昨日、桂米朝追善芝居と銘打った「地獄八景亡者の戯れ」を観劇してきました。
大阪の松竹座というお芝居専用の劇場です。
ご覧のようなあいにくの雨でしたが、ほぼ満席状態でした。
故桂米朝師匠の没後1年を前にして、そのお弟子さんであった桂ざこば師匠が米朝一門を率いて、松竹が製作したお芝居です。
落語作家の小佐田定雄先生が脚本でしたので、上方落語の有名ないくつかの噺をところどころにちりばめながら、「地獄八景亡者の戯れ」という大ネタをうまく芝居に仕上げられていたと思います。
私が気付いた噺は「高津の富」「はてなの茶碗」「鴻池の犬」「花筏」「寝床」など。
また、米朝師匠の奥さま(故中川絹子さん)が大阪松竹少女歌劇団で男役として在席されていたこともあっての松竹製作?ということなのか、芝居の中に「出雲の阿国」を題材にした歌劇風のステージやラインダンスまで登場して、何が何やらわからなくなりましたが、“そこはそれ、落語やさかい..”ということでしょうか。(^◇^)
米朝師匠の「地獄八景亡者の戯れ」ではよく取り入れられたその時々の時事ネタやパロディなどを意識してか、「国会議員を辞めた女狂いのゲス不倫の人」とか、「薬の使い過ぎでボロボロになってしまった野球人」の話もチラッと出てきました。
全体として専用劇場の設備(奈落や回り舞台、花道など)を十分に生かした楽しい演目でした。
「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒がええの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。値打ちは世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」
4代目桂米團冶が弟子の桂米朝に言った言葉とのことです。
大阪の松竹座というお芝居専用の劇場です。
ご覧のようなあいにくの雨でしたが、ほぼ満席状態でした。
故桂米朝師匠の没後1年を前にして、そのお弟子さんであった桂ざこば師匠が米朝一門を率いて、松竹が製作したお芝居です。
落語作家の小佐田定雄先生が脚本でしたので、上方落語の有名ないくつかの噺をところどころにちりばめながら、「地獄八景亡者の戯れ」という大ネタをうまく芝居に仕上げられていたと思います。
私が気付いた噺は「高津の富」「はてなの茶碗」「鴻池の犬」「花筏」「寝床」など。
また、米朝師匠の奥さま(故中川絹子さん)が大阪松竹少女歌劇団で男役として在席されていたこともあっての松竹製作?ということなのか、芝居の中に「出雲の阿国」を題材にした歌劇風のステージやラインダンスまで登場して、何が何やらわからなくなりましたが、“そこはそれ、落語やさかい..”ということでしょうか。(^◇^)
米朝師匠の「地獄八景亡者の戯れ」ではよく取り入れられたその時々の時事ネタやパロディなどを意識してか、「国会議員を辞めた女狂いのゲス不倫の人」とか、「薬の使い過ぎでボロボロになってしまった野球人」の話もチラッと出てきました。
全体として専用劇場の設備(奈落や回り舞台、花道など)を十分に生かした楽しい演目でした。
「芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒がええの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。値打ちは世間が決めてくれる。ただ一生懸命に芸を磨く以外に、世間へのお返しの途はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで」
4代目桂米團冶が弟子の桂米朝に言った言葉とのことです。