かしたのだった。
(6月14日 17時00分 『朝日新聞』)
ネット記事で無料で読めるのはここまでですが、要するにこの展覧会に出品された作品の一部がベーコンの描いたものではない可能性がある、ということです。展覧会の主催者はそのことをわかっていたのですが、作品を貸し出した相手の意思を尊重して、そのことをあえて説明しなかったのだそうです。フェアに考えるなら、そのような謎含みの展覧会である、と公表すべきだったのでしょうが、そうもいかない事情があった、ということなのです。ある専門家は、マスコミなどの展覧会の主催者とは立場の違う媒体から、そのことを説明してもらう、などの方法もあったのではないか、と言っています。
私はもちろん、その事実を知らないで展覧会を見ましたが、ベーコンが内々にジュール氏に作品を託した、という経緯を考えると、贋作の含まれる可能性が二重にも三重にもあったと思います。ベーコンが厳密に自分の作品だけをジュール氏に託したのか、あるいはジュール氏の保管中に他の作品が混じる可能性はなかったのか、などということです。この展覧会はそもそもフォーマルな経路では存在しえなかった作品が発見された、という触れ込みですから、このニュースに特に驚きはありません。同時代の作品を鑑賞するということは、価値の確定していないものを見ることでもありますから、こういうエピソードはその臨場感を高めるものでもあり、それはまた楽しいものです。ただ、あらかじめ知っていたら、どれがベーコンの真作か、などと言いながら眺めるのも面白かったのに・・・というところです。
それにしても、ウイルス感染による自粛と完全に会期が被ってしまったのが、かえすがえすも残念でした。私は美術館や図書館は、感染のリスクも高くないので休館すべきではないと言ってきましたが、政治家にとってはそんなことは眼中にないのでしょう。これでオリンピックを行うというのですから、訳がわかりません。
さて、今回はフランスの大哲学者、アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson 、1859 - 1941)の『時間と自由』について考察してみます。
私は絵を描きながら「時間」について考えているので、いつかベルクソンを自分なりに読み解いておかなくてはならない、と思いつつ、これまでサボってきました。というのも、ベルクソンといえば名文家としても知られ、ノーベル文学賞も受賞していますが、それだけに彼の言わんとしていることを、彼の散文的な表現の中から取り出すことが難しいのではないか、という思いがあったのです。。それに、この『時間と自由』はベルクソンの三十歳の頃の学位論文なのですが、原題は「意識に直接与えられたものについての試論」(英訳の題名が「時間と自由意志」)なのです。日本語の翻訳のタイトルは英訳から取られた、とこの本の「訳者あとがき」に書いてあります。ですから、翻訳のタイトルから予想される「時間」論的な著作というよりは、やはり原題通りの人間の「意識」に関する試論である、と思った方が良さそう、という判断もありました。そんないろんなことがありましたが、この年齢になってなんとか自分なりの興味に引きつけて読んでみたい、という気持ちになったのです。
この本を取り上げてこなかった言い訳が長くてすみませんが、まずはじめにざっくりとこの本が何を言おうとしたのか、ということをつかんでおきたいと思います。そのことをベルクソンは「結論」でこのように書いています。
以上述べてきたことを要約するために、まずカントの用語法を、否、その学説をも脇に置くことにしよう。そして、これらについてはもっと後で立ち返ることとして、私たちとしては常識の観点に身を置くことにしよう。現代の心理学は主として、私たちが私たち自身の身体構成から借りた或る形式を通して事物を知覚することを確立しようと没頭しているように見える。この傾向はカント以来ますます強められた。このドイツの哲学者が時間を空間から、外延的なものを内包的なものから、今日の言葉で言えば、意識を外的知覚からきっぱりと分離したのに対し、経験学派は、分析をさらに進めて、外延的なものを内包的なもので、空間を持続で、外在性を内的諸状態で再構成しようと試みているわけだ。ーその上、この点では、物理学が心理学の仕事を補完しにくる。物理学はこう教える。もし現象を予見しようと思えば、現象が意識の上に生み出す印象を一掃して、感覚を現実そのものとしてではなく、現実の記号として取り扱わなければならない、と。
私たちとしては、逆の問題を提出して、私たちが直接に把握していると思い込んでいる自我そのものの最も明白な諸状態も、たいていの場合、外界から借りた或る形式を通して知覚され、その反面、外界は私たちから借りたものをそうやって私たちに返すのではないかと自問してみる必要があるとおもわれた。分析するまでもなく、事情はどうもそんな具合になっているように見える。というのは、ここで話題になっている諸形式、私たちが素材を当てはめようとする形式がまったく精神に由来するものだと仮定しても、その形式を対象に不断に適用しながら、対象がやがて形式に逆影響を与えないとは考えにくいからである。とはいえ、その際、これらの形式を私たち自身の認識のために用いると、私たちは自我が置かれている枠組みの反映を、つまり外界の反映を、自我の色づけそのものとみなす危険を冒すことになる。しかし、さらに進んで、こう断言することもできるだろう。事物に適用できる諸形式はまったく私たちの創造物だというわけにはいくまい。それらは物質と精神との妥協から結果として生じなくてはならないはずだ。私たちがこの物質に多くを与えるとしても、私たちの方も物質からおそらく何かを受け取っているだろう。こうして、私たちが外界への小旅行を終えた後で、自分自身を再び捉えようと試みるとき、私たちはもはや何でも思いのままにするというわけにはいかなくなるのだ、と。
(『時間と自由』「結論」ベルクソン著 中村文郎訳)
難しい文章ですね。哲学的な素養がないと正確な理解には到達できそうもありませんが、先ほども書いたように私なりの立場でやってみましょう。
まず前半部分の段落は、ベルクソンがどういう世界観と闘っていたのか、を書いているのだと思います。ここで戦う相手はドイツの哲学者、イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)、もしくはさらに「物理学が心理学の仕事を補完する」ような考え方を推し進めた一派です。カントはものごとを明晰に語ろうとするあまり、外的なものと自分の内面とを区別してしまいました。そのことによってさまざまなことを考えるのに便利になりましたし、何よりも現在の科学的な思考は、ほぼその延長線上にあるようです。私たちは、自分たちの外側にある世界を自分自身から切り離し、物理的な実証実験によって得られた客観的な知見から、いろいろと便利なものを発明し、その恩恵を受けているのです。そしてさらに、人間の心理をも物理的に解明しようとする思想が主流となり、そのカント的な思想の流れをより堅固なものとしました。
それに対してベルクソンが提唱したのが「常識の観点に身を置く」という姿勢です。私たちは日々、外的なものから影響を受けて暮らしています。私たちが純粋に「創造」した、と思っているものですら、外部からの影響を排除することはできません。また、外的なものも私たちから何らかのを影響を受けているのです。外的なものと私たちの内面とは、そんなに簡単に区切ることなどできない、というのがベルクソンの立場です。
このベルクソンの立場から見れば、物事はいろいろな場面で、いろいろな形で(ベルクソンは「強さ、強度」という言い方をしますが)見えてきます。私たちの周囲のさまざまな事象や現象は個別に存在したり、個別に起きているのではなくて、相互に影響しあって、互いに関係づけられている、というのがベルクソンの考え方です。その「相互に」という中にはもちろん、私たち自身も含まれています。その関係は簡単に断ち切れるものではなく、私たちと世界とは互いに繋がっている、それをベルクソンは「持続」している、という言い方をしました。これらのことを頭に置いて、先ほどの続きの部分を読んでみましょう。
心理状態というものは、それらを相互に孤立させ、その数だけの別々の単位として考えると、大小の違いはあれ、強さをもっているように見える。次いでそれらの多様性において眺めてみると、それらは時間のなかで自己を展開し、持続を構成する。最後に、それらの相互関係において、またそれらの多様性を通して一つの統一性が保たれているかぎりで、それらは相互に決定し合っているように見える。ー強さ、持続、意志的決定、これら三つの観念こそ純化すべきものだが、そのためには、それらが感覚的世界に侵入されたために、そして一言で言えば、空間観念に取り憑かれたために、身に被ることなった一切のものからそれらを解放しなければならない。
(『時間と自由』「結論」ベルクソン著 中村文郎訳)
やっぱり難解な文章ですが、先ほどの私の解釈でおおむね読み込むことができるように思います。このような、哲学者の誰がどのような思想的な立場にあるのか、などということは、私たち庶民にとってはどうでも良いことです。しかし、これは哲学的には大切な問題なのだろうと思います。そしてベルクソンが闘っていたのは、いわゆる心身の二元論という考え方だと思います。心身二元論というのは、精神と物体とを分けて考える考え方で、さらにそれが、精神(人間)が物体(もの)を自由に操作する、というふうに進んでいくと、今の科学的な知見に近づくのだと思います。
そして現在では、精神をつかさどる脳の働きすら、物質の動きとして解明しようとする考え方が進みつつあります。そんな中で、以前にこのblogでも読んだマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )は、心身の問題を含めて様々な知見がともに存在するような場を想定することで、それらの問題を乗り越えようとしています。私の理解が正しければ、それは科学的な知見で全ての事象を語ろうとするのではなく、物理的な側面から、精神的な側面から、さまざまなアプローチが存在して構わない、という考え方なのだろうと思います。それを「新実存主義」というようです。それに対して今から100年ほど前のベルクソンは、心身の二元論を心の側から記述する、ということを試みました。ベルクソンの「常識の観点に身を置く」という態度は、科学主義、物質主義的な考え方が世界を覆いつくそうとしている中で、私たちの心に映る世界を丹念に見ることでその状況を乗り越えよう、という態度でもあるのです。
ここまで読んでくると、少し昔の人だと思っていたベルクソンが、現在もホットな話題を語る人として立ち現れてきます。ただ、私たちは哲学の専門家を目指しているわけではないので、そのような大きな思想的な動きはひとまず置いておきましょう。私が興味を持ったことは、ベルクソンの「持続」という考え方から生じた「時間」と「空間」の独特の捉え方です。このベルクソンの主張は、これから絵画を含めた現代美術について考えていく上で、たいへん参考になるものだと思います。
まずは、ベルクソンの空間の捉え方について、彼の文章を読んでみてください。
空間の絶対的実在性の問題をあまりに重視するのは間違っていよう。というのは、それは、空間は空間のなかに存在するのか、しないのかを問うにおそらく等しいからだ。結局、私たちの感覚は物体の諸性質を知覚するし、またそれらとともに空間を知覚する。大きな困難は、拡がりがこれらの物理的性質の一つの相ー質のなかの一つの質ーなのか、それともこれらの性質は本質的に拡がりを持たないものであって、空間はそれらにつけ加わりにくるが、しかしそれ自体で自己充足していて、それらなしでも存続するものなのか、それを見分けることであったように思われる。
(『時間と自由』「第2章 意識の諸状態の多様性について」ベルクソン著 中村文郎訳)
ところで空間が等質的なものと定義されるべきだとすれば、逆に、すべての等質的で無規定的な環境は空間だということになりそうである。というのは、等質性はここではあらゆる質の不在という点に存するのだから、等質的なものの二つの形式が相互にどうして区別されるのか分からなくなるからである。にもかかわらず、人々は一致して、時間を、空間とは異なるが、空間と同じく等質的な無規定の環境と見なしている。
(『時間と自由』「第2章 意識の諸状態の多様性について」ベルクソン著 中村文郎訳)
どこまで引用して良いのか、わからないくらいに文章は連綿と続いていきます。ここで疑問に付されているのは、私たちが日頃、空間を見るときに想定している等質の箱のような空間であり、それと相似した考え方で想定している等質の時間です。それらが金太郎飴のように、どこで区切っても同じだと想定することで、たとえば科学的な実験が成立し、その再現性が確認できるのです。つまり、同じ容積の実験器具を使い、同じ長さの時間を測って実験を行えば、信頼性の高いデータが得られるはずだ、というわけです。私たちの生活は、そのような実証実験を経て出来上がったものによって支えられているので、ふだん私たちは空間と時間の等質性について疑うことはありません。そして私たちの生きている空間や時間、私たちが日々感受している空間や時間も等質のものだと思ってしまうのです。
しかしここで、少し極端なケースについて考えてみましょう。例えば私たちが愛していたもの、それは人でも動物でもモノでも良いのですが、その愛着のあるものがそばにいて(あって)充足していた時間と、それが失われてしまった喪失感の中の時間とでは、まったく時間の感じ方が異なることを、私たちは経験的に知っています。それが同じ部屋の中でのことだとしたら、つまりあなたが愛していたものと一緒にいた部屋の中で、いまはそれが失われたことを噛みしめなくてはならないとしたら、それは等質の空間であるどころか、喪失による悲しみがより強く襲ってくる耐え難い空間となってしまうでしょう。このように人間は喜びの中で、あるいは悲しみの中で「持続」した時間、空間を感受しますが、その「持続」の質が異なることは明らかです。それは「持続」というよりは「断続」といってもいいぐらいの違いがあります。
この「持続」について、ベルクソンはなかなか面倒な、しかし美しい説明をしています。
たしかに、私たちは持続の継起的な諸瞬間を数えるし、また時間は、数との諸関係によって、まず空間とまったく類似した測定可能な大きさとして現れる。しかし、ここで重要な区別をしておかなければならない。例えば、私が一分経ったばかりだと言うとき、そのことで私が理解しているのは、振り子が秒を刻みながら60回振動したということだ。もし私がこの60回の振動を精神の統覚だけで一挙に思い浮かべるとしたら、私は仮定によって継起の観念を排除していることになる。すなわち、この場合、私が考えているのは、継起する60回の刻みのことではなく、その各々が振り子の一つの振動を言わば記号化する定線上の60の点のことなのである。ー他方、もし私がこの60回の振動を継起的に、しかもそれらが空間のなかで産出される仕方を何も変えずに、思い浮かべようとするとしたら、私は、先立つ振動の記憶を排除しつつ振動の一つ一つのことを考えなければならないだろう。というのは、空間は先立つ振動の痕跡を何も保存してはいないからだ。しかし、まさにそのことによって、私は絶えず現在のうちにとどまらざるを得なくなるだろう。私は継起とか持続のことを考えるのを諦めることになるだろう。最後に、もし私が現在の振動のイメージに参与しながら、それに先立つ振動の記憶を保持するとしたら、次の二つのうち一つのことが起こるであろう。一つは二つのイメージを併置することだが、これでは第一の仮定に逆戻りすることになろう。もう一つは、二つのイメージの一方を他方のうちで統覚することである。この場合、それらのイメージは、あたかも一つのメロディーのさまざまな楽音のように、区別のない多様性あるいは質的多様性とでも呼ぶべきものを、数とは何らの類似性ももたずに形成するような仕方で、相互に浸透し合い、有機的に一体化することになろう。私はこうして純粋持続のイメージを獲得するとともに、等質的な環境ないし測定可能な量という観念から完全に解放されることになろう。
(『時間と自由』「第2章 意識の諸状態の多様性について」ベルクソン著 中村文郎訳)
等質的な時間の刻み方が味気ない振り子の振動であり、純粋持続のイメージがメロディーのさまざまな楽音である、というのはかなり恣意的な比喩のように思いますが、ベルクソンにとってそれだけ等質的なるものを超越することが重要だったのでしょう。
しかし考えてみると、これはベルクソンにとってばかりでなく、先ほども少し書いたように、美術に関わる私たちにとっても相当に重要な考察になります。
それはどういうことかと言えば、例えば現代絵画の分野において考えてみると、絵画空間の均質性の問題は、いまだに克服できない絵画にとって最大の課題でもあるからです。そのことについて、最も直接的に言及し、危機感を募らせたのが、現代美術家の宇佐美圭司(1940-2012)でした。彼の『絵画論』には次のような記述があります。少し長くなりますが、ベルクソンに比べるととてもわかりやすい説明なので、そのまま引用してみます。
近代美術、特に、私たちに親しいここ一世紀の美術運動の展開は、個の特異性に根ざして発散しながらも、一方でそれと相矛盾した凝集力をイメージしはじめたといえるだろう。個の特異性の彼方にある普遍的なものにたどりつきたいという欲求がそれである。
普遍性の追求の意識は、近代合理主義精神のもとでの学問の普遍性追求の姿と同じく、細分化された部分の普遍性を語れば、その集合体としての全体が語れるであろうということであった。
ごくおおざっぱに振り返ってみても、外界を光に、そして光を原色の色点に分解するという表現形式を作った印象派の運動を連想させるセザンヌの基本形体への接近。さらには、自然を抽象的な形態素や記号としての色で再構成しようとした立体派の運動、等々。
ピカソの青の時代と、キュービズムの時代の作品を比較してみれば、普遍性追求の具体的なすがたがはっきりしよう。キュービズムにおける形体は、ものの外観の特異性が抽象され、いくつかの幾何学的形体の組合せとして処遇されているし、色彩においても、「アイロンをかける女」(青の時代)の、青の微妙な階調は、「アヴィニヨンの娘たち」(キュービズムの時代)ではなくなり、分析的キュービズムといわれる時代になれば、色彩の記号は、さらに進んでいる。色彩の記号化とは、色を個別的なものではなく、普遍的質材として使用しようとする意識の現れだろう。私は、普遍性を追求してきた近代絵画の最後に、モンドリアンの作品を置いてみたい。彼は、常に絵画の普遍性の問題に真正面からとりくんできた。
「我々が絶対的に<客観的>にはけっしてなり得ないことを、わたしは充分意識してはいた。けれども、主観性が、その作品のなかで、もはや優位を占めなくなるまで、一歩一歩より主観的でなくなり得る、と信じていた。なお一層、私は自分の絵の中から、すべての曲線を排除してゆき、ついにわたしの構図は、水平線と垂直線だけで構成されるまでになり、それらの線は、十字形に交叉し、それぞれ互いに分離し、孤立していった。」(Toward the true vision of reality, 1942. 赤根和生訳より)
モンドリアンの、クリスマス記号の絵、つまり、+、ー、の記号の充満している作品を描いている頃の彼の発言である。
彼の作品が、もっとも普遍性に近づくのは色彩を三原色・黒・白、形体を垂直と水平の、二つの線の組合せに限定した作品群である。これらの作品は、近代絵画が普遍性を目ざし、目に見える世界を疑い、その疑いを組織化した極点に位置している。
モンドリアンの絵画における基本的な単位は、もうそれ以上分解できない、いわば素粒子的な単位であった。しかし、その構成を生みだす力は、けっして単位そのもの、の内にはない。したがって基本的な単位を、客観的なもの、普遍的なものに追い込みながらも、彼の作品としての全体は、彼の構成から一歩も抜け出ることができなかったのである。
構成の原理として採用された、例えば、バランスの概念にしても、彼に十点の作品があれば、十点のバランスなる構成が成立したとしかいいようがない。その十点のバランスを証明することも、あるいはその十点から明確なバランスなる概念が抽出されるわけでもない。つまり彼の作品ですら、その内因性によっては、ついに語れないのである。なるほど彼のある作品においては、作品の分析から、作画過程を探し出せる。その意味では、知的操作は作品に封じ込められているけれども、なぜその操作であり、別の操作ではいけないのかを問うとき、モンドリアンが考えた、例えばバランスなる概念の曖昧さが表面化するのだ。
モンドリアンの作品は、ものの部分化、細分化、それにともなう人間の部分化、細分化を見事に語っている。構成単位が細分化され、普遍化すればするだけ、その集合に対する空間は、立体格子の空間に接近していく。このようにして、モンドリアンが客観性を求めて行きついた空間とは、実は近代の典型的な、空間概念=均質空間にほかならなかったのである。
(『絵画論』「絵画論」宇佐美圭司)
ちなみにパブロ・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso, 1881 - 1973)とモンドリアン(Piet Mondrian 、1872 - 1944)の作品に詳しくない方は、次のサイトを参照してください。
ピカソ(https://www.musey.net/artist/5)
モンドリアン(https://www.musey.net/20946)
さて、実は近代美術に限らず、ルネサンス期に確立したと言われている透視図法という遠近法も、「空間概念=均質空間」という考え方を根本にして成立したものです。自分の視野から見えるものを、均質な立方体のような空間だと見なして、それを同じ割合で遠ざかるものを小さくしていったものが、この図法の基本にあるからです。
透視図法(https://e-s-w.com/designcrafts/perspective/)
ですから、この「空間概念=均質空間」という考え方は、西欧思想において近代よりもさらに根深い思考なのです。それに対して宇佐美が挑んだ方法は、自分なりの作画の方法論を決めて、それに則って制作を進める、というものでした。1970年代から80年代にかけて、宇佐美のような独自の方法論を創作し、それに沿って制作した絵画が流行のように画廊や美術館で見られました。宇佐美の理論によれば、それが現代において絵画を制作する唯一の方法でしたし、その考え方は広く共有されていたのだと思います。やがて、各画家の独自の方法論は、半ばゲームのルールのように瑣末なバリエーションを競うようになり、今から振り返ると冗談のようにも見える、まるで子供用のゲーム盤のような作品も現れました。芸術的な深みや楽しみのないその作品たちや、もてはやされた作家たちは何処に消えてしまったのでしょうか。それは流行が廃れるように、見なくなってしまいました。しかし、その宇佐美の理論に関して言えば、それを正面から突き崩すような、あるいは乗り越えるような評論を、私はついぞ読んだことがありません。宇佐見の真面目な理論がただ忘れてられていくだけ、というのは現代美術にとってもよくないことだと思います。その象徴的な出来事が、彼の東京大学中央食堂に掲げられていた大壁画が、事故のように廃棄されてしまった、というのでは悲しすぎます。
(https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/23720)
そして、いま私が思うことは、宇佐美の方法は中途半端であったのかもしれない、ということです。彼は絵画における均質空間について鋭い疑いの眼差しを向けましたが、絵画空間ばかりでなく、そもそも私たちの精神の根本にある空間と時間の等質性という思想そのものを、あるいは感受性そのものを疑うべきだったのではないか、と思うのです。そう考えると、ベルクソンが100年前に抱いた科学主義への根本的な疑いが、今でも有効なのではないか、と私は思います。
そしてここで私は、具体的な手がかりを提示したいと思います。宇佐美がサラッと通り過ぎた次の一文を見てください。
「ごくおおざっぱに振り返ってみても、外界を光に、そして光を原色の色点に分解するという表現形式を作った印象派の運動を連想させるセザンヌの基本形体への接近。さらには、自然を抽象的な形態素や記号としての色で再構成しようとした立体派の運動、等々。」
この中の「セザンヌの基本形体への接近」という部分です。このセザンヌの「基本形体」がその後の立体派の「自然を抽象的な形態素や記号としての色で再構成しようとした」運動につながる、というふうに読めるのですが、本当にそうでしょうか。ここでセザンヌの絵を見てみましょう。
セザンヌ『サント・ヴィクトワール山』
(https://www.artizon.museum/collection/category/detail/160)
この絵に見られる山の稜線、手前の樹木の茂みなどは空の青さと一体化し、混沌としているように見えます。そしてそもそも山と黄土色の建物とはどれくらいの距離感にあるのか、画家と山とはどれほど離れているのか、ということも絵の中ではよくわかりません。セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』のシリーズ全体についてよく言われることですが、セザンヌの描いた山は実際の風景よりもずっと手前に迫って見えるようです。セザンヌの絵は、宇佐美の分析とは裏腹に、実は「抽象的な形態素や記号」として再構成されることを拒んでいるように見えます。セザンヌが描きたかったのは、手で触れられるように手前に迫ってくる山の実感であり、それは空間の等質性とは全く異なる感覚であり、表現なのです。
私が思うに、近代においてベルクソンが空間と時間の等質性を疑ったように、透視図法的なものの見方を疑った画家たちがいました。しかし、それは「空間概念=均質空間」という時代の流れの中で、省みられることがなかったのです。彼らは個性的な、あるいは表現主義的な画家として解釈され、場合によってはセザンヌのように誤解されてしまったのです。
私はこの空間と時間の等質性について根本的な疑いを持って表現に向かうことが、現代美術にとってとても重要なことなのだと確信しています。それはいずれ美術の分野を超えて、世界全体にとって有効な指針を示すことになるのだろう、と思います。
さて、ベルクソンは現在において参照すべき思想家なのかどうか、そして今の私たちの表現をより豊かな方向へと向かう手がかりを与えてくれるのかどうか、もう少し考えたいと思います。次回は彼の主著である『物質と記憶』を取り上げて、もう少し考察を深めてみたいと思います。
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