はじめに
東京大空襲で頭をよぎったことを脈絡もなく書いてみました。
内容は支離滅裂で焦点も曖昧なので何を言いたいかはわからないと思います。
正確には覚えていないが何十年前の昨日米軍のB29から投下された焼夷弾によって東京が焦土と化した。
私の祖父も家を焼かれ、途方に暮れた。
小学生の時同級生の新谷君が東京大空襲時の記録写真集を学校に持ってきた。
熱さから逃れるために必死の思いで川に飛び込んだら、そこは熱湯だった。
結果的に死んでしまった人々が川を埋め尽くしていた光景が今でもしっかり脳裏に焼き付いている。
米軍許せんと子供心に反米の灯がともった。
当時から日本の米は過剰に生産されていた、にも拘らず学校給食の主食はパン、たまにはソフト麺と呼ばれていたうどんのようなものもでたが、どちらも米国産の小麦を加工したものだ。
余っている米を給食に使えばいいという上級生の作文がお昼の校内放送で朗読されるのを聞きながら、ほんとにその通りだと思いながらもだされたパンを食べてしまうのが人間なのだろうか、ともかく私は子供心に矛盾を感じていた。
今でも反米の火は辛うじて灯っているが、パンをあまり食べないこととコーラを飲まないようにしている他は何一つ行動していない。反米でも何でもないですね。(´・ω・`)
30年ほど前に米国に3年ほど滞在して、軍人も含めて米国一般市民には罪はないと思った。
日本は多くの犠牲と制約のなかで民主主義と平和を表面上は謳歌してきたようにも見ることはできる。
その反面米国は朝鮮、ベトナムから現在に至るまで戦争を継続している。
ベトナム戦争に志願し従軍した当時ルイジアナ州でSeafoodの会社を経営していた米国人ラリー氏に何故そんなことをしたのかと尋ねたことがある。
彼はこう言った。
多分あの頃は若すぎんだと思う。Maybe I was too young on that time.
共産主義を倒すことが正義だと本気で思っていた。
話が東京大空襲から逸脱しているが、もう少しラリー氏の話を続ける。
そもそも彼とこんな話を始めたのは、とある新聞記事がきっかけだった。
その記事の内容は詳しく覚えていないのだが、概要とし資本主義的経済を取り入れるようなことだったと思う。
ラリー氏は共産主義を選択したはずのベトナムがなんでそんな改革をするのだ。俺はなんのために戦ったんだ!と嘆いていたのだ。
因みに温暖なルイジアナ州には共産主義から逃れてきたベトナム難民がたくさん住んでいた。
ここから先は個人的な推論だが東京に焼夷弾を投下した軍人もそこが軍事工場であると聞いたいたはずだ。まさか単なる住宅密集地域とは思わずに零式戦闘機の部品工場を焼き尽くす任務を遂行したのだろう。
第2次世界大戦が世界の勢力図を大きく塗り替えたのは事実だろう。
だがその犠牲となられた方々のことを考えると、もっとやらなければならないことがあるよう気がしてならない。反米どうのこうのではなく、戦争を企てて利益を獲る利権に対して。
犠牲になるのは常に力のない一般庶民、戦争とは権力者に誘導された庶民が敵国の庶民を殺すところがなんとも悲しい。
ベトナム戦争の徴兵から免れるためにカナダに移動した米国人はもっとも基本的な生存する権利を遂行しただけだと思う。他国から侵略された戦争から逃亡するのとは全く異なる。
支離滅裂になってきたので、今日はここまでにします。