少し前のことになりますが、NHK・BS1スペシャル「コロナ新時代の提言~変容する人間・社会・倫理~」というテレビ番組がありました。この番組は、人類学者の山極寿一(1952 - )、哲学者の國分功一郎(1974 - )、「疾病史」を専門とする歴史学者の飯島渉(1960 - )の3人が新型コロナ問題によって浮かび上がる様々な問題を考え、お互いに問いかける、という番組でした。当然のことながら、リモートの録画によるやり取りでしたので、発熱した議論、というふうにはなりませんでしたが、このblogでは「81.『中動態の世界』國分功一郎、『芸術の中動態』森田亜紀」で國分功一郎の著作を取り上げていることもあり、今回、彼がどのようなことを言うのか注目してみました。その発言でいくつかのことが印象に残りましたので紹介しておきます。
そのひとつめは、新型コロナウイルスの感染が進んでいる状況でやむを得ないとは理解しつつも、疫学的な統計が常に優先され、感染者数の数字の背後にいる一人一人の人間が軽んじられているのではないか、という指摘でした。なぜ疫学的な知見ばかりが重要視されるのか、ということへの違和感を持ち続けることが、どのような状況にあっても必要なのではないか、と彼は言っていたように思います。
ふたつめは、ジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben、1942- )というイタリアの哲学者が新型コロナウイルスで亡くなった方を見舞うこともできない現実に対し、死者をこのように遇してよいのか、という疑問を投げかけた、というエピソードを取り上げていたことでした。その結果、アカンベンは感染を心配する人たちからたいへんな抗議を受けたのだそうです。しかしそれにも負けず(?)、アカンベンはさらに人間が「生存する」ことだけを目的としていていいのか、という重たい言葉を投げかけたのだそうです。このことについては、あとであらためて取り上げます。
三つめは、またアガンベンの話になりますが、彼は「移動の自由はどの自由よりも重要だ」と言って、外出禁止にも異議を唱えたのだそうです。これはさすがに、私から見ても感染防止のためにはやむを得ないだろう、と思いましたが、國分によると、移動の自由はどの自由よりも重要だということが、実は私たちが気づかないうちにも広く認識されているというのです。その証拠に刑罰の中で死刑の次に重い刑罰が終身懲役刑で、その罪人は生涯、移動の自由が認められない、ということが罪を償う方法となっているのです。そしてこの新型コロナウイルス感染の状況下で、國分がもっとも感銘を受けた為政者の言葉というのが、ドイツの首相メルケル(Angela Dorothea Merkel、1954 - )の演説で、それはまさに移動の自由の制限を告知するものでした。東ドイツ出身で移動の自由の重大さについて痛いほどわかっている彼女が、それでも今回は移動の自由を制限しなければならない、しかしそれは最小限であるべきだ、と言ったことの言葉の重みを國分は感じ取ったのです。ドイツは数値的にはそれほど成果が上がっていない、という話も耳にしますが、為政者に恵まれない国に棲む者から見るとうらやましい気がします。
ところでさきほどの、アガンベンの人間が「生存する」ことだけを目的としていていいのか、と言ったという話ですが、この問いを聞いたとき、私はどこかで似た言葉を聞いたな、と思いました。それは、(人間は)「タフでなければ生きて行けない。しかし優しくなれなければ生きている資格がない」という言葉でした。これを言ったのは、ミステリー作家レイモンド・チャンドラー(Raymond Thornton Chandler, 1888 - 1959)の小説の主人公で、私立探偵のフィリップ・マーロウでした。ただの娯楽小説の、あるいは娯楽映画の探偵(ハンフリー・ボガート、ロバート・ミッチャムなどが演じていますが、日本では少し前に浅野忠信が演じていて、これもなかなか良かったです)ではないか、と思われるかもしれませんが、人生を考えるきっかけはあらゆるところに転がっています。そのときの人や場面に貴賤はないのではないか、と私は思いますし、それが想像上の人物の行動や言葉であっても重要さは変わらないと考えます。マーロウの言葉は少しきざな言い方になりますが、アカンベンと同じことを言っていないでしょうか?さらに言えば、アカンベンの言葉と違って、コロナウイルスが去ったあとの日常でも考えさせられる言葉になっていますね。それから、人はパンのみにて生きるにあらず、という言葉もありました。考えてみると、私たちは常に日々の生き方のなかで、人間らしさが問われているのかもしれません。コロナウイルスによって、その局面が厳しくも露になった、というふうにも言えます。アカンベンの問いかけは、もう少し、じっくりと考えてみないといけません。
気分を変えて、軽い話をしましょう。余談になりますが、葉山で創業した、プリンで有名な『マーロウ』というお店のビーカー容器に印刷してある帽子をかぶった男のイラストですが、これはたぶんハンフリー・ボガードの演じたマーロウのイメージだと思います。ただ、それならもうすこし目や口元に渋みが欲しいと前から思っていたのですが、みなさんはどう思われますか?見てみたい方は、お店のホームページで確認してみましょう。もう、ずいぶんとお店に行っていませんが、この歳になるとあのたっぷりのプリンは食べきれないかもしれません。
「1984年創業 葉山ビーカープリンのマーロウ」(http://www.marlowe1984.com/)
さて、そのチャンドラーに影響を受け、チャンドラーの小説の翻訳も手掛けている村上春樹(1949 - )が、『村上RADIO』というラジオ番組を2年ほど前から不定期に放送しています。
5月22日(金)の夜には、その不定期放送のさらに特別版の番組を放送していました。それは新型コロナウイルス感染状況下のいま、「明るい明日を迎えるための音楽」というテーマで選曲した番組でした。もうだいぶ時間が過ぎてしまったので、ストリーミングの放送も聞くことができませんが、番組のホームページを開くとそのときの選曲を見ることができます。曲目の解説やリスナーとの質疑応答が文章化されているのですが、それを読むと番組の内容がほぼわかるようになっています。彼のトークや音楽が聴けない分、ビジュアルなイラストやレコードジャケットの写真などが楽しめますから、これはこれで見る価値があります。村上春樹が好きな人、主にポピュラー音楽(洋楽)が好きな人、もしくは興味がある人は、ぜひ見てみてください。
村上RADIO(https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/)
新潮社のWebマガジン「考える人」(https://kangaeruhito.jp/article/14694)
※いまのところ、どちらのホームページでも見ることができます。
選曲を見ると、今回は意図的に広く親しまれている曲を選んでいるようですが、さすがに村上春樹だけあって、選んだヴァージョンが凝っています。いくつか例をあげておきます。
●『Raindrops Keep Falling On My Head(雨にぬれても)』
Isley Meets Bacharach
映画『明日に向かって撃て』(1969)で使用され、B.J.トーマスの歌で大ヒットしましたが、村上春樹が選曲したのは作曲者のバート・バカラックがアイズリー・ブラザーズのリードシンガー、ロナルド・アイズリーと組んで作ったレコードからのヴァージョンです。村上春樹は“I'm never gonna stop the rain by complaining.”「いくら苦情を並べたところで、それで雨がやむわけじゃないだろう」という歌詞が好きなのだそうです。この歌詞の部分は、軽やかなリズムに乗せて歌われるところで、B.J.トーマスの歌を数えきれないほど聞いていますが、歌詞を意識したことはなかったです。勉強になりました。
ちなみに、B.J.トーマスは『雨にぬれても』ばかりが有名ですが、実は白人のカントリー系の歌手でありながら、ゴスペルやソウルの要素も合わせ持った偉大な歌手です。その意味ではエルヴィス・プレスリーと似ているのかもしれません。『Just Can't Help Believing』という曲は、B.J.トーマスの歌をエルヴィスがカバーしています。それから『Mighty Clouds of Joy』という曲を聴くと、B.J.トーマスの熱い歌唱を聴くことができます。YouTubeで彼の最近の映像を見ると、『雨にぬれても』の高音部が出なくて、ちょっと気の毒な感じがしますが、これはB.J.トーマスの本来の姿ではないので念のため。
●『You've Got A Friend(君の友だち)』
Carole King
キャロル・キングの歌も良いけれど、本来はキャロル・キングの「友だち」のジェームス・テイラーの歌で大ヒットした曲です。それを村上春樹はキャロル・キングのデモテープの歌唱で選曲しているところが一ひねりです。名曲だし、内容が人類愛の歌としても受け取れるので、ソウルやゴスペルの分野でもよく取り上げられている曲です。たぶん、ものすごい数の名歌唱、名演奏があるのでしょうが、あえて作曲者のキャロル・キングがデモとして作った素朴なヴァージョンを選んで、この状況下でのリスナーの心に届けよう、という選曲の意図がうかがわれます。キャロル・キングは「ルックスにコンプレックスがあった」から、あんなに素晴らしいヒット曲を作曲していながら歌手としてのデビューが遅かった、というエピソードをさりげなく村上春樹が教えてくれますが、『Tapestry』のジャケットのジャージーな姿からは想像もできません。
個人的には、「冬、春、夏、秋、君のやらなければならないことは(私を)よぶことだけ、それですぐにそこにいくよ」という歌詞が心にしみます。そういうふうに人から頼ってもらえる「友だち」になりたかったのですが、いつの間にか人からいたわられる老人になってしまいました。
●『Put on a Happy Face』
Tony Bennett
これはトニー・ベネットのデュエットのレコードですが、歌の相手は先ほどの話にも出てきたジェームス・テイラーです。ジェームス・テイラーはフォークギターを爪弾きながら、素朴に歌うフォーク歌手のイメージがありますが、ライブでの歌には素晴らしい声量と声の張りがありますし、ここではトニー・ベネットを相手にジャズ風の歌いまわしを披露しています。彼はリズム感の良さが素晴らしくて、実はアップテンポの曲も得意なのです。ちなみにジェームス・テイラーの妹ケイト・テイラーの曲も、今回、選曲されています。ジェームス・テイラーの兄と弟がミュージシャンだということは知っていましたが、実はテイラー兄弟の全員がミュージシャンだそうです。これはインターネットで得た情報です。
●『My Favorite Things』
Featuring Kathleen Battle、Al Jarreau
ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の名曲をクラシックのキャサリン・バトルとジャズのアル・ジャロウがデュエットで歌っています。互いに特徴を出し合っていて、それが調和しているのかどうか、ちょっと微妙な感じです。ジョン・コルトレーンをはじめ、ジャズの名演も多い曲だと思いますが、今回の選曲では、もっとも意表を突かれた感じです。
こんな調子で一曲一曲を書き出すと、長くなりそうなのでこのあたりでやめます。ブルース・スプリングスティーンやボブ・マーリー、ルイ・アームストロングなどの「直球勝負」という感じの選曲もありますが、それぞれに独自のコメントが付されていて、へえ、そうなの、とか、やっぱりね、といった感想を抱かせるところがさすがです。
そして、リスナーからのコメントに対する村上春樹の回答をひとつだけ、紹介しておきます。このリスナーは23歳の女学生で、帰省も出来ずにひとりで下宿にこもって孤独感に耐えている、という方です。
<村上春樹のコメント>
僕は一人っ子だし、一人でいることはもともとあまり苦痛じゃないんです。人に会わなくても、人と話さなくても、あまり淋しいとは思いません。一人で本を読んだり、音楽を聴いたり、文章を書いたりしているのは好きですし。でも若いときに一度、二十歳の頃ですが、孤独の「どつぼ」みたいなところにはまっちゃったことがありまして、これはかなりつらかったです。本物の孤独というのはこれほど厳しいことなんだと、そのとき初めて実感しました。うーん、でもそういう時期を経験したおかげで、多くの大切なことが学べました。それは、「人は一人じゃ生きていけないんだ」ということです。人を求め、人に求められることの大事さです。あなたもきっと今は、そういうことを学ぶべき時期にいるのだと思います。今は我慢して、学ばれるといいと思います。時にはひとりぼっちになることも大事です。淋しいでしょうけど、がんばって下さい。トンネルには必ず出口があります。
(『村上RDIO』ホームページより)
村上春樹のいうように、もしもあなたが孤独を感じていて、自分なんかは「人に求められる」ことなんかない、と思い込んでいるとしたら、そのトンネルからはいずれ出られると思います。ほんとうは、すでにあなたを必要としている人がいるのではないでしょうか。そのことに、はやく気が付くとよいのですが、そうでなくてもあわてる必要はありません。新型コロナウイルスとの付き合いは長くなりそうですから、私たちも気を長くして取り組みましょう。
さて、今回もう一人、村上春樹もたぶん、そうとうの影響を受けたであろうリチャード・ブローティガン(Richard Brautigan、1935 - 1984)という作家の『アメリカの鱒釣り』(1967)という小説をご紹介したいと思います。
なぜかといえば、ブローディガンの書いた『西瓜糖の日々』(1968)という小説に出てくる不思議な場所、「iDeath(アイデス)」の閉塞感が、今の状況と関連するような、そうでもないような、そんな複雑な感じを抱かせるからです。単純に具体的な何かの危機や状況を想起させるような小説ではないのですが、それだけに重たい感触が何か心にひっかかるのです。それがどうしてなのか、は次回のblogで説明しましょう。
そんなわけでブローディガンのことを思い出したのはいいのですが、ここまで村上RADIOのことなどいろいろと書いてしまって、だいぶ長くなってしまいました。今回は『西瓜糖の日々』まで行きつけそうもありません。『西瓜糖の日々』にいくまえに、『アメリカの鱒釣り』について触れておきたいので、今回はそこまでとして、次回『西瓜糖の日々』から話を始めたいと思います。
とはいえ、いつものように先に正直に書いておくと、私はブローディガンの熱心な読者というわけではありません。彼の本は『アメリカの鱒釣り』と『西瓜糖の日々』、そして『愛のゆくえ』(1971)の三冊の文庫本を持っているだけです。たぶんその三冊が、ブローディガンにとっての主著だと言えるのだと思いますが、あまり自信はありません。とにかくこの三冊から読みとれる範囲でブローディガンの紹介を試みる、ということをご承知おきください。もっと詳しい、アメリカ文学通の方が読んでいらしたら、門外漢の雑文で申し訳ないです。
それではまず、リチャード・ブローディガンという作家について触れておきましょう。ブローディガンは1964年に、29歳で小説『ビッグ・サーの南軍将軍』によってデビューしました。彼は1960年代のはじめにこの『ビッグ・サーの南軍将軍』と、『アメリカの鱒釣り』、『西瓜糖の日々』を同時期に書き上げていたようですが、有名になったのは『アメリカの鱒釣り』が出版された1960年代後半です。そしてヒッピー文化が花開くなかでブローディガンは一躍、時代の寵児となったのです。勘のいい人は、彼がビート・ジェネレーションの一人ではないか、と思われるかもしれませんが、少し時代がずれています。だいたいビート・ジェネレーションの作家はブローディガンより10歳ぐらい年長で、彼らがだいたい大卒か大学中退の高学歴を持っていたのに対し、ブローディガンは家が貧しく、職業を転々としながら23歳ごろにサンフランシスコに出てきたのだそうです。そして30歳代の半ばで時代のヒーローとなり、ほどなく忘れられてしまいます。
だが、やがて、時は流れる。あらゆる価値の転換を願う若者たちは少しずつ社会の中へ戻っていき、ブローディガンの文学は少しずつ忘れられていった。その時だった。彼の死が伝えられたのは。
ブローディガンが死んだのは、時代に置き去りにされたから?自分の文学がもう古くなったことに絶望したから?なにも書けなくなったから?
確かに、そのどれもに、少しずつその原因が含まれているにちがいない。けれど、ぼくは、多くの優れた作家たちと同じように、彼の自殺は、彼の生涯という作品を完成させるものだったのではないかと思うのだ。
(『愛のゆくえ』「解説/ブローディガンと作家の死」高橋源一郎)
ブローディガンは1984年にカリフォルニアの自宅で、ピストル自殺をしたところを発見されたのでした。高橋源一郎が書いているように、ブローディガンは1970年代になると次第に忘れられていきます。いろいろな解説を読むと、彼の晩年はアメリカ本国ではほとんど顧みられず、むしろ日本において読まれ続けたそうです。それは藤本和子(1939 - )の翻訳の力が大きかった、と影響を受けたのちの作家たちが書いています。ブローディガンの『アメリカの鱒釣り』が日本で翻訳されたときのことを、翻訳家の柴田元幸(1954 - )がこう書いています。
そんなわけで、『アメリカの鱒釣り』邦訳が書店に並んだとき、ほかの人たちはともかく、僕は小説から「人生の意味」「作者の教え」を読みとらねばならないという思いにいまだ囚われていた。そういうなかで、こんなふうに、作品を意味に還元するよりも、まずは一行一行の奇想ぶり、変化に富んだ語り口の面白さ、その背後に見える憂鬱などに耽溺するように誘ってくれているように思える小説に出会って、ものすごい解放感を感じたのだった。
自分のことから離れて少しだけ風呂敷を広げると、60年代は政治の季節であり主張の時代であったのに対し、70年代は、シラケの時代ともいわれると同時に、すべてのことに意味を見出さなくてもいいのかな、ということが少しずつ見えてきた時代という気もする。あまり過剰に(それこそ)意味を見出そうとは思わないが、『アメリカの鱒釣り』邦訳刊行が1975年1月20日、柄谷行人『意味という病』刊行がそれから1か月も経たない同年2月15日というのは、何やら偶然以上のものを感じてしまう(トーキング・ヘッズのディヴィッド・バーンが「ストップ・メイキング・センス=いちいち意味づけるのはやめようぜ」と呼びかけるのはもうしばらくあとの1984年)。60年代のカウンターカルチャーと結びつけて考えられることの多いブローディガンだが、その意味で日本では、70年代の空気を結果的にリードするような役割を果たしたとも言える気がする。
(『アメリカの鱒釣り』「解説/『アメリカの鱒釣り』革命」柴田元幸)
柴田元幸は私よりも年長ですが、ここに書かれている『アメリカの鱒釣り』や『意味という病』が刊行されたときは20歳そこそこのはずです。それでも、こういった状況を同時代的に感受できる知性と感性があったのですね。恥ずかしながら、私はかろうじてそれから10年後のトーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』を同時代的に聞きましたが、それが「いちいち意味づけるのはやめようぜ」と呼びかけられているとは理解していませんでした。
それはともかく、このように読むと、ブローディガンの文学は本国アメリカのヒッピー文化の影響とは別に、1970年代以降の日本におけるモダニズムからの脱却の時代とリンクしていたようです。
それでは、『アメリカの鱒釣り』がどのような本なのか、紹介してみましょう。これは小説というよりは、散文詩のつながったもの、といった方が適切なのではないか、と思います。こまかな章に分かれて書かれていますが、それらをつなぐ大きな物語はありません。「アメリカの鱒釣り」というイメージのようなもの、そこから発想されるものだけのつながりで、文章が紡がれていきます。例えば、その出だしはこんなふうです。
『アメリカの鱒釣り』の表紙(章題)
『アメリカの鱒釣り』の表紙は、ある日の午後おそくに写された、サン・フランシスコのワシントン広場に立つベンジャミン・フランクリン像の写真である。
1706年に生まれ-1790年に死んだベンジャミン・フランクリンは、まるで内部に石の家具を備えた家であるかのような台座の上に立っている。片方の手に数枚の紙幣、もう片方には帽子を持って。
そして銅像は大理石語でいうのだ。
間もなく
われらのあとを継ぎ
そして死んで行く
われらが少年少女のために
H・D・コグスウェルにより
寄贈された
銅像のまわりには、世界の四つの方角に向けて、四つのことばが彫りつけてある。東に向けて、ようこそ、西に向けて、ようこそ、北に向けて、ようこそ、南に向けて、ようこそ。銅像のすぐうしろには三本のポプラ。てっぺんを除いては、ほとんど葉がない。銅像はまんなかのポプラの前に立っているのだ。二月上旬、雨のせいで、銅像をとりまく芝生はどこもかしこも濡れている。
(『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローディガン著 藤田和子訳)
これがこの章の前半部分なのですが、すでにけむに巻かれたような気持になっていることでしょう。少しヒントを書いておくと、この「『アメリカの鱒釣り』の表紙」は実際の『アメリカの鱒釣り』の表紙の写真についての言及しています。そこには帽子をかぶったブローディガンらしき人が立っていて、後ろに銅像の姿が見えています。それがおそらくベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, 1706 - 1790)の銅像です。フランクリンは雷と凧の実験で有名な人ですが、いわばアメリカを象徴する人物といってよいでしょう。一方でH・D・コグスウェルとは、誰でしょうか?「この男は熱烈な禁酒運動家であったらしい」と訳者注に書いてあります。歯医者の見習いから百万長者になりあがった人らしいのですが、その富を活かして熱心に銅像と噴水を建てたのだそうです。しかし「芸術的な価値がすこぶる低いという理由で」そのほとんどが残っていないとも書かれています。要するに、どうでもいい人が建てたフランクリンの銅像からこの小説は始まっているのです。柴田元幸が言うように、文学というのは何か大切なものを、その深い意味をさぐって書かなければならないものだ、と考えると、この小説はあえて気まぐれで撮影した表紙の写真のどうでもいい銅像から語り出している、という点で違和感があります。その一方で、フランクリンにしてもコグスウェルにしても、それぞれ違った意味でアメリカ的な人物、アメリカを象徴する人です。『アメリカの鱒釣り』が、文字通り「アメリカ」に関する文学作品だとするならば、この章のモチーフに深い意味はないものの、アメリカ的なものにはしっかりと感覚が向けられているのです。たぶん、その感覚の良しあしが、この本の成否を分けるカギになるのでしょう。
それでは逆に、この本の終わりの章はどうなっているのでしょうか。短い章なので、全部書き写してみます。
マヨネーズの章(章題)
1952年2月3日
親愛なるフローレンスとハーヴ。
グッド氏の逝去の報せ、たった今、イーディスから聞きました。心からおくやみを言います。安らかに永眠されますように-。あの方は幸せに長生きし、亡くなられてもっと良いところに行かれたのです。あなた方としても予期していたことでしょう。かれにはもうわからなかったとしても、昨日、あなたがたが行って会ったのは何よりでしたね。祈りと愛をこめて-。近々、会いましょう。
あなたたちに紙の御加護がありますように。
追伸
あげるの忘れてしまって、ごめんなさいね、例のマヨネーズ。
(『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローディガン著 藤田和子訳)
え、なぜマヨネーズ?と思いますよね。
ブローディガンは「かねがねマヨネーズということばで終る小説を書きたいと思っていた」と訳者あとがきで藤田和子は書いています。私の読みとったかぎりで、その理由はこんなことです。
この『アメリカの鱒釣り』の大きなモチーフとして「アメリカ」という言葉があります。そのアメリカの文学と言えば、メルヴィル(Herman Melville、1819 - 1891)の『白鯨』(1851)とか、ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899 - 1961)の男っぽい冒険的な作品、というイメージがあります。しかし、アメリカのいまの現実はそういうイメージではありませんし、ブローディガン自身もそういう男ではありません。
その一方でメルヴィルにとっての「鯨」、ヘミングウェイにとっての「男らしさ」という言葉、あるいはイメージを文学的な主題として追究していく姿勢について、ブローディガンはとても尊重しているのです。ここが理解の難しいところですが、ブローディガンの小説や詩は、それまでの文学作品のような深い意味はないのですが、そこに使われた言葉が喚起するもの、言葉がイメージする力についてはとても敏感なのです。藤田和子は、こう説明します。
『アメリカの鱒釣り』は、かくて、マヨネーズということばで閉じられる小説である。マヨネーズということばには、鯨ということばがもつ伝統も格式もない。作者はそういう小説を書きたかった。そして、書いてしまった。そしてわたしたちには、作者の笑う声がきこえてくるのだ。
(『アメリカの鱒釣り』「訳者あとがき」藤田和子著)
いかがでしょうか。だんだんと『アメリカの鱒釣り』が理解できてきましたか?いや、理解という言葉は適切ではありませんね。私にも、この本が何なのか、本当のところはわからないのです。けれども大切なのは、たぶん、何を感じ取るのか、ということでしょう。
最後に真ん中あたりの章を、書き写してみます。
FBIと<アメリカの鱒釣り>(章題)
親愛なる<アメリカの鱒釣り>
先週のことだが、勤め先まで行くんで、マーケット通りを歩いていた。FBIの特別手配犯人の写真が一見の店のウィンドウに出ていたよ。その中の一枚は、紙の両端が織り込んであるもので、写真の下についた説明文が読めなかった。写真を見ると、そばかすで巻毛(赤毛?)、なかなかの男前で、きちんとした感じの男だがね。
容疑:
リチャード・ローレンス・マーケット
別名:リチャード・ローレンス・マーケット、リチャード・ロレンス・マーケット
当容疑者に関する事実等:
26、1934年12月12日 オレゴン州ポートランド生まれ
170-180ポンド
筋肉たくましい
薄茶、短く刈っている
青
顔色:赤みを帯びている
人種:白人
国籍:アメリカ
職業:自動車修
自動車タイヤ再生
土地測量ロッド
徴:6インチの脱腸手術のあと、前はく右
腕に入れ墨「おっかあ」(花輪模様の中に)
顎総入れ歯 下顎にも義歯ある可能性。 たびたびバ
に出入りする。鱒釣狂。
(両端の文字が折り込まれてしまって、ビラはちょうどこんな具合になっていたが、これ以上はわからない。いったい何の容疑なのかも)
ふるき友
パード
親愛なるパード
きみの手紙を読んで、先週、FBI捜査官二名が鱒のいる川をじっと見つめていたわけがわかったよ。木々のあいだを縫って流れ、それから黒い大木の切り株の周囲を巡って深い池が注いている川だった。かれらはじっと見つめていたのさ。池の面に鱒が上ってきた。FBI捜査官は、たった今コンピューターから出てきたカードに開いた穴でも調べるように、水路や木々黒い切り株や鱒をみていたよ。午後の太陽が空を横切ると、地上のものすべてが様々に変化した。太陽の動きにつれて、FBI捜査官の姿もどんどん変化した。かれらはそういう訓練も受けているのだね。
きみの友
Trout Fishing in America (手書きの署名)
(『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローディガン著 藤田和子訳)
行が折れ曲がって文字が切れているところなど、すべて左詰めですみません。でも、だいたいこんな感じです。この『アメリカの鱒釣り』のなかには、ふつうに文章が綴っている章もありますし、このように手紙の形式、報告書の形式の章もあります。考えてみると、私たちは日常的にさまざまな形式の文書に触れ、それなりに内容を面白がって読むこともあるわけで、そう考えるとすべての文書の形式が文学になりうるのかもしれません。レディメイドのオブジェや壁の落書きが美術作品に見えることがあるように、というところでしょうか。
ちょっと生煮えでしたが、次回は、『西瓜糖の日々』について書いてみます。
『アメリカの鱒釣り』よりは、大きな物語がある分だけ読みやすいかもしれませんが、その細部にどのような意味があるのか、と考えてしまうと迷子になってしまう作品です。
そのなかで、もう少しブローディガンの文学について、いまそれを振り返る意味について考えてみましょう。
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