平らな深み、緩やかな時間

34.1972年の『メトロポリタン美術館展』について

ニューヨークのメトロポリタン美術館の所蔵する作品が、日本で初めて大きく紹介されたのは、1972年の夏のことでした。東京国立博物館で開催されたその展覧会を、小学生だった私は、母に連れられて見に行ったのです。本格的な美術展に行ったのは、たぶんそのときが初めてでした。母は特別に絵が好き、というわけではありませんでしたが、おそらく、絵を描くのが好きな私に、ちゃんとした絵を見せたい、という気持ちから、わざわざ上野の博物館まで連れ出したのでしょう。あるいは、もしかしたら、そのころ学校を転校してうちにこもりがちだった私を外に連れ出そう、という意図があったのかもしれません。
そのときのことを、どれくらい憶えているのか、というと、実はかなりあいまいです。その時に買ってもらったカタログを繰り返し見ていたので、その後に感じたことと記憶が混同しているのです。
しかし、はっきり憶えていることもあります。ボナール(Pierre Bonnard, 1867 - 1947)の『ヴェルノンのテラス』という作品の色彩が奇妙だったことと、セザンヌ(Paul Cézanne、1839 - 1906)の『森の岩』のかすれた筆触をやけに下手だと思ったことです。なぜ、そんなことを憶えているのかといえば、展覧会場でそう思ったにもかかわらず、家に帰ってカタログを見てみると、その二枚の絵がカラー図版で掲載されていて、とても意外に感じたからです。その当時のカタログは、カラー図版が全体の1/4ぐらいしかありませんでしたので、展覧会の中で重要な作品が選ばれていることは、子供でも分かったのです。なぜ、これらの絵がよい作品だと思われているのか、私にとっては謎でした。
ちなみに、私がそのときにもっとも気に入った作品は、コール(Thomas Cole, 1801 – 1848)というアメリカの画家が描いた『キャッツキルの秋』という風景画でした。自然主義風の風景画ですが、よく見るとピクニック風の若い女性や白い馬が点景として描かれています。遠景の淡い山並みから中央を蛇行する川をたどって、徐々に風景がこちらに迫ってくる感じや、左の光を浴びた木と右の手前の逆光気味の大きな木の対比など、今見るといかにも、という絵です。
すばらしいことに、現在ではこの絵をインターネットで見ることができます。『キャッツキルの秋』は、カタログではモノクロでしたので、久しぶりにカラーで見ることができました。ネット上のこの画家の他の作品も見ると、なかなか達者な画家だったことがわかります。

(http://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/10501?rpp=20&pg=1&ao=on&ft=thomas+cole&pos=9)

ところで、ボナールやセザンヌにおける、このような作品との出会いは、不幸なものだったのでしょうか。実はそうでもなくて、どのような形であれ、すぐれた芸術家の名前があたまにインプットされるのはよいことだったようです。その2年後、1974年に日本で最初に企画されたセザンヌの大規模な展覧会を、中学生になった私は忘れずに見に行っています。そして、とても感動しました。ボナールもまた、その当時にどこかのデパートの展示場だったと思いますが、かなり大きな展覧会があって、そのときには彼の色彩の素晴らしさを味わう程度には、絵を理解するようになっていました。私にとって、彼らの作品の魅力はまず色彩にあって、形や構図、つまり絵の構造のすばらしさに気づくのは、大学を卒業するころになってしまいました。そう考えると、私の理解力というのは、中学生のころから牛歩のごとく遅々として進まなかったのですね。
いまの私はどうでしょうか。これから先は、すこしましになるとよいのですが・・・。

さて、こんな個人的なことを思い出したのは、先月の末に母が亡くなったからです。内輪の葬儀でしたが、今月はばたばたと落ち着きませんでした。最近になってやっと、もう母を見舞うこともないのか、と何やら実感めいたものがわいてきました。自分の反応の鈍さにあきれている次第です。

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