ターナー(Joseph Mallord William Turner、1775 - 1851)の大規模な展覧会が話題になっています。上野の東京都美術館に行ってきました
(http://www.tobikan.jp/museum/2013/2013_tuner.html)
ターナーはイギリスの代表的な画家です。美術史のうえではロマン主義の画家として分類されますが、実際にはその枠にあてはまらないスケールを持った画家です。これまでも、何回かターナーの展覧会が企画されていますが、100点以上の作品が集められている今回の展覧会が、規模において最も大きいものでしょう。以前に見た展覧会では、ターナーの原画をもとにした版画がかなりの数を占めているなど、作品数をそろえる苦心が透けて見えたこともありましたが、今回は質においても満足の出来る展示でした。
ただ、ここでターナーの作品の素晴らしさや、その作品の変遷を書いてみても、あまり意味がないでしょう。モネ(Claude Monet、1840―1926)やルノワール(Pierre-Auguste Renoir、 1841 - 1919)ほどではないとしても、日本人にとってかなりなじみの画家だと思います。ですから、今回は個人的なターナーへの思いをメモにしておきたいと思います。
さて、私の手元には1985年の『ターナー展』のカタログがあります。ターナーの作品を、はじめてまとまった形で見たのはいつ頃なのか、記憶が定かではありませんが、そのときのことは憶えています。ターナーの絵のうまさや迫力に魅了され、晩年になるにつれて、だんだんと画面がもうろうとして抽象度を増していく様子に、興味を持ちました。やはりそのころに熱心に見ていた抽象表現主義の絵画や、その後のカラー・フィールド・ペインティングにつながるような作品だと思ったのです。しかもそれらの作品が、モネやセザンヌ(Paul Cézanne、1839 - 1906)よりもすこし前の時代の画家によって描かれた、ということにも驚きました。その後、しばらくはターナーの絵を繰り返し見ることになります。ターナーの作品にはどれほどの現代性があるのか・・・、そんなことが気になって、画集をめくる日々でした。イギリスのロイヤル・アカデミーの大物でありながら、孤軍奮闘して革新的な絵画を描き続けた画家が、印象派以降の近代絵画を飛び越えて、直接、現代につながっているとしたら、それはすごいことではないでしょうか。
確かに、ターナーの作品にはそういう面があります。しかし、30年近い月日の中で、私も少しは冷静に絵を見るようになりました。今回の展覧会でも、ターナーの絵の素晴らしさを十分に堪能しつつも、現代の絵画に直接、つなげてみることはしませんでした。それは、なぜなのか、といえば、つぎのようなことです。
ターナーがロマン主義の時代の画家としては、破格の斬新さを持った画家であったことはまちがいありません。しかし、彼は古典的な絵画をこよなく愛した画家でもありました。ですから、彼の絵画には靄のようなあいまいさのなかにも、古典的な奥行きがあります。その奥行きは力強くて、じっと見ていると、つい引き込まれてしまうほどです。私見ですが、そこのところが、現代絵画の空間に直接影響を与えている、例えば印象派のモネやセザンヌと違うところだと思います。モネやセザンヌも、晩年になって具象的な形体があいまいになりましたが、それは同時に、それまでの旧套的な絵画空間を脱構築することでもありました。つまり、形体が抽象化したばかりでなく、彼らの場合は絵画空間そのものが現代の絵画に影響を与えたのです。ターナーの絵画にも、現代的な絵画空間に近いものがありますが、それらは未完成のもの、あるいは試し描きのようなもの、が多いようです。ターナーが完成作だと認めなかった作品を、その後の人たちが現代的な作品として再発見した、というところでしょうか。ターナーと、モネやセザンヌとの年齢差は65年ほどですが、そこには時代の区切りとでも言うべきものが、確実にあったと私は思います。
とはいえ、ことわるまでもありませんが、それはターナーがモネやセザンヌに比べて劣っている、ということではありません。そもそも時代や状況の異なる画家たちを、むりやり比べる必要もないのです。たまたま、若いころの私の興味にそって、比較してみた結論です。
ところで、さきほどターナーは日本人にとってなじみの画家だと書きましたが、それはわりと最近の話なのかもしれません。思い起こすと大学に入る頃までは、私もターナーという画家についてよく知りませんでした。印象派をはじめとしたフランスの近代絵画は、そのころでもいやというほど展覧会で紹介されていましたが、イギリスの画家であるターナーは、ちょっとした盲点のようなところがあったと思います。美術史の上では知っているのに、あまり本物を見る機会のない画家、という感じでしょうか。それに加えて、印象派の作品の明快な明るさに比べると、ターナーの作品は光にあふれているとはいえ、どこか神秘的なところがあります。
そのような事情が、私ばかりでなく、当時の若い美術家たちにとっても、ターナーを魅力的な存在にしていたようです。学生の頃に街の画廊で出会った現代美術の作家の口から、ふとターナーの名前が出てきて、意外に思ったことがあります。そして話を聞いてみると、その人は自分こそが本当のターナーの魅力を知っているのだ、と言いたいような口ぶりでした。知る人ぞ知る画家や作品を、自分だけが理解している、と思いたい気持ちはよくわかります。そして何となく、私自身の思いとも重なる所があって、気恥ずかしく思いました。
いまやターナーは、たくさんの人たちがその本物の魅力を知る巨匠ですから、そういう若者も、もういないのでしょうね・・・。
話は変わりますが、ターナーを見に行った日に、西洋美術館や東京芸大の美術館も見に行きました。
西洋美術館は『ミケランジェロ展』『ル・コルビュジエと20世紀美術展』『ソフィア王妃芸術センター所蔵 内と外―スペイン・アンフォルメル絵画の二つの「顔」展』と主な展示だけでも盛りだくさんです。ミケランジェロ、( Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、 1475 - 1564)の本物が見られるというのは、もちろん貴重な機会でしたが、スペインの現代絵画を見る機会というのも少ないので、三つ目の展覧会も興味深く鑑賞しました。作品の内容として、すばらしい発見があったわけではありませんが、アントニ・タピエス(Antoni Tàpies、1923 - 2012)以外は、はじめて見る画家でしたので、参考になりました。私たちは時代の脚光を浴びているところばかり見てしまいますが、世界中のどこにでも絵を描いている人たちはいるはずで、そういう営みを先入観なく見て行きたいものだと思います。少し前のトスカーナの展覧会のときにも、そう思いましたが・・・。
それから、東京芸術大学大学美術館の『国宝 興福寺仏頭展』についても、ひとこと・・・。仏教美術にコメントできるほどの知識もありませんが、仏頭とともに展示されていた国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)をはじめ、みごとな像がたくさんありました。これらの像が、ミケランジェロよりも古い時代のものだ、と思うと、すごい職人集団がいたのだなあ、とあらためて感心してしまいます。
素朴な感想ですが、今回はこんなところで・・・・。
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