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屈斜路湖畔の焼きトウモロコシ

2021年03月02日 | ハノイ生活

 3月1日から会社が再開しました。

 守衛が校庭でトウモロコシを焼いていました。

 これを見て40年前の学生時代の合宿を思い出しました。

 

 

 今から40年前、大学2年の夏合宿で北海道大雪山を2週間ぐらいかけて縦走しました。メンバーは確か5人だったと思います。

 佐賀駅を出発し、博多駅から京都・舞鶴駅までは「急行さんべ」などを乗り継いで行きました。舞鶴港から北海道・小樽港まで「新日本海フェリー」に乗船し、そこから札幌を経由して上富良野駅に到着しました。

 そこから、十勝岳、トムラウシ岳、旭岳まで縦走しました。合宿はそこで終了です。

 合宿後、メンバー5人は旭川から最北端の宗谷岬まで一緒に行きました。

 そこで、これからどうするかということになり、「利尻島・礼文島」コースと「北海道・道東」コースに分かれました。

 私は道東コースを選び、宗谷からサロマ湖、網走、原生花園を経て、屈斜路湖へ到着しました。湖畔でテントを張ってのんびりしていると、移動車で焼きトウモロコシ屋が来ました。トウモロコシは今でも特に好きではありませんが、その時はとても美味しくいただいた思い出があります。

 

 

 屈斜路湖から摩周湖、帯広を経て札幌に到着しました。そして、当時は携帯電話がありませんでしたので、「利尻島・礼文島」コースのメンバーと事前に打ち合わせておいた日時に札幌駅で会って、札幌ビール園で久しぶりの再会を果たしました。

 その札幌ビール園でジンギスカンをつまみに、飲み放題の大ビールを7~8杯飲んで完全に意識を失いました。

 そして、目が覚めたのは札幌から函館へ向かう列車の中でした。酒の強いメンバーが列車に乗せてくれたんだと思います。

 それから、青函連絡船に乗って青森駅に着きました。そこで目が覚めました。函館からどうやって船に乗って青森駅に着いたのか全く記憶にありません。1979年当時は青函トンネルがまだ開通していませんでしたので船に乗ったんですね。

 青森からどうやって佐賀へ帰ったのか、いくら記憶をたどっても全く思い浮かびません。貧乏学生でしたので、たぶん鈍行を乗り継いで、仙台、東京、名古屋、大阪、広島を経由して帰ったんだと思います。

 

 

 当時の写真が1枚も残っていないのが残念でなりません。8年前にベトナムへ来たときに、重量制限でなくなく捨ててしまったんです。

 北海道へはこの時が最初で最後です。もう一度行ってみたい。

 今度は利尻島・礼文島へ行きたい。

 


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