前回、健常者と障がい者の線引きについて書き、今回はもう少し掘り下げて考えてみようと思います。
差別や偏見は、実は障がい者同士でもあるのです。今回、このことについて書きだそうと思います。
例えば、同じ精神疾患を持っている人間同士でも差別はあります。実に愚かしいことなのですが、
「あいつは人格障がい者だから関わらないほうがいい」とか、「あいつは統合失調症だから、
あんな性格してるんだ」とか自分のことは棚に上げ、それも病気の症状といえばそれまでなのですが、
余りに情けない事案が叩けば出てきます。
同じ障がいを持った人間同士での差別や偏見があるくらいですので、違う障がいを持った差別や偏見は重症です。
これは事例ですので、すべての障がい者をそう言っている訳ではなく、ほんの一事例として語っているので、
そこは勘違いしないで頂きたいです。一例として挙げられるのが知的障がい者に対する偏見です。
「あぁ、アイツは知的で馬鹿だから」と皆して知的障がい者を笑いものにしたりとか、
実際に目の当たりにした事案です。いずれも障がい者が障がい者をコケにしていた例です。
本来なら、人が人を助け合っていくことが前提なのですが、そういう事例を聞くたびに、傷つき、
そして深い悲しみを覚えます。
もしかしたら、健常者が障がい者を差別する事柄より質が悪いかもしれません。
障がい者と健常者の垣根や線引きを作っているのは、案外、障がい者側なのかもしれませんね。
私的な意見ですが、障がい者同士の偏見如何にかかわらず、我々が暮らす社会全体で差別や偏見はあります。
いじめ問題、ハラスメント問題、社会にはいろいろな差別が蔓延しています。
そういった事案がなぜ生まれるのかを考えたとき、例えば大人のいじめを考えた場合、
加害者に共通しているのは、思いやりが欠如していることや稚拙性、
多数派にいたいという心理も働いていると思います。では、そういう偏見、差別、いじめ、
ハラスメントを防ぐことはできないのか。こういった行為は、ある意味この人間社会の縮図ではないでしょうか。
人間とはこのような愚かしい生き物であると同時に、素晴らしい生き物でもあります。
物事には負の部分と善が入り混じった複雑かつ単純な側面もあるのも事実です。
ここでこのブログを締めてしまうと、何の希望も見いだせないので、次回、もう少し明るい論調で書きだそうと思います。
ここまで読んでくださった方たちに感謝し、お礼を述べたいと思います。ありがとうございました。