前々回のblogで新型コロナウイルスの感染症対策が社会的に緩和されている中で、首都圏の美術大学はどうなっているでしょうか、という話をしました。
今日の昼間に調べてみると、ひとつの例ですが、武蔵野美術大学は第2段階の入構規制解除により多数の学生が大学に来ることを想定し、昼休みを長くする時程変更を告知しています。これは昼食の混雑を緩和し、午前に使用した施設の消毒をするためだ、というふうにきわめて合理的な説明が書かれていました。たぶん、この対応がもっとも先進的な取り組みだと思われますが、そのほかにも学生の入構禁止措置の緩和を進めていくことを予告している大学がいくつかあります。しかし、その一方で9月まで原則入構禁止という大学もあって、これはとても残念です。
何が正しいのか私にもまったくわかりませんし、感染の不安は消えません。しかし、もっとも感染が心配されている東京都が飲食店の営業を夜0時まで認め、カラオケ店の営業も可能とする「ステップ3」に踏み出す中で、大学が学生の入構を禁止する理由は、もはやないと考えます。むしろ、いま細々とでも学校を開いて、感染の次の波が来たときにどのようにして教育を継続していくのか、ということを真剣に考え、備えるべきタイミングではないか、と思います。一人の学生にとっての一年間は、かけがえのない時間です。いま在学している学生たちを犠牲にすることは許されません。それぞれに学校の状況は異なるとは思いますが、対応の遅れている大学には、ぜひ前向きの検討をお願いしたいところです。
私の勤めている高校では、現在分散登校を実施しています。今月末には時差通学ではあるものの、全校生徒が一斉に登校します。県が定める感染防止のマニュアルは、分散登校をイメージしているので、一斉の登校になった時の不安は消えませんが、やはり分散登校では授業が進みません。昨日は休日でしたが、高校の工芸室で実習机用の飛沫防止パーテーションを作ってみました。アクリル板の市販のものだと数千円もするので、生徒の作品を保存する棚の網の仕切り板をとりはずし、それを立てて木片で固定し、その網の部分にビニールを張る、という予算0円の優れモノです。でも、数十個作るとなるとたいへんですし、木片の形が不ぞろいで、出来上がったものを並べてみると現代美術の作品のようです。はじめは段ボールで作ろうと思って古紙の段ボール箱を集めてみましたが、形状を安定させるのが難しく、その膨大な失敗作を見るとなぜか笑ってしまいます。日々の業務も増える一方ですが、年寄りの教師として若い先生方から疎まれつつも、ここは何とかついていくしかありません。
そんなたいへんなことばかりですが、例えばいま、通勤・通学の交通混雑が深刻な問題として浮上していますが、これはよいことだと思います。もっと人間らしく、普通に移動できる手段を日ごろから考えるべきなのです。あわせて美術ファンとしては、美術館の混雑も何とかしてほしいですね。人が集まらないと採算が合わない、という発想がすでにだめだと思います。文化的なことには恒常的な補助が必要で、そうしないと広いスペースにゆったりと作品を展示することもできないでしょう。そして金は出すけど口は出さない、という公としてのけじめが必要です。そういう文化的なレベルの高い人を選挙で選ぶ努力が、われわれにも必要なのだと痛感します。
さて、今回は前回のリチャード・ブローティガン(Richard Brautigan、1935 - 1984)の創作に関する話の続きになります。
ブローディガンは1964年に小説『ビッグ・サーの南軍将軍』を最初に出版しました。そして、私の持っている本の中では『アメリカの鱒釣り』(1967)、『西瓜糖の日々』(1968)、『愛のゆくえ』(1971)の順に小説を発表していきました。彼は『アメリカの鱒釣り』の出版後に成功をおさめたのですが、それまでは書いたものを発表するのもたいへんだったようで、68年に発表した『西瓜糖の日々』も1964年に書き上げられた作品です。この時間差はなかなか重要で、例えば『西瓜糖の日々』の文庫の解説で、翻訳家の柴田元幸(1954 - )は次のように書いています。
作品が書かれた時期を知らなかったら、この『西瓜糖の日々』という小説を読んだ読者は、これは60年代後半のカウンターカルチャーから生まれたヒッピーふう共同体の命運を描いた寓話だと思うかもしれない。しばし熱く燃えて、その後急速に冷めていった時代の空気を、哀惜と皮肉の入り混じった思いで再現した作品ではないか、と。
だが実は、これが書かれたのは1964年の5月から7月、世にはまだヒッピーもフラワーチルドレンも登場していない時期である。ビートルズもまだ髭すらのばさず、背広を着てテレビに出ている。ブローディガン自身、彼を一躍ヒッピー世代の偶像に仕立て上げることになる『アメリカの鱒釣り』もいまだ刊行されておらず、単なるサンフランシスコ在住の無名作家・詩人にすぎない。
(『西瓜糖の日々』「解説」柴田元幸)
1960年代を振り返るとき、私たちは得てしてその時代の作品を、ヒッピー文化やフラワーチルドレンと重ね合わせて考えてしまいがちです。しかもブローディガンはその時代の寵児であったわけですから、彼が同時代の若者の運命を寓話として描いたのではないか、と思い込むのも無理はありません。そのうえ、この『西瓜糖の日々』という小説には、そういうふうに思わせる要素があります。例えばこの小説にはアイデス(iDEATH)という不思議な場所が出てきますが、これは地名というよりは小さな共同体の名称のように読み取れます。そして1960年代の作品ですから、このアイデスはヒッピーのように一般社会からの離脱を求めた人々の共同体であり、アイデスで起こった事件は現実のヒッピーたちの命運を描こうとしたのではないか、というわけです。
しかし、そう思って読み始めると、これは何の寓意なのか?と考えてしまうことが多く、うまく解釈できません。それにブローディガンがアイデスにヒッピーを重ね合わせたのなら、もうすこしアイデスを肯定的に描いてもよさそうなものですが、そうでもありません。アイデスには何か不安なものが漂っていて、それが悲愴な事件につながってしまうのです。このように容易な解釈を許さないところ、単純な善悪で割り切れないところが、『西瓜糖の日々』にある種の普遍性を持たせているのではないか、と考えます。
それでは、『西瓜糖の日々』の物語を追いかけてみましょう。『アメリカの鱒釣り』と違って、『西瓜糖の日々』には、物語と言えるような流れがあります。それはこんなふうにして始まります。
いま、こうしてわたしの生活が西瓜糖の世界で過ぎてゆくように、かつても人々は西瓜糖の世界でいろいろなことをしたのだった。あなたにそのことを話してあげよう。わたしはここにいて、あなたは遠くにいるのだから。
あなたがどこにいるとしても、わたしたちはできるだけのことをしてみなければならない。話を伝えるためには、あなたのいるところはとてもとても遠く、わたしたちにある言葉といえば、西瓜糖があるきりで、ほかにはなにもないのだから。うまくゆけばいいと思う。
わたしはアイデス(iDEATH)のすぐ近くの小屋に住んでいる。窓の外にはアイデスが見える。とても美しい。眼を閉じてもアイデスは見えるし、手で触れることだってできる。いまそれは、冷たく、子供の掌に握られたなにかのように回転する。そのなにかがなにであるか、わたしにはわからない。
アイデスは、どこか脆いような、微妙な感じの平衡が保たれている。それはわたしたちの気に入っている。
小屋は小さいが、わたしの生活と同じように、気持の良いものだ。ここの物がたいがいそうであるように、この小屋も松と西瓜糖と石でできている。
わたしは西瓜糖で心をこめて生活を築いてきた。そして、松の木と石の立ち並ぶいくつもの道を辿って、わたしたちの夢の果てまで旅をしてきた。
わたしは寝台をひとつ、椅子を一脚、テーブル一台、それにいろいろな物を納っておく大きな箱をもっている。夜になると西瓜鱒油で燃えるランタンもある。
そう、この西瓜鱒油のランタンときたらたいしたものだ。そのことは、またあとで話そう。わたしの生活は静かに過ぎてゆく。
(『西瓜糖の日々』「西瓜糖の世界で」ブローディガン著 藤田和子訳)
この「西瓜糖」とはいったい何でしょうか。物語の中に入っていく前に、やはり気になります。
西瓜を切ってミキサーにかけて、絞った果汁を煮詰めて糖汁を作る、という「西瓜糖」は実際にあるようで、インターネットで検索するとなかなかの高級品(?)としてオンライン上で売っています。しかしこの物語の中の西瓜糖は、小屋を作る材料であったり、油であったり、さらにこのあとを読み進めると西瓜糖の橋があったりして、現実の西瓜糖だと考えるとつじつまが合わなくなります。訳者の藤田和子は次のように解説しています。
西瓜糖。西瓜糖は甘いだろうが、けっしてそれは濃厚な甘さではないだろう。西瓜の果肉のことを考えてみても、そこには過度な感じというのは不在だ。西瓜糖の村というのも、おそらくそういう場所なのだ。過度な感じというのがなくて、屈折の少ない世界。透明で静かなのだ。原題はIn Watermelon Sugarだが、これはきっとWe lived in cloverというような場合のイディオムが発想のはじめのところにあったことと思う。We lived in cloverというのは、牛がじゅうぶんにクローバーの葉を食べて暮らすように、「われわれはなに不足なく暮らした」という意味で、このin cloverがIn Watermelon Sugarになったのだろうと思う。
(『西瓜糖の日々』「訳者あとがき」藤田和子)
ということは、そもそも「西瓜糖」とは言葉の遊びのように「in cloverがIn Watermelon Sugarになった」ということなのでしょうか。そこから「西瓜糖」という言葉が、現実の物質としてどんなものであるのか、ということを越えてどんどんイメージだけが横滑りしていってしまったのでしょう。
それでは、このアイデスのすぐ近くの小屋に住む「わたし」は誰でしょうか?わたしは「きまった名前を持たない人間のひとり」だといいます。「あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ」というのです。そして「わたし」は、アイデスのことやその周辺のことを書く執筆活動をしています。
そういえば、ブローディガンから影響を受けたであろう村上春樹(1949 - )の初期の長編小説も、主人公に名前がありません。『ノルウェーの森』を読んだとき、ワタナベという名前が出てきて、おや、と思った覚えがあります。具体的な名前が表記されることで、小説の世界はこんなに変わるのか、というようなことを、『ノルウェーの森』を貸してくれた女性と話したことを思い出しました。懐かしくて楽しい思い出ですが、彼女はどうしていることでしょうか。それはともかく「あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ」というブローディガンの指摘は、まさに真実だと思います。「ワタナベ」という具体的な名前が出てきたときの違和感のようなもの、これは村上春樹の小説を同時代的に読んできた人なら、わかっていただけるのではないでしょうか。とにかく、この小説では他の人たちには名前があるのに、「わたし」には名前がないのです。
「わたし」には「マーガレット」という前の恋人がいて、いまは「ポーリーン」と付き合っています。マーガレットとポーリーンは仲の良い友人だったのですが、いまは疎遠です。このマーガレットの不穏な行動が、物語全体の不安な要素と響き合っています。
ところでこの本によると、かつて「虎たちの時代」と呼ばれた時期があって、「わたし」の両親はある朝、「わたし」の目の前で虎たちに食べられてしまいます。その虎たちが両親を食べなら、「子供には手を出さない」と言って、「わたし」に話しかけてきます。「わたし」は「算数を手伝ってほしい」と虎に言い、「そのうちの一頭は算数を手伝ってくれた」というのですから、あまり悲愴感がありません。しかし、その虎たちはアイデスの人たちに殺されてしまい、虎たちの時代は終わります。
この不思議な虎たちとは別に、「忘れられた世界」というものが存在します。それは昔からある世界なのですが、遠くにあって、アイデスよりもはるかに広い世界のようです。マーガレットと恋人だった頃に「わたし」たちは二人で「忘れられた世界」に行きます。「忘れられた世界」の入り口近くの「雨漏りする惨めな小屋」には「インボイル」とその仲間たちが集い、住んでいます。彼らは全員男で「碌でなし」です。そして「忘れられた世界」の中には植物も動物も存在せず、「草の葉一枚見あたらず、鳥たちもその上をと飛ぶことはない」という殺伐としたところなのですが、マーガレットはなぜか「忘れられた世界」に魅かれ、頻繁に通うようになります。直接書かれてはいませんが、そのこととふたりが別れたことは関連しているようであり、マーガレットは別世界の人となってしまって「わたし」を悩ませます。
その「忘れられた世界」の近くに住むインボイルが、仲間を引き連れてアイデスに来ます。インボイルは、おまえたちはアイデスのことがわかっていない、と言います。そして「アイデスがどういうものであるか、みせてくれる」「鱒の孵化場へ行こう」と言って、アイデスの人たちを鱒の孵化場へ集めます。この鱒の孵化場は、かつて最後の虎が殺され、焼かれた場所なのです。インボイルはこう言います。
「いいか、こういうことだ。おまえたちはアイデスで何が起こっているかわかっていない。虎たちのほうがおまえたちよりわかっていた。おまえたちは虎たちを残らず殺して、さいごのやつをここで焼いた。
それは全部まちがいだったぜ。虎たちを殺してはいけなかったんだ。虎たちこそ、アイデスの真の意味だった。虎たちがいなければ、アイデスもない。おまえたちが虎たちを殺しちまったんで、アイデスも消えちゃったよ。それからというもの、ここでおまえたち阿呆のように暮らしてきた。おれがアイデスを甦らせてみせる。おれとおれの仲間がな。もう長いこと、計画してたんだ。いよいよやるぞ。アイデスはふたたび甦る。」
(『西瓜糖の日々』「インボイルのアイデス」ブローディガン著 藤田和子訳)
そう言って、インボイルとその仲間はジャックナイフを取り出し、自分の親指を切り落とします。そして「これでこそアイデスなのだ」と言って鼻を切り落とし、耳を切り落とし、出血多量でみんな死んでしまいます。何とも凄惨な場面ですが、「わたし」の彼女のポーリーンは「モップを取ってきて、この汚らしいものを掃除するのよ」と言って部屋を出て、血だらけの部屋をふき取っていきます。死に際に「おれはアイデスだ」と言うインボイルに対し、「あんたはトンマよ」と言ってモップについた血をバケツに絞り出すのですから、そうとう気丈な女性です。
そして、最後の章ではマーガレットの死について書かれています。マーガレットはインボイルの事件を知り、ショックを受けたようにも、あるいはポーリーンと「わたし」との関係を受けいれきれなかったようにも読みとれます。そしてマーガレットは、林檎の木に首をつって死んでしまうのです。マーガレットの遺体は鱒の孵化場に置かれ、西瓜糖で作られた死装束をまとってていねいに葬送されます。ポーリーンはたいへんなショックを受け、自分たちの関係のせいでマーガレットは自殺したのではないか、と悩みます。
アイデスでは、葬式の後で鱒の孵化場でダンスをすることになっています。この小説は、マーガレットの葬式後のダンスのために人々が集い、楽団員が楽器を準備して日没を待っているところで終っています。
最後のページに、この小説が1964年の5月13日から7月19日にかけて、どこで誰のために(3人の名前が記されています)書かれたのか、断り書きが記されています。
こんなふうに、小説のあらすじを書いてしまうことは、いわゆるネタバレになってしまって、よくないのかもしれませんが、私の拙い文章ではこの物語の面白さは味わえません。小一時間もあれば読み終えられる本ですから、興味があったらぜひ本を手に取って、読んでみてください。
それにしても、不思議な物語です。凄惨な話ですが、生々しい残酷さはなく、先ほども書いたように善も悪も、そして純粋さも不純さも入り乱れていて、誰が(何が)どちらの側なのか簡単に判断ができません。穏やかに暮らしているように見えるアイデスの人たちですが、以前には虎たちを殺してしまった過去があります。それを告発するインボイルたちは「碌でなし」として描かれていて、最後には自らの身体を切り刻んで死んで行きます。それに「忘れられた世界」は何を意味するのでしょうか?マーガレットはなぜ、その世界に魅入られてしまったのでしょうか?それらのことも、何の説明もないのでよくわかりません。
しかし、例えばコロナウイルスの感染に脅かされて、何をすることが良いのかわからず、不安なままに時間が過ぎていくいまの状況とこの不気味な物語は、どこかでつながっているような気がします。死と隣り合わせであるような「忘れられた世界」は、未知のウイルスが潜む不明な場所のようにも思えますし、乱開発によって自然界のバランスを崩してしまっている私たちは、虎たちを殺してしまったアイリスの人たちと似ているのかもしれません。その暗い世界に魅入られてしまったマーガレットと、現在を力強く生きようとするポーリーンは、もしかすると心が折れそうな私たちの暗い側面と、それでも立ち向かおうとする明るい側面と、私たち自身が内面に持っている二面性を象徴しているのかもしれません。
もちろんブローディガンがそんな現在の状況を予想できるはずもなく、彼の内側からたったの数か月であふれ出てしまった物語が、時代を超える普遍性をもってしまった、ということなのでしょう。その人間のイメージを喚起する力にとても興味が湧きます。才能がある人には、このような魔法が降りてくるものなのでしょうか。
しかし、その魔法は永遠に効力を発揮するわけではないようです。
わからないところはそのままにして、次の物語を見ていきましょう。
そのブローディガンが、次に発表したのが『愛のゆくえ』です。
『愛のゆくえ』は、とても魅力的な図書館が物語の中心になります。この図書館は通常の図書館とは違い、本を借りるところではありません。本を書いた人が、本を持ち込むための図書館なのです。この図書館にも開館時間があり、朝9時から夜9時までと決まっていますが、本を持ち込む人はどんな時間にでもやってきます。
例えばあるおばあさんは午前3時にやってきて、『ホテルの部屋で、ロウソクを使って花を育てること』という物語を図書館員である「わたし」に渡します。5年間もかけて書いた本なので、書きあがると我慢できずに持ってきてしまったのです。図書館員である「わたし」の仕事は、その本を登録し、著者に本を好きな場所に置いてもらうことです。どこにどんな本があるか、などということは誰も調べに来ないのです。ただし、本を登録するためには自分で図書館に本を持って来なくてはなりません。郵送では受け付けないのです。そのために常時、図書館員がいる必要があります。どうやら図書館員は「わたし」一人だけなので、「わたし」は図書館の中で寝泊まりしています。つまり、代わりの図書館員が見つからないかぎり「わたし」は図書館から外に出られないのです。食料はフォスターという仲間が運んできます。フォスターはいっぱいになった図書館の本をある洞窟に持っていく、という仕事をしています。この図書館は何回か移転をしていますが、いまはサン・フランシスコにあります。
そしてまたしても主人公である「わたし」には名前がありません。「わたし」は外に出ることはできませんが、この生活に満足しているようです。そこにヴァイダという若い女性が現れます。彼女も本を持ってきたのですが、清楚でデリケートな顔立ちと、豊満で完璧な体型をもった不思議な女性で、彼女を見た男性は誰もが彼女に魅入られてしまう、ということに深く悩んでいます。ヴァイダは「わたし」と結ばれ、妊娠することになります。
「わたし」とヴァイダはメキシコのティファナまで堕胎手術をしに行くことになります。図書館を離れることになりますが、フォスターが代わりに図書館の当番をすることになりました。
そして、手術が終わって帰ってくると、フォスターの仕事ぶりが不満だという女の人が図書館を仕切ることになり、フォスターのいた洞窟もその女の人の弟が管理することになり、フォスターも「私」も図書館の仕事から離れることになります。
そして「わたし」たちはカリフォルニア大学バークレー校の近くに住み、ヴァイダは働きながら大学に復帰するためのお金をため、フォスターは航空母艦で働き、「わたし」は募金活動(?)のようなことをやりつつ、政治集会に参加しているようです。
この物語をたどりつつ、あらためてこの本を読んだときのことを思い出しました。
持ち込まれた本を登録するという図書館といい、完璧な容姿に悩むヴァイダといい、前半部分を読んでとても魅力的な物語だと思いました。図書館もヴァイダもその設定が独創的だし、その発想には社会から見放されたもの、常識では救えないものに対する優しさが感じられ、共感を覚えました。
ところが後半になると、堕胎手術のためのティファナまでの道中などもていねいに描かれているのですが、ちょっとずつ物語がしぼんでいくような感じになります。最後に「わたし」たちが図書館から離れたことも、ある意味ではそれまでの彼らからの解放であるにもかかわらず、その新しい世界にワクワクしないのです。「わたしがバークレーで英雄になるだろうといったヴァイダの言葉は正しかった。」という文章で結ばれていますが、私にはその真意がわかりません。もしかしたら、「わたし」は大学にまつわる何かの運動の中心になっているのかもしれませんが、私の読解力ではそれをうかがい知ることができません。
最近、ボブ・ディラン(1941 - )の全訳詞を出版した研究者の佐藤良明(1950 - )が、1980年代の後半に書いた一風変わった著作、『ラバーソウルの弾み方』のなかでブローディガンを次のように紹介しています。
ワシントン州、オレゴン州での鱒釣りの少年時代からサンフランシスコ・ビート・シーンを経て晩年を東京とモンタナを往復する。シックスティーズの「夢とウソ」を身をもってあらわした小説家で、その枯渇は『アボーション(「愛のゆくえ」の原題がThe Abortion;妊娠中絶)』(1971)の途中から始まっている。『アボーション』の最後の章は「ア・ニュー・ライフ」といって、幻想の図書館にこもっていた「わたし」が、恋人の部屋ではじめてのビートルズを聴く場面がある。彼女は『ラバーソウル』を取り出して「この曲から聴いて」と針をのせた。
“Who sang that?” I said. “Jhon Lennon.” She said.
(『ラバーソウルの弾み方』「プロローグ」佐藤良明著)
辛辣ですが、この批評は当たっていると思います。ブローディガンの才気の枯渇が『愛のゆくえ』の「途中から始まっている」というのは、読んでいるとよくわかります。佐藤良明はこの『ラバーソウルの弾み方』の真ん中あたりで、1982年に出版された『So the Wind Won't Blow It All Away(日本題;ハンバーガー殺人事件)』を書評した経験を引き合いに出しながら、さらに自分自身に対しても辛辣な態度を取りながら、ブローディガンに関することを書いています。
「初期短編集『芝生の復讐』のメランコリーにたち返ったブローディガンのこの作品は、本当に久しぶりに、いい」とかウソっぱちの言葉を並べて、僕が書評した『風はすべてを吹き飛ばさない(日本題;ハンバーガー殺人事件)』は、どうしようもなく陰惨な本だった。出版は1982年。同じ年、毎日10キロは走り込むという33歳の気鋭の日本人作家が『羊をめぐる冒険』という小説を出した。その本は「ごてごてした通りがメロンのしわみたいに地表にしがみついていた」といった感じに、軽々とブローディガンしている文がたくさんあった。
その一方でブザマに太った47歳の、妙に屈曲した日本かぶれの元祖ブローディガンは、京王プラザホテルに居住し、夜のロッポンギで飲んだくれていた。
次にブローディガンのことを書いたとき、彼の身体はもう腐乱したあとだった。
(『ラバーソウルの弾み方』「SIDE4 シックスティーズの引き潮」佐藤良明著)
ブローディガンの比喩表現が若き日の村上春樹の小説の中で息づいていたこと、それにもかかわらずブローディガン自身は六本木で飲んだくれて落ちぶれていったこと、などが書かれていますが、実際にブローディガンは親日家で、足しげく日本に通っていたそうです。
そしてブローディガンの作品の魅力が衰えていったこと、1960年代のヒッピー文化が沈静していったこと、若者がブローディガンを読まなくなったこと、そんなことが時代の流れとともに押し寄せてきて、ブローディガンは自殺することになるのですが、その死について佐藤良明はこうも書いています。
レノンが射たれたとき、僕たちは、オルタモント以来の「カウンターカルチャーの死」のテーマがクライマックスを迎えたのだと思った。それが、もっと陰惨に、もっとデスパレットに流れ続けていたことを、僕たちは知らなかった。
1979年8月1日、ここにすわって僕は過去を聴いている。
とっくの昔に壊された家の壁に耳を押しつけるようにして。
『風はすべてを吹き飛ばさない(ハンバーガー殺人事件)』
僕たちが見捨てたブローディガンのなかで、メタファーは、死と喪失しか吸いこまなくなった。
ピストル自殺したブローディガンは、何日も何日も発見されぬまま、ひからびた血をこびりつかせ、あまりにも字句通りに腐りゆく身体を横たえていたそうだ。
(『ラバーソウルの弾み方』「SIDE4 シックスティーズの引き潮」佐藤良明著)
いくつか解説めいたことを加えておきます。
「レノンが射たれたとき」、つまりビートルズのメンバーだったジョン・レノン(John Lennon、1940 - 1980)がニューヨークの自宅前でファンを名乗る男に射殺されたのが1980年で、これは唐突に起こった事件でした。ビートルズは10年前に解散していましたが、こんなふうにしてジョンが急にいなくなってしまうなんて、だれも考えていなかったと思います。
それから「オルタモント以来」の「オルタモント」ですが、これはローリング・ストーンズが主催した1960年代最後の大規模な野外フリーコンサート、オルタモント・フリーコンサート(Altamont Free Concert)のことです。このコンサートは準備不足もあり、観客の一人が警備を担当したヘルズ・エンジェルスのメンバーに殺害されたという悲劇も生みました。ヘルズ・エンジェルスは暴走族のような集団ですが、過去のコンサートでも警備係をやった実績があったそうです。ストーンズ自身はリコプターで登場し、混乱の中をヘリコプターで去っていったということです。ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)が1969年8月でしたが、同年の12月のオルタモントによって、1960年代というひとつの時代が終わった、と言われています。
次に「カウンターカルチャーの死」ですが、カウンターカルチャーとは、サブカルチャーとほぼ同義の場合もありますが、例えばロック・ミュージックやブローディガンの小説のような、それまでの既成のカルチャーの傍流にあってそれらを転覆させるかもしれない、と思わせるような力のあるもののことを言うのだと思います。しかし、オルタモントの悲劇などによって、そのカウンターカルチャーが勢いを失ってきたこと、それが「カウンターカルチャーの死」ということだと思います。
そして「デスパレット」というカタカナ表記は、desperate(絶望的な)のことでしょうね。
さて、この文章の全体を見ると、要するに、一般的にはオルタモントの悲劇などによって1960年代は終わった、と片付けられていたわけですが、佐藤良明自身はレノンの死によって、本当の時代の終わりはこの時だったのか!というふうに思ったのだと思います。しかし、実はブローディガンの内面ではもっと陰惨に、過去の自身の栄光が絶望的に終わろうとしていたのであって、ブローディガンの文学に見切りをつけてしまった佐藤良明は、そのことにまったく気が付かなかったのでしょう。ブローディガンの孤独な死によって、その痛みを彼はやっと理解した、というところでしょうか。
一人の作家の死が一つの文化の終焉とリンクしていて、そのことを十分に認知していなかった自分がいて、というふうにとても複雑な思いが佐藤良明の内面で湧きおこっていたのだと思います。何だか複雑すぎて、正直に言って私にはよくわかりません。しかし、『西瓜糖の日々』が全編にわたって緊張感のある物語だったのに対し、『愛のゆくえ』になると途中からすこし間延びしたような感じになってしまう、ということに一人の作家が優れた物語を創造し続けることの難しさ、厳しさを感じて、ちょっとこわくなります。たとえ才能があっても、それを持続することは難しいということなのでしょうね・・・。
佐藤良明の辛辣な見方に対し、『愛のゆくえ』の解説を書いている高橋源一郎(1951 - )は、それとは対照的にとても暖かくて共感できる文章を書いています。その終わりの部分を、ちょっと長くなりますが書き写しておきます。
『愛のゆくえ』は、ブローディガンの全作品の中で、ぼくがいちばん好きな作品だ。種明かしをするなら、ぼくのデビュー作となった『さよなら、ギャングたち』で、主人公が勤める「詩の学校」は、この『愛のゆくえ』の主人公が勤める、世界にたった一部しかない本を収蔵する図書館がモデルとなっている。
世界中の無名の人が丹精をこめて書き上げた、たった一冊の本。それは結局、この、不思議な図書館の書架に並ぶしかない。つまり、他の誰にもよまれることはないのである。そんな、孤独な本の山に囲まれて、『愛のゆくえ』の主人公である図書館員は暮らしている。図書館から一歩も出ず、現実の世界の一切と交渉を断って、彼は生きている。
いまなら、ぼくたちは「引きこもり」という言葉を使うが、この小説が書かれた当時には、そんな便利な言葉はなかったのである。
ぼくはブローディガンが作りだした、その孤立した世界に激しく魅かれた。それは、ぼくもまた孤立した世界の中で「引きこもり」をしていたからだった。その頃、ぼくはようやく小説を書きはじめていたが、それは『愛のゆくえ』の中で、図書館に本を届ける人たち、窓のないホテルの部屋で暮らす老婆が書いた、蝋燭の光で花を育てることについての本や、下水道で働く男の書いた下水道の本のようなものだ、とぼくは思った。
あまりにも孤立した人たちは、その状態を、ついには当然のものと思い、他人とのコミュニケーションを諦めてしまうのである。
しかし、本を書くとは、小説を書くとは、その孤立から抜け出て、広い世界へ言葉を送り届けることではないだろうか。
だから、『愛のゆくえ』の主人公は、この小説の最後で、愛する女と共に、ついに図書館を去り、外の世界へ旅立つのである。
この本を読み、ぼくは、図書館に一冊の本を届ける「引きこもり」の人たちの一人であることを止そうと思った。世界の果ての図書館の壁にではなく、どこかにいる読者たちに向かって、言葉を紡ぎだそうと思ったのである。
だが、ブローディガンはどうだったろう。
いま、ブローディガンの他の作品と共に、『愛のゆくえ』を読み返すと、図書館を出て、広い外の世界へ脱出してゆく主人公の心が、それほど晴れやかでないことにぼくたちは気づく。図書館の中で「引きこもり」をしていた時、彼が相手にしていたひとりひとりのことを忘れることができなかったのではないだろうか。たくさんの、たくさんの、無名の、孤独な、魂たち。彼らの呟きや叫びを聞く者は彼だけだったのだ。彼が図書館を出た時、確かに、世界はひとりの優れた作家を獲得した。しかし、同時に、「引きこもり」の中で暮らし、どこにも言葉を届けることの出来ない孤独な人々は、その言葉を届ける唯一の相手を失ったのである。
もちろん、『愛のゆくえ』の図書館も、その図書館に置くためのたった一冊の本を書く無名の「作家」も実在しない。しかし、そんな場所は、どこかにあり、それほどまでに孤独な人たちは、どこかに必ず存在するのである。
ブローディガンは、その「孤独」を知る、数少ない作家のひとりだった。
彼は少しずつ書かなくなり、ひとりで閉じこもるようになった。彼は、彼が出発した「図書館」に戻った。それは彼の「生」の前にあった「死」の場所だったような気が、ぼくにはするのである。
(『愛のゆくえ』「解説」高橋源一郎)
考えてみると『愛のゆくえ』も、『西瓜糖の日々』のように現在の困難な状況を、とりわけ自粛で引きこもっていた私たちの内面に関わる物語だった、というふうに読み取れます。ブローディガンが「引きこもり」の本当の「孤独」を知る数少ない作家だったからこそ、いま彼を読むことに意味があるのかもしれません。といっても、本当のことを言えば、そんな理屈はあとから思いつくだけで、いま何となくブローディガンが読みたいなあ、と思うだけで十分でしょう。
そして彼は、ひとたび時代の寵児として社会に出ましたが、晩年にはまた自分の内面に引きこもり、その結果自殺してしまった、ということなのでしょうか。
おそらく、高橋源一郎が指摘しているように「孤独」を知る、ということは、とくに表現者にとって大切なことなのでしょう。そしてそういう意味では、今の状況は私たちにひとつの試練、あるいは課題を与えているのかもしれません。私たちは、いずれいまの「引きこもり」状態から出発しなければなりません。しかも、精神的にも、肉体的にも、不安を抱えたままで外の世界に出なければならないのです。はじめに書いたように、いま大学に在学している方たちはとくに、今までにない困難に直面していて気の毒だとは思います。しかし、いまは若者も年長者も先が見えないことについていえば同じことです。誰かを当てにすることなく、ゆっくりと一緒に進んで行きましょう。
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