航空会社のカウンターでチェックインをまっているあいだも無料で接続できた。
搭乗手続きも無事終了した。
空港では以前の同僚が以前同様に働いていた。
仕事を辞めてもう10ヶ月になる。
光陰矢のごとし、ヤレヤレだ。
ideosで更新(^^)v。
JQ78便がキャンセルになった。
日航ホテル成田に宿泊して
翌朝PR431で出発予定。
やはりスマホで更新はつらい。
文字入力が (ToT)
IMEはgoogleとOpen win?を使い分けている。両者のいいとこ取りが出来ればかなり満足なんだが (-.-;)
画像は日航ホテル成田たの長い廊下。
今受講中の日本語教師養成講座
どういうわけか全受講生が積極的に就職活動をしているようには見えない。
なかには、講座半ばで日本語教師という職業に見切りをつけ就職してしまった受講生もいる事は事実だ。しかし、それは例外といった感じだ。
その理由は簡単だ。たとえば定年退職後にこの講座を受講して大慌てで就職する必要もない人、もともと専業主婦でこれまた安定した収入がある人。その他、もともとNEETだった人など経済的にある意味恵まれている人はどうやら血眼になって就職活動をしていないようなのだ。
受講生のなかにははじめから日本語教師になるつもりはない受講生もいる。
条件があえば、毎月10万円支給される生活支援金が受け取れる、それを受給するために通っているのだ。まあ、彼らの感覚からすれば楽な仕事や不労所得のようなものだ。
その行為自体はこの国がセーフティネットの名の下に制定したルールに基づき合法的に支給を受けているのだからどうのこうのいうつもりはない。
現在の受講生の内何名かは、この講座を受ける前に基礎に分類されるコース、例えばウェブデザイナーコースを6ヶ月に受講したのち、日本語教師養成講座を受講ということだ。
つまり、半年プラス半年で計12ヶ月間、この制度を利用して受講し。それに伴い
の生活支援金を受け取とることになるのだ。
本来本制度が意図したことは、NEETまたはそれに準ずる人々に就業に役立つスキルを身につけさせることにあるのだが、万人に対して期待、もしくは想定した結果を求めることは難しいのだろうか。
結果的に言うと、汗水流して働く代わりに一年間毎月10万円の生活支援金を受給したことにより、働かなくても生きていけるという好ましくない期待や錯覚が強化されてしまうのであれば、やはり制度的な見直しも必要となるだろう。
どの程度本気で言っているかは不明だが次はどうやってお金をもらおうかななどという会話をを小耳にはさむと、正直複雑な心境になりながら、就職活動を続けている今日この頃であった。
平成24年3月11日 (日)
08:58 一年前の今日大きな地震が起きて、何万人という数の人々大震災後に襲ってきた巨大津波に飲み込まれて犠牲になった。おまけに原子力発電所も大地震か大津波の影響で緊急時に作動するするべき機能が作動せず、結果は最悪の複数の原子炉が炉心溶解し、その後水素爆発、放射性物質の大量拡散。その頃自衛隊のヘリコプターが空中から海水を散水していた様子をテレビで見たが、あの様子を見ることになるであろう日本を含めた世界中の人々に何かを訴えたかったのだろうか。今もって謎だ。
これがきっかけとなって仕事を辞めてしまったが、その後再就職できないまま今日に至っている。いっそのこと、このまま働かなくてもいいのではと思い始めている自分がいるところに、仕事を応募した先から書類選考の段階で不採用という内容がストレートに記されたメールを受け取った。記念にこの日記に小さめな文字で貼り付くことにしよう。
お送りいただきました書類を審査させていただきました。
書類審査の結果、残念ながら、不合格との結果となりました。
せっかくご応募いただきましたが、上記ご了承いただければ
と思います。
この度は、弊社の募集に応募をいただきありがとうございました。
復旧、復興がどの程度進んでいるかは直接被災された人々がどう感じているかの問題なのでマスコミを通じての断片的な情報しか知ろうとせずに積極的にこの問題に関わろうとしなかった自分にはなにもいえない。
音楽の調性には短調と長調がある。
たとえそのことを知らなくても、そういう違いは無意識に感じている。
色彩でも同様だ。
寒色と暖色の区別をしらなくても、オレンジや赤は暖かい印象を受けるものだ。
今思いついたこと
人間の顔にもそれに類似した明瞭な区別があるのではないか
ということだ。
美しいとか整っているとは違うのはもちろん、派手な顔地味な顔、明るい表情、暗い表情とも違う、もっと本質的な構造に起因した基準があるような気がしてならない。
しかし、自分以外の人間は何らかの外出の為のマスクを被っているので、それを見いだすのは通常の方法では困難だ。仮にそれを知っても健全な関係性の構築には結びつかないだけではなく、かえって弊害が増える事が予想される。
健全とはいえない関係性、例えば反社会的な営利目的の関係下でならその目的を達成するのに有効な手段となり得るだろう。ある意味それをしられることはとても危険なことなのだ。