平らな深み、緩やかな時間

23.『レオナルド・ダ・ヴィンチ』展、『夏目漱石の美術世界』展から

5月は多忙な月です。とくに休日が忙しくて、なかなか美術館や画廊に行く時間がとれませんでした。このblogも書き込む時間がなく、6月になって、やっと一息つけました。

それでとりあえず、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、1452 - 1519)の『音楽家の肖像』が評判になっている展覧会を見るために、東京都美術館に行ってきました。とりあえず、というのは、実は期待半分くらいだったからです。一点の名画で集客をねらう展覧会は、展覧会全体としての内容がいまひとつであることが多いし、それにどんな名画であっても、500年も前の作品だと、修復の痕跡や表面保護のニス、ガラスケースなどに隔てられて、本物を見ている実感が希薄になってしまう、という経験もたくさんしてきたからです。
しかし今回の展覧会では、レオナルドの業績や影響を何とか目に見える形にしよう、という企画側の工夫を感じました。とくにレオナルド以前と以降で区分された素描作品の展示では、中世の名残のある描写から、ルネッサンス的な描写へと変化する様子がとてもよくわかります。それがレオナルドの影響だとは一概に言えないのでしょうが、その節目になる時代に彼が生きたことは確かです。
それに今回は、アンブロジアーナ図書館のコレクションということで、書物の形式の図版も多く展示されていて、当時の文化的な状況を身近に感じることができました。それらを見ると、この時代の画工にとって重要だったのはいかに巧みに聖書の場面や人物の姿を画像にするのか、ということであって、現在の私たちが求めている芸術性とはいささか違っていたのだろうと思います。そんなことはあたり前だ、と理屈のうえでは理解しているものの、実際にはつい忘れてしまいがちではないでしょうか。大げさに言えば、ミシェル・フーコー(Michel Foucault 、1926 - 1984)の言うところの「知の枠組み(エピステーメー)」の違いを、肌で感じ取るということです。
そして肝心のレオナルドの『音楽家の肖像』ですが、やはりなかなか良い作品でした。ただ、これも本物を見て実感したことなのですが、有名な『モナリザ』などと違って、この作品は描写にかなりアンバランスなところがあります。顔の部分以外、頭部の帽子であったり、首から下の衣服であったり、という部分はかなりそっけなく描かれていて、立体感もほとんどありません。しかし、それが全体としてみるとかえってよいのです。見る者の視線はどうしても顔の部分に集中しますが、その描写がとても魅力的です。その顔の部分にしてもデッサンが完璧、というわけではなく、よく見ると肉付きの具合など不自然な点もあるのですが、そういうこととは関係なく、すこし離れて見ると生き生きとした鮮明な表情をしているのです。レオナルドは万能の天才、などと言われますが、この作品を見ると「完璧さ」を求める「天才」というよりも、やっぱり「絵描き」だなあ、と思ってしまうのですが、いかがでしょうか。

つぎに見に行ったのは、東京芸大美術館で開催している『夏目漱石の美術世界』展です。
ほとんどの方がそうだと思いますが、私も中学から高校の頃に夏目漱石(1867 – 1916)の主な小説を一通り読みました。その後、成人した頃に柄谷 行人(1941 - )が漱石について批評を書いていたことを知り、もう一度読み返しました。そんなことから、漱石が留学時代にイギリスの美術に親しんだことや、帰国してからも美術批評を書いたり、自ら絵筆を取ったりしていたことも知識として知っていました。画家が主人公の『草枕』はもちろんのこと、『三四郎』も美術とのかかわりが深い小説です。漱石の日常生活の中で、美術作品がごく身近にあったことは、そんな小説の世界からも想像に難くありません。今回の展覧会では、それらの作品が一堂に集められているようですから、視覚的に漱石の見ていた美術の世界を体験したい方には、ぴったりの展覧会だと思います。
私は今回の展覧会を見て、漱石の生きた時代が日本の洋画の勃興期であり、日本画の革新期でもあったことを、あらためて実感しました。また、留学時代に見たターナー(Joseph Mallord William Turner、1775 - 1851)やラファエル前派の作品と、酒井 抱一(1761 - 1829)や伊藤 若冲(1716 - 1800)の屏風や掛け軸が同居している様子を見て、当時の文化人の頭の中というのは、いかに刺激的であったのだろうか、と想像してみました。『草枕』のなかには、漢詩や和歌と英詩の引用が同居していますし、いかに秀才といえども一人の人間が抱える世界としては、あまりにも広範囲で大きかったのだろうと思います。
その一方で、漱石の美術へのアプローチや理解の仕方というのは、やはり文学者のものだったのだろうと思います。ラファエル前派への共感の仕方には、とくにそれが感じられます。例えば『草枕』の主人公である画家が、女性の表情の一瞬の憂いを見て、「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」とつぶやいて終わるところなど、今から見れば文学的な絵画解釈のように思います。物語の終わり方としては、申し分のないものなのでしょうが・・・。
展覧会についていえば、もう一言だけ余計なことを書いておきます。美術と文学の関連性、ということであれば、これらの美術作品が漱石の文章にどのように影響したのか、という考察も、もっとほしいところです。漱石の文章には風景の描写も多いのですが、例えばそこには洋の東西の風景画がどのように影響しているのでしょうか。視点の置き方や動きとか、それにともなう時間の経過の表現とか、そういったことです。そういう研究も、きっとあるのでしょうね。

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