お久しぶりで~す。2年ちょっとのご無沙汰なんですが、新型コロナに罹患したわけでも、怪我をしてたわけではないので。ま、いろいろあって、ちょっとブログを更新する気がなくなってしまって.........。
そんな相変わらずの退屈な日常生活のなか、とある旅行社から送ってきたツアーカタログをぼーっと見ていたら、「星空ツアー」みたいなのがあって、「夜空を見上げるなんて長いことしてないなあ...。」なんて柄にもないことを考えて、バスツアーのような慣れない1泊旅行に家人と二人で申し込んでみました。
ところで、バスツアーの1日走行距離を200kmぐらいしてくれないと、慣れないものにとってはかなりきつい。
初日に第一目的地の恵那峡まで300km近く走りました。😫
それでも恵那峡自体はご覧のようにお天気も良くて爽快です。
ENAKYOの「Y」が最初からなくて、そこは自分で人文字作れっていう、バカにしたような内容にノってしまいました。(笑)
クルーズ自体はこんな船に乗ってまわります。
でも、恵那峡って川岸に大きな岩がいっぱいあって、それぞれに人が勝手な名前を付けて楽しんでるっていうか、別に大したものでもありません。またそれらをクルーズ船から撮影しようとしても、船が船外に出られる構造ではないためすべて窓ガラス越しの撮影になるので、撮影自体もうまくできないのが残念です。
で、その日の夜、今回のメインイベント「阿智川星空ツアー」はお天気がイマイチ.......。😞
せっかくこんなところまで来たのに星空の撮影ができなくてガッカリですね。自然が相手なので仕方がないけど。
当夜の雰囲気はこんな感じです。
翌朝から「赤沢自然休養林」というところへ連れていかれたのですが、ここがまあまあいいところで前夜の残念な気持ちが少し和らぎました。
おそらくここは、関西居住者にはほとんど認知されていない場所だと思いますね。
この蒸気機関車はアメリカ製で「ボールドウイン号」と呼ばれて、大正から昭和中期まで木材運搬に活躍したそうです。
木曽ヒノキは安土桃山時代から築城などの材料として使用され、その乱伐によって山々は荒れ果てたそうですが、江戸時代に入って尾張藩が厳しいおふれをもって守り、明治以降は皇室の「御用林」とし、戦後は「国有林」として管理しているとのことでした。
こんなトロッコ列車(森林鉄道)に乗って渓流沿いを走ってくれます。
これ通行手形?みたいな木製チケットをいただきました。
結局、今回の1泊旅行は、都会で見ることのできない「星空観賞」という目的は果たせず、都会では味わえない「森林浴」を体験することになって、森林セラピーなどの研究でいわれる「フィトンチッド」を浴びたのか?どうかはわからないですが、とりあえずは良しとします。(完)
<オマケ>
帰路途中の自由昼食とかで妻籠へ連れていかれたのですが、ここもまあコロナのせいか、かなりひなびた感じで、昼食をとる店舗も数件しか営業していなくて食事の選択肢がありません。(笑)
もう宿場町として栄えたイメージがなくなっていました。かろうじて面影だけでも......。
そんな相変わらずの退屈な日常生活のなか、とある旅行社から送ってきたツアーカタログをぼーっと見ていたら、「星空ツアー」みたいなのがあって、「夜空を見上げるなんて長いことしてないなあ...。」なんて柄にもないことを考えて、バスツアーのような慣れない1泊旅行に家人と二人で申し込んでみました。
ところで、バスツアーの1日走行距離を200kmぐらいしてくれないと、慣れないものにとってはかなりきつい。
初日に第一目的地の恵那峡まで300km近く走りました。😫
それでも恵那峡自体はご覧のようにお天気も良くて爽快です。
ENAKYOの「Y」が最初からなくて、そこは自分で人文字作れっていう、バカにしたような内容にノってしまいました。(笑)
クルーズ自体はこんな船に乗ってまわります。
でも、恵那峡って川岸に大きな岩がいっぱいあって、それぞれに人が勝手な名前を付けて楽しんでるっていうか、別に大したものでもありません。またそれらをクルーズ船から撮影しようとしても、船が船外に出られる構造ではないためすべて窓ガラス越しの撮影になるので、撮影自体もうまくできないのが残念です。
で、その日の夜、今回のメインイベント「阿智川星空ツアー」はお天気がイマイチ.......。😞
せっかくこんなところまで来たのに星空の撮影ができなくてガッカリですね。自然が相手なので仕方がないけど。
当夜の雰囲気はこんな感じです。
翌朝から「赤沢自然休養林」というところへ連れていかれたのですが、ここがまあまあいいところで前夜の残念な気持ちが少し和らぎました。
おそらくここは、関西居住者にはほとんど認知されていない場所だと思いますね。
この蒸気機関車はアメリカ製で「ボールドウイン号」と呼ばれて、大正から昭和中期まで木材運搬に活躍したそうです。
木曽ヒノキは安土桃山時代から築城などの材料として使用され、その乱伐によって山々は荒れ果てたそうですが、江戸時代に入って尾張藩が厳しいおふれをもって守り、明治以降は皇室の「御用林」とし、戦後は「国有林」として管理しているとのことでした。
こんなトロッコ列車(森林鉄道)に乗って渓流沿いを走ってくれます。
これ通行手形?みたいな木製チケットをいただきました。
結局、今回の1泊旅行は、都会で見ることのできない「星空観賞」という目的は果たせず、都会では味わえない「森林浴」を体験することになって、森林セラピーなどの研究でいわれる「フィトンチッド」を浴びたのか?どうかはわからないですが、とりあえずは良しとします。(完)
<オマケ>
帰路途中の自由昼食とかで妻籠へ連れていかれたのですが、ここもまあコロナのせいか、かなりひなびた感じで、昼食をとる店舗も数件しか営業していなくて食事の選択肢がありません。(笑)
もう宿場町として栄えたイメージがなくなっていました。かろうじて面影だけでも......。
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