前回、冒頭にスティングの『ロシア人 (Russians)』について触れましたが、この曲のメロディはプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev、1891 - 1953)の組曲『キージェ中尉 (Lieutenant Kijé)』の「ロマンス (Romance)」のテーマを借用したものです。両方を聴き比べられるサイトを見つけました。
https://songbyriver.blogspot.com/2013/03/blog-post.html
私は、クラシック音楽をまったく聞かない人間なので、プロコフィエフについて何も知らないのですが、この人はウクライナ生まれなのですね。若い頃に海外に飛び出し、40代前半にソビエトに帰って最後はモスクワで亡くなったようです。
ウクライナへの暴挙を続けるプーチン大統領は、スターリン(Iosif Vissarionovich Stalin、1878 - 1953)の時代への回帰を夢想しているのではないか、とささやかれています。現在のロシアにおける情報統制や思想的な弾圧について日々のニュースで伝えられていますが、プロコフィエフもスターリンの時代に思想的な弾圧で苦しみました。プロコフィエフのような先進的な作曲家たちは検閲当局によって「形式主義」の罪に問われ、彼らの作品が演奏禁止となったのです。このあたりの事情についてロシア文学者の亀山郁夫が、プロコフィエフと同じ罪に問われたショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)に関する文章で明らかにしています。次に引用しますので、読んでみてください。
1936年1月28日、当時、国内外で評判の高かった彼のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に対して、党書記長スターリンによる直々の審判が下った。この日『プラウダ』紙の三面に、「音楽ならざる荒唐無稽」と題する三段組の無署名記事が掲載されたのである。その内容は、「その極左的な荒唐無稽(形式主義)」、「俗悪な自然主義」、「物語のモラル」という三つの点でこのオペラを告発するもので、背後に検閲当局のみならず、スターリン自身の強い意志が働いていることは、スターリンの語り口に似せた論文の文体そのものから容易にうかがい知ることができた。この記事は、たんにこのオペラを上演禁止に追い込んだだけでなく、ソヴィエト楽壇の寵児ショスタコーヴィッチを一夜にして「人民の敵」へと貶め、同時に、周辺にいる多くの作曲家を恐怖のどん底に突き落とす結果となった。音楽界のみならず、同時代に生きる創造的知識人に対する波及効果を期待した検閲当局(芸術問題委員会)のねらいはものの見事に的中した。
(『NHK知ることを楽しむ 悲劇のロシア』亀山郁夫)
この文章の中で「その極左的な荒唐無稽(形式主義)」として弾圧された「形式主義」ですが、このblogを読んでいる方ならその内容について解説不要ですね。でも、なぜ「形式主義」が弾圧されたのかについて、この本の欄外に解説が掲載されていましたので書き写しておきます。
*形式主義
1910年代から20年代にかけて展開された文学運動で、フォルマリズムとも呼ばれる。「何が」文学作品に書かれているかではなく、「いかに」書かれているかを問題とし、芸術の目的は「異化・非日常化」にあると主張した。20年代半ば以降、「反マルクス主義」と批判を浴びるようになり、映画・演劇・音楽も含め、芸術上の実験を帯びる作品に対しては「反人民的=形式主義」として厳しい弾圧が行われた。
(『NHK知ることを楽しむ 悲劇のロシア』亀山郁夫)
もちろん、「フォルマリズム」=「フォーマリズム(Formalism)」です。
このように、前衛的な芸術が「ロシア革命」を肯定的に訴えるような表現とかけ離れていたことに対し、スターリンは危機感を感じたのでしょう。
亀山郁夫によれば、この時にショスタコーヴィッチは、一見するとこの検閲に寄り添うような表現を装いながら、実はそうではない仕掛けを作品の中に施したのだそうです。そのような「二枚舌」を使って、検閲当局を欺きつつ芸術家としての信念を貫かなければならない、という難局を乗り越えたのだそうです。一方のプロコフィエフは、演奏禁止によって表現の手段を奪われ、徐々に自分のうちに籠るようになってしまったようです。ネット上の記事を読む限り、彼が亡くなった時にも彼の芸術的な業績にふさわしい扱いを受けなかったようです。
そしていま、ロシアで暮らしている人たち、あるいはロシアから国外に逃れている人たちに関する報道を見ると、情報統制によって現実との接触を奪われていくことがいかに人間にとって致命的なことであるのか、実感せざるを得ません。その情報統制は、昔も今も「検閲」によってなされるのです。その現状を見ると、愚かな「悲劇」は何度でも繰り返されるものなのだ、と絶望的な気持ちになります。
そして、これは対岸の火事のような遠い出来事なのか、と考えてしまいます。例えば日本の為政者にも、自分の演説中に反対意見を表明する人たちを警察の力を使って排除した人がいましたね。これは彼らの「検閲」行為とよく似ていませんか?この暴挙については賠償命令が出たということですから、司法がその役割を果たすだけの健全さが、まだ日本の社会には残っていた、ということでしょう。しかしそうだとしても、かなり危うい事例だと思います。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/661006?kk
日本の中の表現の自由について、諸外国に比べて危険な状況だとよく言われます。そのことに鈍感になってしまっている自分たちが、プーチンを支持するロシアの人たちとよく似ているということを、自覚しなければなりません。私自身もそうとうにのんきで迂闊な人間ですから、ロシアで暮らしていればウクライナの状況など知る由もないかもしれません。そんな自分自身を自覚して、感度が鈍いながらもアンテナを張り続けることを心がけましょう。
こんな状況下なので、つい前置きが長くなってしまいます、すみません。
本題に入ります。昨日から4月2日まで、東京・京橋のギャラリー檜で松浦延年さんの展覧会が開かれています。
http://hinoki.main.jp/img2022-3/exhibition.html
この松浦延年さんの作品については、私はこれまでも何回か文章を書いています。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/79.html
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/91.html
それでも、あらためて松浦延年さんの作品を取り上げようと思ったのには理由が二つあります。ひとつは、松浦さんの作品があまりに素晴らしいからです。そのことについては、最後に書いておきましょう。
その前に、ちょっと込み入っているふたつ目の理由を書いておきましょう。それは次のようなことです。
話が少し前のことになりますが、前々回のこのblogで、私は佐川晃司さんの作品について文章を書きました。
https://blog.ap.teacup.com/tairanahukami/224.html
そして友人と、そのblogの中で私が考察した「ミニマリズム」についていろいろとやりとりをしているうちに、とても興味深い示唆を友人からもらいました。そのことについて、ぜひ一度考えてみなきゃ、と思っていたら、松浦さんから今回の展覧会の案内状が届いたのです。ああ、松浦さんの作品こそ、その友人との話にあてはまる格好の事例だ!と案内状の写真を見て即座に思いつきました。そこで今回は、展覧会の紹介の前に、ちょっと長めの「ミニマリズム」について考察を加えてから、松浦延年さんの作品について書いてみたいと思います。
その友人からの指摘は、次のようなものです。
クラシック音楽から発展した現代音楽は、音楽の旋律という要素を軽視する傾向があったのではないか?この傾向により、現代音楽は音楽としての危機にあったとも言えそうである。それに対して「ミニマリズム」の音楽、つまりミニマル・ミュージックは短いフレーズの繰り返しとはいえ、旋律が流れる音楽を提示した。これは非常に影響が大きかったのではないか・・・。
私は音楽に関しては素人ですが、なるほど!と頷きました。例えば、現代音楽の代表的な作曲家であるジョン・ケージ(John Milton Cage Jr.、1912 - 1992)のことを思い出してみましょう。彼の音楽は、偶然性によって音が決定されたもの(チャンス・オペレーション)、楽器に仕掛けを施して普通の音階の音が出ないようにしたもの(プリペアド・ピアノ)、演奏をしないもの(『4分33秒』)などがありましたが、これらに共通することは、人為的に作られた旋律を否定したことです。
そして私の個人的な好みで言えば、チャンス・オペレーションによって作られた音楽には独特の解放感があって好きな曲もありますが、プリペアド・ピアノの演奏は繰り返し聴きたいとは思わないし、『4分33秒』に関しては言えば、音楽を演奏しない曲だと聴衆がわかってしまえば、実際に演じる(?)意味があるのかなあ、と疑問に思ってしまいます。
これはあくまで凡庸な素人の感想ですが、現代音楽は聴きづらい、聴いていると疲れる、と感じてしまいます。そして、現代音楽が私のような一般的な聴衆から離れてしまった、ということが事実であるとしたら、それを「危機」と言って良いのかもしれません。ケージは現代音楽家の中でも実験的な作家です。事例としてあげるには極端すぎたのかもしれません。しかしわれわれ一般的な聴衆は、現代音楽に対して似たようなイメージを持っているのだろう、と推察します。
ミニマル・ミュージックは音楽を最小限の要素に還元するというモダニズムの思想にのっとりながらも、旋律を聴くことの心地よさを根底に持っていました。これは大きなことだったのかもしれません。そのことを示すために、私の友人が教えてくれたミニマル・ミュージックの事例が二つありますので、皆さんとも共有しましょう。
一つ目はマイケル・ナイマン(Michael Laurence Nyman、1944 -)がジェーン・カンピオン監督の映画『ピアノ・レッスン』のために書いたピアノソロ曲『楽しみを希う心』です。同じ旋律の繰り返しとはいえ、とても美しい音楽です。
https://youtu.be/u1HISqfVfJA
マイケル・ナイマンは作曲家として活躍する前に音楽評論を書いていたようです。実は美術の概念として使われていた「ミニマル」という言葉を、最初に音楽に応用したのが評論家としてのナイマンだそうです。
それが1968年のことだそうですが、その数年前から旋律を繰り返すミニマル・ミュージックの原型のような音楽は作られていて、この3月に日本でコンサートを開いたテリー・ライリー (Terry Riley、1935 -)がその先駆者だと言われています。
ちょっと話が飛びますが、先日、テリー・ライリーがラジオ番組に出演していて、自分は若い頃に聴いたインド古典音楽に決定的な影響を受けたのだ、と語っていました。この逸話は、画家のジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)がインディアンの砂絵の影響から床にキャンバスを置いて四方八方から絵を描く方法を思いついたことを連想させて面白いです。ポロックのオールオーヴァーな絵画が「ミニマリズム」の絵画へと繋がっていくことを考えると、「ミニマリズム」の中には、プリミティブな民族芸術の要素が潜んでいるのかもしれません。これは要素還元主義を徹底させた「ミニマリズム」が、一見(一聴)すると工業生産的なもののように感じることと相反していて、興味深いことだと思います。
話を戻します。
友人がもう一つ教えてくれた事例が、スティーヴ・ライヒ(Steve Reich、1936 - )の『Different Trains / Electric Counterpart』です。この『エレクトリック カウンターパート』ではジャズ・ギタリストのパット・メセニー(メシーニ)のギターを聴くことができます。
https://youtu.be/EQudnQttIRY
こんなことをオンライン上でやりとりしていたら、さらに若い音楽好きの友人が、音楽の要素を極めていくと「音色(おんしょく)」にたどり着くのではないか、ということを言ってくれました。よく考えてみれば、音楽の要素を還元して絞っていくのですから、ひとつひとつの「音色」に焦点が当たっていくというのは当たり前の話です。
それでは、そのことを検証するために、先ほどの話に出てきたミニマル・ミュージックの先駆者、テリー・ライリーの記念碑的な作品を聴いてみましょう。『IN C (COLOURED VINYL)』という作品で、ミニマル・ミュージックの原型とも言われる曲です。
https://youtu.be/yNi0bukYRnA
ちなみに、このレコードの商品情報を見てみましょう。
ライヒ、グラスなどと並ぶミニマル・ミュージックを代表する作曲家テリー・ライリーの代表作中の代表作。世にミニマル・ミュージックを広めたという意味に おいても歴史的な作品で、初期の演奏者にはなんとライヒやジョン・ギブソンも参加していたという正にミニマル・ミュージックの代名詞ともいえる名曲です。 タイトル通り全てハ長調 IN Cを異なる楽器で一定のフレーズを延々と演奏し続けるなかに生まれる音の持続と音響が恍惚の世界へと誘う。芸術的トランス・ミュージック。
(『IN C (COLOURED VINYL)』 商品詳細情報より)
この文章の中の「全てハ長調 IN Cを異なる楽器で一定のフレーズを延々と演奏し続ける」というところに注目してみましょう。フレーズが一定なのですから、その音がどのような楽器の音なのか、どのような音色なのか、がとても重要なのです。だから「異なる楽器」で「延々と演奏」することになるのです。
ここまでわかってくると、テリー・ライリーが影響を受けたというインド古典音楽がどのようなものであったのか、気になりませんか?「ミニマル・ミュージック、アート界にも多大な影響を与えたインド古典ヴォーカリスト、Pandit Pran Nath (1918-1996)。1971年と1972年にLa Monte YoungやTerry Rileyと共に彼の最も強烈でパワフルな演奏の一つであるRaga Malkaunsのライブ音源を収録した名盤」という音源を聴いてみましょう。Pandit Pran Nathはテリー・ライリーの師にあたる人だそうです。
https://youtu.be/esuia43tJUI
何を歌っているのかわからないと、声色と打楽器とシタールのドローンとした音色だけが気になりますね。インド音楽というと、ビートルズの影響からシタールの即興演奏がすぐに思い浮かびますが、このような男性の渋いボーカル(?)もインド音楽の持ち味だと言えると思います。おそらくは楽譜で表現できるような西洋音楽的な構成要素がほとんどない、具体的な音の連なり、言葉の連なりだけが存在する音楽のように聴こえます。即興で演奏を紡いでいくジャズにも近い感触があると思います。
クラシック音楽は、作曲家がイメージした音楽を、楽譜という抽象的な記号に置き換え、さらにその記号を正確に読み取って演奏することで、効率的に音楽の継承を維持してきました。しかし、そこで変わってしまうのが具体的な音色です。その部分に関して、演奏家の技能が発揮される場面があるわけです。
しかし現代音楽は、クラシック音楽の既成概念となってしまった西洋音階と、それをもとに構成される音楽の要素に対し、根本的な疑問を呈しました。いきおいそれは、旋律やリズム、ハーモニーといった耳に心地よい要素を否定することにもなります。ミニマル・ミュージックはそんな中で、具体的な音の連なり、つまり旋律と音色を根本に据えた音楽だったのです。そのことによって、ミニマル・ミュージックは現代音楽の中心とは違った道をたどり、現代音楽に救いをもたらしたのだとも言えるのかもしれません。
やれやれ、素人考えでここまで辿り着いてしまいました。音楽の専門の方からすると幼稚な、あるいは破天荒な解釈なのかもしれません。しかし、実はこのミニマル・ミュージックの「旋律」という音楽の形を残すことと「音色」を大切にするということ、これが美術表現である絵画に置き換えて考えることができるのです。
それではここで、やっと話を美術に移しましょう。
ミニマル・アートがアメリカで盛んになっていったのは1960年代です。同じ頃にコンセプチュアル・アートやネオダダなどの美術の動向が起こって、それらはお互いに関連し合いながら発展しました。
そのころの美術作品の様式といえば、オブジェやインスタレーション、それに光や映像を活用したハイテクな作品も登場し、新たな作品様式が隆盛を極めたのでした。そのような傾向は、絵画や彫刻といった作品様式が古いもの、既に終わってしまったものである、という考え方につながりました。このblogで何回も話題にした絵画の「終焉論」につながるわけです。絵画の「終焉論」については、ずいぶん書いてきましたのでここでは繰り返しません。ただ、ミニマル・アートの時代がそういう状況だったのだ、ということを頭に入れておきましょう。
そのような状況下で、絵画という作品形態が先進的な表現として見なされたのは、唯一ミニマル・アートの絵画であったのかもしれません。私が現代美術の作品を意識的に見はじめた1980年代においても、画廊にいくとインスタレーションの作品が盛んに発表されていて、絵画作品といえばミニマル・アートを標榜したような作品がほとんどだったような気がします。それは息苦しい時代でしたが、その一方でミニマル・アートの様式であれば、まだ絵画が先進的な表現であると見なされたということもできます。このように、世情を横目で見ながら絵を描くような態度はナンセンスだ、と今の私なら言うことができますが、こういう時代の直中にあっては、それもやむを得ない面もあります。
ミニマル・アートの絵画が存在したことは、先ほどから考察してきたミニマル・ミュージックが「旋律」や「音色」という音楽的な要素を持っていたことと似た現象である、と私には思えます。音楽や美術という概念が根本から見直されるモダニズム思想の中にあって、「ミニマリズム」は芸術表現の根幹を表現者が見失わないようにすることに関して、一役かっていたのです。
ここで、今回取り上げる松浦延年さんの作品を見ていきましょう。
彼の作品を「ミニマル・アート」の絵画だと呼ぶことに、いささか抵抗を感じますし、「ミニマル・アート」の時代を知らない若い方なら、もっと素直に松浦さんの作品の美しさに感銘することでしょう。
しかし松浦さんが若い頃には、絵画を否定するようなモダニズムの嵐が吹き荒れていたはずで、それにも関わらず松浦さんが絵画的な表現を継続できたのには、松浦さんの信念の強さと同時に、「ミニマリズム」の表現であれば絵画であっても受け入れられた、という綱渡りのような状況が影響していたのではないか、と推察します。
しかし、だからと言って松浦さんの作品が美術の状況に対して日和見的に反応したものだと言うつもりは毛頭ありません。松浦さんの作品は「ミニマリズム」的な様式のように見えますが、その表現はまったく「ミニマル」ではないからです。松浦さんの作品は単色で仕上げられることが多いのですが、その作品を見て表現が「ミニマル(最小)」だとは誰も思わないでしょう。なぜなら、あまりにも松浦さんの作品が美しいからです。私はこの松浦さんの作品の美しさが、ミニマル・ミュージックにおける短い旋律と音色の美しさと同じものなのではないか、と考えます。
今回の展覧会のどの作品でも良いのですが、単色で仕上げられた作品をじーっと見てください。透明なメディウムの内側から発するような色彩の光が、音楽における「音色」の美しさと同一であることが分かるでしょう。その深い色合いは、一般的な「ミニマル・アート」の無機的な、あるいは工業製品のような小綺麗なものではありません。もっと人間の心身の根本から滲み出てくるような色合いです。これはミニマル・ミュージックが生まれたときに、民族音楽の、人間にとって根底的な「音色」に影響されたことを想起させます。
さらに、松浦さんの作品の表面が、微妙な色調の変化を持っていることにも気がつくでしょう。これはミニマル・ミュージックの短い旋律のようなものなのかもしれません。大仰な構成を否定しつつも、その表現の中に心地よいリズムや響きを有しているのです。松浦さんの作品の色調の変化は、絵具やメディウム、そして筆先によって自然に生じた震えのようなものなのかもしれません。少なくとも、意図的な、そして大仰な構成が廃されていることは間違いないでしょう。ゆったりとした小さな変化が、作品全体の中で響き合って目が離せない心地よさを生むのです。
さらに今回は、点描を重ねた作品が展示されていました。以前にも松浦さんの点描作品を見たことがありますが、これも美しく、また興味深いものです。筆致が単調であり、色彩が抑制的であることから、これらの作品も「ミニマリズム」の広い応用として見なすことも可能でしょうが、もはやそんなことはどうでもいいことです。単一の筆のタッチとは言え、メディウムの混合の割合などをみるとひとつ一つのタッチが変化に富んだものであり、これも「ミニマル」とは言い難いものです。
松浦さんの作品に見られるのは、要素還元主義的な様式をとっているが故に、素材の美しさと絵画空間の深みについて、まるで表現を増大するように見せているのです。これは、ミニマル・ミュージックの事例で言えば、ナウマンのピアノやパットのギターの「音色」の美しさを感受することと同一のことのように思います。彼らの表現がもはや「ミニマル」ではないように、松浦さんの絵画もまったく「ミニマル」なものではないのです。
私には、松浦さんの作品が表現しているのは絵画そのものだと思います。松浦さんは「ミニマリズム」的な表現から発して、今や絵画表現そのものを探究する術を得たのです。
私は、「ミニマリズム」を含むモダニズムの思想や表現について、できるだけ大きな視野で捉え直し、それを単純に否定したり、逆に肯定したり、ということではなく、その功罪を客観的にながめて、これからの表現について考えていきたいと思っています。
松浦さんの誠実な作品は、そのことについて深く考えさせてくれる格好の事例です。
もしも若い方が小手先で新しい表現を模索することに限界を感じているのなら、松浦さんの作品を見るべきです。そして良い作品にありがちなことですが、松浦さんの作品も、写真や画像と実物の作品との差異がとても大きいのです。松浦さんの作品の良さが写真で代行できるのなら、彼はわざわざ膨大な時間をかけて作品を作る必要などないのです。絵具とメディウムの蓄積が、長い時間と手間をかけて結晶したのが松浦さんの絵画です。
まだまだ新型コロナウイルスの感染が心配な状況ですが、感染対策に注意しながら、ぜひ画廊に足を運んでください。きっと後悔しないはずです。
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