「シャルダン展 静寂の巨匠」という展覧会が、来年の1月6日まで、東京の三菱一号館美術館で開催されています。先日、ふと休日に時間が取れたので、行ってみました。
ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699 - 1779 )は、ロココ時代のフランスの画家です。一般的には風俗画家、として紹介されるのでしょうが、それは当時の絵画の序列として、静物画の上位に風俗画が置かれ、シャルダンも風俗画家としてもっとも売れたからでしょう。たしかに風俗画を描いていた時期は、シャルダンの30代半ばから40代終わりまでの充実した時期でもあり、すばらしい作品が多いのですが、個人的にもっとも魅力を感じるのは、晩年の静物画です。ここでは、私の個人的な印象について書いておきます。
この展覧会で紹介されている最も初期の絵は、20歳の頃の『ビリヤードの勝負』という室内風景です。遠近法を用いたこの絵は、若いころの習作、という雰囲気もありますが、それにしてもやや凡庸な感じがします。
そして風俗画に至る前の初期の静物画、たとえば死んだウサギを描いた絵(狩猟画、というそうですが)になると、背景の奥行きが浅くなり、シャルダン独特の空間が見られるようになります。しかし、個々の描写はそつなく仕上げた感じで、あまり魅力的には感じられません。その一方で台所にある何気ないものを、集中した眼差しで描いた作品があり、画家としての表現の揺れを感じます。そういえばシャルダンのもっとも有名な作品である『赤エイ』や『食器棚』(この展覧会では、出品されていません)も同時期の作品ですので、画家として最初のピークにのぼりつめた若く高揚した時期だったのかもしれません。
30歳を過ぎてから、シャルダンは風俗画を描きます。今回出品された作品でも、たとえば『羽根をもつ少女』の完成度には驚いてしまいます。少女の描写もさることながら、何もない空間である背景に充実した密度を感じます。それは『買い物帰りの女中』や『食前の祈り』にも共通しています。それらの背景は室内の空間ですが、奥行きのある表現と同時に平面的な強さも感じるのです。とくに『買い物帰りの女中』は、図版で見るよりも明度が高めに保たれていて、絵画の平面性が意識的に表現されているように見えます。とてもモダンな感じ、というか時代を超越した作品だと思います。この時期のシャルダンの作品がすべてそうなのか、といえばそうでもなく、オーソドックスな暗い奥行きのある空間から人物が白く浮かび上がってくる、というような表現の方が、実は多いのです。また、今回の展覧会では注文に応じて複数描いた作品も展示されていましたが、複製作品になるとさすがに平面的な強さはあまり感じません。いずれも、遠近法や明暗のコントラストを利用した作品がこの時代のスタンダードだったからだと思います。シャルダンといえども、時代を超越するのは簡単なことではないのです。
そして50代になると、シャルダンは静物画に回帰します。この時期の作品はどれも興味深いのですが、それは風俗画の頃の作品の充実度とは、またちがった面白さです。たとえば、作品によっては筆のタッチが粗く、近づいてみると意外なほどにものを描写していません。展覧会のポスターなどにも使われている木イチゴの描写は、そのよい例です。また静物の背景も、ひとつながりの空間なのに、部分によってかなりの明度差があり、それが描かれた静物の明暗とあいまって、自由自在に絵画空間を形作っている感じがします。晩年のシャルダンは、モチーフの存在感を大きくつかむ方法を心得て、それを絵画空間の奥行きと平面性とのあいだで、自由に表現できたのだと思います。シャルダンが19世紀になって見直され、セザンヌにも影響を与えた、というのも肯けます。晩年のシャルダンと、晩年のセザンヌはどこかでつながっているような気がします。
最晩年のパステル画が見られなかったのは、すこし残念です。しかし、これだけ充実した作品が、日本で一堂に見られる、というのは貴重な機会です。展示室は広くはないけれど、ゆったりと展示されているし、幸か不幸か土曜日の午後に見に行ってもそれほどの人出にはあいませんでした。数点のフェルメールに長蛇の列を作ることを考えれば、なんと贅沢な時間の過ごし方でしょうか。
そのほか、いろいろと考えてみたいことはありますが、長くなりましたのでこのあたりで・・・。
石村 実
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