Death By China: How America Lost Its Manufacturing Base (Official Version)
実は去年一度この映画を見たのだが、よくわからなかった。要はあらすじを話せないのだ。
基本的に英語の映画を見る時は日本語の字幕を見ないことにしている。ただそれだけだとわからない部分もけっこう多いので英語の字幕を併用している。まあそんなわけで、わからない一番の理由は自分の英語力の問題なのだろう。つまり自分の英語力程度では一度このちょっと複雑な映画を見ただけでは理解できないという厳しい現実を確認したということだ。
わからないながらも内容がおもしろそうだったのとそのままにしておくのも悔しいので、暇があるときにもう一度見てみようと思っていたらあっという間に年が明けてしまった。
今回も正直よくわらなかった。もしかするとあと3回くらい見ればわかることもあるのかもしれない。
追記
結局もう一度見た。これで3度目だ。しかし我ながら暇だね~(笑)←かなり自嘲気味。
映画の中で他人の夢の中に入り込む理屈を説明してようなシーンもあったのだが、今回もイマイチよくわからなかった。
ハリウッド娯楽映画品質とはおもえない安直なデヴァイスや都合のよいパワフルな鎮静剤も鍵なのだろうが、そこら辺は勝手に想像してくれという曖昧な部分もあるのでは?
冒頭シーンは終盤のシーンの続きなのだろうが、あそこからいきなり時を隔てたシーンに飛ぶ。もっとも日本人の俳優が遠い昔のことだが、そのコマのことを覚えていると言っていたので、そこから先が回想への入り口だという区切りだったのかもしれない。まあラストシーンを冒頭で見せるのは映画の技巧としては常套手段なのだが、この作品ではそこの区切りをあえて瞬時に行い不明瞭にすることで「ンッ?」という気持ちにさせ話に引き込もうとしているように思える。もっともこれで脱落する人も少なくないのではないだろうか?
自殺したコボの妻
これもまたよくわからない。妻は現実の世界にいるにも関わらず夢の世界にいると思い込んでしまった理由がつかめなかった。多分コボと妻の二人で交わした複雑な会話を理解できていないのだろう。
白人にしては顔が東洋人的にアッサリしている女優が演じていた優秀な女学生
むさ苦しい男だけのシーンを減らすという意味の他には、この登場人物の役割もよくわからなかった。夢の世界でコボからいろいろ説明されていた。それを通じて映画を見ている側にもいくらか夢の世界の仕組みがわかるようにすることが最大の役割かもしれない。
映画として一番よかった点は
ラストシーンでまわしたコマが回り続けている状態で映画が終わっている点だ。これも夢の中の夢なのでは?と思わせて終わる。ありきたりの技巧と言えばそれまでだが、コマの回転が減退してバランスを崩しコトッと倒れて終わるすっきりしたハッピーエンドより好きな演出だった。
多分日本語の字幕で見ればもう少し、わかる部分も増えると思う。次回は日本語字幕でみるのもいいかもしれない。
懐古
そういえば今から約30年前アメリカに渡って一年目にHBOという映画専門のケーブルテレビ局でBack to the futureが放送していた。
そのころは英語の聞き取り能力が皆無に等しかったので、あの博士がなぜ冒頭で射殺されるのかがわからなかった。
その1~2年もう一度同じ映画を見たら、冒頭のテレビニュースの内容でその理由がわかることがわかった。
あの時は本当にすっきりしたと同時に英語の聞き取り力が向上したことにちょっとうれしくなったことを思いだした。
いつの日かインセプションを見直して同じようなことを思う日がくるのだろうか?
I don't think so.
本当のことを言うと American History X(1988) のような映画について書いてみたいのだが、簡単に言うと重すぎて自分で書いていてもInceptionとは違う意味でわからなくなりそうなので、次回は The Battleship について書こうかと思う。
FXの損失で金も無いので土日は家でビデオを3本見た。
多少ネタバレあるかもしれないので、ご注意を。
見たのは
砂漠でサーモンフィッシング
スパイダーマン2012
トータルリコール2012
別に映画評を始めるつもりはないのですが、
トータルリコールに出てくるオーストラリア側の未来社会の光景がブレードランナーのそれを彷彿させた。
ブレードランナーの街並みはビデオで見ただけだが、なんだかトータルリコール街並みを見ていたら、以前住んでいた街並みが映画に出てきたような気になった。
ブレードランナーの街並みにはハングル文字はでてこなかったと思うが
そういえば前作ではたしか火星に行っていたと思うが、今回の設定は地球が舞台。
自分の中ではFith Elementという映画とトータルリコール前世紀版がかぶってしまうのだが、今回のこれはブレードランナーと被りそうだ。
他の2作
スパイダーマンの前作シリーズの女優がチアリーダーものの映画 Brig it on 以来好きだったのでちょっと抵抗があったが今作の女優もOKだった。いったい何が基準なのかは不明。それよりスパイダーマンが生身の体で傷を負うことが多く痛々しかった。
それとパーカーの叔母役は昔1980年代の名作 Back to the Future で特殊メイクをしてマイケルJ.Foxの母親役を演じたう女優ではないだろうか。今回の老け役は特殊メイク無しだと思う。自分も老けたけど彼女も見事に老けていたことにショック。
砂漠でサーモンフィッシング
英語のタイトルの直訳するとたしかイエメンで鮭釣りをだと思った。Salmon Fishing in the Yemen
イエメンの砂漠のど真ん中に鮭の養殖場を作るの奇想天外なコメディーかと思ったがイエメンの川に鮭を定着させスポーツフィッシングをできるようにする過程を描くラブコメだった。
Youtubeで昭和ガメラの包丁型怪獣対ギャオスの格闘シーンをみたのがきっかけだ。
ギャオスの出てくる作品は親に連れて行ってもらったのだが、包丁怪獣のやつは親に却下されたのだ。
後日テレビ放映でそれを見たとき、そのあまりにもあっけないギャオスの敗北と包丁怪獣のちゃっちぽさに
「映画館に行かなかったことは大正解」だと思ったことを思い出した。
当然今見ても、笑うしかない、特にギロン?とかいう包丁怪獣。
さて平成ガメラだが選択の段階で間違えていたかもしれない。
3作目と4作目を選んだからだ。新しい方がいいのかな?とか思って
3作目の印象
怪獣=ATフィールド無しのエヴァンゲリオン?
渋谷周辺のガメラ対ギャオスのシーンは迫力があった。この時点では期待感が結構高まったが結局積み込みすぎた要素がばらばらで何が言いたいのかわからなかった。
基本的にシナリオに無理があるように思える、アバターみたいにわかりやすくて共感を呼べるような話でもいいのではないだろうか。
4作目
ガメラ=ガメラもどき、色からしてガメラじゃない、ひそかにガメレオン機能搭載だったのか?
子どものガメラが包丁に火をはくシーンは笑えた。やっぱりギロンは嫌いなようだ。
子どもが近くにいないので印象を聞くことはできないが
これを見て、子どもたちが喜ぶならいいのではないだろうか。
これについて大人がどうのこうの言うのもなんだなあ~っといったところか。
主観的に成長したガメラの目が大きすぎたと思った
人間の見方であることを明確にするためなのだろうか、あまりにも怪獣離れした無邪気な表情が残念。
悪役のは虫類風の怪獣=もう少し何とかしてほしかった。デザイン、戦力戦術等々。正直怪獣世代からみると問題外レベル
いかん大人がとやかく言っているではないか。
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平成24年2月12日 (日)
08:23
放題ピラミッド5000年の嘘という映画が今月の18日に公開されるようだが、Youtubeという動画投稿サイトにこの映画らしきものThe Revelation of the Pyramidsがアップロードされている。この映画が間もなく日本で公開されるものと同じか否かはさておき。
日本語で予告編を見るとかなり面白そうだったのだが、本編はかなりまじめな内容で実は期待していたトンデモ的に飛躍した解釈はなかった。エンターテイメント的な要素は少なく、どちらかと言うとディスカバリーチャンネル的なのりだった。ピラミッドや古代文明が好きな人は劇場まで足を運んで見てもいいだろうという感じだった。
ちらっとだが与那国島のダイビングスポット海底遺跡に見える岩も古代人の痕跡として登場していたような気がする。
日本語字幕がないとはいえ公開前の映画がYoutubeにアップロードされているというのは、映画配給会社的には歯痒い思いはないのだろうか。
The Phantom of Operaという映画にたしかキャサリン いや違うクリスティーナという役で出演していた歌唱力のある俳優が出演しているという理由で“ポセイドン”という作品を観てみた。
どちらの映画が先にこの世に誕生したのかは定かではない。
それにしてもひどい映画だった。これがオリジナル作品ならまあこんなもんかで済むのだろうが、リメイクだとどうしても旧作と比べてしまう。
オリジナルのタイトルは「ポセイドンアドベンチャー」だったはずだ。観たのは三昔ほど前のことだと思うが、もっと登場人物達の極限状態における人間模様に焦点を当てていたような気がしたけど今回のはドラマがない。
まあ、だからこそこの映画の存在させ知らなかったのか。
余談だが中年サラリーマンがひょんなことからダンス教室に通う映画はリチャードギヤのリメイク版しか観ていない。いつかオリジナルを観てみたいと思わないのは邦画に対する潜在的な抵抗があるからだろう。