はじめにお知らせです。3月15日から20日までギャラリー檜で個展を予定しています。
冒頭のblog「はじめに」やギャラリー檜のHP、または石村HPなどご参照ください。
そうは言っても、3月には新型コロナウイルスの感染状況はどうなっているのでしょうか。
私も少し関わっている現代アーチストセンターの「子どもたちの未来を救う、Tシャツアート展」は1年間の延期となりました。
「現代アーチストセンター」(http://artistcenter.web.fc2.com/)
また新年早々、楽しみにしていた作家の個展が休止となりました。外出を自粛しなければならない中で苦渋の選択だっただろう、と思います。為政者の言うとおりに自粛期間の1カ月の後に状況が改善しているとはとても信じられない半面、そうなってほしいと願わずにはいられません。そう書いているそばから、「東京都、新たに1592人が感染 日曜としては過去最多」などというネットニュースの見出しが目に入ってしまいました・・・、やれやれですね。
もちろん、人の命が何よりも大切ですが、人間の営みというのはどこかでつながっていますから、文化や芸術も大切にしなくては・・・、と思います。
さて、今回はその「文化」について、少し考えを深めてみたいと思います。そこで松宮秀治 (1941 - )という研究者の『文明と文化の思想』を読んで勉強しましょう。
この本は、「文明」と「文化」という概念から「西欧近代」を問い直した本です。
「西欧近代」というと、ヨーロッパの近代思想のことか、と他人事のように思いますが、そうではありません。例えば私たちが学生時代に学んだ「世界史」ですが、これも「西欧近代」が生んだものです。私たちは「世界史」の勉強、と言えば何か客観的な史実を学んだような気がしていますが、これは西欧の「近代思想」によって編まれた物語に過ぎません。こういう視点は、これまでもポストモダニズム思想によって、繰り返し語られてきたことですが、ここでは「文明」と「文化」という概念の相関関係から「西欧近代」の正体を探っていきます。
そして、この本の最後の章は「文明と文化の終焉」というタイトルです。「終焉」という言葉を見ると、私たちは、やはりポストモダニズム思想によって語られた「芸術の終焉」のことを思い出します。以前にもこのblogで取り上げたことがありますので、次のblog内検索を参照してください。
※「93『芸術終焉のあと』ダントー著と『美学講義』ヘーゲル著」
この「文明と文化の終焉」も「芸術の終焉」と、ちょっと似た話です。つまり「西欧近代」によって語られてきた「文明と文化」が「終焉」した、ということなのですが、先を急ぎ過ぎました。まずは、著者の語り出しを聞いてみましょう。
「文明」「文化」の両概念がもつ画期的な思想とは、人間が世界の支配者、主導者、管理者になるべきであるという考えである。今日のわれわれからすればそのようなことはあまりに当然すぎて、改めて強調されること自体が不思議に思われるが、歴史的に見ればこの考えこそが他のいかなる思想よりも革命的なものであった。なぜなら西欧の「近代」社会以外に、世界が人間によって変革できるとも、また人間によって支配され主導されうるものと考えた時代も民族も存在しなかったからである。西欧近代以前において人間は神の被造物であって、主体的な意志で世界の進行に参与しうる存在ではなく、近代以前の西欧キリスト教時代にあっては人間の自由意志という概念自体が存在しなかった。
したがって「文明」「文化」が、人間の主体的関与によって世界が変革され、支配され、主導されうるという前提で成立しうる概念であるとすれば、それは人間が神に代わって、世界の新たな形成主体となることを意味するのである。神に代わって人間が世界の形成主体となるということは、人間が世界の新たな創造者となることである。人間が世界の新たな創造者となるということは、人間が神を殺し、葬送し、鎮魂の儀式を行うことであり、人間が「世界史」の設計者となることで「普遍史」としての神の設計を無化し、人間が主体となる「世界」を新たに設計していくことである。
(『文明と文化の思想』「序章 人間が世界の支配者へ」松宮秀治著)
「人間が神を殺し」とか、「人間が神に代わって、世界の新たな形成主体となる」など、何やら物騒であったり、大それたことであったりする話だな、という感想を持ちますが、ふだん、何気なく生活しながら、私たちも知らないうちにそんな物騒な存在の一員となっているのです。
例えば、私たちの祖先はかつて「神」であった、とか、「神」の身体の一部から私たちの祖先が生まれた、などと言えば、何を馬鹿なことを・・・、と誰もが思うはずです。あるいは、何か不幸なことがあった場合に、神様から罰が下されたのだ、と思う人もあまりいないでしょう。何かつらいことがあったときに、神様が自分に試練を与えたのだ、というふうに思った方が気持ちが楽になる、あるいは自分への戒めになる、ということは実際にあるのかもしれませんが、それは客観的な事実に基づかない、メンタルな対処法だと誰もが知っています。これらのことは、私たちが超越的な存在(神)を信じなくなってから、すでに久しいことを示しています。
そういうふうに、私たちの存在そのものを、あるいは私たちの周囲の出来事を「神」という存在抜きにして考えることがすなわち、「人間が神に代わって、世界の新たな形成主体となる」ということなのです。私たちは、私たちの周囲の不幸な出来事を主体的に形成していませんし、それは意図的にできることでもありませんから、人間が「世界の新たな形成主体」だと言われても、ぴんとこないかもしれません。しかし、その出来事を客観的に、科学的に考えようとすること自体が、「神」に代わって私たちが「形成主体となる」ということなのです。
この「神殺し」という言い方、考え方はとくに目新しいものではありません。哲学者のニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 - 1900)は、いまから150年近く前に「神は死んだ」と言っていますし、近代が人間主体の時代であることは自明のことです。それでは、この『文明と文化の思想』という本の特徴は何なのか、と言えば、それは「西欧近代」という考え方を「文明」と「文化」という概念から解き明かそうとしていることです。
それでは「文明」と「文化」とは、いったい何なのでしょうか。その両者に明確な違いがあるのでしょうか。松宮はそれを次のように書いています。
「文明」は進歩の観念と結合して人間が生み出す技術的、科学的成果という方向をとりながら、人間社会の物質的豊かさを促進させる価値の総称として伝統社会の宗教的価値に代わる価値観念体系となっていく。それに対して「文化」は人間の精神的、内面的な成果とより多く結びつく方向で、人間の道徳的向上、人間性(フマニテート、ヒューマニティ)の増進、情緒的豊かさ、知的向上、教養の拡大を目指す人間的諸活動の成果全体を意味する概念となっていく。
だが「文明」と「文化」は辞書的な説明のように、前者は外面的な技術や科学的な成果、後者は内面的な精神的、人間的な成果と截然と区別してしまうべきではなく、むしろ両者を相互補完的で、意味の互換性を持つ概念と捉えるのがより適切である。今日の一般的な語の用法では、「文明」は進歩主義の観念とされ、「文化」は保守主義的で、歴史主義的な観念とされ、その概念区分もかなり明確になってきているように思われるが、往々にしてそう考えられているような対立概念ではなく、その歴史的な用法から見てもそれは相互補完的な概念であると同時に、つい近年までは意味が複合し、用語上でも意味の互換可能性をもつもので、明確な概念区分が困難な語であった。
(『文明と文化の思想』「序章 人間が世界の支配者へ」松宮秀治著)
厳密に言葉を定義するのは難しいことですが、「文明」と「文化」は概念としての違いはあるものの、それらは相補補完的な存在であり、両者には互換性がある、というふうに松宮は解説しています。
この両者の違い、という点で言えば、例えば「文明開化」という言葉がありますが、「文化開化」とは言いません。これは「文明」には社会を一新していくような「進歩主義の観念」がある一方で、「文化」には「保守主義的で、歴史主義的な観念」があるからでしょう。だから「文化開化」では意味が通らないのです。
しかしその一方で、例えば「古代文明」と「古代文化」という言葉にどれほどの明確な違いがあるのか、と聞かれると、困ってしまいます。それほどに「文明」と「文化」は似ているのです。
松宮は、この「文明」と「文化」という概念が、ときには相互に手を取りながら、ときには違いを際立たせつつ補い合いながら、結局は人類の「進歩」という目的に向けて作用していったのが「西欧近代」である、というふうに読み解いていきます。その複雑な相互作用を逐一書き留めることは出来ませんが、目についたところだけ拾い上げてみましょう。
そこでカギとなる人物は、またしても哲学者のカント(Immanuel Kant、1724 - 1804)と、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)です。このblogでも、だいぶなじみになってきた二人です。
それでは、まずヨーロッパ世界が「西欧近代」にたどり着くまでの流れを大雑把につかんでしまいましょう。さきほども指摘した、超越的な「神」から人間主体へ、つまり宗教的な世界観から人間主体の世界観へとはっきりと移り変わっていったのは、ルネッサンス後の啓蒙主義の時代のことです。この本でも、啓蒙主義の思想家について詳しく書かれていますが、その中でもカントとヘーゲルの存在は別格です。なぜならば、彼らはその時代に生きる人間の利益だけでなく、歴史全体、人間全体を考える優れた視野を持っていたからです。そのことをまとめている部分を抜き書きしてみましょう。
歴史を「世界精神」の実現過程と見るヘーゲルの歴史観にあって、歴史における個人の運命を問うことは、歴史を「屠殺台の歴史」として見る見方であり、歴史を感傷において捉える見方ということになる。彼の言葉で直接語ってもらえば、「感情にとらわれた反省には、悲しみの情を真に克服し、悲惨な歴史観のうちにこめられた摂理の謎を解決する気などないのです。むしろ、悲惨な結果を、空虚で不毛なままにもちあげて悲嘆にくれるというのが、そうした反省の本質です」ということになる。つまり、感傷と感情に捉われた反省によって提示された歴史は、それとは原理的に異なる「自由」の実現としての歴史の本質を歴史の究極目的とみる見方から逸脱させることになるものと考えられたのである。
カントにあっても「意志の自由」と「自然の計画の実現」としての歴史は、人類全体の世界史であって、個々人の幸、不幸の運命にかかわることではない。このことを『世界市民という視点からみた普遍史の理念』の冒頭部の言葉で直接語ってもらえれば、次のようなものである。
歴史とは、こうした意志の現象としての人間の行動について物語である。だから行動の原因が深いところに隠されているとしても、歴史は次のことを示すものと期待できる。人間の意志の自由の働き全体として眺めてみると、自由が規則的に発展していることを確認できるのである。また個々の主体については複雑で規則がないようにみえる場合にも、人類全体として眺めてみると、人間の根本的な素質であるこの自由というものが、緩慢でありながらつねに確実に発達していることを認識できるのである。
(中山元訳)
このようにカント、ヘーゲルの「世界史」に集約的に表現される西欧近代の歴史哲学は、本質的には専門化された歴史科学も同じであるが、歴史認識、考察の最終目標を個人の歴史、運命、能力ではなく、人類あるいは人間全体の歴史、運命、能力に置く。いいかえれば歴史認識の目標も方法も人類の文明と文化の発達の認識にその目標が置かれることになる。それは前近代の歴史が絶対的な超越者の意志を体現させる個人の運命の宿命的限界性の確認を中心的な認識目標としていたことと対照的な関係をなしている。いいかえれば、歴史を個人の運命のなかに見るのは、超越者の意志、つまり人間に対する超越者の賞罰と見る歴史認識に由来し、歴史を人類全体の運命として見るのは、歴史を人間の自由意志の表れとみる見方に由来するからである。
(『文明と文化の思想』「第三章 政治哲学の生成と進歩の思想」松宮秀治著)
部分的な引用なので、ちょっと分かりにくいと思いますので、解説を試みてみましょう。
この説明は、人間が個人のことに注視するのか、それとも人間全体のことを考えるのか、ということと、「神」のような超越的な意志を想定するのか、それとも人間を主体として考えるのか、ということの、ふたつのことがらの相関関係について書かれています。つまり、「神」の意志を体現するような人間であろうとすること、例えば「神」に罰せられないような正しい行いをしようと考える時に、人間はそこに個人の運命を見るのです。それとは逆に、人間主体でものごとを考えようとするときに、人は人間全体の歴史や運命を考えようとする、と説明されているのです。
なぜそうなるのか、といえば、それは人間がつねに「進歩」していく、という西欧近代の考え方があって、その「進歩」の価値観となるものが人間の「自由」である、ということと関連しています。
難しいことを言っているようですが、すこし考えると、これはいまの私たちからすると当たり前になっている考え方です。どういうことかと言えば、人間が宗教的な抑圧から「自由」になること、これはよく言われるようなヨーロッパ中世の宗教的な暗黒の時代、いわゆる「魔女狩り」とか「異端審問」などという暗い時代からの解放を考えるとわかりやすいと思います。私たちは、そのような宗教的な抑圧から「自由」になることをよいことだと思っていますし、それが人間にとって「進歩」である、と言われれば無条件に頷けると思います。このように人間にとっての「進歩」は「自由」という価値観と結び付いていて、とくに違和感がないのです。そして、個人的に「神」様からほめられたり、しかられたりする人間観、世界観から、私たち自らがお互いに「自由」であるようなルールを作り、そのルールにのっとった理想的な社会や国家を作っていく、という人間観、世界観への変化も、いまの私たちには容易に受け入れられるものだと思います。
しかし、このような人間観、世界観への変化は、それほど簡単なことではなかったようですし、一足飛びに達成したものでもありません。そこで、カントとヘーゲルがその変化に関わる重要な役割を果たしたのだ、と松宮は言っているのです。その説明を、順序だてて抜粋していきましょう。
17、8世紀の政治思想家や哲学者にとって「進歩」とは具体的になにを意味していたかといえば、それは人間が「自然状態」から「市民社会」へ移行することであった。いいかえれば人間は本来与えられている「自然権」、つまり自然的権利を自覚し、その発展をはばんでいる未開な社会の無目的状態を脱して、法的に擬制された国家をつくりあげ、その国家の権力と権威によって、市民社会を維持、発展させることであった。これが17、8世紀の政治思想家にほぼ共通する社会進歩論の骨格であり、この市民社会論の目的とするところは最大多数の最大幸福というのが、イギリスの政治思想の基本的な方向となっていた。
それに対してカントの政治哲学はイギリス的な功利主義とは別方向を示していく。それは世界市民論と永久平和論の結合のなかに求められていく。彼がなぜ時代の政治思想家たちと異なって、市民体制の最終的基礎を国家に置くことはできないとするのか。なぜなら人間が市民的体制を必要とするのは、人間が本来的に「非社交的」という孤立への要求と協調性の欠如という悪の不利益をなんとか抑止し、国家という市民共同性を設立するが、個人の非社交的で対立的性格は本質的に解消されるのではなく、国家と国家の対立というより拡大された対立になってしまうとカントは考えるのである。そこで彼は国家と国家の対立が発展的に解消される世界市民国家という国家連合と国家と国家の間の戦争がいかなる国家利益をももたらさないという論拠を提示する永久平和論の理論を展開させていこうとする。
カントによれば人間の社会的な進歩とは、この孤立への要求と協調性の欠如という「非社交性」を克服していく段階であり、「文明」と「文化」とは「人間の歴史の全体が、自然の隠れた計画を実現していく」プロセスのことであり、またその成果のことを意味している。
(『文明と文化の思想』「第三章 政治哲学の生成と進歩の思想」松宮秀治著)
ここで書かれている「イギリスの政治思想」というのは、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588 -1679)やジョン・ロック(John Locke、1632 - 1704)などのことのようです。私は恥ずかしながら彼らのことをよく知りませんが、ホッブズにしろ、ロックにしろ、それぞれがカントやヘーゲル同様に優れた研究者が一生をかけて研究するのにふさわしい思想家である、ということは予想がつきます。この本でも、彼らについて論じられている部分があるのですが、ここは割愛して進めていきます。
松宮の分析するカントの面白いところは、カントが人間は本来的に「非社交的」であり、「協調性の欠如という悪の不利益」を持った存在だと考えており、それゆえに国家すら超えた「国家連合」というものの設立を想像し、「永久平和論の理論」を展開した、というところです。人間という存在を深く批判的に考えたがゆえに、カントは「功利主義」を超えていった、という点が逆説めいていて興味深いところです。
さて、このように啓蒙主義の思想のなかで、人間にとっての「進歩」は「自然状態」から「市民社会」へ移行であったのですが、そこに科学技術の発達や、それにともなう社会経済圏の拡大ということが起こります。
そしてその新しい経済哲学的な社会理論が工業化された産業社会の出現と結びつくことで、それまで政治社会の変革を中心に理念化されてきた「進歩」が、次第にそのシフトを転換させて、科学技術の進歩を中心軸とした方向に変わってくる。これによって、「文明」と「文化」の概念も相互補完的な関係から対立関係へと次第に変化を開始させ、それと並行するかたちで政治社会論も革新主義と保守主義の対立、世界市民主義と国民国家主義の対立、物質主義と精神主義の対立を生み出してくる。以下はこの対立を「文明」と「文化」概念の分岐、対立を通じて見ていくことになる。
(『文明と文化の思想』「第三章 政治哲学の生成と進歩の思想」松宮秀治著)
いよいよここにおいて、西欧近代の「進歩」思想が確立し、それが産業社会の発達によって全世界的に広がっていった時に、工業化されていない社会を「未開社会」と見なし、一元的な西欧的な価値観を押し付け、他の世界観を服従させていくのです。
その「西欧近代」を完成させたのが、おそらくヘーゲルなのでしょうが、彼が「進歩」の価値に置いたものは、意外なことに物質的進歩ではなくて、精神世界の「自由」でした。それがどのようにして、近代国家と結び付いていくのか、松宮の解説を見ていきましょう。
ヘーゲルが歴史の進歩の規準を富や幸福の増大、徳の増大、技術の進歩に求めずに、自由の意識の前進に置くのは、物質的進歩はそのときどきの状況に左右される本質的なものではない進歩であって、精神的進歩こそが実体的で本質的な進歩であるという思想にもとづくのである。彼自身の言葉でいえば、「精神の自由についての意識と精神の実現は、精神世界の定義として、さらには―精神世界こそが実体的な世界であり、物質世界は精神世界に従属するもの(哲学的にいえば、精神世界に真理をうばわれたもの)である以上―世界の究極目的として、提示されてい」るものだからということになる。
(『文明と文化の思想』「第四章 「世界史」の思想と世界蒐集の思想」松宮秀治著)
これはなかなか良さそうな世界観だと思います。「自由の意識の前進」に価値を求め、「物質世界は精神世界に従属するもの」という認識は、素晴らしいではありませんか。しかし、それにもかかわらず、この思想に基づいたヘーゲルの国家観は、しばしば「ナショナリズムや保守主義やロマン主義と通底するもの」となってしまいます。それはどうしてなのでしょうか。
ヘーゲルのこの国家観、つまり「国家こそが、絶対の究極目標たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられない」とする国家思想は、のちさまざまの批判と反撥にさらされることになる。このヘーゲルの考えは国家(全体)は個人(部分)を越えた全体的存在として権利を行使しうる存在であるという考えになる。この国家思想は、ヨーロッパの近代の政治哲学が追求してきた政治哲学、つまりホッブズやロックやルソーやカントが追求してきた、契約国家説や夜警国家といった、人間の相互信頼を基盤として考えられてきた国家観とも大きく異なっているし、またのちのマルクスが考えたように、国家とはつねに支配階級による法と暴力装置(軍隊と警察)の独占による階級支配の手段とイデオロギーにすぎないとする思想とも大きく異なる。
(『文明と文化の思想』「第四章 「世界史」の思想と世界蒐集の思想」松宮秀治著)
難しくなってきましたね。私なりに解釈します。
私たちが日々暮らしていると、私の自由と他人の自由がぶつかり合うことが、しばしば起こります。そこで法律を作って、お互いにルールのなかで自由を行使します。これは私たちの意志でルールを作ったわけですから、いわば自由な意志としてルールに従っているのです。そのルールを取りまとめるのが国家だとすると、国家という存在は私たちを抑圧するものではなくて、私たちの自由意志とまったく一致したものになります。国家のルールに従うことが私たちの「自由」を行使することと同義であり、そこに矛盾するものは何もない、というのがヘーゲルの国家観だと解説されているのです。
国家とは、そんなに素晴らしい存在だったのか、と驚きつつ、何か騙されたような気がしませんか。国家のルールは、あなたたちの自由意志とまったく同じなのですよ、だから文句を言ってはいけません、と国家に言われてしまったら、国家から何をされても反対できなくなってしまいます。これはどう考えても、おかしなことです。
しかし、ここでは松宮はヘーゲルの国家観の批判には踏み込みません。そのことよりも、ヘーゲルがそのような私たちの意志によって、私たちの「世界」が出来上がっていくこと、そして、人間としての私たちの「意志」、これは「理性」と同義と見なされますが、その「理性」によって成立する「世界」を実現していく過程が「歴史」である、とヘーゲルが考えたことに注意を促します。
いいかえればヘーゲルにとって「歴史」とは過去の事実でもなく、またその忠実な記述でもない。さらに歴史科学が求める公平、公正な過去の事実の探究でもない。彼にとって歴史とは、人間の最高の理念としての「国家」の歴史のなかに求められるべきものである。なぜならそれは個人の意思と集団の意志、つまり個人の主観的精神と共同体の普遍的な公共の精神が統一される人間理性の最高の達成形態、制度だからである。つまり歴史とは彼にとって過去の出来事の記憶手段ではなく、人間の過去の努力が未来の理念達成につながっていくプロセスの総体を意味する。
(『文明と文化の思想』「第四章 「世界史」の思想と世界蒐集の思想」松宮秀治著)
ここまで読み解いていくと、最初に触れた「世界史」の概念の特殊性が、ようやく理解できます。私たちは学校で「世界史」を客観的な事実に基づいたもの、という感覚で学びますが、実はそうではなくて、「世界史」とは「人間の過去の努力が未来の理念達成につながっていくプロセスの総体」という意味を含んだものなのです。ヘーゲルの立場からいえば、そのような意志を含んだ「世界史」は、たんなる事実の羅列よりも価値があるものであり、「世界史」とは「未来の理念達成」につながるものでなくてはならない、ということになるでしょう。
いやいや、ヘーゲルはそう考えたのかもしれないが、私たちの学んだ「世界史」はそうではない、もっと客観的なものだ、とあなたは言いたくなるかもしれません。しかし、松宮は「世界史」が特殊な思想であることを暴いた他の学者の説なども引用しつつ、次のように書いています。
前の四章で私が多くの言葉を費やして語ってきた西欧近代の自己中心主義と自己優越性の主張として創り出された「世界史」イデオロギーについて、新たな対抗的な世界史象を提出しようとする伊東俊太郎の『文明の誕生』(1974年)の序章は、もっと簡潔に、しかももっと適切にこう語っている。「オリエント文明→ギリシア文明→ローマ地中海文明→西欧文明→西欧文明の拡大という西欧世界の成立と発展というところにのみ焦点を合わせた世界史の単線的系譜は、今日ではすでに常識化した図式になっているが、しかしこれはじつのところ、19世紀におけるヨーロッパの世界支配という既成事実ができあがった時点で、西欧の歴史学者によってつくりあげられた、西欧中心のいわば身勝手な一面的世界史象なのである」と過不足なく見事に要約したあと、西欧近代の世界史象を決定したヘーゲルの「世界精神」の理念的帰結としての「近代国民国家の成立」について次のように語っている。
こうした西欧中心的な世界史象の典型は、まずヘーゲルの歴史哲学にはっきりとあらわれてきている。ヘーゲルにとって世界史とは「普遍的な世界精神が民族精神を媒介として、その本来の自由の意識を実現していく過程」にほかならないが、この世界精神の自己実現は、具体的にはまずオリエント世界にはじまり、ギリシア世界、ローマ世界を経て、近代ゲルマン世界に至る過程をとる。この最後のキリスト教ゲルマンの段階において、自由は完全な自己意識に達するとされ、この「自由の完全な自己意識」とは「近代国民国家の成立」にほかならないから、結局、近代西欧諸国(とくにプロシア国家)の成立によって世界史は完結するという形をとっている。
このばあい、中国やインドはもっぱら「静的」であり、理性がいまだ自然性の中に埋没しているとされて、こうした世界精神の動的展開には参加せず、その「前史」においやられてしまってるのである。たかだかペルシアにいたってはじめて世界史に顔を出してくるが、これもただギリシアによって否定される契機となっているにすぎない。ここにギリシア→ローマ→キリスト教的近代ゲルマン諸国家というヨーロッパ中心の、しかも西欧近代国家の成立を窮極の目標とする国家史観がすえられたのである。その後の西欧の世界史象とういものは、本質的にこのヘーゲル的立場を出ていないように思う。
この簡潔で適切な要約は前章の私の不得要領な論述を十分に補って余りあるものとなっている。それにもかかわらず、私が西欧近代の「世界史」のイデオロギーにかかわっていくのは、そのイデオロギー批判を前面に押し出すためではなく、西欧近代が自己中心主義と自己の優越性を主張していくその手法を明らかにしていきたいと思っているからである。またその手法が「文明」と「文化」という概念をどのようなかたちで西欧近代の価値体系の中心的な観念結集の軸にしていくかを見ていきたいためである。
(『文明と文化の思想』「第五章 文明と文化の終焉」松宮秀治著)
長い引用になってしまいましたが、とてもわかりやすい解説だと思います。この文章のなかで、矢印でつながれた系譜「オリエント文明→ギリシア文明→ローマ地中海文明→西欧文明→西欧文明の拡大」があります。その発端である「オリエント文明→ギリシア文明」が連綿と「西欧文明」へと繋がっていく、というのはヨーロッパ世界から見たストーリーに過ぎません。
本来のギリシアとはオリエント世界の西端に位置するもので、東方世界に対峙する西方世界の最先端ではなかった。アレキサンダー大王の東征も西方世界の東方進出ではなく、東方世界内の事件であった。それを西方世界の東方進出と位置づけたり、あるいは東西文化の融合なとど捉えるのは、西欧近代の「世界史」の際立った操作の産物なのである。
(『文明と文化の思想』「第五章 文明と文化の終焉」松宮秀治著)
こう読んでも、私たちのなかには「ギリシア文明」は「西欧文明」の黎明期である、という考えが刷り込まれていますから、なかなかそこから抜け出せません。しかし、松宮はそれをいくつかの事例を挙げながら丁寧に解きほぐし、その上で次のように結論付けます。
西欧近代はギリシアを自己の歴史圏に取り込むことで、「世界史」を完全に自己の独占物とすることに成功した。なぜなら18世紀以前には非西欧世界、特に東方世界、オリエント世界は異教世界であったが「世界史」から除外されてしかるべき世界ではなかった。たとえばヴォルテールの『諸国民の風俗と精神について』やその序論の『歴史哲学』におけるように非西欧世界も厳然たる「世界史」の構成要素として扱われ、その歴史的発展も西欧世界と対等の比重をもって扱われていた。そこから歴史的発展という概念が奪われ、非歴史社会とされてしまう。いうなれば東方世界とは変化を受けつけない世界であり、極度に保守的であるために新しい思想や生活様式を受けつけようとしない世界にされてしまったのである。当然そこには物理的な時間の推移はあるし、出来事の連鎖は存在する。だが、そこには「歴史」は存在しない。なぜなら歴史とは人間存在の様態、思想を変化させる動的な刺激と作用、いいかえれば「進歩」の観念を生み出す作用因だからである。
非西欧世界が停滞社会として西欧世界の進歩社会に対置されることで、そこから「歴史」が奪われてしまう。いいかえればそれは非西欧世界が「世界史」の展開への関与の資格を奪われた存在となってしまったことを意味する。非西欧世界は「世界史」の圏外の付随的な存在として、歴史学的な対象から外されて、民族学と社会人類学、文化人類学の対象とされてしまうのである。「世界史」とは文明と進歩を独占する西欧世界の特権的占有物である。民族学や人類学は「世界史」から切り離された周辺社会や非西欧社会の非歴史性や種族的特質への差別的関心から生み出され、裏返しされた優越意識の産物である。いうなれば、「世界史」とは文明と野蛮のディスクールであるが、「文明」と「進歩」が特権的に語られるときは、世界史の、つまり歴史学的なディスクールとなり、非西欧世界が差別的な関心で語られるときは、「野蛮」と「未開」のディスクールとなる。
(『文明と文化の思想』「第五章 文明と文化の終焉」松宮秀治著)
このように、ギリシア文明が「西欧近代」の起源であるというのは、後から位置づけられたものであり、それ以外の世界は歴史の傍流へと追いやられてしまったのです。
このときに「文明」や「文化」はどのような役割を果たしのでしょうか。
いいかえれば「文明」とは原始や未開に対するアンチテーゼであり、前近代社会や非西欧世界に対するアンチテーゼであり、地域的な閉鎖集団の精神的営為に対するアンチテーゼとしての普遍的で世界的な精神的営為を意味するものであった。また「文化」とは単なる日常的な生活様式とは次元を異にする、精神的、理念的価値の実現であり、哲学、科学、芸術、宗教など民族が生みだした最高の精神的所産を意味するものであった。いいかえればそれは「さまざまの生(生活)」のかたちではなく、「生(生活)以上のもの」としての精神的産物であり、創造的感性や思索的知性が客観的に形象化されたものである。もっと具体的に西欧近代史の次元でいうなら、それは「進歩」と「自由」の理念を歴史的に形象化していく「ルネサンス・イデオロギー」と「ゲルマン・イデオロギー」の共有から生れた西欧世界の自己主張によって生みだされたものである。
(『文明と文化の思想』「第五章 文明と文化の終焉」松宮秀治著)
「文明」と「文化」はきわめて西欧的な概念であり、このふたつの概念によって非西欧世界は差別化されてきたわけです。
しかし、この二つの概念は二回の世界大戦などを経て、世界地図が書き換えられてきたように、その意味や役割を変え、あるいは失っていきます。はじめに書いたように、この本の最後の章は「第五章 文明と文化の終焉」というタイトルなのですが、これはどういう意味でしょうか。
「文明」と「文化」のその後の変化を著した本として、松宮は次の二冊を挙げています。一冊はシュペングラー(Oswald Arnold Gottfried Spengler、1880 - 1936)の『西洋の没落』(1918 – 22)で、もう一冊はトインビー(Arnold Joseph Toynbee、1889 - 1975)の『歴史の研究』(1934 – 39)です。両方とも私は未読ですが、西欧の衰退と「文明」と「文化」の絶対的価値の喪失を明示した本だそうです。
その「文明」や「文化」という概念に代わって、いまは「グローバリゼーション」がかつての「文明」の役割を「擬態として演じ」、「カルチュラル・スタディーズ」が新たな「文化」の再編をになう概念となるのかどうか、と松宮は疑問符をつけています。そういう意味では「文明と文化の終焉」はすでに起こっているのですが、だからといってそれに代わるものが生まれたわけではないのです。
西欧世界がかつてのような特権的な立場で他の世界と接していくのは、すでに無理な状況ですし、それが望ましいことでもありません。かといって、人間にとって望ましい発展の形が見えているのかと言えば、依然として見えていないのです。このblogでも話題にしてきましたが、今回のパンデミックの状況も、今後の世界のあり方に当然、関わってくるのだろうと思います。それが、これからの指針となるような方向性を打ち出すことができるのか、それともさらなる格差や目詰まりのある状況を加速してしまうだけなのか、わからないのです。すでに私たちは、大きな岐路に立たされているのかもしれません。
さて、このように「文明」と「文化」、あるいは「進歩」、「自由」、「歴史」といった概念が、極めて西欧的で偏向したものであることがわかりましたが、そのなかで「芸術」や「美術」という概念はどのように見直されるべきなのでしょうか。
実は松宮には、今回取り上げたの『文明と文化の思想』(2014)という著作の以前に、『芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神』(2008)という本があり、さらにその前に『ミュージアムの思想 』(2003)という本があります。こちらも近日中に目を通して、取り上げてみたいと思いますが、ミュージアムの役割については、この『文明と文化の思想』のなかでも若干の記述があります。それを読んでみると、「西欧近代」が自らの国家主義的価値観を主張し、進歩主義によって世界を飲み込んでいく中で、個人主義や保守主義といった考え方との調整が必要となりました。その際にミュージアムがそれらの遺物を蒐集することで、さまざまな価値観の調整を担う公共圏を創りだしたのだ、というのです。このような中立的で中性的なミュージアムの考え方を、松宮は「ミュージアム思想」と言っているのですが、「また逆にいえばミュージアム思想そのものが、自らの中立性と公共圏を主体的に保持することで、双方への過度な傾斜を抑止する可能性をもちうる」とも書いています。
私は常々、「芸術」や「美術」は人間の実生活を少し先取りして、その未来を照らす役割があると感じているものですが、例えば美術館という場所が、それぞれの時代の考え方や思想を主張する美術品を集めることで、全体として調和のとれたニュートラルな空間を形成しえたとするならば、それはこれからの世界に対して意味のあることなのだろう、と思います。
それから、この『文明と文化の思想』のような著作が提示する新たな視点は、私が、あるいは多くの美術家が取り組んでいるモダニズムの再検討と大きく関わっているのだと思います。私たちはこのような、さまざまな視点からの発見を取り込みながら、これからも進んで行かなくてはならないのです。自分の立っている地平が特権的なものでないことをつねに確認しつつ、それでいてしっかりとその上に立っていなくてはなりません。安心で安全な場所はないのですが、だからといって立ちどまっていては何も作れないのです。
それでは、近いうちに松宮の他の著作も読みながら、さらに自分に関わる具体的なことについて考えていきたいと思います。
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