平らな深み、緩やかな時間

136.『新しい文学のために』大江健三郎に学ぶ

今回は、私が就職して5年後くらいに読んだ『新し文学のために』という本を取り上げます。最近、絵を描いていて、この本に書かれていた理論について、ふと思い出して読み返してみたくなったのです。
大江健三郎(1935 - )が、この『新しい文学のために』という新書(岩波)を書いたのは1988年です。彼は1994年にノーベル文学賞を受賞しましたが、私が大江健三郎を追いかけたのは1980年代まででした。大江の本は難解で、私の頭では読むのに時間がかかりますし、この『新しい文学のために』を読んだときに、彼の文学理論はだいたいここで確立したのではないか、と生意気にも思ってしまったのです。
彼がこの本の中で論じたのは、文学に関する理論です。もちろん芸術全般、あるいは思想全般に関わることも含まれていますが、私はこの本を読んだ当時、その理論を自分の制作に応用するところまでは考えが至りませんでした。しかし、ここにきて彼の理論が気になってきたのです。そういうわけで、『新しい文学のために』の内容を私なり追いかけて、最後にそれをどのように美術に応用できるのか、を考えてみたいと思います。
さて、まずこの『新しい文学のために』ですが、大江はこの本を書く前に『小説の方法』という同じ傾向の本を書いています。それでいて、なぜその10年後に『新しい文学のために』を書いたのか、そして本の中の主な方法論である「異化」とはどのようなものなのか、最初の章に書かれているので引用しておきましょう。

僕は10年前にもまさにそのように考えて、『小説の方法』(岩波現代選書)という本を書いた。いま、それをもっとハンディな形式、新しい内容に書きあらためることをめざして、この本を書く。それはいま作家として分岐点に立っていると感じる僕が、自分にとっての「文学入門」とでもいうものを書いて、現在の立脚点をたしかめたい、という気持があるからでもある。さらにこの10年の間に、僕自身ほかならぬ自分の方法論にたつ仕事をしてきながら、考え方をいくらか深めえたし、かつはいくらかでも広い理解をみちびくのに妥当な材料を集めえていると思うからだ。
さらに僕は、10年前よりあきらかな切実さで、これから小説や詩を書き、あるいはこれから積極的にそれを読んでゆこうとする若い人たちに対して、自分としてのメッセージを語りたい、という気持をいだいている。現在の日本文学の―とくに「純文学」、すなわちseriousな小説の―衰退ということ、それはすでにジャーナリズムの定まり文句となったほど現象として―しかもある相当な長さ続いてきた、かつは続いてゆく現象として―自覚されるのである。
衰退は恢復されねばならないし、恢復されると僕は信じるが、しかしもっとも着実なその恢復の筋みちを作る当事者たちは、やはりこれから小説や詩を書き、あるいはこれから積極的にそれを読んでゆこうとする、若い人たちなのだ。そしてかれらに望みをたくしつつ自分としての考えをのべるとして、僕はやはり文学の原理・方法論の言葉で語りたいとねがうのである。
たとえばロシア・フォルマニズムの「異化」という方法論は、まことに明快に文学の原理をさし示しているものだが、具体的な作品にそくしてそれを語りなおしてみると、わかりにくいところも次つぎに出てくる。そのような意味的拡がりをはらんだものでもある。したがって僕の努力は、ここで自分としての「文学入門」をあらためて書くのだ、とつまりはまず明快に思いたちながら―『小説の方法』がこうむったと同じ―難解という批評に再び出くわしてしまうことになるかも知れない。その危惧を大きくいだきつつ、しかし僕はあえて、原理・方法論にそくしてこの本を書いてゆきたい。それより他に文学について一般的に、かつ確実に意志を伝達する仕方はないと、僕は考えるのである。
(『新しい文学のために』「1<小説の声>が聞きとられる」大江健三郎著)

このように書かれると、文学の世界に疎い私でも、この当時のシリアスな文学の状況はどうであったのか、と気になってしまいます。安易なものの見方ですが、この本が構想されたであろう1987年頃の芥川賞の受賞者を見てみましょう。この年には池澤夏樹(1945 - )が芥川賞を取っていますが、その前には空白の年が目立つことも確かです。1990年代になると辺見庸(1944 - )や多和田葉子(1960 - )らが次々と受賞していますが、もしかしたらこの本が書かれた当時の純文学の状況は少し低調であったのかもしれません。インターネットの普及などから本が恒常的に売れなくなるのは、もっと後のことだと思います。
文学が低調であった反面、この頃に若い学者による思想ブームが起こるなど、新しい文学的な理論について語りやすい状況ではあったのかもしれません。大江健三郎自身、1984年に建築家の磯崎新(1931 - )、詩人の大岡信(1931 - 2017)、作曲家の武満徹(1930 - 1996)、哲学者の中村雄二郎(1925 - 2017)、文化人類学者の山口昌男(1931 - 2013)らとともに、文化的な総合雑誌『へるめす』を創刊しています。蛇足ですが、私も創刊号から『へるめす』を何冊か買いましたが、美大生としても標準以下の知性の私には、読める部分は少なかったと記憶しています。いまでは手元に一冊も残っていませんが、黒田征太郎(1939 - )の描いた表紙がなつかしくなりますね。
それはともかく、ここで重要なのは「異化」という文学表現の方法です。この「異化」というのは、いったいどのような方法なのでしょうか。大江によれば、言葉で出来上がっている文学の特質とは、「ありふれた日常・実用の言葉が、様ざまな工夫によるしくみをつうじて文学表現の言葉となった」ものなのですが、その日常的な言葉が文学表現の言葉となる「しくみ」のひとつが「異化」なのです。
その「異化」という用語とその概念は、どのようにして生まれたのでしょうか。

「異化」という言葉は、もともとロシア語「オストラニエーニエ」の訳語として作られた。革命前後のロシアの芸術の多様な分野は、世界にさきがける新しく生きいきした輝きを示した。その一環として、文学の科学に進展をもたらしたロシア・フォルマニズムのグループの用語である。この学者たちは、文学が、―それは新しく作られるもののみならず、伝承された民話や俚謡もふくむ広さのものだが―、その表現している内容・思想よりも、形式・かたちをつうじて研究されるべきものだと主張した。その態度に批判的な者たちから、決して賞め言葉のニュアンスではなしに、フォルマニストと呼ばれはじめたのである。
かれらはスターリン時代にもっとも悪しきものとなった、ソヴィエト・ロシアの永年の文芸政策ひきしめによって、辛い時代を体験した。しかし60年代になって、かれらの精神をいまに生きつづけさせるミハイル・バフチンにあたえられたヨーロッパでの再評価は、わが国にもロシア・フォルマニズムへの強い関心をよびおこすことになった。
「異化」という考え方は、フォルマニストたちの文芸論の中心をなしている。しかもそれはかつて成立した、あらゆる文芸論の歴史をつうじて、その基本を成す理論といいうるものである。本当によく考えられた理論の、単純なほどの明快さで、しかも深く、それはどのように日常・実用の言葉が、文学表現の言葉とちがうのかを見る指標をあたえる。
印刷された数行を読んで、または自分や若い友人が書いた原稿の一節を読みなおして、それが文学表現の言葉でありえているかどうかを、はっきりと見わけさせてくれるのだ。しかも「異化」の指標は、言葉、語から文学、芸術の総体にむけて、その拡がりをこまかな階層にきざむ、そのいちいちのレヴェルで力を発揮するのである。
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(一)」大江健三郎著)

ここで名前が出てきたミハイル・バフチン(Mikhail Mikhailovich Bakhtin,1895 - 1975)ですが、ロシアの思想家、文芸批評家で「ポリフォニー論」の創始者として有名です。この「ポリフォニー論」ですが、例えばドストエフスキーの小説では多様な登場人物がさまざまな意見を戦わせるわけですが、それを個々の人物の思想や性格などの研究で終らせるのではなく、「対話」全体の効果として捉えたのがポリフォニーの理論だそうです。また、バフチンは「カーニバル」などの祝祭空間における非日常性に注目するなど、現代思想への影響が大きい人です。私が学生だった頃は、バフチンの名前をよく聞いたものですが、当時は私が読めるような彼の翻訳書、紹介書はなかったように思います。ですから、このような不正確な書き方で申し訳ないのですが、それでも、それほど的を外してはいないと思います。とにかく、そのように現代思想の世界から評価されたバフチンですが、大江が書いているように、彼はロシア・フォルマニズムという学派に分類される思想家であり、「異化」という方法論もそのようなロシア・フォーマリズムの再評価の中で注目された理論である、ということなのです。
その「異化」という理論ですが、大江はその理論を「単純なほどの明快さで、しかも深く、それはどのように日常・実用の言葉が、文学表現の言葉とちがうのかを見る指標をあたえる」と書いていますが、私にはそのような便利なものだとは思えません。大江がこの本の中で書いている事例を読むと、なるほど、と理解はしますが、それでは自分が文学作品と向き合った時に、「異化」理論を応用して大江と同様の分析ができるのか、と言えばできないのです。優秀な人はしばしばこのような気軽な物言いをしますが、私のような凡人からするとそれは決して「単純」でも「明快」でもないので、その点は割り引いて読み込まなくてはなりません。
それでは「異化」理論の定義について、大江はロシアの言語学者、文芸評論家のシクロフスキー(ヴィクトル・ボリソヴィチ・シクロフスキー、1893 - 1984)の言葉を引用しながら、次のように説明しています。

ロシア・フォルマニストの代表的な理論家シクロフスキーによる定義を『ロシア・フォルマリズム論集』(現代思潮社)から見よう。シクロフスキーはまず、僕らがいとなんでいる日々の生活において、そこで使われている言葉が、つまり日常・実用の言葉が、自動化していることへの観察を示している。
《もしわれわれが知覚の一般的法則を解明しようとするならば、動作というものは、習慣化するにしたがって自動的なものになる、ということがわかるであろう。たとえばわれわれの習慣的反応というものはすべて、無意識的、反射的なものの領域へとさっていくものである。たとえば、どなたか、ペンをはじめて手にとりながら、あるいは外国語をはじめて話してみながら味わった感覚と言うものを、一万回目にそれを繰り返してみながら味わう感覚と比較してみれば、私の言うことに賛成していただけると思う。表現を完全に言いきらなかったり、単語を言いかけたままやめてしまったりする散文的なことばの法則は、こうした自動化、反射化の過程によって説明がつく。ものがシンボルで置き換えられた代数学はこの過程の理想の表現である。》
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(一)」大江健三郎著)

だいたい、どういうことを言っているのか、おわかりでしょうか?私たちは日常的な動作や言語活動の中で、いちいちそれらを意識して動いたり、使ったりしていません。それらは自動化してしまっていて、何気なく私たちの生活に溶け込んでいるのです。大江はこの引用部分の後で、飼い猫を例にとって「自動化」について説明しています。例えば、日ごろそばにいる猫の動作を飼い主は何も意識せずに見ています。しかし、その猫が足に怪我をしたとしたら、どうでしょうか?いつもとはちがう動作によって、見過ごしていた猫動作、ひいては猫の存在を飼い主は意識することになる、というわけです。
しかし、だからどうだと言うのでしょうか。シクロフスキーの引用文から始まる続きの説明を見てみましょう。

《そこで生活の感覚をとりもどし、ものを感じるために、石を石らしくするために、芸術と呼ばれるものが存在しているのである。芸術の目的は認知、すなわち、それと認め知ることとしてではなく、明視することとしてものをかんじさせることである。また芸術の手法は、ものを自動化の状態から引き出す異化の手法であり、知覚をむずかしくし、長びかせる難渋な形式の手法である。これは、芸術においては知覚の過程そのものが目的であり、したがってこの過程を長びかす必要があるためである。芸術は、ものが作られる過程を体験する方法であって、作られてしまったものは芸術では重要な意義をもたないのである。》
芸術の目的は、認知つまりそれと認め知ることとしてではなく、明視することとして、ものを感じさせることだ、という考え。それをシクロフスキーのいう、包装されたものといういい方につらねて、具体的に考えてみよう。ヨーロッパから輸入した古家具が、倉庫に十個おいてある。倉庫に品物がちゃんと届いているかどうか、輸入商社の人間が確かめに来る。かれは伝票の数値にしたがって―つまり代数学によって―、十個の包装されたものがあることを、それと認め知ることができれば、目的を達する。
ところが芸術家は、数量などは二の次に―もとより数があるかどうか、それと認め知ることも格別邪魔になるまいが―、倉庫に入りこみ包装を解いて、古家具のいちいちをはっきりと眼におさめ、さわってみもするのでなければ、満足しない。自分の眼で明視し、ものを感じとることをするまでは、伝票の数値とか、ここに梱包が十個あるじゃないか、というような挨拶では、ものを見たとは感じることができぬと、倉庫番にむけていいはるはずである。このような人間においてはじめて、輸入された古家具は、伝票の数値でもなく、単なる商品十個というのでもなく、いちいちが個性をもったものとして実在しはじめる。
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(一)」大江健三郎著)

大江はこの引用部分に続けて、実用的なルポルタージュの文章と文学的な文章がどのように違うのか、ガラパゴス諸島のゾウガメの描写を例にとって説明します。ルポルタージュの文章では、ゾウガメの生態を平易に語り、明快にその生存条件について書くだろう、と大江は言います。その一方、芸術家の文章は読み手が立ち止まるような、あるいはその一節に釘付けにされるような工夫をするだろう、と書いています。そして芸術家の文章について、次のように説明します。

人が事物を見る、それもものそのものの手ごたえを確かめるようにして、事物を見る。それを人は、急ぎ足でやることはできない。かれはしばしば立ちどまる。かれのものの見方は、ゆっくりとした深いものになる。書き手がそのように書き、読み手がそのように読む態度をいざなう文章が、ほとんど代数学的な情報の―この島にはゾウガメ十頭、という統計表の表示とそれは変わらない―ルポルタージュとくらべて、これはなんだ、という批判が発せられたとして当然ではないか?知覚をむずかしくし、長びかせる難渋な形式の手法?なんだ、なんだって?しかし芸術の作り手たちは、あえてすすんでこの、古めかしく見えさえもする手法をとろうとするのである。
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(一)」大江健三郎著)

さらに大江は、芸術家の文章は読み手に能動的な意識を求めるものであり、ルポルタージュの文章は受動的な態度のままに読まれるものなのだ、と書いています。芸術家の文章、すなわち「知覚をむずかしくし、長びかせる難渋な形式」の文章を読むということは「自動化・反射化」された態度では済まないものであり、意識の集中が求められる、というわけです。
ここまで読んでみると、このロシア・フォルマニズムの「異化」という方法論は、優れた現代美術の作品を見るときにも、そのまま応用できそうだと感じられます。私たちが日常的にものを見るときの「自動化・反射化」された認知を意識化させ、ものを認識するとはどのようなことなのか、それを気づかせてくれるような作品と言えば、ごく単純に「もの派」の作品の一部が思い浮かびます。木や石の存在、あるいはそれが置かれた空間を意識化させる「もの派」の作品は、私たちの日常生活で出会う「もの」や「空間」の「異化」である、と思い当たるのです。さらに「芸術は、ものが作られる過程を体験する方法であって、作られてしまったものは芸術では重要な意義をもたない」というシクロフスキーの言葉に注目すると、この点においてもインスタレーションという仮構性の高い展示形式をとることが多い「もの派」の作品は一致します。
この『新しい文学のために』は文学に関する本なので、基本的に美術についてはそれほど触れていません。冒頭に書いたように絵画における「異化」はどのような方法が考えられるのか、ということについては、最後に考察してみましょう。
ここでは、「異化」という方法論の事例として、ダンスをとりあげている部分がありますので、それを見ておきましょう。

前衛的なダンスを、直接の舞台やテレヴィに見るたびに、多くの人たちが感じることは、ここには見なれない、不思議な人間の肉体がある、ということであろう。だからといって踊り手が特別な小道具を使って、頭をふたつにしていたり、肩から腕をひとねじれしたように見せていたり、背に翼をつけていたりするというのではない。むしろ和洋様ざまなかざりにみちた衣裳をつけての伝統的な舞踊にくらべるなら、これらの新しい踊り手たちは、もっとも簡素な附属物をつけているにすぎない。よくきたえられた筋肉をあらわしての素裸であることすら多い。しかもかれらのダンスの進行に応じて、観客は、人間の肉体が、まさに人間の肉体そのものでありながら、このように不思議な、見なれないすがたをあらわすものかと、驚きをあたえられる。それは人間の肉体について、新しい発見をもたらしもする。
背広を着て鞄を持ち、通勤の電車に乗っているサラリーマンも―これらの踊り手ほどには筋肉をきたえていないのであれ―、おなじ人間の肉体を持っているのである。しかしかれらの衣服のなかに、僕らがそうした見なれない、不思議なものとしての肉体を想像することはない。つまり、かれらを見る眼に、肉体は存在しないも同様である。ちょうどマネキン人形がそうであるように、人間は洋服を支える肉体を持っている、ということを僕らは知っている。概念として、電車のなかのどの洋服にも、肉体がつまっていることを知っている。そしでもし誰かが洋服の胸をはだけて、そこが空虚であることを示せば、驚きをあたえられるだろう。しかしそれに先だち、僕らが眼の前のサラリーマンの洋服のなかに、前衛的なダンスの踊り手たちが示すような、見なれない、不思議な肉体を実現しているのではない。
そして、知覚による概念としてしか存在していない肉体を、あらためて僕らの眼の前に生なましい実在感とともに提示する役割を、新しい舞踏家たちが担うのである。かれらが見なれない、不思議な肉体を具体的に実感させ、観客に精神と感情をひっくるめた、全身的なショックをあじあわせる―そこにあらためて、人間の肉体を発見させる―。その舞踊でのかれらの表現が、知覚するという側面からいえば、こちらに困難な思いをいだかせること、知覚を長引かせる難渋な形式をともなうこと。それを考えあわせれば、さきのシクロフスキーの定義は、より受けとめやすいものとなろう。こうした芸術の手法が、「異化」ということなのだ。
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(二)」大江健三郎著)

このように大江の説明は明快でわかりやすいものです。ふだん、大江の小説の文章の分かりにくさに四苦八苦している私からすると、意外なほどにスーッと読めてしまいます。(大江自身が小説においては「異化」を駆使して文章を書いている、ということなのでしょう。)
ただ、この文章を読むと現代舞踏は日常的な人間の肉体や動作を「異化」することが目的であるかのように読めてしまいます。もちろん、「異化」は現代舞踏にとって、あるいは現代芸術において重要な概念であるのでしょうが、だからといって「異化」されていればよい、というものでもないでしょう。現代舞踏家による「不思議な肉体を具体的に実感させ、観客に精神と感情をひっくるめた、全身的なショックをあじあわせる」ような動作が「人間の肉体を発見させる」というわけですが、できればそこで発見される「人間の肉体」が、私たちにとって意義深い根源的なもの、あるいは本来の自然性を取り戻すものであってほしい、と私は思います。いかなる芸術であれ、「全身的なショックをあじあわせる」、つまりショッキングであればよいというものではありません。その先の、「異化」の質が問題なのです。
それでは、「異化」の質の高い表現として、どのような事例が考えられるのでしょうか。大江が文学作品の事例として夏目 漱石(1867 - 1916)の『明暗』を取り上げていますが、これがそれにあてはまると事例だと思いますので、見ていきましょう。

夏目漱石が1916年5月から12月にかけて朝日新聞に連載し、作者の病いと死のために中絶した『明暗』。書き遺された最後の部分には、主人公津田が東京での「明」の世界を離れて、かつて恋人だった女性のいる温泉地へ旅立ついきさつが描かれている。津田が、いわば生きながら降り立つ死の世界として描かれる温泉地、その「暗」の世界。そこへの旅と、辿りついての見聞の描写に、漱石は「明」の世界であった東京での生活から、津田をすっかり切り離そうとして工夫を重ねる。そこには、意識して強調される「異化」の例が、次つぎに見出される。
《馬車はやがて黒い大きな岩のようなものに突き当たろうとして、その裾をぐるりと廻り込んだ。見ると反対側にも同じ岩の破片とも云うべきものが不行儀に路傍を塞いでいた。台上から飛び下りた御者はすぐ馬の口を取った。
一方には空を凌ぐほどの高い樹が聳えていた。星月夜の光に映る物凄い影から判断すると古松らしいその木と、突然一方に聞こえ出した奔湍の音とが、久しく都会の中を出なかった津田の心に不時の一転化を与えた。彼は忘れた記憶を思い出したときのような気分になった。
「ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう」》
漱石が津田の内的独白として、抽象的な心の風景を書く。それが僕らに実感をあたえるのは、岩や樹や急流の流れる音が「異化」されて、胸にきざみつけられるからである。そこに眼をとどめることで、僕らは見なれない、不思議なものに接した思いになる。ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう、という思いを共有するのである。
(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(二)」大江健三郎著)

この後も、引き続き『明暗』の分析が続きますが、これくらいで十分でしょう。漱石自身が「ああ世の中には、こんなものが存在していたのだっけ、どうして今までそれを忘れていたのだろう」と主人公に独白させているところなど、この大江の『新しい文学のために』の文脈からすると、出来過ぎの感があります。
そしてこのように文学の事例を見ると、さすがに大江にとって専門分野であるだけに、ダンスの事例よりも見方が細やかであり、また文学的な嗜好性も色濃く出ているように思います。ここには、ただ単に日常を「異化」すればよいというのではなく、それが読者にどのような良い影響をもたらすのか、というところまで行き届いた、みごとな例示であると思います。夜の旅路の中で、月の光でわずかに見える岩や木、あるいは遠くに聞こえる水の音が、昼間の光の中よりもかえってその存在感を際立たせていることや、それが主人公の内面的な変化をともなっていることなどが表現されていて、それを私たちに静かに了解させているところが素晴らしいと思います。
このように、文学における「異化」は言葉によって表現されるだけに、言語が喚起する想像力の働きが大きく影響します。これは私にとってもっとも苦手でハードルの高い分野ではありますが、先日来、ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)を勉強することで想像力の大切さを学んだばかりですので、ここはもう少し頑張ってみましょう。
この『新しい文学のために』の中には、私の学生時代にたいへんな話題になっていたアンドレイ・タルコフスキー(Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932 - 1986)の映画のことが書かれています。さらにそこから引き続いて、バシュラールについて論じている部分もありますので、少々長くなりますがその部分を書き写してみます。

たとえ文学の想像力的な役割を高く評価する立場に立つとしても、人は秀れた映画の独自の想像力の喚起性に強い関心をよせねばならないだろう。それは単純な、文字→画像、画像→文字という置きかえ作業とはちがった、真に深く、真に豊かなレヴェルで、新しい文学的創造力への刺戟をあたえてくれるものである。現にいま、詩や小説という文字による表現形式を選んでいる者たちの誰が、ソヴィエトのタルコフスキーの映画を無視できるだろうか?
1986年に癌で死んだ、この映画監督が、それに三年先だってイタリアで作った『ノスタルジア』。そこにローマのカンピドリア広場の、マルクス・アウレリウス帝の騎馬像にのぼった狂気の男が演説するシーンがある。男の言葉は、確かに今日の世界についてのタルコフスキー自身の思想をつたえていた。スウェーデン・フランス合作の最後の作品『サクリファイス』での核戦争による世界の潰滅の危機と、魔女のような者の力への民俗的な信仰をつうじての―こちらでも、それを信じる男は狂気におちいったとされる―再生の希望と結んで、映画の根本のモティーフをあかしている。
しかしそれは文字のかたちで採録されたシナリオについて見ると、説得力のない、むしろパロディ的なせりふと感じられる。
《どこに生きる?現実にも生きず、想像にも生きぬのなら。天地と新しい契約を結び、太陽が夜かがやき、八月に雪を降らせるか?大は滅び去り小が存続する。世界は再び一体となるべきだ。ばらばらになりすぎた。自然を見れば分かる事だ。生命は単純なのだ。原初に戻ろう。道をまちがえた所に戻ろう。生命のはじまりに!水を汚さぬ所にまで!何という世界なんだ。狂人が恥を知れと叫ばねばならぬとは!》(シネ・ヴイヴァン版)
しかし巨大な騎馬像の上で叫ぶ狂気した老人、像の足もとにむらがるやはり狂気の仲間、正面の大きな階段に立って見まもる弥次馬たち、それら全体の映像は、叫ぶ老人がついに焼身自殺をとげるまでの長いシーンを、リアリティーと説得力にみちたものとする。おそらくそれを小説の言葉で、おなじ効果のもとに表現しなおすことは不可能だろう。
つづいてトスカーナ地方の保養地の、水をはらった温泉の底を、風に吹き消されるマッチの火を掌でかこいながら、幾たびも横断を試みる中年男。かれはマッチの火をつけたまま渡りきることで、狂気の老人とかわした約束をはたそうとしているのだ。そのシーンを見つめるうち、僕らは中年男の内面の激しい希求へ向けて、自分の想像力が緊迫してゆくのを感じずにはいられない。
老人の叫んだ世界恢復へのねがいに結ぶ。この単純だが困難な歩行にあわせて、男とともに息がつまりそうになる。火をともしたままの横断を男がついになしとげた時、僕らは日頃経験した覚えのないほど巨大な達成感とともに、「生命のはじまり」への、和解にみちた出なおしを実感する。映像が示す圧倒的なリアリティーのほかには、そのいかなる証拠もないのに・・・。
タルコフスキーの映画の想像力は―つまりこのように観客の想像力の共振を誘う喚起力は―、文字と映像のどちらがより想像力的な機能を持つか、というような議論の、通俗的な根拠をうちこわしてしまう。

想像力の働きをめぐる定義として、僕がそれに学びたいのは、フランスの哲学者ガストン・バシュラールが『空と夢』で行っているものだ。
《いまでも人々は想像力とはイメージを形成する能力だとしている。ところが想像力はむしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。もしも眼前にある或るイメージがそこにないイメージを考えさせなければ、もしもきっかけとなる或るイメージが逃れてゆく夥しいイメージを、イメージの爆発を決定しなければ、想像力はない。知覚があり、或る知覚の追憶、慣れ親しんだ記憶、色彩や形体の習慣がある。想像力imaginationに対する語は、イメージimageではなく、想像的なものimaginaireである。或るイメージの価値は想像的なものの後光の広がりによって測られる。想像的なもののおかげで、想像力は本質的に開かれたもの、のがれやすいものである。人間の心象psychismeにおいては、想像力とはまさに開示の経験であり、新しさの経験に他ならぬ。他のいかなる性能よりも想像力は人間の心理現象を特徴づける。ブレイクが明言しているとおり「想像力は状態ではなく人間の生存そのものである。」》(法政大学出版局)
バシュラールは右(上)のように定義した後、かれ独自の想像力研究への、方向づけを示す。
《それゆえ、われわれは静止したイメージ、明確に規定される語となったできあがったイメージをひとまず除外することにしよう。同様に明らかに伝統的な、あらゆるイメージ―たとえば詩人たちの植物誌にかくも豊富に見られる花のイメージのようなもの―をすべて除外しよう。そういうイメージは因襲的な筆致であらわれ、文学的叙述を色づける。しかしそういうものは想像的な能力を失ってしまっている。他のイメージは新鮮だ。それらのイメージは生きている言語の生命を生きる。人はそれが、たましいと精神を刷新するあの内密なサインによって、生ける叙情性のなかでそれらのイメージを体験する。それらは―これらの文学的イメージは―感情に希望を与え、人間たろうとするわれわれの決意に特殊な逞しさを与え、われわれの肉体的生命に緊張をもたらす。そういうイメージを包含している書物は突如われわれにとって親密な手紙となる。それはわれわれの生命において或る役割を果たし、われわれに活力を与える。それによって、言葉、声調、文学は創造的想像力の位置にまで高められる。新たなイメージのなかでみずからを表すことによって、思想は言語を豊かにしながら、またみずからを豊かにする。存在が言葉になるのだ。言葉は存在の心象の頂上にあらわれる。言葉は人間的心象の直接の生成としてみずからを表す。》
(『新しい文学のために』「7 想像力はどんな働きをするか(二)」大江健三郎著)

長大な引用で申し訳ありません。しかし、ここにはタルコフスキーの映画の中でも、もっとも印象的な『ノスタルジア』の場面について語られていますし、バシュラールのイメージに関する重要な一節が続けて書かれていますので、端折ることができませんでした。
まずは『ノスタルジア』ですが、ここに書かれている中年男が温泉の底を渡るシーンは、私も息を飲んで見たものでした。狂気の老人の言っていることは信じられませんし、その老人との約束を果たす必要もないのですが、それをあえて真剣に行うところが、まるで美術のパフォーマンスのようでもありますし、今になって考えてみると、これは芸術活動そのものではないのか、と思います。芸術家の考えることはときに突飛でありますが、それを真剣に表現することで何かの真実が含まれてきます。その真実は、いますぐに世界を変えるものではありませんが、人間にとって絶対に必要なものだと私は思います。それにここで取り上げられている老人のセリフですが、1983年の公開当時よりも今の方が、よりその重要性を増しているような気がします。
「ばらばらになりすぎた。」
「道をまちがえた所に戻ろう。」
「何という世界なんだ。狂人が恥を知れと叫ばねばならぬとは!」
1986年に亡くなったタルコフスキーが、およそ40年後の世界がこんなに悲惨な状況になると予想していなかったでしょうが、まさにこの老人の警告が予言めいて聞こえます。
それから、バシュラールに関する引用部分も興味深いものです。
とりわけ、「明確に規定される語となったできあがったイメージをひとまず除外することにしよう」という一節は衝撃的です。私たちが「イメージ」とか「想像力」という言葉に抱く安易な概念が、ここでは軽く一蹴されています。ここで除外されている「イメージ」の概念こそ、このblogでも以前に紹介した浅田彰がバシュラールを批判して言った言葉「外部を持たぬ完全なイマージネールの王国」にあたるものなのではないでしょうか。それに対してバシュラールは、「創造的想像力」「人間的心象の直接の生成」ということを言っています。つまりバシュラールは、「完全な」あるいは「明確に規定された」イメージなどというものは捨ててしまって、つねに創造され、変わり続け、生成し続けるような「イメージ」についてのみ、探究して行こう、と呼びかけているのです。
この本の後半では、大江はそのバシュラールの言葉に応じるように、盟友である山口昌男の文化人類学的な領域にまで言及しながら、「異化」という概念から発する文学的方法論について深く考察していきます。ここでそれらについていちいち触れていくことは不可能ですが、最後に少しだけ、予告したように絵画における「異化」の方法論について、考えておきましょう。実はこの本の中で二か所だけ、絵画について触れているところがあります。そこに登場するのはセザンヌ((Paul Cézanne, 1839 – 1906)、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)、そしてフランシス・ベーコン(Francis Bacon、1909 - 1992)という近現代の三人の画家です。とりわけセザンヌはその話題の中心で、二か所ともに顔を出しています。

よくサント・ヴィクトワール山はセザンヌの影響を受けている、という。それ以上に、全世界のヒマワリが、ゴッホの影響を受けているというようなこともいわれる。実際、ある岩山の肌やひまわりの樹木の茂りを見る時、さきにセザンヌを見たことによって洗われた眼・感受性によってその対象のかたち・色あいをはっきりとらえることができるようになっていること、その新しい見方で対象を見ていることに気がつくことがある。ゴッホを見たことで活気づけられ、勢いをあたえられれた眼で、花や木のかたち・色あいを受けとめているのに気がつくことがある。
それは秀れた画家たちの「異化」する力、ものを「異化」してとらえるスタイルが、僕らに乗りうつるようにして、影響をおよぼしているのである。いうまでもないことだが、サント・ヴィクトワール山やヒマワリが影響を受けている、というのは冗談で、それらの絵の前に立つ僕らがセザンヌやゴッホの影響を受けているわけだ。作家も画家も、その「異化」する力、ものを「異化」してとらえ表現する文体・スタイルによって、人を影響づけるのである。
(『新しい文学のために』「5 《異化》から戦略化・文体化へ」大江健三郎著)

しばしば僕らは、この山の岩肌や、その裾の樹木はセザンヌのスタイルだ、感じることがある。すでにのべたことだが、それは僕らがセザンヌの絵の風景のとらえ方に、つまりその統合の仕方、かたちのあたえ方を思い出しているのである。かつてセザンヌに眼を開かれた仕方で、風景を統合し、かたちとスタイルをその風景にあたえているのである。
セザンヌが絵を描きながら、かれ独自の想像力を働かせた、ということは誰も否定しないだろう。さらに誰も―ラエーフスキーのように不機嫌な、閉じた心を持っているのではないかぎり―セザンヌが風景にむかって絵筆をふるっている時、かれはその想像力の貧しさをさらけだしているのみだ、とはいうまい。むしろその逆であることを認めるだろう。おなじく僕らもまた、風景の前にあって生きいきと心を働かしている時、それはほかならぬ想像力の作業を行っているのである。
これは風景に対してのみにとどまらない。人物についてもまたおなじことが、むしろさらに明瞭に納得される。フランシス・ベーコンの絵が示す、はっきり描かれた枠組のなかの、逆に溶けて流れ出すような人体は、それを見る僕らにも、人間の肉体やその内面についての不安な想像力をかきたてる。その後では電車のなかですら、周りの人の動きにさそわれて、ベーコンのスタイルにかさねてそれを把握する、自分の眼の働きを感じることがあるだろう。ベーコンは絵画のかたちのレヴェルで、人間の肉体と内面を「異化」している。その「異化」の仕方が、かれの想像力の働きを表現してもいる。僕らの想像力はそれに共振するのである。
(『新しい文学のために』「6 想像力はどんな働きをするか(一)」大江健三郎著)

ここで大江は文学者らしく、絵画のかたちが人間の想像力に与える影響について述べています。セザンヌの山、ゴッホの向日葵、ベーコンの人物を見た後では、そのイメージを抜きにして実際の山や向日葵、人を見ることができないということ、つまり私たちは彼らの「異化」した形象に影響されてしまうのだと言っているのです。
しかしこれらのような、具象絵画の形象における「異化」は、現在の絵画においては特殊な事例になると思います。このような形象のデフォルメは、19世紀から20世紀の絵画において中心的に行われていたことで、現在では絵画の動向のひとつの分野、形式に過ぎません。
現在の美術において、ごく単純に「異化」という理論があてはまりそうなのは、先にふれた「もの派」の事例ですが、しかし私はこの「異化」がもっと広く現代美術の作品にあてはまると考えます。
例えば私は「触覚性絵画」という概念を意識して、このところ絵を描いているのですが、視覚的な表現である絵画において触覚性を意識させる、というのはなかなか困難なことです。そこで私は画面上に意図的に視覚的な違和感を与えることを試みています。コラージュによる視覚的な色や形の分断や、マチエールによる絵画の物質性の強調などの方法です。そして考えてみると、これらの手法は「絵画は視覚的なものである」という既成概念からの覚醒にほかならず、「異化」理論の応用であると私は考えます。
このように現代美術において、それぞれの作品がそれぞれの表現の場における既成概念からの覚醒を試みているのだと思うのですが、その試みこそが「異化」の理論の実践であろうと思うのです。ここで、はじめに大江が書いていたことを思い出しましょう。「異化」の理論というのは、「それが文学表現の言葉でありえているかどうかを、はっきりと見わけさせてくれる」ものなのだ、と彼は書いていました。つまり「異化」の効果が確認できない文章は、文学表現になり得ていない、ということでしょう。これは美術においても、あるいはすべての芸術表現においても、同じことが言えるのだと思います。
いま、新たな芸術作品を生むことに意味があるとするならば、それはその作品と接することで何かの覚醒がなされなければなりません。その覚醒は、何も目新しことでなくても構いません。静かに訪れる覚醒もあるでしょうし、大胆な表現による覚醒もあるでしょう。古い形式の芸術表現にあらたな生命を吹き込むような「異化」もあるでしょうし、斬新な表現形式をともなう「異化」もあるでしょう。
私は、この「異化」の方法論が、大江の語ったように「明快」なものであるのかどうかについて疑問を持ちますが、芸術作品に接するときに心に留めておきたい指標であることは確かだと思います。
私はこの「異化」という理論について、先日から気になっている「想像力」の問題とともに、もう少し理解を深めていきたいと思います。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「ART」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事