はじめにお知らせです。3月15日(月)から20日(土)まで、京橋のギャラリー檜で個展を予定しています。すでにギャラリー檜のホームページにDMの画像が掲載されています。また、私のホームページからも画像とpdfファイルがご覧になれます。
ギャラリー檜(http://hinoki.main.jp/img2021-3/exhibition.html)
石村ホームページ(http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html)
この新型コロナウイルス感染の状況下で、展覧会がどうなるのかわかりませんが、今のところ開催予定で制作しています。また、こういう状況ですし、私自身の年齢も考えると、あと何回、展覧会ができるのかわかりません。そこで今回は、直接ご覧いただけない方々のためにも簡単なパンフレットを作成しようかと考えています。もしも送付をご希望される方がいましたら、私のホームページのコンタクトのページからご連絡ください。
よろしくお願いします。
それにしても、半ば予想されていたこととはいえ、ウイルスの感染状況が再び大変なことになってしまいました。ウイルス感染は天災ですから仕方ないのかもしれませんが、この事態になっても自粛に伴う給付金や罰金についての方策が定まっておらず、これから話し合って決める、というのは明らかに政治の怠慢です。こちらについては人災としか言いようがなく、保障があいまいな中で営業自粛を求められている方たちが気の毒でなりません。
日本も、そしてアメリカも、民主主義の政治が危機的な状況です。アメリカの連邦議会にトランプ支持者が乱入する事件は衝撃でした。そして、やっとトランプ大統領になびいていた人たちが軌道修正をしはじめたようですが、それでよいというわけにはいかないようです。コアなトランプ支持者が孤立することで、その集団がカルト化していく様にオウム事件を読み重ねて警告しているのがジャーナリストの江川紹子です。このトランプ大統領の件に関しては、客観的な事実をねじまげてネット上で無責任な情報を垂れ流す人たちが日本にもかなりいます。そういう人たちを放っておいてはまずいし、たんに拒絶して彼らを追いつめるのも事態を悪化させてしまいます。ではどうしたらよいのでしょうか?江川紹子は次のように書いています。
根拠なき陰謀論については、面倒でも「これは間違い」「これは根拠が示されていない」と一つひとつ、こまめに、忍耐強く否定していく情報発信を続けていくことが大切だと思う。そうすることによって、カルト的思考・発散の拡散に抗いたい。
(https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20210108-00216678/)
実際にカルト化した情報を鵜呑みにする人たちを前にして、「忍耐強く否定していく情報発信を続けていくこと」は本当に大変なことです。しかし考えてみると、これは今回の事件に限ったことではありません。「根拠なき陰謀論」に限らず、私たちはさまざまな場面において根拠の示されない情報を疑い、忍耐強く真実に迫っていくことを求められています。とくに私のように愚かで特別な能力に恵まれない人間は、根気よく学習していかないと客観性を保つことすら出来ません。以前に平野啓一郎が、「今の世の中で正気を保つため」に文学が必要だ、と書いていたことを紹介しました(blog/131. 先日見た4人の作家のこと、「文学は役に立つのか」などについて)が、現代は正気でいること自体が困難な時代なのかもしれません。とにかく、あきらめることなく、歩みを止めずに前を向きましょう。
さて、今回はフランスの哲学者、作家、批評家であるモーリス・ブランショ(Maurice Blanchot、1907 - 2003)が書いた『来るべき書物』を取り上げます。
このモーリス・ブランショという人は、ポスト構造主義の哲学者たちに多大な影響を与えたと言われていて、重要な哲学者だからいつかちゃんと本を読んでみたい、と思いつつ、私の個人的な事情でそれが果たせないでいた人です。たいした事情ではないのですが、そのひとつには私が学生時代、一生懸命勉強していた頃にお金がなくて、ブランショの本が高くて買えない、ということでした。いまでは「ちくま学芸文庫」からも著作が出ていますが、主著の『文学空間』は新刊が入手できないようで、文庫もハードカバー並みの値段がついていますね。それから、もうひとつは内容が難しくて図書館でちょっと借りたぐらいでは、よくわからない、ということがありました。こういう本は、こちらの頭が追いついて、あっ、と思った時に読み返さないといけませんが、そういう本がたまってしまっていて、ブランショまで手が回らない、ということがありました。
今回も、『来るべき書物』という本の全体を紹介できるわけではありません。そしてもちろん、ブランショの思想について解説できるわけでもありません。
ただ、この先の読めない時代に、来るべき世界、来るべき芸術、来るべき絵画とはどういうものだろうか、と考えた時に、いまから60年以上前とはいえ、『来るべき書物』などという大胆な名前を付した本に、いったい何が書かれていたのか、ということが気になってしまったのです。
この『来るべき書物』は当時のブランショの書いた評論を集めた本なのですが、今回はブランショがその前に書いた『文学空間』からの流れをおさえながら、『来るべき書物』とはいったい何なのか、ということについて、限定的に注目してみたいと思います。
その前に、ブランショはどんな人であったのか、簡単におさえておきましょう。もしもあなたが、私のように文学の世界に疎い人ならば、モーリス・ブランショという名前すら、あまりなじみのないものだと思います。『来るべき書物』の「訳者あとがき」で、翻訳者の粟津則雄(あわづ のりお、1927 - )はブランショの経歴について、短くこう書いています。
モーリス・ブランショは、1907年9月22日、フランス東部ソーヌ・エ・ロアール県のカーンで生まれた。大学の課程を終えたのち、ジャーナリズムで仕事をしていたが、1940年頃から執筆活動に入った。
(『来るべき書物』「訳者あとがき」粟津則雄)
このようにあっさりと書かれていますが、ブランショははじめ右翼の機関紙に記事を書く右翼イデオローグでした。それがジョルジュ・バタイユ(Georges Albert Maurice Victor Bataille、1897 - 1962)やエマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906 - 1995)らの哲学者、思想家と出会い、その思想を変えていったのだそうです。
そしてマルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889 - 1976)の存在論哲学の影響を受け、執筆活動を始めてからしばらくたった1955年に書いた『文学空間』で独自の文学理論を打ち立てて、ロラン・バルト(Roland Barthes、1915 - 1980)らのポスト構造主義の哲学者たちに決定的な影響を与えました。『来るべき書物』はその4年後の1959年に書かれたもので、内容的には『文学空間』の延長線上にあるようです。
この『文学空間』も、いずれは読み込んでblogで取り上げなければなりませんが、いつになるのやらわかりませんから、とりあえずどんな本なのか、『来るべき書物』と同様に『文学空間』を翻訳した粟津則雄の「あとがき」を抜粋しておきます。
彼ら(アンドレ・ジッド、ロブ=グリエ等)に共通するのは、文学を、単に自己表現の手段となす従来の立場から、はっきりと断絶を示している点だ。表現さるべきものは、自己ではない。文学なのだ。「文学空間」なのだ。ブランショが、本書で展開している「作品」という観念も、このような点から発している。適当な訳語がないため、止むを得ず「作品」と訳したが、彼はこの言葉を、「書物」とはっきり区別して使っている。「書物」とは、作者が所有し得るかぎりでの作品、死んで作者に所有されるがままになっている作品である。一方作者は、作品を所有することが出来ない。「作品を書くことができるだけだ。」作者に近づき得ずしかも作者の作品活動の根拠になっているもの、近づき得ぬという、まさしくその点で、それに近づく行為を可能にしているもの。これが作品である。知覚とイマージュとの峻別は、たとえばサルトルが強調するところであり、イマージュは対象の不在をその前提とするということから、彼は芸術作品の自律性を主張しているが、ブランショの場合、この区別はさらに一面的で極端であり、彼の思考は、知覚としての現実性と、イマージュによる想像的空間との非連続性に集中しているように思われる。彼にとって、文学の可能性とは、この非連続性、この不可能を媒介してはじめて可能なのであり、そのことを彼は、「すべてが消えたとき、『すべてが消えた』が現れる。」と言っている。彼の小説は、だから、知覚記号としての言葉を通して、超越としての想像的空間を存在させようとする企てとなる。この空間においては、対象は対象のイマージュとなり、言葉は言葉のイマージュとなり、書いている作家の手自体、手のイマージュとなる。
(『文学空間』「あとがき」粟津則雄)
いきなり読んでも、何のことだかわかりませんね。私なりの解釈を書いておきます。
私たちが考えているような芸術とか文学、美術もそうですけど、そういう概念が出来たのは、たぶんそれほど昔のことではありません。古代では芸術は呪術や古代宗教と結び付いていたでしょうし、西洋ではつい最近まで芸術表現はキリスト教の信仰と切り離せないものでした。もしくは王侯貴族など、ときの権力者を礼賛するためのものであったのかもしれません。それが人間を中心に据え、「自己」を表現する手段となったのが、だいたい200年前ぐらいだったのではないでしょうか。「ロマン主義」あたりが文学であれ、音楽であれ、美術であれ、近代的な人間による自己表現のもっとも顕著なものだったのだと思います。ロマン主義のいささか大仰な自己表現に対して、もっと現実的なもの、もっと科学的なもの、もっと客観的なものを求めたのが「写実主義」であったり、「自然主義」であったり、「印象派」であったりしたのだろうと思います。それらの動きが芸術表現そのものを、客観的に、科学的に見直すことにもなったのだと思います。
そんな考え方を推し進めていったときに、芸術表現はたんなる芸術家個人の自己表現ではなくて、もっと客観的で普遍的なものに到達できるのではないか、と考える人たちが出てきました。ブランショもその一人ですが、彼以前に文学の普遍化をもっとも進めたのが、たぶん、19世紀フランス象徴派の代表的詩人であるステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé, 1842 - 1898)だったのだと思います。
そして、『文学空間』の中で主に取上げられていたマラルメが、『来るべき書物』の中の「来るべき書物」というエッセイにおいて、まさにその中心となります。ブランショが「来るべき書物」として取り上げたのは、マラルメの『骰子一擲』(とうしいってき)という詩なのです。この詩については、以前にも触れたことがあるのですが、私のように詩に親しまない者には、正面から論じることなど不可能です。しかし文学に限らず、芸術全般を考えてもこれほど後世への影響の大きい詩は他にないでしょう。したがって、ここではブランショの手を借りながら、『骰子一擲』についても出来る範囲で触れてみましょう。文学音痴の人間が、ブランショとマラルメという難解な巨人について、いったい何が語れるのか、文学通の方から見ると笑われるような内容になってしまうかもしれませんが、どうかご容赦ください。
ところで、『骰子一擲』(とうしいってき)というのは、そもそもどういう意味なのでしょうか。
「骰子」(とうし)とは「サイコロ」のことで、「一 擲」(いってき)とは「一度に擲(なげう)つこと」だそうです。つまり「サイコロを一回投げ打って、転がすこと」です。この詩編の正式な名称は『骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき』(サイコロの一振りは決して偶然を排することはないだろう)というものなのです。なんだ、当たり前のことじゃないか、と拍子抜けしてしまいますね。サイコロに何か仕掛けが無い限り、一振りして出てくる目が偶然であることは当然です。しかし、なぜマラルメはこんな言葉を詩のタイトルにしたのでしょうか。
マラルメが目指したもの、それは作家個人の気分や思い付きで綴られる詩ではありません。もっと、私たちを取り囲むこの世界を表現するのにふさわしい言葉、必然性のある言葉による詩です。しかし、すべてが必然的なものなど、この世界にありません。偶然に起こる出来事によって私たちの生活は左右されますし、どんなに厳密に言葉を選んでも、そこで詩作している作家の存在そのものが偶然性の影響を受けているのですから、完璧に必然的なものなどあり得ないのです。ただそれにしても、たんなる気分で選ばれた言葉と、真実を求めた言葉とは、何かが違っているはずです。
例えば、自分の気分で思いついた言葉が偶然のものではなく、完全に自己表現されたものだと信じているロマン主義の詩人の紡いだ言葉と、自分の紡いだ言葉が真実を言い表すことに対して限界がある、ということを知っている詩人の言葉とでは、その質に大きな差が出るのではないでしょうか。不幸にして私にはそれを感受する才覚がありませんが、マラルメやブランショにとっては、その違いは大きかったのだろうと思います。そうだとすれば、より厳密な言葉を語るためには「サイコロの一振りは決して偶然を排することはないだろう」と言ってみるほかにないのではないか、とマラルメはそう考えたのかもしれません。
私のもっている思潮社の『骰子一擲』は秋山澄夫(1919 - 1993 )という研究者が訳したものですが、彼は「日本語訳・骰子一擲・ノート」の中で次のように書いています。
ステファヌ・マラルメは、宇宙の創造原理を、いつかは、把握することができる、と信じていたふしがあり、その原理を書きしるしたものを「本」とよんでいたようである。数学家や物理家が数式でもって表す事柄を、文章でもって、より正確に、見事に、表し得るという信念を抱いていたもののようである。数式は抽象であり、真理は具体的である筈で、芸術表現の方が、より正確な手段であるという思考なのだろう。ひとたび宇宙の創造原理が把握されれば、宇宙を変えることも破壊することも、可能であり、人間の力は万能である。どこかにその原理を記録した「本」があるのではないか。われわれは宿命的に、フランス語だの日本語だの朝鮮語だのインドネシア語だのの地球上の方言で書かれた本しか所有し得ないが、それは、テクストではないが、そのいろいろな版本ではあり得るわけで、せめて能うかぎりテクストに肉迫した版本を得たいものだというのが、マラルメ氏の希いであり、信念であり、抱負であったのだろう。
(『骰子一擲』「日本語訳・骰子一擲・ノート」秋山澄夫)
この『骰子一擲』という詩編はきわめて特殊なもので、ページの中で文字や空間(空きスペース)が複雑に配置されたものです。秋山澄夫と思潮社は、「せめて能うかぎりテクストに肉迫した版本を得たいものだというのが、マラルメ氏の希いであり、信念であり、抱負であったのだろう」という言葉を真摯に受け止めて、この詩編の日本語版にマラルメの原稿のレイアウトをそのままに再現しようとしたようです。原語の詩のページ写真も載っていますし、とても素晴らしい本だと思います。気になる方は『骰子一擲』の画像を探すと、いくつかページの写真が出てきますので、ご覧になってみてください。
それにしても、マラルメはどこまで「宇宙の創造原理」を把握できると考えていたのでしょうか。マラルメは印象派の画家と同時代の人で、マネ(Édouard Manet, 1832 - 1883)の描いたマラルメの絵は有名です。蛇足ですが、音楽家ではドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862 - 1918)が少し年少者ですがマラルメと交流があり、マラルメの詩『半獣神の午後』に触発されて『「牧神の午後」への前奏曲』を作曲したのだそうです。
話をもどしますが、マラルメと同時代の人たちは、自然科学についてどこまで現代に近い認識を持っていたのでしょうか。現在では、おそらくマラルメが予想したよりも多くの科学的な事実が明らかになり、生活は便利になっているのでしょうが、「創造原理」の把握という点では、マラルメの時代よりも限界を感じるようになっているのではないでしょうか。例えば、地球温暖化の問題にしても、原発の放射能の制御にしても、人間にはどうしようもないことばかりが目につきます。
さて、それでは『来るべき書物』の中の「来るべき書物」というエッセイの中で、ブランショはマラルメについてどのように書いているのでしょうか。
マラルメが一編の詩を「宇宙の創造原理」が書かれたテクストへと近づけようとしていたことは先に見た通りですが、そのためにはその詩を一人の詩人の自己表現とは程遠いものだと見なさなければなりません。ブランショは、まずその点に触れてこう書いています。
マラルメがその主張を配分したあらゆる段階を明らかにするためには、綿密な研究が必要だろう。時に彼は、書物はつねに無名のものでなければならぬと言おうとするだけだ。つまり、作者はその書物に署名しないことに甘んじるわけである。(「一巻の書物がいかなる署名を持たぬことが認められ」。)詩作品と詩人とのあいだには何ら直接的な関係はなく、所有関係などなおさら存在しない。詩人は、自分が書いたものをわがものと主張することは出来ない。彼が書いたものは、たとえ彼の名を付されてはいても、つねに、本質的な意味で名前のないものなのである。
この無名性はいったいなぜだろうか。マラルメは、書物について、まるでそれが、われわれのなかに潜在し自然のなかに書きこまれてすでに現実に存在しているかのごとく語っているが、ここにこの問いに対するひとつの答えを見出すことが出来る。「私は、これはすべて、何も見ないことに汲々としている人々にだけは勝手に眼を閉じさせておくようなかたちで、自然のなかに書きこまれていると思っています。この作品は現実に存在しているのであって、誰でも、それと知ることなしに、この作品を試みてきたのです。天才だろうが、軽薄な男だろうが、この作品のなかの一句をそれと知らずに見出したことのない者など、ひとりもいはしないのです。」
(『来るべき書物』「来るべき書物」モーリス・ブランショ著 粟津則雄訳)
ここで語られている「自然のなかに書きこまれている」ものというのは、何なのでしょうか。それはおそらく、秋山澄夫が語ったような「宇宙の創造原理」のようなものなのでしょう。それは「天才だろうが、軽薄な男だろうが」、詩を書くとなれば一句ぐらいは「それと知らずに見出し」てしまうものなのだ、とマラルメは言うのです。だから、詩は詩人が個人として所有するものではなく、「本質的な意味で名前のない」ものだと言うのです。
それにしても、詩人はどのようにしてこのような「自然のなかに書きこまれている」言葉と出会うのでしょうか。そこには何か神秘的なもの、超自然的なものが介在しているのだ、と言いたくなります。実際にマラルメも「神秘学の誘惑を受けている」とブランショは書いています。しかし、そののちのマラルメの結論は、次のようなものです。
マラルメにとっては、文学以外にいかなる魔術もありえないと思われるのだが、文学は、魔術を排除するようなかたちでそれ自体と直面することによって、はじめて成就されるのである。彼が明確に示しているように、精神的な探究には美学と経済学という二つの道しか開かれていないのだが、「錬金術は、主としてこの後ろの方の目標に関して、輝かしく、早きにすぎる、混乱した、先駆者であった。」この「早きにすぎる」という言葉は注目してよい。性急さこそ、魔術を特色づけるものであって、魔術は、自然を直ちに支配しようという野望を抱いているのだ。ところが、詩的な断言のなかでは、これとは逆に、忍耐が働いている。錬金術は、創造し、創りあげることをねがう。詩は、存在しないもの、ありえないものの支配を命じ、打ち立て、人間に対して、その至高の天職として、能力的な言葉では言い表されえぬ何物かをしめすのである。
(『来るべき書物』「来るべき書物」モーリス・ブランショ著 粟津則雄訳)
もしもマラルメが神秘学に傾倒し、その思想を詩の中に吐露していたなら、彼の作品はその時代の枠を超えることはなかったでしょう。マラルメの時代にマラルメが信じた魔術がこういうもので、それがこのような美しい言葉で綴られている、と私たちは嘆賞するだけです。しかし、そこには現在のマラルメに見ることが出来るような硬質なもの、普遍的なものはなかったでしょう、と偉そうに書いていますが、私はマラルメの詩を本当に理解しているとは言い難いので、おそらくそうであろう、と思って書いているだけです。これが絵画なら、かなり確信を持って書けるはずです。神秘学が背景にある絵画と、そうでない絵画とは大きな違いがあります。おそらく詩においてもそうであろう、と思って書いているだけです。
さて、そのようにして存在する言葉、「能力的な言葉では言い表されえぬ何物かをしめす」言葉と、偶然性とはどのように関わっているのでしょうか。先ほども見たように、どのような詩編であれ偶然性の影響を受けないで成立することはあり得ませんし、そのことは『骰子一擲いかで偶然を廃棄すべき』とタイトルを付けたマラルメが、一番よく分かっているはずです。そのことについて、ブランショは次のように解説しています。
マラルメが、つねに、伝統的な詩句のなかに、偶然に対して「逐語的に」打ち勝つための手段を認めていたことを承認するとすれば(いささか性急だが)、『骰子一擲』のなかには、偶然を打ち勝ちえぬものと表明する中心的な詩句の権威と、古い詩句というもっとも偶然的要素の少ない形式に対する断念とのあいだの、或る緊密な対応があることが見てとれるであろう。「骰子の一擲は、けっして偶然を排除すまい」という詩句は、この新しい形式の持つ意味あいを作り出し、その特質を表しているにすぎないのだ。だがしかし、それによって、また、詩の形式と詩を支えつつ貫き通っている断言とのあいだに明確な相関関係が生まれたときから、再び必然性が打ち立てられる。偶然は、定型詩の破壊によって解放されることはないのであって、それどころか逆に、明確に表現されることによって、それに対応する形式の正確な法則にしたがっているのであり、またそれは、この形式に対応しなければならないのである。偶然は、このことによって打ち破られはしないにしても、少なくとも、言葉の厳密さへと引き寄せられ、偶然が閉じこもる形式の堅固な形態へと高められる。そして、ここから再び、必然性をゆるめる或る矛盾のごときものが生ずるのである。
(『来るべき書物』「来るべき書物」モーリス・ブランショ著 粟津則雄訳)
私には、詩作に関して難しいことはわかりません。しかし、ここに書かれていることは、何となくわかるような気がします。
定型的なもの、つまりパターンにはまったものは、純粋に創造的なものとは違っているのかもしれませんが、しかし定型的なものは創作にとってある必然性を持って達成されたものです。その一方で、定型的なものから外れたもの、定型的なものを超えたものは、ときに偶然性の力を借りながらも未知の高みを目指します。それが真の高みへと到達した時、偶然性は必然性へと変わるのかもしれません。そしてそのときには、それが新たな定型的なものとなるのでしょう。
本当にものを作るということは、この二つの要素の間を行ったり来たりすることだと思います。永遠に偶然性から解放された、マラルメが夢見たような「宇宙の創造原理」に達することはなかなか出来ないと思いますが、しかし偶然性がたんなる偶然性に終わらないために、私たちに出来ることはあるのです。
このように読み込んでいくと、このエッセイはなんと具体的な示唆に富んだものなのでしょうか。
必然性と偶然性、定型的なものと定型を超えたもの、これらをらせん状にめぐりながら創造行為は高みを目指していくのです。偶然性を偶然性のままに終わらせるのでは、たんなる一過性の表現にすぎないものになってしまいます。逆に定型的な決まりごとにしがみついていては、創造的な営みにはなり得ないでしょう。それらの間を行ったり来たりする運動こそが、創造行為にとっては重要なことなのです。
この「来るべき書物」というエッセイの最後の章には、「おそらくの高み」という小題が付されていて、ブランショは次のように書いています。
だが、『骰子一擲』は、この停止やこの彼岸をこえて、なおも語るべき何かがあることをわれわれに教えてくれる。その断言の確固たる口調は、この書物全体の要約とも「結果」とも言うべきものであり、作品がおのれをあらわに示すことによっておのれを解決しているような断乎たる言葉である。「あらゆる思想は、骰子の一擲を発する」(『骰子一擲』の最後の詩句)。この一節は、ほとんどきびしいとも言うべき口調で単独に語られており、まるで、この一節を通して言葉の孤立性がこのうえないかたちで完成されてでもいるようだが、この一節を位置づけることは困難である。それは、結論めいた力をそなえていて、われわれがさらにさきにまで話を進めることを禁じている。だが、それ自身、すでに、言わば詩の外部にあり、詩という、それに加えられた限界は、それに属してはいないのだ。この一節は、思考と偶然とを、運命に対する拒否と運命への呼びかけとを、賭けられた思考と思考としての賭けとを交流させることによって、短い一句のなかに可能なるもののいっさいを保持しようとするような内容をそなえている。「あらゆる思想は、骰子の一擲を発する。」これは、結句であり、また起句である。球体をなす運動が、終始、終わりであるとともに始まりであるような、不可視の移動運動である。すべては終わっており、すべては再び始まっている。かくして、書物は、おそらくはその意味である生成のなかに、ひそやかに打ち立てられるのであり、この意味は、円環の生成そのものとなるだろう。作品の終末は、その根源であり、その新たなる、また、より以前の始まりである。つまり、作品とは、新たに投じられた骰子が、支配的な言葉の投擲そのものとなるように、今一度開かれたその可能性である。この言葉は、作品が存在することをさまたげることによって―「骰子一擲はけっして」―あの究極的な難破を立ち戻らせるのであり、その難破においては、つねに、すべてが、すでに姿を消し去っている。偶然も、作品も、思想も、おそらくという高み以外では、消え去っているのだ。
(『来るべき書物』「来るべき書物」モーリス・ブランショ著 粟津則雄訳)
ここで、改めて考えてみましょう。
マラルメの『骰子一擲』は、なぜ「来るべき書物」になり得るのでしょうか。
それはブランショが書いている通り、「作品の終末は、その根源であり、その新たなる、また、より以前の始まりである」からなのだろう、と思います。『骰子一擲』はすでに書かれた書物でありながら、「あらゆる思想は、骰子の一擲を発する」という最後の一句によって、再び何かが始まることの起点となりうる書物なのです。
それでは、この『骰子一擲』の「円環の生成」によって生まれた書物とは、例えばどんなものがあるのでしょうか。
マラルメから直接の影響を受けたであろう書物に、このblogでも取り上げたロラン・バルトの『零度の文学(エクリチュール)』(97.ロラン・バルト『零度の文学(エクリチュール)』から考えたこと)があげられるでしょう。バルトはマラルメが主張した文章の「無名性」を掘り下げて、文章表現の「零度」という課題について考えました。
そして表現主体の「無名性」ということで言えば、バルトの『零度の文学(エクリチュール)』と同時代的に進行した、芸術表現におけるミニマリズムの動向が思い浮かびます。表現主体の「無名性」ということで言えば、ミニマリズムは究極の方法のように思えますが、しかし、ミニマリズムは結局のところ、モダニズムの行き詰まりとともに表現の袋小路に入ったような状態になってしまった、ということは、このblogでも何回か言及しました。なぜ、そんなことになったのでしょうか。
おそらくそれは、マラルメとブランショが提示した「円環の生成」という運動がなかったからではないでしょうか。何ごとかを究極的に追い込んでいく、という物事の進め方は、その過程ではそれなりのスリルがあり、さまざまな批判に耐えうるような正しさも備わっているような気がしますが、人間が生きていくうえで、そんなことってあり得るでしょうか。
ああでもない、こうでもない、と迷いながら、ときには前にいた場所に立ち戻り、ということを繰り返しながら、ゆっくりと円環を描きながら進むほかに、人類の進歩の方法はないのではないか、と私には思えます。少なくとも、凡人である私には、そういう進み方以外は考えられないのです。
そしてそれは私の「鈍さ」故の結論なのか、と思っていたら、ブランショは次のように書いていました。「性急さこそ、魔術を特色づけるものであって、魔術は、自然を直ちに支配しようという野望を抱いているのだ。」
さらに続けて、彼はこうも書いていました。「ところが、詩的な断言のなかでは、これとは逆に、忍耐が働いている。」
これを読んだときに、なんだ、ブランショも、あるいはマラルメも私と同じじゃないか!と喜んでしまったのですが、まずかったでしょうか。
さらに私のことになって恐縮ですが、私はいま、「触覚性絵画」という自分なりの方向性を見つけて、日々制作に励んでいます。しかし、実はこれまでも自分の絵画に「触覚性」というものを少なからず感じ取っていて、考えようによっては以前の作品をいまさら焼き直して制作いるような、そんな気分になることがあります。
しかし、漠然と画面上に触覚性を感受していた時と違って、現在はその「触覚性」が絵画表現とどのように関わっているのか、ということを自覚し、そのことに悩みながら進めているので、ちょっと以前とは違う場所に来ているのかな、というふうに思っています。
そんなことを文章としてまとめて次の個展のパンフレットに盛り込めたらいいな、といま準備をしているところです。私はそんなふうに行ったり来たりしながら進んでいますが、その円環運動の中で次に描く作品こそが「来るべき絵画」である、と思っています。
そして今回、「来るべき書物」というエッセイを読んで、はっきりとわかりました。「不可視の移動運動である」ところの「円環の生成」のなかで、日々悩みながら制作している人たちの作品のすべてが「来るべき絵画」であり、「来るべき彫刻」であり、「来るべき芸術」なのだと思います。単線的な完成や成功に興味を持たず、終わりのない制作のなかで高みを目指している人のすべての作品が、「来るべき芸術」なのです。そして、そのような人たちには立ちどまっている暇はありません。出来上がった作品は過去へと送られていくのですが、制作している本人の姿はすでに作品の傍らにはなく、次の作品へと向かっているのです。
ブランショやマラルメなどの文学者では具体的なイメージがわかない人は、セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 – 1906)やジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901 - 1966)のことを思い出してみましょう。つねに世界と接触しながら、その接触そのものを作品に焼きつけようとした彼らは、その制作を続けるしかありませんでした。彼らの作品がいまも生きているように感じられるのは、方法論的に正しかった、ということもありますが、彼らが「円環の生成」を生き抜いた芸術家だったからではないでしょうか。私にとって、目ざすべきなのは彼らのような制作です。一直線に表現の高みへと至るのではなく、行きつ戻りつしながら描いていた円環がらせん状になり、少しずつ高みへと近づいていくような進み方です。セザンヌが手紙で吐露した絶望、ジャコメッティの日々のぼやきの記録、そうしたものが彼らの忍耐を知る手掛かりになります。いつかは彼らの悩みを共有したいものです。
さて、最後になりますが、文学、そのなかでもとくに詩は、私の苦手な分野ではありますが、いつかマラルメについて、あるいはブランショについて、もう少し本格的な評論が書いてみたいものです。
それにボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821 - 1867)とリルケ(Rainer Maria Rilke、1875 - 1926)についても、ですね。美術と深く関わった詩人は他にもたくさんいるので、困ってしまいますが、まずは彼らからです。
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