*柳孝明goo_エンタメブログ****

毎日の出来事を書いてゆきます。
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遠藤が3位=女子は伊藤13位、上村14位-W杯モーグル

2013-01-27 12:15:08 | スポーツ

遠藤が3位=女子は伊藤13位、上村14位-W杯モーグル

 

男子で3位に入り、笑顔を見せる遠藤尚=26日、カナダ・カルガリー

 【カルガリー(カナダ)時事】フリースタイルスキーのワールドカップ(W杯)は26日、カナダのカルガリーで男女モーグル第4戦が行われ、男子で遠藤尚(忍建設)が上位6人によるスーパーファイナルに進み、3位に入った。遠藤の表彰台は昨年3月9日の3位に続き2度目。女子の日本勢は伊藤みき(北野建設)が13位、上村愛子(同)が14位、村田愛里咲(北翔大)が16位だった。
 女子の星野純子(リステル)と水谷夏女(サミーク)、男子の上野修(野沢温泉ク)、山口卓也、小林樹生(ともに白馬ク)、吉川空(フリー)、四方元幾(愛知工大)はいずれも予選落ち。
 男子はミカエル・キングズバリ(カナダ)が今季3勝目、通算13勝目。女子はジュスティーヌ・デュフールラポワント(カナダ)が今季初勝利、通算3勝目を挙げた。 (2013/01/27-12:00)


有言実行、2位に大差=加藤、会心の滑りで日本新-世界スプリント

2013-01-27 12:13:57 | スポーツ

有言実行、2位に大差=加藤、会心の滑りで日本新-世界スプリント

 

 加藤が有言実行の滑走を披露した。大会前に「500は勝ちにいく」と話していた通り、初日の男子500メートルで快勝。しかも34秒21の日本新。「久々に気持いいレース」と会心の笑顔を見せた。
 最初の100メートルも、9秒47と誰よりも速かった。スタートダッシュに成功し、第1カーブも上々の滑り。「ほとんど力まなかった」。2位に0秒22の大差をつけたことにも、達成感があった。
 前週のワールドカップ(W杯)カルガリー大会2日目の500メートルで優勝者に0秒05差の2位。この結果を、しきりに悔しがっていた。この日は「いいタイムで2位にしっかり差をつけた。こういう勝ち方で、自分のスタイルが戻ってきたかな」。納得の表情だった。
 カルガリー大会2日目にはブレードの位置を左右とも大きく変えた。これが奏功。そのブレードにも慣れたといい、「この大会の500を狙ってやってきた。(約1年後のソチ五輪を見据え)調整がいい感じに当たったという実績ができた」と手応えを感じ取った。
 所属先の今村俊明監督は「最後の200メートルで伸びれば、2日目も(記録更新の)可能性はある」。加藤は「あすは違うレースとして集中する」と力を込めた。(ソルトレークシティー時事)(2013/01/27-12:08)


マラソン、川内が大会新で優勝 エジプト国際

2013-01-19 06:35:03 | スポーツ

マラソン、川内が大会新で優勝 エジプト国際

http://www.47news.jp/CN/201301/CN2013011801001766.html

 大会新記録で優勝し、日の丸を広げて喜ぶ川内優輝=エジプト・ルクソール(エジプト国際マラソン大会事務局提供・共同)

 公務員ランナーの川内優輝(埼玉県庁)が18日、エジプトのルクソールで行われたエジプト国際マラソンに出場し、大会事務局によると2時間12分24秒の大会新記録で優勝した。序盤から独走態勢を築いてゴールし「第20回大会で僕も20回目のマラソン。運命的なものを感じる」と満足げに語った。

 日本から出国する際にはパスポートを自宅に忘れて予定した便に間に合わず、自腹を切って航空券を購入する事態に見舞われたが「自分のミスでパニックになり、反省している。何とか気持ちを切り替えようと思った」と力走を振り返った。(共同)


元巨人、チョ・ソンミン氏が自殺か

2013-01-06 22:29:34 | スポーツ

元巨人、チョ・ソンミン氏が自殺か

http://www.j-cast.com/2013/01/06160295.html

 プロ野球の巨人でも活躍していた元プロ野球選手のチョ・ソンミンさん(39)が2013年1月6日朝、ソウル市内の自宅で首をつっている状態で発見され、死亡が確認された。同日、韓国メディアが「自殺とみられる」と相次いで伝えた。ベルトを使ってシャワー室で首をつっていたという。

   チョさんは1996年から02年にかけて巨人で投手として活躍。1998年にはオールスターゲームにも出場した。チョさんは2000年に女優のチェ・ジンシルさんと結婚したが04年に離婚。チェさんは08年に自殺している。


「ありがとう、ゴンゴール」 中山雅史という日本サッカーの歴史

2013-01-06 22:20:45 | スポーツ


http://www.47news.jp/topics/entertainment/sportscolumn.php

 

東日本大震災の復興支援を目的としたサッカー教室で、子どもたちと触れ合う中山雅史さん=12月27日、仙台市内
東日本大震災の復興支援を目的としたサッカー教室で、子どもたちと触れ合う中山雅史さん=12月27日、仙台市内

過去2シーズン、Jリーグでプレーしたのはわずか3分間。それでも最後の舞台で周囲の期待に応える「ゴンゴール」を決めてしまうのが、この人の持つスター性なのだろう。

12月26日、ユアテックスタジアム仙台で行われたチャリティーサッカー2012。後半残り7分から出場した「ゴン」こと中山雅史に、誰もが求めたのはゴールしかなかった。

今シーズン限りで23年間の現役生活に「一線を引く」ことを決意。「引退」という2文字をあえて使わないところが彼らしい。この記録にも記憶にも残るストライカーは、たとえそれが親善試合とはいえ強烈な印象を残し、そしてピッチを去っていった。

試合終了直前のラストプレーも、点を取るための計算され尽くされた動きだった。宇佐美貴史が中盤でボールを持った瞬間、DF岡山一成の背後に入り込み、宇佐美のスルーパスのタイミングで岡山の前のスペースに飛び出す。いわゆる「消える動き」で岡山のマークを外すと、最後はGKの手を弾くシュートでボールをゴールマウスに送り込んだ。

確かに中山自身も「周りの気の使い方が、痛いほど分かった」と苦笑するように、相手側の多少の優しさはあった。しかし、それはシュートの瞬間に岡山がタックルに入らなかったことだけ。フリーになるためのオフ・ザ・ボールの動きに関しては、文句のつけようのないものだった。

フィジカルコンタクトが避けられないサッカーで、45歳まで現役を続けた良い意味での執念深さ。カズ(三浦知良)という同じ1967年に生まれたもう一人の日本サッカーのレジェンドの存在はあるが、この年齢までプロの肩書きを貫いたのは世界的にも稀というよりも、異常だろう。あのマンUの39歳と38歳のオジサンコンビ、ライアン・ギグスとポール・スコールズの存在ですら奇跡に近いと思えるのだから、カズ&ゴンは“世界遺産”クラスだ。

札幌に所属した最後の2シーズンは厳密にいえばプレーをしていないに等しい。費やされるリハビリへの時間。膝のケガに悩まされ歩くこともままならぬ状態で、それでも中山が現役にこだわったのは常人には理解のできない次元での話なのだろう。自分の意思で現役を引退するかどうかを決められる恵まれた選手(クビになる選手の方が圧倒的に多い)の場合、二通りのタイプがある。まだ、現役で通用する実力がありながら、潔くスパイクを壁に掛ける選手。ドイツW杯直後に29歳で引退した中田英寿氏がこのタイプだろう。一方で、もがきながらも現役にこだわり、しがみつくというタイプも、中田タイプのスマートさにこそ欠けるが、人間的な魅力を感じる。そしてあくまでも推測だが、後者の中山タイプの選手のほうが、よりサッカーを楽しむ引き出しを多く持っているのではないかとも思える。なぜなら、痛くても、辛くてもサッカーを続けられるのは、「サッカーが楽しい」と思える心がなければ不可能だからだ。

「ポストプレーをしても、ボールがうまく収まらない。正直、いまの若い選手と比べればボール扱いなんて本当に下手ですよ。でも向上心がすごく、どんなに苦しくても自分のものにするまで地道に努力を続ける。ベースにサッカーが好きという純粋な気持ちがなければできないですよね」

いまだに破られることのない年間最多得点36ゴール(27試合)。中山が1998年に達成した大記録はオフ・ザ・ボールの動きを追求した末の結果だった。DFの視界から「消える動き」を経てラストパスを受ける。ともに中山スタイルを追求したのが、当時、磐田のコーチを務めていた山本昌邦氏だ。その山本氏の目を通す中山は「とにかく真面目。ゴンは努力することにかけての天才ですよ」となる。テレビでおどける姿とはかけ離れるのだ。

プロ野球選手が子どものころは、ほとんどがエースで4番だったように、プロサッカー選手も少年時代はほとんどが攻撃のエース。それがプロへとステップアップする過程で、技術的に劣る選手はFWからMF、DFへとポジションを下げていくのが世界的な流れだ。その意味で言えば中山はDFからポジションを最前線に上げ、プロとしてJリーグ最多の157ゴール(すべてJ1)を記録。そのキャラクターと同様に常識を覆す選手と言えよう。

98年4月15日のセレッソ大阪戦から始まった4試合連続のハットトリック。2000年2月16日のブルネイ戦、わずか3分15秒で達成され国際試合最短時間ハットトリック。二つのギネス記録を持つ。印象的なゴールはこれだけではない。98年6月26日、ジャマイカ戦で記録された日本の記念すべきW杯初ゴール。そのすべてが30歳を超えてから記録されたものだった。

人は向上心を失わない限り、前に進み続けることができる。中山雅史という規格外のフットボーラーは、われわれにそれを教えてくれた。ドーハのベンチ脇で崩れ落ちた姿。フランスW杯のジャマイカ戦後に、骨折をしながらも車椅子に乗り律儀に記者たちの前に戻ってきてくれた姿。思い返せば、彼そのものが日本のサッカーの歴史だった。誰にでも愛される好漢ゴン中山。彼の存在を抜きに、現在の日本サッカーの隆盛は考えられない。それを思えば贈る言葉はこの一言だろう。「ありがとう」―。

岩崎 龍一[いわさき・りゅういち]のプロフィル

サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。5大会連続でワールドカップの取材を行っている