人生はロックだぜぇ~。
尖がった生き方をする人がいる。
反発する事が正義だというような…。
私も尖がってた時代があったから解らなくもない。
イキがってるとかそんなのじゃなく、
何に腹を立てているのかも自分では解らず、
ただただ反発しているだけの、
一種の「中二病」とでもいうような(笑)
尖がってる時に自分の中で蠢いているのは、
「自分は他の奴とは違う」という、
なんとも奇妙な自信なのか、
それともコンプレックスなのか、
とにかく自分と世間を隔離したがる気持ち。
しかしそんな生き方はやがて大人になると、
とても生き辛いものとなっていく。
仕方なく世間に合わせていくのだが、
それを【妥協】とすればこれまた生き辛い。
なんて事を近年までずっと思い、
何かと悶々としたモノを抱えていたのだが、
ふと肩の力を抜いて考えれば、
尖がろうと丸かろうと関係のない事なのだ。
たとえば汚い話で恐縮だが、
海で誰がおしっこをしようと、
海はそのまま海で美しい。
わずかなおしっこで汚される事はない。
おしっこをした誰かを海は怒らず、
そのまま変わらず包み込んでいる。
世間に合わせた妥協ではなく、
世間に溶け込むと思えば自然だ。
溶け込んだところで自分の存在は変わらない。
海でおしっこをした誰かは、
海にとって小さなものだけれど、
その存在は唯一の存在である。
尖がった生き方もそれはそれでいい。
しかし自分や周囲を否定しなくてもいいと思う。
尖がろうと丸かろうと唯一の自分であるように、
他人もそれぞれに唯一の存在なのだ。
溶け込んだところでその存在は個々に変わらない。
自分も他人も傷つけずに、
自然に生きれば生き辛いはなくなるだろう。