明けましておめでとうございます。
2020年は大変な年でした。
このblogでも何回か書きましたが、春先の自粛のときには、なぜかまっ先に学校が休校し、そして美術館や博物館、図書館が閉まってしまいました。大学に至っては休校になったあと、GOTOキャンペーンがはじまってもキャンパスが開かない、という何がどうなっているのやらまったくわからない状況が続きました。
美術を鑑賞すること、芸術について学ぶことは、宿泊旅行に行くこと、それにオリンピックを開催することに比べれば格段に感染のリスクが低いことだと思います。こういうときこそ、芸術活動という人間の静かな営みに目を向けてもいいのではないか、と思うのですけれど・・・。
2021年は、そういう文化的な方向にみんなが進む年になればいいな、と願っています。
こう書いているそばから、2020年最後の日の東京では新規感染者が1,300人を越えるということがわかりました。感染を恐れない若者に責任があるような政治家の口ぶりが耳につきますが、GOTOやオリンピックにこだわるあまり打つ手が遅れ、政策を決めるのは夜の料亭で食事をしながら・・・、という頭の古い老人たちが最も問題だ、と誰もが知っています。医療に従事されている方々のことを、彼らはどう思っているのでしょうか。
それでも、今年は良い年になってほしい、と願わずにはいられません。
このコロナ禍で生活上の困難に遭遇されている方も、数多くいらっしゃると思いますが、12月30日の朝日新聞の記事の中で、宮内義彦・オリックス元社長がその対策として、「ベーシック・インカム」について触れていました。つまり、一定の金額を基礎的な収入として国が保障するというものです。
実は私はコロナ禍以前から、AIの普及によって人間の仕事が奪われてしまう・・・、だからAIではできないような仕事をこなせる人材を学校教育においても育てなければならない、という考え方に対して、一教師として疑問を持っていました。大勢の労働者を解雇しておいて、AIを使って大量に商品を作ったとしても、いったい誰がそれを買うののだろう?という素朴な疑問です。AIを使うことで人間が働かなくて済むのなら、その分のお金をみんなに配ったらどうか、と考えていたのです。たとえそうでなくても、AIで作った生活必需品をみんなに配るとか、そういうふうにAIを利用しないことには、AIを開発する意味がないのではないか、と思うのです。われながら単純な、子供じみた発想だと思っていたのですが、なんと経済界の長老がコロナ禍をきっかけにして、ベーシック・インカムを検討したらどうか、とおっしゃっているではありませんか。宮内義彦は「コロナ禍でわかったのはもっと政府がカネをださんといかんということ」だ、ともおっしゃっています。
そして『美術手帖 2020年10月号』 特集「ポスト資本主義とアート」の記事の中では、哲学者のマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980 - )がインタヴューのなかで「ベーシック・インカム」について次のように言っていました。
なぜ私たちがベーシック・インカムを持つべきかについて未だに議論しているのか、まったく理解できません。もう給付額をいくらにするかの議論に入るべきです。そして、これが資本主義につきまとう難点のいくつかに対する解決策になります。コロナ・パンデミックでは、ベーシック・インカムのようなものを導入しなければ、アートが存在し続けることも基本的には不可能になります。
(『美術手帖 2020年10月号』 特集「ポスト資本主義とアート」マルクス・ガブリエル)
なんてすばらしい意見でしょうか。私は少なくとも、旅行業者や飲食業を国がバックアップするのならば、同様に文化活動についても、もっと保障するべきだと思うのです。
そしてコロナ・パンデミック以前には、資本主義経済の中で美術品も一般の商品と同様に売れなければだめだ、というふうに思われていました。しかしマルクス・ガブリエルは、インタヴューのなかでこうも言っています。
「私たちが慣れ親しんでいるこの種の芸術資本主義の一部は、搾取と性的暴力を正当化しています。」
いまの芸術作品の流通の仕方に、彼は不健全なものを感じとっているのでしょう。だからと言って私のような者が、自分の作品が売れないことの言い訳をしてはいけませんが、少なくとも一部の作家の作品が商品として高額取り引きされて、それが人目に触れずに大企業の倉庫でひっそりと眠っている、というのは異常なことです。誰もが自分の家に飾りたい作品をそこそこの値段で入手できること、そして芸術家がそこそこの対価を手にできることが、理想なのではないでしょうか。
これはラジオで聞いた話ですが、イギリスのパンク・ロック・グループのクラッシュは、自分たちのコンサートの入場料を興行主がつり上げることを許さなかったそうです。労働者階級の若者たちが自分たちの音楽を楽しめなくなるような商売をするな、ということだったそうです。立派ですね。
この芸術をめぐる経済的な問題、社会的な問題については、もうすこし勉強してしっかりとした考えを持たなければなりません。たとえ、自分の力ではどうしようもないことだとしても、あるべき社会を思い描くことぐらいはできないとまずいと思っています。文句を言うだけなら、誰でもできますから。
さて、前回の谷川渥(1948 - )による『美学講義』のなかで、フランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - )の『ワーキング・スペース』と、ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1940 - )、イヴ=アラン・ボワ(Yve-Alain Bois ,1952 - )の『アンフォルム』について、どこかで別途に取り上げたい、ということを書きました。
そこで今回は、『ワーキング・スペース』について書いてみたいと思います。そしてできれば、ステラという画家について、私がこれまで考えてきたことも織り交ぜて書いてみたいと思います。
その『ワーキング・スペース』とはいったい何か、といえば、それは私の手元にある一冊の本のタイトルだということになります。そしてこの著作は、ステラがハーヴァード大学で行った講義を記録したものなのです。この本の成り立ちについて、監訳者の一人である尾野正晴(1948 - )は「あとがき」で次のように書いています。
この本は、1986年にハーヴァード大学出版局から刊行されたフランク・ステラの『ワーキング・スペース』の全訳である。『ワーキング・スペース』誕生のきっかけとなったのは、1983 – 84年にかけてハーヴァード大学で行われたステラの一連の講義であった。この講義は、チャールズ・エリオット・ノートン・レクチャーズと称する由緒正しいもので、画家が担当するのは、ベン・シャーンについで二人目である。 <中略> アメリカン・シーンの大御所であったベン・シャーンならともかく、センセーショナルな現代作家であるステラが、アカデミズムの牙城ハーヴァード大学で講義を行ったことは、ステラの作品に見合うセンセーションを惹き起こした。
ところで、センセーションの中身を吟味してゆくと、意外な事実に突き当たる。『ワーキング・スペース』に対する論評は、予想以上に芳しくなかったのである。
(『ワーキング・スペース』「あとがき」尾野正晴)
この力のこもった6章からなる本が、不評だったというのは残念ですが、読んでみるとそれも分かる気がします。尾野は、上記の不評の中には的外れのものが多かった、と解説していますが、正直に言ってこの本を読むのには骨が折れます。ステラという画家への興味がないと、最後まで読み通すのは厳しいかもしれません。
おそらく、ステラという人はとても勤勉で、まじめな人なのだろうと思います。それに学者でもない一人の画家が、これだけの内容の講義を準備するのは並大抵のことではなかったと思います。先ほどの不評の中には、その内容が美術史的な妥当性を欠いている、とか論理が強引だとかいうことが含まれていたようですが、それは私には気になりませんでした。むしろ画家が語る講義ですから、話の内容がステラの興味に偏っているのは望むところです。しかし、まじめなうえに論理が強引だとなると、話として聞くのがつらかっただろうなあ、と思います。(そもそも、大学の講義って、つまらないですよね。大学の先生方には、もっと学生に話を聞かせるためのスキルアップをしてほしいものです。)
しかし、ステラの話の内容にはぶれがなく、画家として言いたいことがよくわかります。そのことを、ここで要約して伝えられるようにがんばってみます。
この講義のカギとなるのが、イタリアのバロック期の天才画家、カラヴァッジオ( Michelangelo Merisi da Caravaggio、1571 - 1610)です。この本のはじめの章のタイトルが「カラヴァッジオ」なのですが、この章に限らず全体的にカラヴァッジオの影響が感じられるのです。ステラはカラヴァッジオのどんなところに興味を持ったのでしょうか。
絵画という制作行為と、制作者と鑑賞者の場を共に包み込んでしまうようなまとまりのある空間感覚は、カラヴァッジオのリアルなイリュージョニズムの効用による副産物である。真に迫った存在感や行為のリアルさは、絵画の空間感覚に拡がりをもたせている。これはカラヴァッジオが成し遂げた第一の奇跡でもあり、見事な手さばきによって、後に続くバロック的イリュージョニズムを先取りしつつ、同時にその出鼻を挫いた奇跡でもあるのである。
カラヴァッジオの第二の奇跡は画面の奇跡である。皮膚、肉、そして絵具が相俟ってリアリティーを生み出している。絵具は行為として、また物理的事実として認識されるが、その直後に、というよりほぼ同時に、人体は触れられるリアルな存在として感知されるのである。カラヴァッジオはまさに完璧なイリュージョニストである。彼の人体表現は再現的な描写技術を乗り越えている。それらはモデルをいかにもそれらしく見せようとして描かれたものでもなく、独自な存在感を狙って描かれた類いのものでもない。
カラヴァッジオの長所は、絵画という内と外をリアルな空間として感知させる能力によって、その卓越したイリュージョニズムを一層強化した点にある。彼以前の画家たちには、かっちりと設定された箱のような空間か、ぶざまに広がったペインタリネスのいずれかが重荷になっていた―もっとも、それ自体は必ずしも悪いものではないが、ただ明らかにリアリティーは薄れ、焦点はぼやけ、そして残念ながら、決定的に全体性が欠如しているだけなのである。カラヴァッジオ以降の画家たちも、同じような結果に終わっている。彼らは、古典様式の復権やイラストレーションと妥協した自然主義を相手にしなければならなかった。ひとまず克服できたとはいえ、これらの障害は、19世紀初頭に再び天才が絵画の遅れを取り戻すまで執拗に存続している。
(『ワーキング・スペース』「カラヴァッジオ」ステラ著、辻成史・尾野正晴監訳)
これを読むと、例えばバロック期後の古典主義を研究している学者が聞いたら、さぞかし頭にきたでしょうね。明らかにカラヴァッジオに焦点を当て過ぎた美術史の解釈です。しかしそれはともかくとして、興味深いのはカラヴァッジオの迫真的なリアリズムに、どうしてこれほどステラが惹かれているのか、ということです。
そしてさらに興味深いのが、「オランダの平原」という章で取り上げられているパウルス・ポッテル(Paulus Potter、1625 - 1654)というオランダの画家の『若い牡牛』という作品です。若くして亡くなったこの画家は、動物を描くことを得意としたらしく、この『若い牡牛』では蓄積したスケッチをもとに牛の姿を描いたのだそうです。画集で見た上での感想になりますが、そのスケッチの合成具合のせいか、『若い牡牛』は絵画空間としてどこかぎこちなく、必ずしも名画とは言えない作品だと思います。それでいて牛の肌合いなどの表現が妙にリアルで、手で触れることができそうな触覚性を感じさせます。ステラのこの作品への評価は意外なことに、その触覚的なリアルさよりも空間的なぎこちなさに興味があるようです。
この意表をついた空間的な隔たり感と転位の効果があるからこそ、パウルス・ポッテルの『若い牡牛』はカラヴァッジオの『聖パウロの改宗』と比肩し得るのである。一見したところ、カラヴァッジオの人間ドラマは、ポッテルのわざとらしいポラロイド写真のような画面を吹き飛ばして当然のように思えるのだが、実際はそうはならなかった。私は次のように提言したい。『若い牡牛』がこれほど長期にわたって賞賛され続けてきた理由は、彼が作り出した巧緻な実在感というよりは、むしろ魔術的な空間の隔たりにある、と。カラヴァッジオの編み出した見る者を圧倒する一貫性と比べて、我々はこの作品の露骨な不器用さを愛するのである。
(『ワーキング・スペース』「オランダの平原」ステラ著、辻成史・尾野正晴監訳)
私はカラヴァッジオの作品でさえ、絵画的な空間構成よりも、こちらに迫ってくるような迫真性を優先している、としばしば感じることがあります。しかしステラは、そのカラヴァッジオの絵画空間よりもさらに「露骨な不器用さ」が目立つポッテルの作品を愛するのだと書いています。
この他にも、例えばステラが「ピカソ」の章で取上げたピカソ(Pablo Picasso, 1881 - 1973)の作品は『座る女』というキュビスムの時代の後の、古典的な絵を描いていた時期の作品です。この作品はキアロスクーロ(Chiaroscuro)―明暗のコントラストを強調した技法―が目立つ作品です。その上に顔や手足が異様に大きく描かれているので、整然と描かれた人物画よりもこちらに迫ってくるような感じがします。これらのことから言えるのは、ステラは絵画全体としての完成度よりも、とにかく画面の手前の方へせり出してくるような迫真性、リアリティーを求めているのだ、ということです。前回も引用しましたが、谷川渥のこの点に関する解説を確認しておきましょう。
しかしステラは非常に奇妙な道を歩み始めました。向こう側のイリュージョンではなくて、カラヴァッジォに学んでこちら側にイリュージョンが出てこなければいけないと言っていたら、本当に出始めたのです。レリーフになってきた。文字どおりブラック・ペインティングとして出発しながら、黒い色があらゆる色彩の波長の光線を吸収していたものを外部に送り出したかのようにけばけばしい色を使い、実際に画面のこちら側に突出し始め、ついにはレリーフをつくり始めました。そして現実に手前の空間にでてしまって、オブジェのように床の上に立ちました。
(『美のバロキスム 芸術学講義』「フォルムとアンフォルム」谷川渥著)
そしてこの谷川の指摘に加えて、私がもうひとつ気づいたことは、ステラは画面の中で形がこちらへせり出してくる部分にのみ興味を示し、それ以外の部分については眼中になかったということです。彼のレリーフ状の作品を見ると、絵画で言えば背景にあたる部分が欠落していて、いわばポジティヴな形だけで構成されているような作品になっています。それがステラの作品に躍動感を与えている、と言えますが、逆にせわしない、落ち着きのない作品にしてしまっている、というふうにも言えると思います。私の感想に同意できない方は、インターネットでステラの作品を検索して、その画像群を並べて眺めて見てください。強烈な個性による素晴らしい作品群だとも言えますが、なんだか落ち着かない、一日こんな作品に囲まれていたら疲れるだろうなあ、とも思うはずです。そして、このようなせり出してくる形の連続が、彼の言う「ワーキング・スペース(作動する空間)」、つまり「動きの(感じられる)空間」という意味なのでしょう。
それにしても、先ほどもちらっと書きましたが、ステラはどうしてこれほどまでに「カラヴァッジオの迫真的なリアリズム」に魅了され、こちら側にせり出してくるような迫真性にこだわったのでしょうか。
これはまったく私の個人的な見解になるのですが、このような方向へとステラの絵画が発展していったのは、彼が画面全体をながめて鑑賞するということをしない画家であった、ということに原因があるのではないかと考えます。どういうことかと言いますが、一般的には一枚の絵の全体をながめて、その絵画空間の全体を見て絵を鑑賞するのですが、ステラはものが描かれている部分、もしくはその周辺の空間にしか興味がなかったのではないか、と思えるのです。それはある意味では、絵があまりうまくなかった、というふうにも言えると思います。
世界的な巨匠であるステラに対して何を言っているのだ、と言われそうですね。その根拠というわけではないのですが、この『ワーキング・スペース』という本には、彼の初期の静物画が一点だけ掲載されています。モノクロ印刷なので詳しいことはわかりませんが、その印象では少々拙い感じがする絵なのです。もちろん、意図的に技巧を廃していることは理解できるのですが、それにしても、もう少し画面構成を考えれば、うまく描けそうなものです。よく言えば個性的、悪く言えばあまり上手ではない、下手な絵に見えてしまうのです。
そこで考えられることは、ステラはもともと画面全体を構成するということが苦手な人なのではないか、ということです。しかし、私はステラの作品を貶めようとしてこんなことを書いているのではありません。作家にはそれぞれ個性がありますし、他人から欠点に見えることを逆に強烈な武器として表現した人たちもたくさんいます。そこでステラは、ポジティヴに意識できる形のみを追いかけて、自分の意識できない全体的な画面構成を考えなくて済むような作品を展開していったのではないか、というのが私の推理です。ステラがそれを意識していたのかどうかはわかりません。でも、無意識のうちにそうしてしまうことは多々ありますし、成功した画家というのは多くの場合、自分の欠点はさておいて、長所をしっかりと伸ばした人たちだと言えるでしょう。
それは初期のストライプ(ブラック)・ペインティングの作品の頃から当てはまるステラの絵画の特徴だと思います。初期のストライプ絵画の、黒いストライプの合間の塗り残しの線がありますが、ステラにとってあれは線でもないし、ストライプの間の背景でもありません。空間的な位置を持たない、単なる「隙間」なのだと思います。この「隙間」の空間は、画面全体を考えるなら、どこかに位置づけられるべきですし、伝統的な絵画であれ、抽象表現主義以降の現代絵画であれ、単なる「隙間」が画面上にあることは許されません。
モダニズムの偉大な評論家、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)がステラを評価しなかったのは、「隙間」を画面上に残し、ポジティヴな形しか見ようとしなかったステラの姿勢に原因があったのではないでしょうか。もともと絵画を見ることの達人であったグリーンバーグにとって、自ら提唱した絵画の「平面性」と、絵画空間の「イリュージョン(奥行)」との関係をどのように両立させるのか、ということが大きな課題でした。そこで「オールオーヴァー」な絵画空間という概念を導き出し、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock、1912 - 1956)がドリッピング技法を始めた時には、それを絶賛したのです。なぜならば、ドリッピング技法は画面上のネガとポジの関係、すなわち主要なモチーフと背景となる空間という問題を一気に解消し、「オールオーヴァー」な絵画を実現する素晴らしい方法論だったからです。
しかし、そんな苦心をまったく考慮していないかのように平面的なストライプを描き、さらにその「隙間」の空間など一顧だにしないようなステラの絵画は、グリーンバーグにとって認められるはずのないものだったのでしょう。さらにステラは、その「隙間」の課題を解消するどころか、レリーフ状の作品に移行する際にはその「隙間」を削ぎ落してしまい、それ以降、まったくそんな問題に拘泥するそぶりもありませんでした。グリーンバーグから見ると、ステラの作品は絵画の部品を集めたものに過ぎないのであって、一枚の絵画として鑑賞するに値しないものだったのではないでしょうか。ステラとグリーンバーグは、同じ時代の現代絵画の世界にいながら、まったく違う地平に立っていたのだと思います。
ステラの、この強い個性はいったいどのようにして育ったのでしょうか。実はステラは、この『ワーキング・スペース』という講義の中で、ちゃんとその話もしているのです。それが先ほども例にあげた、一見拙く見える静物画の制作過程の話の中にあったのです。その話がとても興味深いので抜粋しておきます。若い頃のステラの姿を彷彿とさせるような文章です。
若い頃初めて取り組んだ事柄が後に生涯にわたって精魂を傾ける仕事となったとしても、その経験の意義を推し測るのは難しいものだ。アンドーヴァーで送った学生時代、私はすでに美術に興味を持っていたが、そこで得た様々な機会は、どちらかというと一方的に与えられていたように思う。アンドーヴァー校の詰め込み式エリート教育の中にあって、唯一やりたい放題できるオアシスともいうべき科目が組み込まれていたのは、信じ難いことだった。週8時間、美術実技の専攻科目として、化学の実験に代わってカドミウム・レッドを使い放題、ニスで上塗りした厚板に塗りたくることができたのである。
< 中略 >
実技スタジオに入って、まず与えられた課題は静物だった。机の上に置かれた静物を見て制作するように指示されたのだった。
< 中略 >
私はパット(そのときの教師であるパトリック・モーガン?)のしていたこと、抽象に対する彼のごく自然な取り組み方に好感を持っていたし、また何人かの上級生たち、ホリス・フランプトンやカール・アンドレといった早熟な強烈さを持った新しがり屋の作品も好きだった。私は抽象画、絵具のみから成る絵画を制作したいと思った。
私は卓上に再び目をやり、壺から蔓草が弱々しく伸びているのを見て思った。「あれを延々と描くのは、真っ平だ。私は、階上にある最近のアメリカの抽象絵画や、パットの家でいつか見た作品のような絵が描きたい」
< 中略 >
そこで私は、様々な世界をさ迷い始めた。
< 中略 >
私はドリッピングによる線を退け、モーガンの家で見たハンス・ホフマンの作品の素晴らしい筆の線について考えた。その線は、ほとんど不可解なジェスチュアの表現であるように思われた。あれがいったいどんな形の筆を使ったのだろうか。素晴らしく柔軟な筆先、一筆であれほど長く素早く線が引け、なおかつあの強烈な赤の絵具をあんなにもたくさん含ませることのできる画筆とは?
そこで私は夢から覚めた。ホフマンがきっかけとなって、何かが導き出されたのだ。
< 中略 >
丁度それは、いつか見たスーラの作品のスライドが単純などこにでもあるような静止的な構成にしか思えなかったのと同じであった。これだったのだ。私は台の上に指で等式を書いた。静的な構成プラス点描画風に配置された絵具イコール静物画。問題は解けたのだ。
私は意気揚々とした気分だった。これできっと専攻課程に進めるだろう、そしてもう後ろを振り返る必要もないのだ、と。さらに、私の手が生み出すものだけが全てなのだから、弁解も説明を付け加える必要もなくなるのだと確信したのである。どれほど構成的要素が強いものであっても、もはや壺に挿した蔓草をはじめとする卓上の静物の形態を描写することはないだろうと悟った。私は30分で作品(静物画)を描きあげた。反応は様々だったが、重要なことは、私が本当に描きたいと思っていた絵画を自由に描くことが出来たということであった。その時はきづかなかったが、今やらなければ出来ないと感じたあの一瞬に、抽象絵画に対する私の基本姿勢が作られたのである。あの日からもう30年ほど経ったが、絵画を鑑賞し制作してきた私の経験の中で、あの時以来現在に至るまで信じてきたことに疑問を感じたことはない。
(『ワーキング・スペース』「オランダの平原」ステラ著、辻成史・尾野正晴監訳)
アメリカの学校がどのような仕組みになっているのか、私にはわかりませんが、さきほど例示した静物画が1954年制作ですから、ステラが18歳ぐらいのときの話だと思います。ちなみにステラは「プリンストン大学で美術史を学んだ」と『ウィキペディア(Wikipedia)』に書かれていますが、この大学はとんでもない名門校のようです。ここで説明のあった静物画は、ステラが書いた通りにぶつぶつとした点描で描かれています。この後、ステラは強い決意を持って抽象絵画へと表現を変えていったようですから、それが初期の拙い絵であっても、記念すべき作品であったことは事実です。そして「あの時以来現在に至るまで信じてきたことに疑問を感じたことはない」という最後の文章が、とても力強いです。
そんな信念を持ったステラが、この講義をどのような言葉で結んでいるのか、興味のあるところです。それは予想通りに、抽象絵画の可能性を信じてやまない、やはり力強いことばで終っています。その一節も書き写しておきます。
最後に、私自身の制作経験に即して言えば、抽象は拡大、縮小いずれにおいても自在であり、限界がないと思う。抽象は本質的に成長に適している。抽象は、たとえばリアリズムを抱えている明らかな諸問題、すなわち広告掲示板のペンキ絵において、途方もなく拡大されて描かれた対象がもはや具象ではなく、抽象形態と化してしまうといったような事態に陥ることがない。理論上はともかくとして、実際には人間の顔があまりに大きく描かれれば、それはもう顔ではなくなってしまう。抽象の場合、この問題はイメージを保持するというよりも、絵画のエネルギー自体を維持することに関連している。抽象作品の大きさは、我々の日常的なスケール感に基づく必要は全くない。抽象のイメージと現実世界のイメージを比較すること自体、意味をなさないからである。抽象は対象を拡大することなく巨大化し、縮小することなく小型化することが出来る自由を持っている。ある意味で抽象は、現実のイメージおよび想像上のイメージが要求する空間的制約を巧みにかわすことによって、何ものにも束縛されない自由と拡張の可能性、そして抽象のためのワーキング・スペースを獲得しているのだといえよう。明らかに今日の抽象は、自らの空間を生み出すべく作動しているのである。
以上全ての論点に対し、数々の反論が出てくるであろうが、こと絵画の表面に関する限り、過去30年間、抽象に対抗する真剣な挑戦が何一つ行われなかったという事実は動かない。数々の挑戦は、全て抽象の中から生じたものである。時によってそれらの試みは、過去の問題を反映していることもあるが、多くの場合、我々が絵画制作という挑戦行為に取り組む際の様々な能力の在り方を反映しているにすぎないのである。
(『ワーキング・スペース』「オランダの平原」ステラ著、辻成史・尾野正晴監訳)
ステラは自分の進むべき道を、しっかりと進んでいることがよくわかる文章です。しかし、共感できるものがたくさんあるのか、と問われれば、そうでもありません。
そこで、ステラの棲んでいる世界を、はるか下界から想像してみましょう。大きなスタジオを借りて大量に制作される大作は、すでにステラ一人のものではありません。大きな展覧会場で飾られ、市場に放り込まれるそれらの作品は、内容においても、見栄えにおいても、他の人たちの作品に負けるわけにはいきません。彼の双肩には大きな責任がかかっています。ですから、巨大な作品を作り続けることが彼にとって至上命題なのです。巨大にすると何が描いてあったのかわからなくなるような具象絵画は、商品として困るのです。彼の作品は一般の家屋に展示されることを前提にしていませんから、「日常的なスケール感に基づく必要は全くない」のです。
そんなふうに、厳しい市場経済に揉まれながらも、ステラは絵画表現の未来について真剣に考えることを止めません。そこが立派なところです。「過去30年間、抽象に対抗する真剣な挑戦が何一つ行われなかったという事実は動かない」とステラは書いていますが、その根拠についてはよくわかりません。「抽象」の範疇もあいまいです。しかし、そんなことは、実はどうでもよいことでしょう。彼の制作を脅かすものは、何もないように見えます。それが一番、大切なことです。
このように、ステラについては大きなリスペクトと、それと同じくらいの批判的な思いが交錯します。それは彼の大きな業績の故だとも言えます。ステラは行き詰まりにあるモダニズムの最後の光であり、後から歩む者にとっては巨大な警鐘でもあります。この、騒々しく立ちはだかる作品群を見て、私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。彼の通った道は、すでにふさがっていることだけは確かです。では、どうしたらよいのでしょうか。
私はモダニズムを遡行して、グリーンバーグやステラとは違った視野でもう一度、美術に触れてみたいと思っています。どんなに微力であっても、そのことを馬鹿みたいに真剣に取り組んでみたいと思っています。
みなさんは、どうされるのでしょうか。
今年が、みなさんにとって、よいチャレンジの年でありますように、そう願っています。
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